四章 ヘヴン 1

 結局、最高級ホテルに一泊だけという譲歩を何故か姉にして、行くことになった。

 相変わらず、実家以外にも融資者がいるようで、姉の金遣いは荒い。

 いや、庶民的な感覚はあるんだけど、俺のことになるとリミッターが消え去るので俺がストップを掛けなければならない。

 高級ホテル、『ホテル・アシェッタ』の最高級コースを屋上の夜景と海が一望できる場所で、二人きりで食べている。

 落ち着かないか、と言われれば、ノーだ。こういうのは、姉さんと一緒にいたころは珍しくもなかった。

「はい、あーん」

「あーん……」

 タイのポワレかな。淡泊な身に上品な味付けが舌触りがいい。

「ふふっ、美味しい? 一番いいお店を探して、貸し切りにしてもらったの」

「相変わらず凄いな姉さんは……」

「えへへ、もっと褒めて?」

 いや、褒めてはないんだけど。

 半ば呆れつつ、俺は食事に戻る。

「……」

 そうだな。俺ばっかりじゃ不公平だ。

「はい、姉さん」

「ん?」

「あーん」

「……っ!?」

「え?」 

 姉さんが後ずさりながら席を立ちあがる。

 な、何なんだ。なんの反応なんだ。

「で……」

「で?」

「デレ期なのね、れいちゃん! お姉ちゃんにも春が来たのね! ようやく春が来たのね!?」

「俺が食べてるのに、姉さんが食べてないのも変な話だし。ほら、食べてよ」

「食べる! あーん!」

 フィレステーキを頬張る姉さん。

 その顔は幸せそうで……つい、色々言おうと思っていた文句を引っ込めたくなる。

 でも、言わなければならない。

「姉さん。俺も子供じゃないんだから……子ども扱いはやめてくれよ」

「そうね、もう童貞でもないし」

「……そういう意味でもなくてね……」

「分かってる。……じゃあ、こういうのはどう?」

 フォークをぴしっと俺の方に示す。

「次の決勝戦――勝った方の言うことを、一つ、何でも聞く」

「……」

「私の願いは、変わらないよ。お嫁さんにもらってほしい」

「俺の願いは、変わらないよ。俺を子ども扱いするのも――俺を下に見るのも、やめてもらうから」

「下になんて見てないよ!」

「いいや、見てるよ。……対等ではないと思う。だから、対等になりたいんだ。姉さんと肩を並べるような男になりたい」

「……そっか」

 俺のまっすぐな目線を受け止めて、姉さんは笑う。

「でも、私には勝てないよ。良いおもちゃをもらったみたいだけど――そのおもちゃ、上手くは扱えてないよ」

「上達して見せるよ。そして勝つんだ。姉さんに」

「うん、楽しみにしてる」

 やんちゃな子供を見るような目で、姉さんは俺を見る。

 ――その油断を、慢心を、根底から覆してやりたい。

 心から、そう思った。



 で、ホテルの一室に来たのはいいんだけど……。

「ベッド、でかいよね」

「大きいよねぇ!」

「なら、俺と姉さんが一緒に寝る理由はないよね? じゃあ、俺は寝るから――」

 ガシッと肩を掴まれる。

「……その、あれはしなくていいんだけど。一緒に、その、寝たくない?」

「俺は遠慮しとくよ。なんなら、そこのソファーでいいから、俺」

「……う、ぐす……!」

 泣き始めた!?

「ひどいよ、れいちゃん……! 私がどれだけれいちゃんを想って枕をぬらしたと思うの? 何回、あの時の交わりを思い出して自分を慰めたと思ってるの……?」

「……」

 うわぁ……。

 元凶は確かに俺だけに、何も言えない。

 というか、俺の周りはなんでこう、性に関してオープンなんだ。

「それとも、お姉ちゃんのことが嫌いになったの……?」

「いや、そういうわけでは……」

「じゃあたっぷり愛してよ!」

「両極端だねぇ!?」

 ……でも、これでけじめをつける意味も込めて。

 思いっきり彼女を抱き寄せて、唇を奪う。

「……」

「……」

 しばらくして、離れる。

 舌を入れられて――糸を引いていた。

「うん、その……今日は、ごまかされちゃう。キスで」

「そうしてよ。……また、会えるんだからさ」

「うん!」

 ……実際のところ、これでいいのか、よくわからない。

 でも、姉さんが俺に甘いように、俺も姉さんに大分甘いようだ。

 柔らかいベッド。体重を奪うかのようなそのベッドの上に、二人寝転がる。

 きゅ、と握られる手。そっと、握り返す。

 懐かしさに酩酊するように、俺は目を閉じる。

 眠りは、懐かしむのを阻むようにすぐ襲ってきた。



「けけけ結婚……!? 実の姉と!?」

「う、うん。そういうことに……」

 翌日。

 帰宅すると急にいなくなってメールだけを寄越した俺を、全員が心配してくれていた。

 怜治先輩、結先輩、そして悠里に昨日のことを伝える。

 連れ去られ、そういう約束をしてきたことを。

 驚いている三人に、笑いかける。

「でも、まぁ勝てばいいんですから」

 そういう俺に、先輩二人が顔を暗くする。

「勝てるのか……オレ達が、あの『薔薇の女王』に」

「かなーり、不安よね」

「そんなに強いんですか」

「逆にお前は知らないのか? 『薔薇の女王』として未だかつて無敗を誇り……すでに各方面からスカウトが山のように押し寄せている、あの烏丸綾を」

「俺の知ってる姉さんは、身内以外に冷たいとか、逆に身内にはだだ甘いとか……そういうことなので。戦いは、あんまり知らないんです」

「まぁ、今までお前に頼りきりだったから何とかしてやりたいが……強いぞ」

 そんなに強いのか。

 強い強いと聞かされてるけど、思い浮かぶ姉の姿はいつも……笑った顔だった。

 これから戦うのに、まるで想像できない。

「じゃあ、これから一緒に対策を……」

「いや、黎明。対策はオレと結でやる。……お前と枝条は臨機応変に戦え」

「え? 俺もどんな能力か、知っておいた方が……」

「相手はかなり温存しながら戦っている。……だから、ビデオに騙される可能性があるんだ。お前達二人はこれから三日、一緒に出掛けるなりして休んでおけ」

「そうよぉ。ほら、行った行った!」

 結先輩に背中を押されて、追い出されてしまった。

『いやぁ、ご主人様相手に強引ですねえあの二人は。俄かごしらえとはいえ知識がないのとあるのでは大きく違うでしょうし。馬鹿ですね』

「こらイオ、口が悪い」

『てへ!』

「……多分、だけど。俺と姉さんが結婚することになったら、俺はこの学園にすらいられなくなる」

「え!?」

「魔導器を持って、戦える俺なら……実家は、受け入れるだろうし。それに、姉さんがここにいることを許容するとも思えない。すぐ自分の学園に入れさせるか……元の部屋に軟禁されるかの、どっちかだ。思い出作りをしてこいってことなのかな」

「……」

『よし、烏丸綾を殺しましょう。後ろからグサッ! 相手は死ぬ!』

「イオ、やっぱりバグを修正してもらおうかな」

『や、ヤダナー! 半分冗談に決まってるじゃないですかー』

 半分本気じゃないか。

「……渡しません」

「え?」

「黎明さんと私のラブラブ学園生活を邪魔するなんて……!」

「え!? ラブラブだったの!?」

 それなのに俺の心が少しも温かくないのはなぜだ。

 変だな、ラブラブのはずなのに。

 いやラブラブじゃないから当たり前だわ。

「ラブラブだったじゃないですか! ほら、思い返してみてください! 入学したあたりから!」

 ……。

「怜治先輩に出会って、お前は屑じゃないって言われて……」

「ふむふむ」

「で、結先輩と悠里に出会って」

「そう、そこから二人のランデヴーは始まったんです」

「怜治先輩と一緒に汗を流して……お互いに切磋琢磨して……」

「ん?」

「あれ? 怜治先輩と一緒にいた時間の方が多いような……」

「きぃぃぃ!」

 無表情のままハンカチを咥え出したぞ。

「デートしましょう!」

「デート……」

「カフェで食事とか!」

「それ仙一郎とやった」

「また男に、しかも知らない人に寝取られたぁぁぁぁ!」

 寝取られてないから無表情で壁を殴るのをやめなよ。

「じゃあ、プール! プール行きましょう! この間、通販で買った悩殺、貝殻水着が……!」

「なんで肉欲に傾ぐんだよ……」

「いや、だって……!」

 泣くなよ。

「好きな人にお風呂をわざと見られたり、着替えを覗かれてみたり、ボディータッチもしてるのに……!」

「いや、俺は貞操の危機かとずっと怪しんでたけど」

「これだけアタックしてだめなら……もう……!」

「他のアタックの仕方、なかったの……?」

「だったらもう脱ぐしかないじゃないですかぁ!」

「そこが変だ! 何があったんだその思考の間に!」

 やけっぱちになり過ぎだろう、いくらなんでも。

「分かった、デートしようよ。幸い、まだ二日もあるんだし」

「あれ? 決勝戦は三日後では?」

「仙一郎と約束してるから。魔導器の使い方を教えてもらうんだ」

「く、またしてもセンイチロウ……! 女の敵め……!」

「まぁ、間違いでもないのかな。モテそうだし」

『ほうほう、デート。ご主人様、さすがですね。この女たらし!』

「そういえば、イオはデートとかしたくないのですか?」

『もうすでに、身も心も捧げちゃってますから……きゃっ!』

「機械にも先を越されたぁぁぁぁ!!」

「いや、だから違うって……」

 そういう意味合いじゃないから。

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