二章 チーム 3

 大会に出るまでに、フィジカルを完璧なものにする。

 というわけで導入されたプール修練。

 水中での訓練はさらに過酷だった。

 怜治先輩は水の中なのが嘘のように動けている。慣れるしかないとのこと。

 基礎訓練に次ぐ基礎鍛錬。気力も体力もがっつり減っていく。

「ぶくぶくぶー……」

「だ、大丈夫かい、悠里……」

 悠里が全身から力を抜いて水面に漂う。

 仕方ない、俺ですらきついんだ。悠里には厳しいだろう。

「ここまでにするか」

「はい」

「一瞬で立ち直った!?」

「枝条、元気そうだな。今からクロール百メートル全力五本、クールダウンで三本、行くか?」

「やめましょう、死んでしまいます」

「よし、黎明。ついてこい」

「了解です!」

「え、行くんですか?」

「後それくらいならいけるから。それに、泳ぐのって楽しいし」

「……そ、そうですか」

 引いてる。でも楽しいと思う。

 できなかったことができるって、中々楽しい。俺の中では。

「行くぞ」

「はい!」

 プールの壁を蹴って、同時に進みだす。

 さすが怜治先輩。泳ぎも早い。何というか、無駄のそぎ落とされたフォルムなのか。流れるような動きは、込めるべきところにしか力がこもっていないように見える。

 俺も必死についていく。全力で水を掻き、胸元から押し出していく。

 息継ぎの暇もなく、五十メートルの切り替えし。

 教えてもらったクイックターン。五メートルのラインが見えれば、ひとかき、ふたかきでちょうどいい。鼻から息を出してないと、ちょっと酷いことになる。

 必死にもう五十メートルを泳ぐ。

「ぷはっ!」

「……百メートルノンブレスですか。どんな肺活量してるんですか……」

「まぁ……うん。日々の訓練のたまものだよ」

 魔術を使う時に、音声は嫌でも使う。

 魔法陣を書く方法もあるけれど、時間がかかりすぎるしどのみち声は使う。

 普通は魔法陣を掘った宝石や魔力を通しやすい布を使った手袋、宝石を頂いた杖を使うのだ。俺が戦いで使っているのも、姉からもらったループタイ。サファイアに衝撃の魔法陣を掘っている。

 音声の届く範囲が攻撃範囲。魔力を発して相手にぶつけ、魔力を具現化するのが魔術。

 つまり、声に乗せた方が手っ取り早いのだ。魔法陣は魔力を変換するものでしかない。

 思い通りに魔術を使えるのに、三年はかかる。

 百年ほど前。隕石落下のためか、はたまた関係ないのか。奇しくも同じ年、地上に魔力を持つ者が現れて、そこから魔術文明は生まれた。

 そして八十年前。魔導器を持つ魔力保有者が次々と現れ、分類上の古代魔術師との実力格差が次第に開くことになった。

 無論、最強の魔術師も存在した。核兵器と同じ扱いの、戦略的魔術師と分類とされた魔術師、キース・アスカロン。

 けれども、最強の新魔術師――つまり、魔導士に、無残にも完封された。

 キースは当時二十五歳。そして、魔導士の相手――烏丸夜鷹は、その時五歳を超えようとしていたころだった。

 夜鷹は俺の祖父に当たる。以前の家系も魔導士で、生まれた全員が魔導士だった。

 だから、烏丸は魔導士一家だった。欠けることのない、魔導器で結ばれた血族。

 ――俺が爪弾きに遭うのも、当然かもしれない。

「……」

 今、体を鍛えていく充足感はあるけれど、これで魔導士が魔術師に勝てる、というビジョンは浮かばない。

 ――『世紀の大魔術師』とされたあのキース・アスカロン。

 彼のように、努力で積み上げた時間は、浜辺にできた砂の城のように、崩れ去るのではないか。

「……」

 馬鹿な考えを振り切って、泳ぎ出す。

 ひたすらに、体を動かす。

 やるだけやると、決めたじゃないか。

 できそこない扱いされてもいいと、決めたじゃないか。

 自分で進む道は、自分で決めるんだ。

 父も、母も、姉さんも、誰にだって決めさせない。

 俺が、決めるんだから。

 しばらく、無心で泳ぎ続ける。

「ぷはっ!」

 クールダウンも終わり、プールから上がる。悠里は先に帰ったのだろう。

「黎明、ではまた後でな」

「はい」

 怜治先輩を見送り、ふぅと息を吐く。

 と、視界にちょいちょいと見える手招き。

 見れば、プールサイドに持ち込んだリクライニングチェアに座って、練習風景を眺めていた結先輩が手を招いていた。

 彼女の方に歩いていくと、結先輩は水筒を差し出してくれた。

「どうぞぉ」

「どうも。あの、怜治先輩の分は?」

「あの子、これが嫌いなのよ」

 ……何だろう、これ。

 肉汁とかじゃないよな。

「失礼な妄想してるでしょ」

「いや……いただきます」

 飲めばわかる。

 蓋を開け、度胸一発。一気に口に含む。

「!」

 ……甘くて、酸っぱい。レモンとはちみつ……スポーツドリンクベースのものだ。

「どう?」

「美味しいです」

「でしょう? スポーツの後は、これよねぇ」

「これ、結先輩が?」

「ええ、そうよ。意外?」

「少し意外でした」

「ふふっ、正直ね。……よくお手伝いさんが作ってくれたのよ」

「……御堂家って、結構お金持ちだったりします?」

「烏丸家ほどじゃないわよぉ。ま、そこそこかしら」

 そこそこ、なのか。

 どうもイメージがつかみにくい。

「御堂は旧家でね。魔導士の血を入れて、できたのがワタシと怜治よ。まぁ、新しい血を反対する勢力もいるけどね」

「……苦労、してそうですね」

「ええ、うるさいの。早く結婚しろーとか。男性結婚年齢も十六に下げられて、一夫多妻制になったじゃない?」

「えええ!? そうなんですか!?」

「あら、知らなかったの? 去年、制定されたのよ」

「あー、去年ですか……。俺、絶賛反抗中だったもので……」

「聞いてるわ。裏試合に出てたんですって?」

「え!? 誰から聞いたんですか!?」

「理事長」

 ……話すなよ、瑠璃。

 というか、いつの間にか俺の知ってる日本が変わってきてる。

 なんだよ一夫多妻制って。いつの国なんだいったい。

「いざとなったら、婚約者って名乗ってくれる?」

「結先輩さえ良ければ、俺は構いませんよ。俺、割と先輩の事好きですし」

「……」

 ……驚いてるよ。自分から言ったくせに。

「本当にいいの?」

「ええ。一夫多妻制なんでしょう? だったら、一人選ぶだけなんてしなくていいですし……俺は俺を認めてくれる人の、役に立ちたいんです」

「……馬鹿ね」

「知ってます」

「でも、その馬鹿なところが好きよ。今時、こんな馬鹿な人……見たことないから」

 今度は彼女から、そっと抱きしめられる。

 体を押し当ててくるような、柔らかな抱き心地。心臓の音が肌越しに聞こえる。

 ……ぼとり、と何かを落とす音と、走り去る音。女子更衣室の方から。……悠里、だったのかも。

「先輩、分かってて俺を抱きしめましたね」

「ふふふっ、意外とドロドロも体験してみたかったりするの」

「……じゃあ」

 唇を奪う。

 特に抵抗もなく、受け入れる結先輩。

 つう、と口を離すと垂れる唾液。

 ぴと、と俺の唇に人差し指をやってふさぐ先輩。

「……ふふっ、後は、婚約者になるまでお預け、ね?」

 そうウィンクされては、これ以上はいけない。

「生殺しだなあ」

「いいじゃない。処女なんだから、こだわりたいじゃない?」

 そんな恨み言を乙女な理由でねじ伏せられて、ぐうの音も出なかった。

「じゃ、早く結婚してと誰かに迫られるのを期待してましょう」

「あら、ワタシが誰かとくっついてもいいの?」

「俺のところに逃げてくるのを、期待してるんですよ」

「……ふふふっ! ばーか」

 こつん、と人差し指で額をはじかれるのだった。



「断固抗議します! あの流れでどうしてこうなるのか! 枝条悠里は抗議します! てっきり私のルートだと思ってた人は挙手をしてください! はいはいはーい! はい!」

「もう夜中の一時なんだけど……」

 寝ていたところをマウントポジションを取られ、眠い中そうまくしたてられる。

 というかルートってなんだ。

「眠いよ、悠里。寝ようよ」

「黎明さん、あれですよね。釣った魚にエサをやらないタイプですよね?」

「ちゃんと世話をすると思うけど……」

「またそんな、子供がゲーム機などを買ってもらう時に、『絶対に勉強するから!』とか言うような見え透いた嘘を言うんですか!?」

「なんだいそれ……」

 一般家庭の事なんか知らないけど、嘘はよくないな。

「……軽いけど重いよ悠里……」

「むっ」

「もういいや。一緒に寝る?」

「き、来ました! 私のターン来ました! というかエサが極端すぎやしませんか!?」

 嬉しいのか手を上げ下げしてるけど、表情は全く変化してない。

 相変わらず喜んでるのかどうなのか判断が微妙なところだ。

 まぁいそいそとこちらの布団に潜り込んでくる。

 ……暑い。

「エアコンつけていい?」

「どうぞ。……くん、クンクン、すーはー……ふうううう……」

「……至近距離で人の布団の匂いを嗅がないでよ……」

「ぺ、ペロペロしていいですか?」

「やめてくれ……普通に寝よう」

「じゃあ、おさわりはありですか!?」

「いいから寝ろ」

 めんどくさくなって、彼女を抱いて寝る。

 あ、意外に……柔らかい。

 結先輩より体が締まっているけど、張りがある感じだ。

「……ふ、ふおおおぉぉぉ……!? 積極的、ですね……!?」

「……」

 ぬくもりが伝わる。

 ぬくぬくだ。女性の方が体温高いのかな。そういうわけじゃないけど……。

 姉さんとも、結先輩とも違う、甘い香り。

 ……落ち着くなぁ、この匂い。まぁ平常だったら興奮するけど、眠気が勝っている。

 ハードな訓練で疲れていたのだろう。悠里もうつらうつらとしている。

「おやすみ、悠里」

「くっ、貞操を奪うチャンスが……ぐー……」

 マジでヤる気だったのか。

「……すー……」

 寝ている彼女の頭を撫でる。

「……おやすみ」

 ドキドキするけど、やっぱり、安心の方が強い。

 人の体温って安心するな、と思いつつ、意識は眠気に溶けて行った。



 大会四日目。

「せっ!」

「ぐああああっ!?」

 目にもとまらぬスピード。

 ――『鉄拳・ノヴァ』

 そう呼んだ怜治先輩の魔導器の効力は、多分身体能力強化系。

 手甲と脚甲に銀色に輝くそれはある。で、身体能力強化はただでさえチートな怜治先輩の身体能力を化け物レベルに押し上げている。

 怜治先輩により、目の前の二人ほどは反応できずに沈み――

「それっ!」

 杖の頂にある宝石が輝いて、極太の輝きがもう二人を防御ごと巻き込んでぶっ飛ばす。

 ――『魔砲・カーディナル』

 黄金に輝き、頂きに紅の宝玉のあるそれの効力は、見ての通り、魔力を破壊的な輝きに変えて放出するだけのもの。魔力をかなり保有している結先輩との相性は悪くはないだろう。

 肌を重ねていた時に感じていた魔力の大きさ。姉さんと同じくらいの魔力だった。Aランクは固い。

 二人共の魔導器の効力は、単純であるがゆえに強い。

『おおっとー。我が校の生徒会長副会長、強い強い。はい、ダウナー実況が受けているらしく、美少女の琴吹望がお送りしてまーす。そして、四人全員ノックアウト判定です。大鷺魔導育成学園の勝利、川蝉魔導育成高等学校は敗退とあいなりましたー。傍らの聡里黎明選手と枝条悠里選手、御堂姉弟の雄姿を焼き付けているかのようだー』

 いや、実際何かするまでもなく、この二人が瞬殺している。

「……開幕速攻ですね」

「黎明、お前は未知数で、枝条は未熟だ。動ける人間が率先して動く。当然だ」

「ちなみに、どこまで狙ってます?」

「ん? 優勝よぉ?」

 当然のことみたいにサラリと言ってのけた。

 確かに、名門だし、それなりに自信もあるのだろう。怜治先輩も結先輩も、魔導士としてかなりの使い手なのは間違いない。

 ……ただ、あの人も出ているはずだ。

 ――烏丸綾。俺の姉さん。

 あの人が俺の姿を認めて、何のアクションもしてこない……というのは変だ。

 自意識過剰みたいでいやだけど、姉さんは俺に過度に甘い。

 ……もしかして、他に愛せる人ができたのかな。

 それならよかった。本格的に縁が切れそうだ。

「お、勝ったっスねー」

 そう言いながら歩いてきたのは、黒い装束の四人組。制服……の、はずなんだけどな。どう見ても制服じゃない。

「あら、私立白鳳魔導育成学校高等部、だったかしら?」

 制服なのか。よく見れば、胸元に何か『HAKUHO』と書かれているし、体操着か何かかな。

「相変わらずいい制服ねぇ」

「いや絶対変っすけどね」

 制服だった! マジかよ。

「で? 次の相手、かしら?」

「そうなるっすね。うちら、勝つんで」

「そう。楽しみにしてるわ。行くわよ、怜治、黎明君、悠里」

「あー! 黎明! お久しぶりっすよー!」

 ……ん? この子、見覚えあるような。

 赤いフェイスペイントが猫に見える……ああ、そうだ!

「風子さん! 久しぶりだね! ちゃんと入学できたんだ!」

「いやー、黎明もお元気そうで何よりっスー。てか、なんで魔導育成学園にいるんっすか!?」

「まぁ、色々あって……」

「あ、ちょっと入り口で待っててくださいっす。すぐ片付けてくるんで」

 ウインクを残して、彼女は機嫌良さそうに去っていく。

「え、誰ですか、あれ」

「ああ、俺のお師匠……というか、お世話になった人。一年前にお世話になったんだ」

「……帰りましょう」

「いや、無視できないよ。……先に帰ってて。夕飯までには帰るから」

 積もる話もある。

 去っていく全員を見送って、入り口で待つことにする。

 おおよそ、五分もしないうちにたったったと彼女の軽い足音がした。

「お待たせっスー!」

「うん、久しぶり、風子さん。元気だった?」

「あったりまえっすよー。うんうん、鍛えていたみたいっすねぇ。……ん? この筋肉のつき方……剣の修行でもしてたんスか?」

 ペタペタと俺の体を無遠慮に触る風子さん。

 小柄で黒髪のポニーテール。ネコっぽいその顔を一時でも忘れていた自分が恥ずかしい。

 ……恩人なのにな。

「じゃ、喫茶店にでも行くっすかー? ラブホでご休憩でもいっすよ?」

「からかわないでくれって。じゃ、行こうか。先輩に教えてもらった喫茶店があるんだ」

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