8月16日
お盆最後の日を迎えた。今日が終われば、俺はまた本土の寮に帰る。
でも、それだけじゃない。もっと大切な記憶ともお別れするような気がして寂しい。
浴衣を着て花火大会の会場に向かう。会場は、島の内外の人たちで一杯だった。この花火大会の日だけは、多くの観光客が押し寄せてすごい盛り上がりを見せる。
中学の時の友達にも大勢会った。みんな、この花火大会には顔を出している。
――でも、足りない。一人だけ、大事な彼女が足りない。
待ち合わせに指定していた場所で待っていても、佳澄は現れなかった。手に持っているたこ焼きの熱だけが失われていく。
『間もなく、午後十一時を迎えます。花火を打ち上げますので、空にご注目ください』
開始を予告するアナウンスが響いた。すっかり冷めきったたこ焼きを一つ口に放り込み、穴場のスポットに向かう。
海岸のとある場所。打ち上げ場所もよく見え、限られた人しか知らない秘密の穴場だ。今年は誰もこの場にはいない。俺一人だけの世界だった。
本当なら、隣に佳澄がいるはずだった。なのに、一緒だと約束した彼女がいないことは、心に大きな空洞を作る。
一人で花火を見るのは、どうにも寂しくて泣きそうになってしまう予感がした。諦めて家に帰ろうとする。
だが、パタパタと小走りに駆けてくるような音が俺の意識をこの場に縫い止める。
「ごめんね、待ったよね?」
佳澄だ。ちゃんと、来てくれた。
でも、一昨日までの佳澄とは違った。足が透けて見える。うっすらと向こう側の景色が見えていた。
なんとも言えない気持ちになっていると、佳澄が自分の足元を見下ろす。そして、それに気づいたように微笑んだ。その笑顔がどこか無理しているようで、無理やり作っているようで痛ましい。
「ごめん……ね。本当は、あの日にこの事を伝えていればよかったのにね」
花火が始まった。爽快な破裂音と共に夜空に大輪の花を咲かせる。
花火が上がるたび、夜空が紅蓮の光に満ちていった。島の花火大会とは思えないほどのクオリティに、会場の歓声が聞こえてくる。
ふと、俺の頬を熱いものが伝った。目の前の佳澄を見ているだけで涙が溢れる。
「泣かないで? 最後くらい、笑ったままでいてよ」
「……悪かった。去年、俺があんな…!」
悔やんでも悔やみきれない。
あのラインがなければ、佳澄が死ぬこともなかった。こうして、悲しみに暮れることもなかった。
だが、そんな俺の頬に指が添えられた。佳澄が流れる涙を拭ってくれる。
「違うよ。蒼太のせいじゃない」
「でも、俺があんなラインを……」
「私、あれを見てすっごく嬉しかった。また、帰ってきてくれる。今度こそ想いを伝えることが出来るって。……だから、あんなことになったのは私のミス。蒼太が気にすることじゃない」
佳澄を強く抱き締める。心なしか、一昨日に抱き締めた時よりも佳澄の体を軽く感じた。力を込めすぎると、今にも壊れてしまいそうだ。
花火が一発、また一発と消えていくたびに佳澄の姿が薄れていく。比喩ではない。
最初は足だけだった透けた体は、今や腕にまで及んでいる。輪郭が朧気になり、佳澄の存在が失われていった。
目の前の彼女が、花火が消えるたびに遠くへといってしまう。
また一つ、また一つ……
まるで、かけがえのない大切なものまで一緒になって消えていくような感覚に襲われ、胸が苦しくなる。呼吸が辛い。息を吸うことが辛かった。
「……」
その別れを、どうしようもできない自分が嫌いになる。自然と強く拳を握っていた。
佳澄が、ゆっくりと握られた拳をほどいてくれる。
強く握られていた俺の手に、佳澄がそっと自分の手を重ねた。優しくて、温かい温もりを持つ手だ。心の内側に佳澄の記憶が、思いが流れ込んでくる。
――すごく嬉しい。楽しかった……
――幸せだった……
――蒼太がいてくれたから……
――……好き。
――……大好き、愛してる!
――蒼太といたい。ずっと一緒に……お盆が終わっても…!
――ずっと、一緒にいてほしい……
――蒼太……蒼太……そうた……
佳澄が、俺の胸に顔を埋めて嗚咽する。唇を震わせてようやく言葉を紡ぎ出した。
「……ごめんね……」
「……やめろよ。謝るなよ……」
「ずっとそばに……いられなくて……」
「頼むから……やめてくれ…!」
「私は、もう……でも……」
佳澄が顔を上げた。鼻の頭を朱に染めて、泣き笑いの表情を作っている。
「蒼太」
「……なんだ?」
「楽しい……よね?」
「ああ。本当にな」
「明日も、きっと楽しいよね?」
「……ああ」
「毎日、楽しくて楽しくて、やりたいことはたくさんあって……」
「……ああ」
「だから、前を向こうよ。楽しい日々に、そんなものは、涙なんて似合わないでしょ?」
「……そうだよなくそっ…! 本当に……そうだよ……っ!」
そうだ。このお盆だけが人生じゃない。これから先も、いろいろと楽しいことは待っている。
高校を卒業して大学に入り、交流の範囲も広くなる。気の合う仲間と夜遅くまでお酒を片手に話し合う。夢を叶えて大企業に就職する。頼もしい部下たちと一緒に働く。老後は、自由に気ままな暮らしを送ってそれで、苦しむことなく人生の終わりを迎える。
楽しい……絶対に、絶対に絶対に楽しい。
けれどもそこに……キミはいない。佳澄がいない。ずっと一緒の道を歩んでほしい佳澄はいない。
『これより、最後のプログラムを開始します。連続打ち上げからの特大花火で今年の花火大会を締めとさせていただきます。今年もありがとうございました。また来年、楽しい夏を!』
ああ……そうだ。この夏は――お盆の間の四日間だけではあったが楽しかった。
佳澄と過ごした、唯一無二の最高の四日間。
俺は……絶対に忘れない。ずっとずっと、永遠に覚えているから。
俺が好きだった、俺を好きになってくれた女の子と過ごした、この最高の夏を。
花火が次々と打ち上がる。明るい光が佳澄の横顔を照らしていた。
涙に無数の花火が映っている。夏の夜空で満開の花を開かせる花火が、俺たちのことを優しい光で包み込んでくれた。
佳澄が目を閉じて顔を突き出す。何を求められているか、当然分かる。
俺は、黙って唇を重ねた。潮の香りが口内に広がる。
佳澄が、涙に濡れた顔で笑顔を見せた。口元が小さく震えて言葉を絞り出す。
「ずっと――……大好き……」
もう、全身の存在が希薄になっていた。そこにいるのかすらも怪しくなってくる。
佳澄が、遠くの存在になっていく。
今にも佳澄が消えてしまいそうで、声が震えた……
「俺も、佳澄が好きだ。まだ、やりたいことがたくさんある」
「うん。それは、私もだよ?」
「だから、約束しよう。何をしたい?」
必死になって言葉を繋ぐ。言葉が途切れたその瞬間が、お別れの時間のような気がして……
だから、途絶えることがないように次の言葉を探す。
「また明日」、「約束」。この二つの言葉を佳澄の口から聞きたかった。これを聞くだけで、これからもずっと二人の時間が続くような気がして。
「そう……だね。海だけじゃない。山とかも行ってみたかったね。私、初めてなんだよ……こんなにも……この花火大会が終わってほしくないって……心の底から思ったの……っ!」
「佳澄……っ!」
「大丈夫……きっとまた、会えるから。だから、約束しよう? 来年もまた、こうして帰ってくるって。私もきっと……帰ってくるから」
「……ああ。絶対に……絶対にだ! 必ず……必ず来年も帰ってくる!」
「ふふ……約束、だよ?」
一際大きな――今年最後の花火が上がった。
夜空が刹那の間、真昼のように明るくなって地上のすべてを眩く照らし出した。けれど、それで見えなくなるものも、感じられなくなるものもあった。
地上から影が一掃される。そして――
「……佳澄……」
先ほどまで感じていた手の感触が、温かな温もりが消えてしまっていた。
さっきまでここにいた彼女の存在を証明するものは何もなくて……ただ、どうしようもない悲しみだけが胸を支配していた。
時刻は、8月17日を迎えていた。お盆が終わり、俺にとって新しい一年が始まる。
「佳澄……約束は、守れよ」
ふと呟いたその言葉は、夜空を流れる花火の残滓と共にゆっくりと消えていった……。
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