8月15日

 バケツに水を満たして運ぶ。その数は二つ。ある程度距離を歩くから、容赦なく照りつける日差しが嫌に思える。


「大丈夫? 片方私が運ぼうか?」

「いや、いいよ。姉さんはその花を持っていて」


 俺と姉さんは、両親の墓参りにやって来た。本当はお盆の初めと終わりに行くのがいいらしいのだが、時期ではなく行くこと自体に意味があると自分に言い訳してみる。

 複雑に墓石がいりくむ迷路のような墓地を進む。バケツをよそ様の墓石にぶつけるわけにもいかないから、ゆっくり慎重に運んでいく。

 しばらく歩いてようやくお墓にたどり着いた。もう少し、水場に近い方がありがたかったりするのだが。

 墓石は、思っていたよりもずっと綺麗だった。きっと、姉さんがこまめに掃除をしに来ていたのだろう。本当、何から何までありがたい。最高の姉さんを持って幸せだ。

 だが、今日の掃除は俺の仕事。たまに帰ってくるこんなタイミングだからこそ、俺がしっかりやらないと。

 ひしゃくに水を入れて、上からゆっくりとかけていく。暑い日差しに熱せられた墓石を流れる水はすぐに温水になるが、それでも心地よいシャワーくらいには感じられるはずだ。父さんも母さんも、涼んでくれると嬉しい。

 掃除を終え、花を供えて線香に火を点ける。墓石よりも姿勢を低くして静かに拝む。隣で姉さんも並んで一緒に拝んだ。

 十秒ほどそうしている。そして、姉さんがおもむろに立ち上がった。


「じゃあ、帰ろっか」


 歩き出す姉さんの後ろを付いていく。空になったバケツは、行きとは違ってとても軽かった。

 来た道を戻っていると、懐かしい顔が見えた。佳澄のお母さんの、本上菫ほんじょう すみれさんだ。俺と同じくバケツを持っているから、菫さんもお墓参りに来たのだろう。


「こんにちは」

「あら、こんにちは蒼太くん。帰ってたのね」

「ええ。……聞いてませんか?」


 俺が帰ってきたことは、佳澄が真っ先に知らせてそうなものだが。

 菫さんがバケツを置いた。ひしゃくに水を入れて墓石を磨いている。

 そのまま帰ってもよかった。だが、ふと何気なく菫さんが磨いている墓石を見る。そして、自分の目を疑った。

 その墓石に刻まれていた名前は――


「――え?」


 背筋がゾワリとする。


『本上佳澄』


 おかしいだろ。どうして、佳澄の名前が刻まれているんだ?

 頭が混乱してきた。事態を呑み込むまでに時間を必要とする。とてもじゃないが、落ち着いてなどいられない。

 佳澄は、一昨日も昨日も俺と一緒に過ごしていたはずだ。もし佳澄が死んでいるというのなら、あれは一体誰だったんだ?

 そこで、ふと思い出してしまう。佳澄がこれまで話してきたことを。


『私、今は遠いところに住んでいるんだ』

『お盆を利用して帰ってきた』

『帰りたく……ないよぉ…!』


 俺は、てっきり佳澄は海外にでも引っ越して、しばらく会えなくなるのが寂しいからあんなことを言っていたのだと思っていた。でも、これは……。


「あいつ……本当は、どこに帰るんだ?」


 思考が出来ない。いや、違うな。思考することを――考えることを放棄してるんだ。

 いつまでも来ない俺を心配したのか、姉さんが戻ってきた。本上家の墓を見て重い口を開く。


「佳澄ちゃんは……いや、やめておくわ」

「いいのよ柚希ちゃん。むしろ、蒼太くんには知っておいてほしいから」


 その先は……聞きたくない。あまりいい想像ではないのだから。現実から目をそらしたい。直視したくない。確信を持ちたくない受け入れたくない。

 それでも、どうしてか聞かなくてはいけない気がしてならなかった。


「佳澄ちゃんはね、去年の夏に亡くなったの。海中転落で溺死した」

「……どうして、そんな。だって佳澄は!」

「ええ。泳ぎは得意だったわ。でも、佳澄が死んだ時刻は夜中だった。だから、暗闇で陸が見えないまま体力の限界を迎えた可能性があるって警察の方が……」


 それでも、分からないことがある。そんな夜中に海に行くなんて、何をしようとしていたんだ?


「佳澄はどうしてそんな時刻に?」

「それが、私にも分からないのよ。いきなり家を飛び出してそれっきり。特に喧嘩したわけでも、思い詰めたような雰囲気でもなかったわ」

「最後に佳澄ちゃんを見た人の話だと、佳澄ちゃんはとても楽しそうな雰囲気だったって。鼻唄混じりに歩いてたから、警察も自殺の線は限りなく薄いって」

「何時に出掛けたんです?」

「確か……夜中の一時だったかな?」


 そんな遅い時刻に何をしに行ったんだ? 佳澄はたまに抜けているところはあるが、基本的に真面目な性格だ。真夜中にそんな危険がある場所なんて……。

 ……違う。ひとつだけ、心当たりがある。それを確かめなくては。


「まさか、その日って8月の13日ですか?」

「……ええ、そうよ。ちょうど、お盆が始まる日だった」


 そうか。そういうことか。

 菫さんから日付を聞いて、納得した。佳澄がどうして夜中に出掛けたのか。どうして死んでしまったのか。

 佳澄を殺してしまったのは――俺かもしれない。

 去年のあの日、クラスラインに送った帰るのメッセージは、午前と午後を打ち間違えて送ってしまっていた。もしも佳澄が、その文面をそのまま真に受けてしまったのだとしたら?

 普通ならありえない。でも、佳澄が俺に好意を抱いてくれていたことは知っている。俺に早く会いたいがために、詳しく確認もせずに家を飛び出して、そして…!

 考えすぎかもしれない。単なる思い込みかもしれない。それでも、俺はこの考えが正しいという気がしてならない。勘――というやつだろうか?

 うるさかった蝉の声がピタリと止まっている。夏日の今日は暑いはずなのに、先ほどからずっと体の震えが止まらなかった。

 姉さんが目を閉じて話す。


「言ってたよね、佳澄ちゃんが帰ってきたって。……本当にそうなら、いいね」


 もう一度、背筋に寒いものを感じた。

 結局その日は、ただ自室にこもって過ごすだけだった。明日の花火大会を――不安に思いながら。

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