類似通過点

夏祈

類似通過点

「この気持ちは恋に似ている」

 一つ年上の幼馴染が、虚ろな目で呟いた春だった。


 家が近く、幼い頃からよく一緒に遊ぶ仲だった。でも俺が東京の大学に進学してからは、地元で進学した彼女とは一度も会っていなかった。しかし今年、就職活動で東京に来るのだと言った彼女から連絡があった。時間があるならお茶でもどうだと言われたのが昨日のこと。二つ返事で了承して、彼女が滞在している友人の家の近くの喫茶店で待ち合わせをして。俺が着いた頃には彼女はとっくにコーヒーを半分飲んで、履歴書にペンを走らせていた。

「そんなにきついのかよ」

 自分の分のコーヒーを注文し、一緒に彼女の分までケーキも頼む。彼女は一向にペンを止めない。その手を止めてしまえば呼吸もろとも止まってしまうような、そんな雰囲気だった。

 俺に彼女のその焦りはまだわからなくて、一年後こうなっているのだと言われても全く想像がつかない。だから俺はその姿をまるで他人事のように眺めていた。変わらない、でも確かに変わった彼女を見ていた。

「お前も来年経験すればわかる。この気持ちは恋に似ている」

 目線だけくれたその表情は、どこか空虚で。黒い瞳は確かに俺を捉えているのに、それは俺の顔を、身体を、心を見てなどいないように。その向こう、透けた未来でも見るように。恋だなんて彼女は言うけど、恋人の影なんて一度も見たことは無かった。

「実らない恋と、よく似ている」

 変わらず虚ろな視線を断ち切ったのは、運ばれてきたケーキ。少し嬉しそうに口元に笑みを浮かべて、ペンをフォークに持ち変える。甘いものを前に輝かせる表情も、笑みも、何も変わらないのに。見慣れない真っ黒のスーツは、それでも気慣れてしまったように彼女の身体に馴染んでいた。

「したことあんの」

「何が」

「恋」

 問えば、音が響くほど勢いよくケーキにフォークを突き立てる彼女がいた。そのまま切り分けた欠片を口に運んで、咀嚼して、喉に落とす。昔から茶色気味だった髪は黒く染められていた。風に揺られるその淡い色が綺麗だったことを覚えている。社会の一つになる姿。これまでの彼女とは間反対な、無個性な姿。

「あるよ」

 十数年一緒にいたはずの幼馴染は、俺の知らない表情をする。いつできるようになったんだろう。いつ、その感情を知ったんだろう。そっと微笑みを浮かべるその唇には、微かな紅が乗っていた。

「叶わないんだけどな」

 それはきっと、諦念だった。遠く、ずっと遠くを見る瞳。それだけでなんとなく、わざわざ地元の大学に行った彼女が東京に就職しようとする理由の一つに気付いてしまうのだ。

 ああ、あぁ、その瞳がこちらに向いて、目の前のひとを見てくれたのなら良かったのに。


 きっと俺は来年の今頃、この気持ちが就職活動と似ていると気付くのだろう。

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類似通過点 夏祈 @ntk10mh86

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