番外編1_Melting Hot (2)

「はあ~、死ぬかと思った」

 一頻り笑った響ちゃんはそう言うと、疲れた様子でぐったりと手足を投げ出している。

「アタシら今、椿の女神を笑い殺すとこだったのか?」

「そういうことになっちゃうね」

 響ちゃんの笑いは止まっているけれど、まだ肩で息をしていた。そんなに笑うところあったかなぁ。何度思い返しても分からない。

「も~何がそんなに可笑しかったの」

「いや、ごめんごめん、可愛くて」

「それであんなに……?」

 結局、聞いても分かりそうにはなかった。首を傾ける私を見上げても、響ちゃんはそれ以上、説明を追加する様子が無く、ただ口角を上げるだけ。

「それと、私が寝てたから待っててくれてたんだね、ごめんね」

 まあ、寝てたせいと言うか、スイカを冷やす為でもあったんだけど。響ちゃんはそう言って身体を起こすと、スイカの方へと歩いて行く。手の平でとんとんとスイカを叩いて泳がせている様は子供みたいで可愛かったが、その小さな身体と細腕で軽々とスイカを持ち上げるのには結構びっくりする。私はもう彼女が力持ちなのを知っているものの、案の定、翼と理沙がぎょっとした顔をしていた。

「もう冷えてるよ?」

「響ちゃん濡れちゃうよ、タオル、タオル」

 濡れたスイカを持ったままで歩き出す響ちゃんに、タオルを片手に駆け寄る。もう既に彼女のジーンズには幾つか水滴の染みが出来ていた。腕とスイカの水気を取り、しゃがんでジーンズにもタオルを当てる。響ちゃんはくすくすと笑っていた。まあ確かに夏だし暑いし、これくらい大丈夫だろうけどさ。

「あの、響さん、本当に気にしていないんですか、その……さっきの話」

 理沙からそう問い掛けられた響ちゃんを思わず窺うように見上げたけれど、表情はのんびりと穏やかなままだ。対照的に表情を強張らせている理沙を見て、響ちゃんは、口元にゆるく笑みを浮かべたままで首を傾ける。

「うん、特に」

「……ちょっとくらい、妬くとか無いの?」

 つい、私の声に不満が宿った。響ちゃんが左の眉だけを器用に上げ、私を見て可笑しそうに目を細める。

「妬いてほしかったの?」

「そういうわけじゃないけど、何とも無いって言われるのも、面白くないっていうか」

 正直にそう告げて口を尖らせてみせるが、響ちゃんは楽しそうに笑うばかりで少しも動じない。最初の頃ちょっと照れてくれた程度で、大体いつも響ちゃんの方が余裕があって、感情的になるなんて全然無い。好きでたまらないと思っているのは私の方で、響ちゃんはそれを許して受け止めてくれているだけで、望んでも仕方のないことだと分かっているけれど。ただ、響ちゃんは私が受け止めたのとは少し違う理由を口にした。

「ていうか、結構前から気付いてたから、今更なんだよね」

「え」

 驚いて振り向いた時にはもう響ちゃんがスイカを抱えたままで縁側に到着している。私は目を白黒させながら、その背を追う。

「嘘、何で? いつから?」

「えー、別に……何だろ、勘? 由枝ちゃんが女性を恋愛対象だって言ってすぐ、かなぁ」

「何それ怖い」

 私が呆然としている間に、サンダルを脱いだ響ちゃんはスイカを抱えているにも拘わらず軽々と縁側に上がって、そのままキッチンへと入り込む。私が再びその背を追えば、翼と理沙も、麦茶のコップを持って部屋に戻ってきた。

「そんなことより由枝ちゃん、スイカって普通の包丁で切れるの? 大きいけど」

 この衝撃を、そんなことと言いますか。項垂れてそう思ったけれど、スイカを掲げて首を傾けている響ちゃんを見れば、何だかどうでも良くなってきて、私は力無く笑う。

「大丈夫、切れるよ。途中で割れないようにするには、ちょっとコツが要るけどね」

「へえー」

 料理が出来なくて食材の見分けも付かないわりに、響ちゃんは私の調理しているところを興味津々に眺める時がある。今回も何故か、いの一番にダイニングテーブルへと腰掛け、私の手元をじっと見つめていた。スイカを切るだけなのに。苦笑しつつ、翼と理沙もテーブルに座ってもらって、私はスイカを丁寧に半分に切り分けた。これさえ綺麗に出来たら後はもう簡単なんだよね。甘い部分がちゃんと全部に行き渡るようにと切り分けていく。その様子を妙に真剣に見つめる響ちゃんが可愛い。

「響ちゃんってスイカ好きなの?」

「え、うん、どうして?」

「さっきグリフォンさんが言ってた」

「……あいつ何でも喋るなぁ」

 小さな溜息と共にそう言うと、響ちゃんは口をへの字に曲げた。それでも怒っていると言うよりはやや呆れた様子だ。もしかしたらちょっと気恥ずかしいのかも。神霊と響ちゃんがどんな関係なのかはまだ特に踏み込んで聞いてはいない。ただ私から見ると、何処か兄弟とか家族のような仲に見えて、時々ちょっと微笑ましかった。

 何にせよスイカが好物なのは本当らしくて、いつになく嬉しそうな顔で頬張っているし、時々「おいしい」って小さく零した。だけど夢中で食べてた響ちゃんは、ひと切れ食べ終えるとふと正面に並んで座る翼と理沙を見て、首を傾ける。

「ん? 大人しいね、さっきの気にしてるの?」

「あっ、い、いや、えーと……」

 声を掛けられた瞬間、慌てた様子で顔を上げて、そして目を泳がせる翼に、私は思わず笑う。翼って正直だなぁ。しかし隣の理沙もそんな翼を見て笑う余裕も無いらしい。二人をこんな風にしちゃったのは自分の言ったことが原因なのだから、私が何か言わなきゃいけないと分かるのに、すぐに言葉が出ない。私の方を一瞬見た響ちゃんが、殊更のんびりした声を続けた。

「私のことは気にしないでいいよ、理沙ちゃんには翼ちゃんが居るし、由枝ちゃんがそれで納得してるんだからさ」

 優しい声だったし、大人の声だった。一緒に暮らす中で時々私に向けてくれるみたいな、小さな子供をあやすような色をしているのが、私までちょっとくすぐったい。同じように感じたのか、恥ずかしそうにしている二人は続けて響ちゃんが告げた言葉に目を大きく丸めた。

「大体、そんなことで八つも年下の子らに噛み付くの、流石に大人気ないでしょ」

「えっ今、なん、て言いました?」

 理沙の引っくり返った声に、私は今日一番の大きな声で笑ってしまった。いや分かるよ分かる。私もめちゃくちゃびっくりしたからね。

「うん、響ちゃん今年二十九歳なんだって」

「嘘ォ!?」

 翼のリアクションが私と同じ過ぎて、響ちゃんも珍しく声を上げて笑っている。はい、また恥ずかしいです。翼って本当、私と似てるところ結構あるんだよね。

 さておき今年で二十九歳と言われて錯覚していたけれど、響ちゃんはまだ二十八歳。十一月に二十九歳になるらしい。私は十月に二十一歳になるから、年齢は八つ違い。理沙だけ早生まれだから九つ違いになるが、まあ大差ない。何にせよ響ちゃんから見たら私達はまだ子供だ。いつまでも驚愕の表情を浮かべたまま響ちゃんを凝視している翼と理沙に、改めてスイカを頬張っていた響ちゃんが、苦笑を零した。

「そんなに見つめられても困るなぁ」

 穏やかに目尻を下げた響ちゃんに、二人は妙にどぎまぎした様子で視線を彷徨わせたり俯いたりと忙しい。改めて響ちゃんって本当に美人だし、微笑まれるとそうなるのも分からなくはない。だけどそれとは別に今二人を落ち着かない気持ちにさせている理由はやっぱり私だ。響ちゃんにだけフォローさせているわけにもいかなくて、私も掛ける言葉を探した。

「とにかく、その、逃げてたのは私の気持ちの問題で、二人の態度とかじゃないし、今はほら、私にも響ちゃんが居て、落ち着いてるから」

「欲は落ち着いてないけどねぇ」

「響ちゃん……」

 今は真面目に喋ってるから。そう言いたかったけど何も言い返せない上、事情を知っている翼と理沙の前では取り繕うことも出来なかった。小さく項垂れてから、気を取り直して顔を上げる。

「何にせよ、こうしてまた喋れるようになって、私も嬉しいし、二人を悲しませたことは本当に反省してるけど、変に私に気を遣わないで接してくれたら嬉しいなってこと。それじゃダメかな?」

 瞬間、翼はムッとした顔をして、理沙も眉をきゅっと真ん中に寄せる。そういう顔すると思ってた。二人に見付かってしまわない程度に私は目尻を下げる。

「ダメなわけねーだろ」

「駄目なんて言うわけない」

「うん」

 バレないようにと思っていたのに、私の声は思わずちょっと嬉しい気持ちが乗ってしまって、怪訝に私を見つめた理沙が一瞬、呆れた顔をした。隣からは小さくふっと息を吐くような音が聞こえる。

「響ちゃん今笑うの我慢してるでしょ」

「ううん、笑ってる」

 見れば本当に口元を押さえて、肩をくつくつと震わせていた。

「……我慢してよ」

「ごめんごめん、みんな可愛いなって」

 照れ臭い。やっぱり響ちゃんから見たら私達なんてまだまだ大学生で、まあ実際、世界があのままだったらその通りなんだけど、子供ってことなんだろうな。仕方ないものの、ちょっと面白くない。年齢って何年経っても追い付かないんだよね。……精神的に私がもう少し落ち着けばいいのは分かっているけれど。

 その後はみんなで雑談をしながらスイカを平らげて、日が暮れる前にはまたグリフォンさんを伴って二人は帰って行った。そして来年もきっと一緒にスイカを食べようって約束した。いつかの日々みたいに、「来年」はそんなに簡単な約束じゃないけれど、そんなことは全員が分かっていて、分かった上で、まるで簡単なことみたいに約束した。

 その夜、夕食もお風呂も済ませた後、私は夕食の後片付けと、朝食の仕込みをしようと台所に立つ。一方、響ちゃんはソファにごろんと寝転がって、すっかり目を閉じていた。あれじゃその内、寝ちゃいそうだな。

「もう眠いなら、ソファじゃなくてベッド行ってよ、響ちゃん」

 声だけ掛けてみるが、響ちゃんは動かない。もう眠っちゃっているのかな。そろりと近付いたら、響ちゃんは目蓋を開いて、口元に緩い笑みを浮かべ、私を手招きした。

「うん?」

 素直に歩み寄って響ちゃんの傍に膝を付くと、手を伸ばしてきた響ちゃんが私をそのまま引き寄せる。目と鼻の先に響ちゃんの顔があって、びっくりして固まると、無防備な私の唇に響ちゃんがキスをした。

「え、えぇ、どうした、の」

 響ちゃんからキスされるって本当にレア過ぎて、めちゃくちゃ動揺して言葉が上手く出てこない。ベッドの中で行為にふけっていたら時々されるものの、こんな平時には皆無と言っても過言ではない。最初に顰めっ面のまま口付けられた時以来だと思う。

「ううん。何にも」

 そう言うと、私が頻りに目を瞬いているのを可笑しそうに眺めた後で、響ちゃんは少し起こしていた上体をまたソファにのんびりと横たえた。何だか気が済んだような顔で目を閉じている。

「な、何もって……ああ、響ちゃん、だからベッドで寝てよ」

 心地いい体勢を取るみたいに少し身じろぎして、身体を丸めている響ちゃんを見ると、まるで此処で就寝しようとでもしているみたいだ。捲れ上がったタオルケットが気になってつい整えてしまうけれど、そうじゃなくて先に寝室に行ってほしい。だけど響ちゃんは目を閉じたまま、ゆるりと首を振った。

「んー、由枝ちゃんと寝るから、此処で待ってる」

「そんなの、いつも一緒に、寝て……」

 言いながら、もしかしてそういう意味じゃないのか、と察して言葉を止める。響ちゃんの口元が笑っていた。

「……このままベッドまで連れ込みたくなっちゃうこと、言うんだね」

 頬を撫でて、響ちゃんに少し上を向かせる。再び目蓋を上げた響ちゃんは、私が身体を屈めるのを見つめても、やっぱり口元に笑みを浮かべたままだ。口付けても、抵抗する様子は無かった。ただ、腕を回してはこない。多分、腕を回したら、私がこのまま止まらなくなることも分かっているんだろう。

「すぐ、終わらせてくるから」

「うん」

 熱が上がり切ってしまう前に唇を離してそう言うと、私は慌てて立ち上がって台所へと向かう。今までで一番の早さで朝食の仕込みを済ませることが出来る気がした。

「――ぁいだッ!」

「あはは、気を付けて」

 意気込んだ一秒後、逸る気持ちに足元を見ていなかった私は、ソファ傍のちゃぶ台に脛をぶつける。あ、痛い、結構マジで痛い。でも急いでいるから立ち止まって押さえたりはしない。此処は気合いだ。ちょっとふら付きつつ台所に到着した私は、蛇口に手を伸ばす。もし、私がもう一呼吸、早く蛇口を捻っていたら、きっと響ちゃんの声は私に届かなかった。

「……大人気なかったかな」

 つまりお昼のあれ、ちゃんと気にしてたってこと!?

 堪らなくなってしまった私はちょっと勢い余って蛇口を捻り過ぎた。いつもより大きな水の音、跳ね返る飛沫しぶきの多さにはっと我に返って、水の勢いを緩める。

 台所でテキパキと手を動かしながら、そういえばさっきの響ちゃんはもうネックレスを外していたことを気付いてしまった。ああ、やっぱり全部を放り出して今すぐに彼女を連れてベッドに行きたい。けど、料理も響ちゃんへの愛情表現だから。今にも溢れ出しそうな欲をぐっと我慢して、しっかり調理を進めていく。

 あのネックレス、こういう役割をしてくれるなら、存在を許してもいいのかもしれない。

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