第16話_何も分からないだけの行く末

 昨日の戦いでは余程疲れたのか、夜から、きょうちゃんは熱を出した。

「おう、響さんの具合どうだ?」

「んーまだ熱が高くて……食欲はあるから、大丈夫だとは思うけど」

 流石にこんな状態の響ちゃんを置いて行けなくて、私は今日仕事だったんだけど、別の日に変えてもらった。その連絡の為に仕事場に行ったら偶々、翼らが配給の日だったらしくて擦れ違って、事情を話したところ、二人はその一時間後に果物を持ってお見舞いに来てくれたのだ。

「私達に何か出来ることがあったら、ちゃんと言うのよ」

「うん、ありがとう」

 優しい二人の言葉に少しほっとする。一人きりで具合の悪い響ちゃんを看ていて、やっぱり幾らか不安になっていたみたい。二人が短い言葉で私と響ちゃんを労って、帰ろうとしたその時だった。サイレンの音が、鳴り響く。

「――はぁ!?」

 翼が、信じられないと言わんばかりの声を上げて空を仰いだ。間違いなく、空に入った一筋の黒。誤報でないことは明らかだったが、それでも目を疑った。連日のサイレンは今までで初めてのことだった。呆然とする私の背後で、玄関扉が開かれる。

「響、ちゃん」

「うん、行ってくるから、二人に、入ってもらってて」

 口元には笑みが浮かんでいたけれど、瞳には明らかな疲労が宿る。それでも、止められない。彼女が人類最後の希望で、彼女の不在は人類の敗北になる。花びらになって消えた響ちゃんを見送って、翼らに促されながら居間に入り込んだところで、私は泣き崩れた。

由枝ゆえ……」

「なんで、響ちゃんが、こんな」

 こんな目に遭わなくちゃいけないの。そう言いたかったけど、そう思っていても私だって彼女を引き止める強さなんか無い。私も同じだ。響ちゃんが命を懸けて、身体を張って戦ってくれなければ生きていけない、守られるばかりの人間だ。そうして、たった一人の小さな肩に、生き残った全ての人間の命が圧し掛かる。

「どうして、こんな世界に」

 家族を失って、友達を失って、社会を失っても、一人きりではこんなに強くそう思ったりはしなかった。仕方が無いと思っていた。だけど彼女を見ていると飲み込むことが出来なくなる。どうしてこんな世界に。どうして、響ちゃん一人を、犠牲にしなきゃいけない世界に。

 雨戸を閉めてくれたのも、ラジオを付けてくれたのも、翼と理沙だった。二人は蹲って泣くことしか出来ない私を支えるようにして抱いて、ずっと傍に居てくれた。息も儘ならないほどに緊張しながら聞いていたラジオはこの日、響ちゃんや他の霊付きの窮地を伝えることは無かった。危なげなく敵の撃破が告げられ、避難指示が解除される。私が慌てて立ち上がって雨戸を開けたのと、響ちゃんが戻ったのは同時だった。

「あー、疲れた、もう、やんなっちゃうね」

 戻ってきた響ちゃんの声はやけに明るい。だけど駆け寄った私の顔に涙の痕を見付けたのか、ちょっと困ったように眉を下げて微笑んだ。

「ただいま」

「……うん、おかえりなさい」

 それだけ言うと、響ちゃんはそのまま縁側に寝転がる。そんなところで眠ったら駄目だと言っても、動かなくて、額に触れれば熱はさっきより上がっているような気がした。翼と理沙にも手伝ってもらいながら、響ちゃんを抱いてソファに移動する。運ばれている間、響ちゃんは何が面白かったのか、ずっと笑っていた。

「こんなこと、いつまで続くんだろうな……」

 氷枕を用意して、ソファで響ちゃんを看られる環境を整えたところで、翼が低く呟く。あれが来なくなる未来があればいいのに。霊付きが戦った末に、いつか絶えてくれればいいのに。願わずにはいられない。そんな思いの欠片を聞いて、響ちゃんは一つ、ゆっくりと瞬きをした。

「多分、あんまり長くは、続かないよ」

 静かな呼吸を挟んでから、響ちゃんは穏やかな声でそう言った。慰めるみたいな音だったけど、意味は真逆のものだった。

「霊付きの心が保たない。向こうは無尽蔵に出てくるし、少なくともそんな印象が付いちゃってる。いつまで続くんだろう、終わりなんかあるのかな、終わらないんじゃないかな、じゃあずっとこうして戦わなきゃいけないのかな、どうして自分だけが。……そうやって繰り返してたら、疲れちゃうのが人間でしょ」

 戦えない人間と、戦える人間がはっきりと分かれ、空が開いた時に、無霊が出来ることは何も無い。その代わりに私達は労働をして配給制度を支えていて、役割分担はされているのかもしれない。だけど、そこに選択肢は無いのだ。労働する方がずっと良いって言う霊付きだって居るだろう。霊付きは、望んでそうなるのではない。何の基準か分からないまま霊に選ばれて、戦うことを余儀なくされる。『どうして自分が』と感じてしまうのは、自然だと思った。

「それにいつか、『守ってくれてありがとう』から、一つでも取り零しがあれば『何で守ってくれなかったんだ』に変わる」

 その指摘に、息を呑む。今の私達は、霊付きには文句が言えない立場であるという認識がある。それでも、担当の霊付きが揃って出動してくれることが、いつからか当然と思っていた。翼が昨日言ったみたいに、ローテーションで戦っていることにすら疑問を抱く時がある。響ちゃんのことが心配でそう思った私達だったけど、他の理由でも、同じように思う人は、今後増える可能性があった。

「いつまでも霊付きは人類を守らない。いつかは疲れて、心が折れちゃう。そんな気がする」

 私には何も言えなかった。彼女が淡々と告げる予想が、その通りであるとしか思えなかったからだ。翼も黙り込んでいる。そんな中で理沙だけは口を開いた。声は震えていた。

「……響さんもですか」

 グリフォンさんが語った話を知る私達に、この問いは酷く勇気の要ることだったと思う。響ちゃんこそ、誰よりも、疲れて諦める理由は多く持っているように思えてならない。けれど問われた響ちゃんが不快そうにすることは無くて、視線を理沙に向けると、柔らかく目尻を下げた。

「もし他の霊付きが全員居なくなって、四月九日よりもずっと多いのが出てきたら、守るのは難しいと思うよ」

 響ちゃんが口にする言葉はどれも残酷で、私達を慰める内容じゃないのに、どうしてだろう、ずっと声が優しくて穏やかだから、まるで子供をあやしてるみたいに聞こえる。

「此処に居る三人だけを守って逃げるくらいなら出来るかもしれない、だけどそうして生き延びたとして、四人だけじゃね、物資が無くなる」

 残った小さな社会を丸ごと守っていかなければ、結局は意味が無くて、生きていけない。完全なサバイバル生活をすれば良いのかもしれないけど、便利過ぎる社会で生きてきた私達がそんな生活をしたとして、生存率は、戦って勝ち続ける未来とあまり変わらない気がした。

「正直、明るい未来は少しも私には見えてない」

 言い切られた言葉は、当たり前だとしか思えないのに、それでも私の心に鉛を落とした。誰よりもこの世界で生き残れる力を持つ彼女が見る未来がそうであるなら、それはもう、変えられない未来だ。俯く私に、響ちゃんが徐に手を伸ばしてきた。条件反射で握れば、何処か嬉しそうに響ちゃんは笑う。

「だけど、由枝ちゃんのことは、置いていけないしなぁ」

「響ちゃん」

 複雑な思いだった。私が居なかったらもっと、響ちゃんは苦しくない道を、自分だけの道を選ぶことが出来たのかな。出会ってしまったことで私は響ちゃんの支えになれているのか、それとも、足枷になってしまったのかが分からない。けれど響ちゃんの目はさっきからずっと優しいままだ。

「怪我したら痛いし、いっぱい襲ってきたらやっぱり怖い。もうしんどくて仕方が無いと思うこともあるけど、由枝ちゃんと暮らしてからは、なんかねぇ」

 繋がったままの手を、響ちゃんが緩く弄んでいるのを感じつつも、私はぼんやり天井を見上げてる響ちゃんの横顔から、目を逸らさなかった。

「明日もう一回でいいから、由枝ちゃんにおはようって言って、一緒に朝ごはん食べたいなって思うんだよね」

 少しだけ照れ臭そうにそう言って笑う横顔が、何処までも綺麗で、幸せだって言ってくれたことを思い出す。堪らなくなって響ちゃんの肩に額を預ければ、響ちゃんが頭を撫でてくれた。

「それの繰り返しで、何となく最後まで戦いそう」

 もう一日だけ、あと一度だけ。響ちゃんはきっとそんな積み重ねで今までを、戦い続けてくれたんだと思う。細い糸の上の綱渡りみたいな人類の存続だ。その先に生きている、戦えない私達にとっては怖く思うことだけど、でも、使命感や正義感のような現実味の無い、知らない言葉を並べられるよりはずっと納得できて、私は、不思議と安心した。

「結局、生きていくって、そんなことなのかもしれませんね」

 そう言って少し笑った理沙も、同じだったと思う。響ちゃんの肩に顔を埋めたままで少しだけ振り返れば、理沙は隣に座る翼の手をぎゅっと握っていた。翼も何も言わないでそれを握り返していた。

 話が終わると翼と理沙は響ちゃんにお見舞いの言葉を告げて帰っていった。いつも通りグリフォンさんを出した響ちゃんの体調を心配してたけど、響ちゃんが「平気だから早く帰りなさい」って言うと大人しく引き下がる。その言い方だと私と早くイチャイチャしたいという意味に……ならないね、流石にこんな状態の響ちゃんに手を出すほど私も鬼じゃない。

 ところで今日はグリフォンさん自分から出てこなかったし喋ることも無かったけど、もしかして私達と沢山喋ったこと、結局、後で響ちゃんに怒られたのかな。体調が落ち着いたらまた聞いてみようと思った。

「可哀相なことしたかな。ちょっと、話し過ぎちゃった」

 普段の響ちゃんなら確かに曖昧に首を傾ける程度で、翼の言葉にあんなに丁寧に話してはくれなかったかもしれない。響ちゃんの中に何か心境の変化があったのか、高熱のせいでいつもと違うのか。分からないけど、私は響ちゃんの言葉に首を振った。誰だって心の何処かで思っていて、分かっていたことだ。戦えない私達だからこそ、霊付きの口からそれが聞けて良かったと私は思う。

「それに、翼と理沙は大丈夫だよ。一人じゃなくて、二人だから」

「……そっか」

 私も一人じゃなくて響ちゃんが一緒だから、怖いけど大丈夫だよ。小さくそう言いながらまた響ちゃんの肩に寄り添ったら、私に腕を回した響ちゃんが、額にキスを落としてくれる。ねえ。我慢してるんだから。煽らないで。覆い被さりたくなる気持ちを抑えて口を一文字に引き締めれば、私の胸中を知ってるみたいな顔で、響ちゃんは笑った。

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