第15話_絶望と隣り合わせの日常に

 今日は数日振りに少し青空が覗いていて、玄関には翼と理沙が来ていた。また何か、持ってきてくれたらしい。

「ほら、今日はキュウリとトマトだ。ちょっとしかねえけど」

「わ~ありがとう! 綺麗な色だね」

 差し出されたお裾分けに喜んだところで、玄関扉が引かれる音が聞こえて振り返る。きょうちゃんも出てきてくれたみたい。

「響ちゃん、今日はこれ――」

「ごめん由枝ゆえちゃん、二人と家に入って。来るよ」

「え?」

 貰ったキュウリとトマトを見せようとしたら、響ちゃんが私の声を遮ってそう言った。聞き返す間もなく鳴り響くサイレン。見上げれば、空にはあの黒い線が引かれている。響ちゃんは私達からの「行ってらっしゃい」を聞く間も無く、椿の花びらになって消えた。私達は野菜も全部置き去りにして、急いで家の中に入り込む。手分けして、雨戸を全部閉めた。

「今日はテレビ、無さそうね」

「ビビった……やっぱ晴れの日はまずいな」

「二人が橋の上に居る時じゃなくって良かった」

 私の家に二人が来るには、橋の存在が一番問題だった。近くに避難できる場所が無く、完全に身体を晒してしまうから。五分程度のことではあるけど、一分一秒が、無霊には命取りになる。だけど今日は晴れと言っても比較的雲が多かったから、翼達もサイレンが鳴る確率は低いと思ったんだろう。三人でラジオを囲うようにして座る。

「響さんは休まず身体張ってんのに、出動担当じゃない霊付きはどんな気持ちで家に居るんだろうな。アタシらが言える立場じゃねえのは分かってるけどさ」

 徐に翼はそう言った。口調が重たく、表情は険しい。霊を持たない私達が、霊付きに対して何か不平不満を言ってはいけないのは分かっている。それでも響ちゃんという個人を知った今、私達は、彼女に掛かる負担の大きさが目に付いて仕方が無い。毎回じゃなくっても、自分も何度か出るって、言い出す人は一人も居なかったんだろうか。

『――簡単なことだ』

 不意に私達の会話に入り込んだのは、男性の声だった。同時にバサバサと羽ばたくような音が聞こえて、気付いたら、私の後ろに響ちゃんの『グリフォン』が居た。

「え、えっ!? どうして、今、響ちゃんは」

「……響さんが私達を守る為に、そうして下さったとしか思えないわね」

 理沙の言葉に、彼は胸を張るようにしゃんと身体を伸ばした。

『ご明察。あるじの命で俺は此処に居る』

「お、おぉ、喋った、いや、最初の声も、そっか、アンタの」

『あァそうか、この姿で口を利くのは違和感があるか? 待てよ』

 急に部屋の中に風が流れる。驚いて強く目を閉じて、次に開いた時には目の前には男性が立っていた。男性、とは言え、腹部から下が獣の毛に覆われて、腕は鳥の羽に似ていて、人でないことは一目で分かる。しかし顔は間違いなく人間のそれだ。

「これならまだ話しやすいか?」

「え、ええと、はい、あの……グリフォンさん、なんですよね」

「おう」

 私の問いに彼は躊躇いなく頷き、笑みを浮かべてその場に胡坐をかいて座った。

「主の話が聞こえて混ざりたくなったんだ。屋根の上でぼんやりしているのも暇だからな」

 そう言って笑う様子は、私達の抱いていた『神霊』とは違い、かなり気さくな印象を持たせた。私はとりあえず座る位置を変えて、彼に身体を向ける。

「それで、他の霊付きの心情だったな。簡単だ、『どうせ神霊付きが全部やってくれる、出ても出なくても一緒』ってとこさ」

「そんな……」

「事実、勝敗は主の働き一つで決まる。結果は変わらん。出るだけ出て、主の機嫌を取ってるだけだな。……主にもそんなこたァ伝ってんのに、愚かな話だ」

 私達は言葉を失った。確かに響ちゃんの撃破数が百を超えても、他の霊付きの撃破数は全員を合わせて二十にも満たないことが多い。だからって他の霊付きが居なければ響ちゃんだけをあれらが狙ってくるのは、誰が考えても分かることだ。結果が変わらなかったとしても、響ちゃんの負担が増えることは明白なのに。それでも戦えない私達は、霊付きに何も言えない。悔しい思いばかりが湧き上がって口を閉ざす様子を、グリフォンさんは少し目を細めて見つめていた。

 沈黙の中、ラジオからはまだ淡々と撃破数が聞こえている。ほとんどがやはり、響ちゃんの戦果だ。いつものように椿の花びらを纏いながら、今日は氷の能力も使用していることが告げられた。ふと、出会うより前に見たことがある能力を思い出す。

「そういえば、響ちゃんが以前使っていた風の能力は」

「あァ、あれは俺の力だな」

 風と氷と、そして先日見せたのは火。普段使っている椿の花。これで四つだけど、実際はどうなんだろう。知る必要なんて無い、ただの好奇心が浮かぶ。聞いて良いのかを私が迷っていると、理沙が口を開いた。

「響さんは、いくつの神霊をお持ちなんでしょう?」

「ははは、聞いてくれるか、これがとんでもないんだ。主は七つの神霊を従えている」

「七つ!?」

 大きな声で翼が驚いたのを、グリフォンさんは満足そうに笑みを浮かべる。その凄さを私達が真に理解しているわけではないだろうが、二つ以上の霊を付ける者が他に居ないことを考えれば、特殊さだけは嫌ほど分かる。

「人の身で、神霊を従えるということがまず異常だ。それが七つ。神霊である俺から見ても恐ろしい。あれはな、人という領域内に収まる器じゃあない、主は間違いなく、この生を終えれば神になる魂だ」

 彼はまるで我がことのように誇らしげに話した。誰かに話したくて仕方なくて、私達の前に姿を現したんじゃないかと思うくらいだ。けれど不意に、悲しげに視線を落とした。

「まあ、世界が存続すればの話だがな。……無になった世界に神なんぞ必要ない」

 私達にはその辺りの仕組みなんて少しも分からない。けれど、そういうことであれば、神秘的な存在が人類に力を貸してくれている理由としては、納得できる気がした。

「響さんが自分の能力について全く公表してねえのは、それで更に他の霊付きがやる気を失くすからか?」

 ふと思い至ったようにそう呟いた翼の言葉に、私は鋭い指摘だと思った。けれど、グリフォンさんは首を傾ける。

「どうだかなァ。単純に此処らの人間と関わることに、色々思うことがあるだけだと俺は思うが」

「……どういう意味ですか?」

 私達は顔を見合わせてから、揃って首を傾ける。『此処らの人間』というのは何を指すのだろう。まるで、別の場所であればまた対応が違ったみたいな言葉だと思った。私のこの考えは、答えを聞けばほとんど正解に近かった。

「主はこの地の生まれじゃない。住んだことだって一度も無い、正真正銘の、なんだよ」

 私はふと響ちゃんが呟いた言葉を思い出した。何処も思い入れが無くて、懐かしくないと言っていた。あの時は続いた言葉に意識を取られて気にしていなかった。

 曰く、響ちゃんはあの四月九日、仕事で偶々この地域に来ていたそうだ。翌日にはもう帰る予定だった短い滞在。その時に、空が開いた。響ちゃんは混乱の中で神霊付きとしての能力を得て、この地で戦い抜いた。

「事態が収束した時、主はすぐに自分の土地に帰った」

 身体が疲れ果てていることも厭わず、能力を使用して移動した。けれどそんな無理も、彼女の望んだ結果を引き寄せることは無かった。

「誰も残っていなかった。ただの一人の生き残りも無かった」

 その地は此処から遥か遠い場所だった。私達の住む地域は、日本にたった一人の『神霊付き』が偶々居合わせて、この場所で戦ってくれた『偶然』で、残ったのだ。

「もしも初めから移動して戦っていれば、主の力ならば間に合った可能性は高い。だが主は、捨てていけなかった。目の前で助けてくれと泣く人々を見捨てることが出来なくて、結果的に、自分が本当に守りたかった人々や、土地を、捨ててしまった」

 私も、翼も理沙も、誰も言葉が無かった。苦しくて、言葉なんか出なかった。

 だけどグリフォンさんが語る言葉を遮ろうとも思えない。どれだけ辛くても私達は、耳を塞いじゃいけないことのように思えた。私達が今生きていることがどれだけの奇跡で、そして、本当の意味で、どれだけの『犠牲』だったのかを思い知った。

 自分の土地に戻った響ちゃんは、実家や、住んでいた場所、友人宅、行きつけの場所だとか、ありとあらゆる場所を彷徨い歩いて、探し回ったそうだ。自分の目で一つ一つを確かめて、誰一人として残っていないことを知って、ようやく足を止めたのはもう日暮れ時だったとグリフォンさんが言った。

「道路のど真ん中に座り込んで、主は背中を丸めていた。神霊なんぞには、掛けてやる言葉が思い付かなかったよ」

 そのまま、眠るでもなく、ただ座り込んだままで朝を迎えた響ちゃんを、神霊達はほとんど諦めていたそうだ。もう響ちゃんは立たないかもしれない、このまま死を選ぶのだろうと。だけど響ちゃんはそうしなかった。朝になると立ち上がって、また私達の地域に戻った。そしてそれ以降、何の思い入れも無く、何も知らない場所で、少しも知らない無関係な人々を、命を懸けて守り続けている。

「主は、大切な人達を捨ててまで守った命を、見捨てられなかったのかもしれないな。ま、俺らには分からんことだが」

 だけどグリフォンさんからはもう、響ちゃんの中に心らしい心は無いように見えていたらしい。空っぽのままで日々を過ごし、サイレンが鳴った時だけ『守らなければ』と思って立ち上がる。それだけを繰り返していた。

「しかし最近の主はよく笑う、奥方と居るのは随分と楽しいらしい」

 不意に嬉しそうに笑ったグリフォンさんの言葉に、私の心が高鳴った。

「お、奥方……」

「この状況でよくそんな単語に喜べたなお前……」

 ちょっと浮付いてしまった気持ちを翼に制された。話の流れとして確かに良くなかったと思うけど、響ちゃんの神霊に奥さんとして認められてるって、どうしても喜んでしまうでしょう。それこそ不可抗力だと思った。

 瞬間、ラジオから悲鳴が聞こえて身体が震える。振り向くことに何の意味も無いのに、私達は一斉にラジオを見つめた。

『椿の女神が数か所を貫かれて――いいえ、無事です! ぎりぎり花びらになって移動していたんでしょうか、無傷のようです!』

 一瞬息を呑んだが、直ぐに続いた言葉にほっと力を抜く。驚かせないでよ、とラジオに文句を言いそうになったところで、私達の背後からグリフォンさんが「いいや」と低く呟いた。

「貫かれたよ」

「えっ?」

「治したんだ。フェニックスのじじいが居る、身体は元に戻るし、死にやしない。痛みはあるがな」

 フェニックスと言われて私達が単純に思い浮かべるのは、火の鳥の姿だ。先日、集中的に狙われた時に見せた姿――あの神霊なのだろうか。それなら、もしかしたらあの時も、本当は無傷じゃなかったのかもしれない。

「そ、その、身体を治すことで、響さんに負担は無いのか? 寿命が縮むとか」

 翼が慌てて問えば、グリフォンさんは首を振った。

「基本的には何も無いな。能力は全て神霊側の力を使役してるだけだ、主の何の負担も無い。……擦り減るのは精神だ」

 グリフォンさんは眉を顰めてそう言った。彼は本当に響ちゃんを大切に想っているように見える。主である響ちゃんと神霊がどのような関係であるのかは分からないけれど、少なくとも彼は、響ちゃんが傷付いたり苦しむことを、心から悲しんでいるようだ。

「だから主は沢山眠る。主にとってそれが心を休める手段みたいだからな」

 正直、一緒に暮らす中で、響ちゃんの睡眠時間の長さは気になっていた。眠っている時間が多い。暇さえあれば丸くなって寝ている。神霊付きとして戦う日々で疲れているんだろうとは思っていたけど、響ちゃんが休めていたのは心だったんだ。

 沈黙が落ちたところで、避難指示解除のアナウンスが流れ始めた。ラジオでも、敵勢力の撤退と、被害者無しである旨が伝えられている。その一分後、響ちゃんが帰ってきた。

「……グリフォン? どうしてそんな格好してるの」

 また縁側から戻ってきた彼女は、グリフォンさんの姿を見ると少し眉を下げてそう言った。

「暇だったからな、話し相手をしてもらっていたんだ」

 響ちゃんはその言葉に目を細めたけれど、怒っている様子は無い。でもちょっとだけ呆れた顔をしたように思う。

「なら仕事。二人送ってきてね。あと鳥に戻って」

「承知したが、俺は鳥じゃないんだ、主」

「へえ」

 扱いがぞんざいでちょっとびっくりするんだけど。はらはらと私達は見守っていたが、グリフォンさんは笑いながら肩を竦めて、私達のよく知る『グリフォン』の姿に戻る。そしてまた翼と理沙が帰るのに付いて行ってくれた。

「お疲れ様、響ちゃん」

「ん、ありがとう」

 二人を玄関で見送った後、部屋に戻れば響ちゃんはいつも通りにソファで寝ていた。私はその傍に座って、頭を撫でる。

「……グリフォンから何か聞いたの?」

 薄く目を開けて私を見つめた響ちゃんは、そう言って苦笑した。私の顔に、何か書いてあるのかな。

「ううん、何も」

「そう?」

 嘘を吐いた。嘘だってバレているのも分かっている。だけど、何となく、伝える気にはならなかった。知ってるよって言って、蓋をしてある傷に触れるのは、やっぱり、響ちゃんの為にならないような気がしたから。もしも響ちゃんが私に話したいと思ったら、自分から話してくれると思う。それまで、私は何も言わない。

 だけど擦り減っていると知っている彼女の心に、私は今、何がしてあげられるんだろう。

「今日の晩御飯、何が良い?」

「あー、……じゃあ、カボチャの煮物」

「それ主菜じゃないよね」

 私が笑うと、響ちゃんも笑みを浮かべていた。翼達から貰ったお裾分けもキュウリとトマトだし、主菜どうしようかな。すると徐に響ちゃんがくつくつと笑うから、何かと思って見下ろした。

「鶏肉」

「グリフォンさんから連想したんじゃないよね!?」

 指摘しながらも私は声を上げて笑ってしまった。不遜もいいとこだ。だけど響ちゃんが楽しそうだったから、謝るのは後で、心の中にしようと思う。私がつらつらと鶏肉を使った主菜の案を挙げていると、いつの間にか響ちゃんは眠っていた。夕飯まではまだ時間があるから、後で良いか。もう一度小さく「お疲れ様」と呟いて、私は無防備な頬に口付けを落とした。

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