第14話_笑ってくれるならいい
一線を越えても私と
「はあ、それで、『幸せです』っつーオチなら、聞かされたことに文句もねえんだけどさ」
多分聞きたくないだろうなって思いながら、響ちゃんと日々仲良く生活している話を翼と理沙にした。今回は行きじゃなくて、帰り道。っていうか長すぎて行きで語り切れなかったから、こうして帰り道に続きを話していた。今日は偶々、倉庫内作業が無かったのだ。
勿論二人にわざわざベッドの中の詳細なんて話さないけど、「可愛かった」くらいの感想は言った。それに対する翼の反応がさっきの言葉になる。鋭い。そうなの、この話には続きがあって、私には今ちょっとした悩みがあった。
「可愛すぎて、時々お昼間から押し倒すんだけどね」
「お前は人類を滅ぼすつもりか? サイレンの時に
「いや、流石に曇りとか雨の日だけ! 晴れてる時は私も落ち着かないから!」
心外だと思ってそう反論するけれど、二人は私をじっと見てから、揃って溜息を吐く。
「……そういう問題じゃないような気がするわ」
「そうだな、今のはアタシの指摘が悪かった」
何もそんな目で見なくていいじゃない。私が悪いのは分かるんだけど響ちゃんが可愛いのも悪いんです。って言ったら、流石の響ちゃんでも怒りそうだけど。
初めて昼間に手を出した時、響ちゃんは「冗談でしょ」と笑ってた。そう、笑っていたから、私は手を止めなかった。困った顔は確かにしてたんだけど、しばらくすると「もう」とだけ言って受け入れてくれて、そんな成功例があるせいで私はどんどん歯止めが効かなくなってる。響ちゃんがね、全然ね、怒らないからね、何処で止まったらいいか分からないんだよね。これが私の悩み。どのように自制すればいいのかが、全く分からない。
「ついこの間まで、キスもあんまり出来ないって嘆いてたとは思えないわね」
確かに。そう言われると悩みは好転ばかりしているし、私はすごく幸せ者だと思う。だからって今の悩みが悩みでなくなるわけじゃない。正直、今、何が怖いのかと言うと。
「お前な、想いを伝えたら居なくなるって怯えてたあの頃を思い出せ。愛想尽かされても知らねえぞ」
翼の指摘が胸に突き刺さる。私の懸念もまさしくそこだった。今は怒った顔をしていない。だけど、このまま続けていたら、ある日突然、響ちゃんが私に愛想尽かしてしまうんじゃないか。出て行ってしまうんじゃないかと考える。だったら止めればいいんだけど、あともう一回だけなら大丈夫かなって誘惑に毎回負けている。
どう話しても二人の呆れ顔が増すばかりで、そのままいつもの分岐路に到着した。「ほどほどにしろよ」「がんばって」と優しい励ましに見送られながら自転車に跨った。理沙の言った「がんばって」が私じゃなくて響ちゃん宛てだったのではないかとも思うけど、まあ、いいや。私しか聞いてないんだから、私宛という気持ちで受け止めよう。
そうして家の前の堤防に辿り着いた時、癖のように私は橋の下を振り返った。未だにこの癖が抜けない。もうずっと響ちゃんは私の家に住んでいるのに。だけど、この癖が抜けていなくて良かったと心から思った。今日は何故か響ちゃんの姿が、本当に橋の下にあったから。冷や汗をかきながら、私は堤防の上に自転車を止めて慌てて彼女が寝そべる場所に下りていく。足音に気付いたのか、呼ぶより先に響ちゃんが振り返った。
「ああ、
「た、ただいま、あの、響ちゃん」
「ん?」
「い、家出をお考えですか……?」
かなり本気で心配して聞いたんだけど、響ちゃんはこの空間に反響するくらい大きい声で笑った。響ちゃんって元々無表情で、反応とかも薄くて静かな人なんだけど、私の発言にはこうしてよく笑う。もしかして響ちゃんの笑いのツボ押さえちゃってるのかな。そんな下らないことを考えながら、笑い声が収まるのを静かに隣で待った。
笑いすぎて乱れた呼吸を整えても、響ちゃんは身体を起こして座るだけで、立ち上がる様子が無い。笑ってくれたなら家出じゃないと思うけど、それならどうしてこんな場所に居たんだろう。
「響ちゃんってこの場所、好きなの?」
「んー、そうだね」
のんびりと答える響ちゃんが見ている方向を、私も同じように見つめてみる。そこは何の変哲も無い河と、
「最初は何処でも良くて、人が居なさそうな地域の、日陰を探して此処に来たんだけど」
響ちゃんは何処でもない遠いところを見ている気がした。こうして彼女が自分のことを話す様子って、何だかすごく貴重だ。私が落ち着いて聞こうと思って隣に座ったら、優しく微笑まれる。いつ見ても、綺麗な横顔。
「何処に行っても思い入れは無いし、懐かしくもない。……でも此処は、由枝ちゃんが来たんだよね」
「へ?」
割と私は油断してた。自分がこの話題に入り込んでくると思っていなかったのだ。
「あの時はびっくりしたなぁ、なんか、人間だ、って思って」
「人間って……」
「いやだって普段、ほとんど見ないから」
言われてみれば、私達のような無霊だったら労働がある為にどうしたって多少は顔を合わせて生活をする。だけど霊付きは避難指示の最中に出てきて、安全が確認されれば何処か休める場所に帰っていく。それ以外の労働が不要の為、『人』との接触は確かに、無霊と比べれば少ないのかもしれない。霊付き同士なら出動で顔を合わせるのかもしれないが、命を懸けて戦っている状況で顔を合わせるも何も無いだろう。そう考えれば響ちゃんにとって私は、何だかちょっと珍しいものに見えたと言われても、納得が出来た。
「何か、表情が豊かで面白かったし」
完全に感想が珍獣に対するそれなんだけど私は黙って耳を傾ける。折角響ちゃんが語ってくれているのだから、その言葉を聞いていたかった。
「初めて会った後ね、そのまま此処で寝てたらさ、由枝ちゃんとこの夕飯の匂いがしたの」
「えっ、こんなところまで?」
「うん。多分、風向きのせいだと思うけどね」
あの日の夕飯って何にしたっけ、そんなに香りが強いものだったかな、記憶を辿ってみるけれどよく覚えていない。
「何だかほっとしたんだよねぇ、別に誰かと関わりたいって思ってなかったのに、近くに誰かの、『生活』の気配があること」
外で眠るような生活をしていたからこそ、響ちゃんは人が住む場所を避けていた。だからずっとそんな場所とは無縁で、そんな感覚を何も知らないで居たんだろう。あの四月九日が来るより前なら、当たり前のような空気。だけど失ってしまった私達には、場所を選ばなければもう得ることは出来ない。
「それでちょっとだけ此処が気に入っちゃって、何回か来てた」
響ちゃんはそこで言葉を止めて、沈黙が落ちる。これだけだと今どうして此処に戻ってたのかって理由には繋がらない。追及していいものかと迷って横目で窺うと、視線に気付いて響ちゃんがまた微笑んだ。まるで何が聞きたいのか知ってるみたいな顔をしている。
「ちょっと思い出してただけ、色々。由枝ちゃんの家に住む前のこと」
そう言うと、響ちゃんは目を細める。少しだけ、寂しそうな色を見せたような気がしたけど、それに続けた言葉には、悲しみの気配は無かった。
「今、結構幸せなんだよね、私」
その短い言葉は私を何処までも喜ばせた。私が強引に推し進めた同居生活。それでも家に馴染んで、心地よさそうに寝てくれた彼女。最近は私が隙あらば手を出していることで、どう思われているのかと不安だったけれど、総じて響ちゃんは、『幸せ』と言ってくれた。
「前と比べてどうとかは分からないけど、でももうこの世界には、……何にも無いと思ってたからなぁ」
彼女の言う『前』は、社会が崩壊してしまうより以前のことだろう。あの日以前にどんな凄惨な人生を送っていた人であっても、この結果を良かったと言い切ることは難しいと思う。それくらい、大き過ぎる犠牲を出して、私達の生活は一変し、当たり前にあった自由や選択肢は、信じられないくらい呆気なく消えた。遠くへ旅行に行くことも、職業を選ぶことも、学びたい分野に没頭することも、何も出来ない。私達はただ生き永らえる為に、今、生きてる。
しかし少し寂しい気持ちになった私を察したのか、響ちゃんはちょっとだけ声のトーンを明るく変えて、話題を方向転換した。
「昼間から盛っちゃう由枝ちゃんも面白いしねぇ」
「うっ」
「お年頃だね~」
空気は明るくなったけど最初の不安を蒸し返された。響ちゃんが笑ってくれてるから大丈夫なような気がするけど、やっぱり昼から手を出す点については多少なりと気になっているということなのだろうか。小さく「ごめんなさい」と言うと、響ちゃんは、ただ楽しそうに笑う。そんな反応だから私の歯止めが効かないんだけどなぁ。
徐に立ち上がった響ちゃんに合わせて、私も立ち上がる。何も言わず、響ちゃんは家に向かって歩き始めた。その背を追いながら、一緒に家に帰れることに、静かに安堵する。
「ねえ由枝ちゃん」
「うん?」
堤防に上がって、私の自転車が止まってる場所を通り過ぎた後で、響ちゃんは不意に立ち止まって私を振り返る。私は自転車を押し始めようとしたところだった。
「んー、何でもない」
「え、何、気になる」
私はそう言ったんだけど、響ちゃんはちょっと笑うだけで、結局教えてくれない。坂を下りようとしているからか少し俯いているみたいで、いつもより響ちゃんの
「由枝ちゃん、ソファ行こ」
「えっ、うん」
玄関に上がると同時にそう言われて、少し声が引っくり返った。これは響ちゃんからの数少ない、甘えたい時の意思表示。嬉しくて嬉しくて、仕事の疲れなんて何処かに飛んで行った。ソファと言わず今すぐ抱き締めたいけれど、すたすたと前を歩く響ちゃんに、遅れて靴を脱いでる私は追い付けない。ようやく追い付いたらもう、響ちゃんはソファに小さくなって座ってた。私も隣に座って、両腕を広げる。響ちゃんに表情があんまり無いのは気になるものの、そんなに珍しいことじゃないから、とりあえず抱き締めよう。大人しく腕に潜り込んできた響ちゃんの身体を優しく包み込んだ。
「ねえ、えっちなことしてもいい?」
「駄目。じっとしててね」
「えー……」
響ちゃんは前と同じように、私の顎の下に頭をすっぽりと収めている。可愛いし、彼女の柔らかさを堪能できる状況、しかも以前と違って私はもうあの時飲み込んだ欲の先を知ってしまっている。我慢はどうしても前より辛い。けど、ただこうして甘えていたいって響ちゃんが言うなら、うーん、それも可愛いので、我慢……我慢かぁ。諦め切れずにもう一押しの言葉を考えていれば、気配を察したらしい響ちゃんがやや呆れた様子で息を吐く。
「そんなに沢山触りたがって、……本当に飽きないでよ、由枝ちゃん」
「飽きないってば。っていうか今のが可愛かったから、やっぱりベッド行かない?」
「行かない」
駄目かぁ。結局このまま許しは貰えないで、夕飯の時間が少し過ぎるまでの一時間ほど、私は煩悩を押し込めながら、甘えてくる響ちゃんの穏やかな心音を聞いた。
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