第17話_あなたの言葉が答えになる

 熱があるところに無理をしたから長引くかと思ったら、きょうちゃんは翌日にはもうすっかり熱が下がってケロッとしていた。それでハンバーグが食べたいんだって言うの。本当に元気になってくれて良かった。あとリクエストが可愛いんだよね。押し倒してもいいかな。まだ駄目かな。悶々としながら振り返るとまた響ちゃんはお腹を出して寝てた。うーん、まだちょっとお疲れか。明日にしよう。タオルケットを掛けて、欲を飲み込む。これが今の、私の日常。

 あの日は二日連続に空が開いたから冷や冷やしてたけど、それからは少し鳴りを潜めて、青空が続いても空は開かなかった。最近は青空だけじゃなくて色んな気候条件や他の要素も調査して、空が開く条件があるんじゃないかって調べている人達も居るらしい。役場でちょっとそんな噂を聞いた。絶望だけしかないこの世界でも、自分の出来ることを探して、前を向こうとしている人が居る。そんな些細なことが、ちょっとだけ、嬉しい。

「それとね、最近、翼が何か色々サバイバルの知識を得ようとしてるらしくて」

「あはは、たくましい子だね」

 先日、仕事が一緒になって、理沙とペアを組んだ時に聞いた。万が一社会が壊れたって一日でも長く生きていく為に、彼女は彼女の出来ることを考えてるみたい。翼のそういう、真っ直ぐ過ぎてアホなところ、私も結構好き。

「理沙は理沙でね、それ見て何か悔しいから、魚の捌き方教えてって言うんだよ」

 どっちも考えることが可愛いよ。そういうわけで今度二人の家で魚の捌き方教室を開催することにした。私の話にのんびり相槌を打っていた響ちゃんがふと首を傾ける。

「あれ? じゃあ由枝ゆえちゃんって、魚捌けるんだ」

「うんまあ、メジャーどころだけね」

「えー、じゃあ魚食べたい、魚が一番好き」

「初めて聞いた!」

 一緒に住むようになってから魚をリクエストされたの一度も無いから、お肉の方が好きなんだと思ってた。響ちゃんが出してくれる戦果報酬もお肉が多かったし。だけど響ちゃん曰く、魚を捌くのは難しいことだというイメージがあったらしくて、報酬として受け取っても全く手が付けられなかったらしい。そりゃ、野菜切るのも危ない響ちゃんだと絶対に無理だろうけども。

「なら今夜はお魚にする? 何持ってるの?」

「んー魚の名前分からない。細いのと、ちょっと丸いの」

 絶対にこのまま特徴聞いても分からないと思って出してもらったら、サンマとアジだった。サンマって、もしかして去年貰ってからずっと食べたかったんだね、響ちゃん。アジは最近貰ったらしい。どちらも、響ちゃんの保存できる能力が無ければただ悪くなってしまっただけだろうから、何にせよこうして食べる機会が得られて良かった。

 それにしても、響ちゃんって食べ物に関して全く知識が無くて時々びっくりする。葉物の野菜も全部一緒に見えるんだとか。その癖、機械にはやけに強くて、昨日「実は空調が壊れてて冷房の効きが悪いんだよね」って話したら「早く言いなよ」って笑いながら二時間足らずで直してくれた。ついでに掃除までしてくれた。業者さんかな? でもこれで暑い夜でも、えっちができる。流石に言わなかったけど、数日中にこの本音はバレるんだろう。

「どっちがいいかなぁ、アジは私、アジフライが好きだな。サンマはやっぱり塩焼きかなぁ」

「美味しそう。んー、今日はフライがいいな」

「分かった、じゃあアジにしよっか」

 嬉しそうに笑う響ちゃんの顔に見蕩れていたら、そんな幸せを切り裂くみたいにサイレンが鳴った。十日振りくらいで、少し緩んでいたから驚いた。響ちゃんは私の背をぽんと一つ叩く。

「大丈夫、アジ楽しみだね。すぐ戻るから」

「うん、行ってらっしゃい」

 今日は今までより大きな声で、言えたと思う。響ちゃんが目尻を下げて、玄関から出て行く。

 これが私達の、今の日常。時々サイレンが鳴って、響ちゃんが戦いに行く。終わったら帰ってきて、何も無かったみたいに、二人で過ごす。もしも彼女が帰って来ない日が来たら、多分、私だけじゃなくって人類が終わる。帰って来たら、人類にも私にも明日がある。そんな日々の、繰り返し。いつまで続くのか、戦いに終わりがあるのか、明日が来るのかも、誰も知らない。

 だから私はいつも通りにラジオを聴きながら、ちょっとだけ震えている手に知らない振りをして、新しい麦茶を作る。彼女が帰ってきて、今日に続きがあって、また明日が来る。そんなほんの少し先の未来の為に。

 人類が一日か二日、一か月か一年か十年か、何にせよちょっとだけ長生きすることに、どれだけ意味があるかなんて分からない。多分、何にも意味なんて無いだろうなって思ってる。もう私達が失ったものは戻らない。平和な世の中は無くなった。取り戻すことは出来ないんだと思う。空から来る『あれ』はいつの日か、残った人類全ての命を奪うんだろう。

 だけど私は、そうして終わりに向かう世界の片隅で、彼女と出会った。それは世界にとって何の意味も無い、取るに足らない、善も悪も無ければ、何を変えることも無いもの。でも今、彼女と過ごす日々を幸せだと思う。私にとって、今日を生きていく理由はそれだけでいい。一日でも多く、今の幸せを続けていたい。いつかの日本で夢を見たような、愛した人と皺くちゃになっても隣を歩いて、穏やかに添い遂げる幸せじゃないからって、今日や明日が要らないなんてとても言えない。何の意味も無い日々を生きていくことに確かな理由が要るんだったら、私の答えも、響ちゃんと同じ。明日も「おはよう」って言い合って、一緒に朝ごはんが食べたい。

 避難指示解除のアナウンスが聞こえて雨戸を開けたら、響ちゃんが戻って来る。今日はどうしてか、帰ると同時に私の腕に飛び込んできた。驚いて、バランスを崩して響ちゃんごと座り込んでしまう。

「わ、もう、響ちゃん、危ない」

「あはは」

 何がそんなに楽しいのか分からないけど、響ちゃんはただ笑って、私の顎先に口付けた。更に動揺して後ろに倒れ込む私に巻き込まれ、響ちゃんも床に転がったのに、腕の中で彼女は肩を震わせながら笑ってる。

 終わりに向かってたって私の中にはちっぽけな『新しい出来事』があって、『新しい想い』がある。

 だから、ねえ響ちゃん。明日も一緒に生きて、笑っていたいね。

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