第12話_不格好でも本当なので

 夕食後、先にお風呂に入ったきょうちゃんは、私がお風呂から出た頃には居間のど真ん中で転がって寝てた。どうしてこんなところで。そっと傍に寄ってみるけど、起きる気配は無い。無防備だなぁ、襲われるとか考えないのかな。様子を窺いながら右隣に同じように寝そべってみる。あ、涼しい。なるほど、ちょうど風が通る良い場所だったようだ。うつ伏せで肘を付き、少し上体を起こして響ちゃんの寝顔を眺める。かわいいな。うーん、今キスしたら流石に成功すると思うんだけど、駄目だよね。頬くらいなら許されるかな。いや、どうかな。

 頭の中でぐるぐると思考は巡ったけれど、三秒後くらいにはもう自分の髪が響ちゃんに掛からないようにと右肩へまとめて流し、上体を倒して頬にキスを落とした。同時に、響ちゃんの目蓋が持ち上がる。あまり深く眠っていなかったらしい。至近距離で目が合った時、寝込みを襲ったことがバレたという焦りよりも、どんな顔をするのかなって興味の方が勝った。後悔するまではコンマ三秒。響ちゃんは眉を顰め、顔を逸らした。

 ……結構はっきりと嫌な顔されたな。だけど、それにショックを受けるのは身勝手すぎる。寝ているところに無断で手を出しているのは私の方だし、響ちゃんには怒る権利がある。

「ごめん」

 私は素直にそう謝って、傍を離れようとした。すると響ちゃんに左肩のシャツを握られた。顔は逸らされたままだけど、引き留められている、のかな。目を瞬きながら身体の動きを止める。響ちゃんの表情は、顔が真逆に向けられているのでよく見えない。

「……ごめん、ちょっと待って」

「え、なに、どうしたの」

「いや、今のは……流石に……」

 ばつの悪そうな声に、そうか、と思う。今まで嫌な顔を絶対に見せないでくれたのに、寝起きでつい出てしまったこと、気を遣ってくれているんだ。つまり今までも抑えてくれていただけで嫌なのは嫌だったんだなとも思ったけれど、私を心配してくれていることは、素直に嬉しかった。ただ、こんな風に気を遣わせたくて、好きと言ったつもりじゃなかったのに。

「ううん、全然……全然って言うとあれだけど、でも、あんまり気を遣わなくていいよ、響ちゃん。嫌なことは、嫌でいいから」

「……そうじゃなくて」

 ようやく振り返った響ちゃんは、まだ眉を寄せていた。目が合ったのは一瞬だけで、またすぐに視線は私から逃げていく。身体を起こした響ちゃんに応じて私も座ったけれど、引き続き服を握られているので真っ直ぐに座れない。ちょっと響ちゃんの方に上体を傾けるみたいになって、目線が響ちゃんよりも低い。ええと、私はこのままどれくらい待機になるのかな。あんまり長いと背中とか痛くなりそうなんだけど。そう思って見上げれば、横を向いてた響ちゃんが私の方へと向き直って目が合う。そして難しい顔をしたままで彼女は唐突に距離を詰め、私にキスをした。

「へっ?」

 響ちゃんの方からキスしてくれたのは当然初めてで、嬉しくて踊り出しそうなんだけど、いや、でも表情がさ、もうちょっと何とかならないのかな、と思うくらい眉間の皺が深まっている。そんなに嫌だったのかな……それなら無理にしなくても……。何と言っていいか分からなくて呆けていると、口元を一文字に引き締めた響ちゃんが少し唸った。

「あのね、由枝ゆえちゃん」

「はい」

「何て言うか……恥ずかしい、のと、どきどきして、どうしたらいいか分からないだけで、嫌なわけじゃないから」

「え」

 不機嫌な顔をした彼女が何を言ったのか、飲み込むまでに少し時間が掛かった。

「もしかしてそれ、響ちゃん、恥ずかしい顔なの?」

「あー……」

 響ちゃんはそれに対して否定することなく、視線だけを私から逸らす。表情が一層険しくなっているけれど、これが恥ずかしい顔なら、つまりこの表情だって意味は『肯定』だ。そういえば響ちゃんは、私が告白した時も全く同じ顔をしていた。思い出して、私の顔が熱くなる。えー、ちょっと、もう、何それ、もっと早く知りたかった。この人、私が思ってるよりずっとずっと可愛い。

「由枝ちゃんはすぐに距離詰めてくるけど、よく平気だよね……」

 相当照れているらしく、響ちゃんは落ち着かない様子でうなじを擦っている。ああ、これも告白した時にしてた。

「平気っていうか、私もどきどきはするけど、それより触りたい気持ちが勝っちゃうから」

「そう……」

 響ちゃんが口をへの字にしている。私はただその表情の変化をじっと見つめる。恥ずかしい、ってずっと言ってた。それが本当だったら、響ちゃんって最初から、全然、本当に、嫌じゃなかったってことなのかな。座ったままで、響ちゃんの方に少し移動する。低い位置にある響ちゃんの肩は緊張したみたいにちょっと揺れたけど、やっぱり私を押し返したりしない。

「響ちゃん」

「うん」

 多分私が求めてるものはちゃんと分かってくれてる。だけど、響ちゃんは逃げない。視線は逸らしているのに、手はゆっくりと私の背中に回された。嬉しくなって、私も両腕で響ちゃんの身体を抱き締めた。響ちゃんは私を宥めるつもりなのか、それともただ優しくしてくれているのか、のんびりと私の背を撫でている。私の気持ちは昂る一方だ。

「ねえ、こっち向いて」

 腕の中を覗いても、顔はまだ逸らされたまま。表情はよく見えないけど、睫毛が長いなとか、今更思った。でも私の肩に顔を埋められてしまえば、目にも唇にも触れられない。仕方なく私は響ちゃんのこめかみに唇を押し付ける。ちょっとだけ肩を上げた響ちゃんは、一秒くらい固まって、笑った。

「はあ、もう、降参」

 そう言った響ちゃんはようやく顔を上げて、私を見つめてくれた。目尻は下がり、眉間の皺も無くなっている。手の平を頬に添えて顔を寄せても、目を細めて微笑むだけで逃げない。口付けても、二度三度と重ねてもやっぱり逃げなくて、私は彼女を抱く力を強めた。

 深いキスにはもっと怖がるかと思ったけれど、響ちゃんはすんなりと受け入れて、応えてくれた。上せたみたいに、頭の中から思考らしいものは消えていく。ちょっと夢中になりすぎたかもしれない。どれくらい口付けていたのかよく分からない、それくらい長く求めていれば、呼吸の合間に響ちゃんが笑って、はっとした。

「ご、ごめん、がっつき過ぎ……?」

「あー、はは、うん、そうだね」

 そうだねって言われた。しまった、許されたと思ってつい調子に乗った。少し顔を離せば、響ちゃんが再び私の肩に顔を埋めてしまう。ああ、もう終わりか……。長かったとは思うけど、私としてはお預けを食らった分、もうちょっと欲しかった。しかしがっつき過ぎと言われると流石に凹む。しょんぼり項垂れたのが見えたのか、響ちゃんは私の肩でまた笑った。

「ううん、笑ったのは、そうじゃなくて」

「うん?」

 聞き返すけど、響ちゃんは沈黙した。身体はまだぴったり私に引っ付けたままで、ちょっと甘えるみたいに額を肩に擦り付けている。しかも首筋に唇を押し当ててリップ音を聞かせてきた。ちょ、ちょっと、ちょっと待って。心臓が跳ね上がった。一連の流れで疑問を忘れかけていたのだけど、響ちゃんは一つ息を吐いてから、耳元に応える。

「気持ちよくて、癖になりそうだなぁって」

「え~~」

 耳元で話すのも止めてほしいけど内容も勘弁してよと思った。振り返れば、楽しそうに目を細めている響ちゃん。あーもー絶対に揶揄からかってる。一瞬前まで恥ずかしいって逃げてた人が言う台詞じゃないでしょ!

「何でそうやって煽るの!」

「あはは」

 いや全然笑い事じゃないんですけど。もうこのままいっぱいキスして押し倒してしまおうかな。そんな考えが過って腕に力を込めようとしたのに、響ちゃんの手の平が私の腕を辿るみたいに滑ったら、思わず力が抜けてしまった。

「そうだねえ、あんまり煽って最後までされても敵わない」

「え?」

「寝よっか、もう遅いし」

「ま」

 待って、今なんて? 固まった隙に響ちゃんはいつも通りにするりと私の腕から逃れ、躊躇う様子無く背を向けて離れて行った。慌てて追った先、寝室では既に響ちゃんは寝る体勢でベッドにごろんと横たわっている。つい先程の言葉が認識通りなら、この無防備さは、全くそう言う意味ではなく。

「あ、あの響ちゃん」

「んー」

 慌ててベッドに上がって身を寄せるけれど、普段は私の方を向いて寝てくれる響ちゃんが背を向けていて、そして私が寄るのに応じて避けるみたいに身体を丸めたから、ちょっと怖気付く。え、えぇ……このまま寝るつもりなの? 私は丸くなる響ちゃんの隣で、呆然としていた。

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