第7話_どうしても此処に居てほしいから
昼下がり、ふと見ると
理沙に言われたことを、あれからも時々考えてる。そういう意識が彼女に向く時に特に、ああ、と思う。ソファが大きく見えるくらいに小さい身体なのに、これくらい近付かないと小さいって印象を与えない。流石は女神様というか、妙に存在感がある。でも一度雷が鳴ると、今よりも小さくなって、頼りなく、弱くなる。そういうところ全部が、何だろう、何か、いとしい。
「おーーい!!
突然、玄関から大きな声が聞こえた。翼の声だ。私は肩を震わせて飛び上がる。当然、響ちゃんも目を覚ました。しかも響ちゃんはすぐ目の前に私が居たことにも驚いた様子で、目が合うと何度も瞬きを繰り返した。やっぱり今回は本当に寝てたみたい。……なんて場合じゃない、私はここで響ちゃんを眺めていた言い訳が思い付かないので、何も言わずに目を逸らした。
「え、っと……、幼馴染だ。たまに来てくれるんだ、今回は何だろう。出てくるね」
玄関の方に向かって返事をしながら、立ち上がってそちらに向かう。けど居間から出る寸前、あ、と思って彼女を振り返った。響ちゃんはまだ寝転がったまま、振り返った私を不思議そうに見つめている。
「もし起きれたら響ちゃんも来て、紹介するから」
私の言葉に響ちゃんは軽く頷くと、のんびりと身体を起こす。その様子を見守ってから、私は先に玄関へと向かった。
「はーい、どうしたのー」
玄関を出れば、声は翼だけだったけど案の定、理沙も一緒だった。無霊の一人歩きは危ないから、来てくれる時はいつも二人一緒。
「近所のおっちゃんがジャガイモ分けてくれたんだ。お前にもやろうと思ってさ」
「いつもありがとう。……私からは、何もあげられないのに」
「だからアタシらからじゃねーっつの」
役場の近くに住んでいる翼と理沙は、周りにも結構人が住んでいる。個人で小さな畑を持っている人も居るらしく、時々、収穫された野菜を分けてくれていた。足元に置かれた籠は十リットル以下のサイズだったけど、大きめのジャガイモがごろごろ入っている。目だけでは何個と数えられない。二人は本当に、二人の分を貰っているのかと心配になる。一応聞いてみるか、どうせ笑うんだろうけど。そう思うと同時に、後ろで玄関扉がカラカラと引かれた音がした。
「あ、響ちゃん、来てくれたんだね、この二人がね、私の幼馴染。翼と理沙」
響ちゃんは後ろ手に玄関扉を閉じながら、私に小さく頷いて、正面に立つ二人を見つめた。何かを言おうとしたのか唇が動いたんだけど、それを翼が掻き消した。
「えっ!? ちっさ!」
「ちょっと翼!!」
瞬間、ばちんとすごい音がした。振り返ったら翼が顔を押さえていたので、隣の理沙が頬を引っ叩いたんだと分かる。何もそこまでしなくて良くない? すごい音だったよ?
「い、いや、ごめんなさい、ついぽろっと……びっくりして……」
「本当にごめんなさい」
二人が必死に頭を下げるので、私も響ちゃんを振り返る。無表情に近い状態だったけど、少し眉を下げて二人を見ていた。困ってる、かな。
「ごめんね響ちゃん、翼ってこういう奴で……悪い奴じゃないんだけど」
「ううん、別に」
今まで私の方が結構な失礼を働いているのでどの口が言うんだって話なんだけど、響ちゃんは淡々と首を振った。
「だけど映像を見ていると、こんなに小柄な女性だとは思わなかったわ……しかも本当に美人」
理沙も、響ちゃんをまじまじと見ながらそう呟く。やっぱりそんな感想になるよね。一方、響ちゃんは背丈のことを言われるよりずっと、美人って言われたことの方に居心地が悪そうに首を傾けている。前から気になってたけど、もしかして褒められ慣れてないのかな。結局、響ちゃんはその言葉にはそれ以上の反応をしなかった。
「
「あ、えっと
「川崎理沙ですー」
響ちゃんが丁寧に名前を述べるから、二人もきちんと名乗った。ただ、苗字は最近、あんまり必要としない。今の私達は配給制度の為だけに、番号を振られている。正確には地区内の番号であって、日本全土の通し番号ではないのだけど、何にせよ、もう誰も私を「神田」とは呼ばない。皆もそうだと思う。それでも名乗る時、私達はどうしても合わせて告げてしまう。捨てられない文化だ。亡き家族との繋がりだと思えば、尚更。
「……じゃがいも」
私の足元を見て、響ちゃんが呟く。無表情だけど、ああ、もしかして好きなのかな。と何となく思った。
「うん、分けてくれたの。好き?」
「好き」
「あはは、良かった、何がいいかな、後で聞かせてね」
素直に頷きながら、まだ響ちゃんはジャガイモを見ている。これは相当、好物みたい。私が知ってる料理だといいんだけど。もうインターネットでレシピ検索とか出来ないからね。
「何かお返しする? お米とか」
しばらくジャガイモを見つめていた響ちゃんは、顔を上げると私を見つめてそう言った。
「え、でもいいの? 響ちゃんのものなのに」
「でもこれ、私も食べさせてもらうから」
そう言って響ちゃんが足元のジャガイモを指差す。確かに、一緒に食べるものだけど。私はしばらく迷ってから、翼と理沙を見る。二人は私達のやり取りの意味が分からずに首を傾けていた。私は何も無いけど、二人にお返しはしたい。いつも私を気遣ってくれて、もしかしたらジャガイモだって、自分達の分もこっちに分けてくれてるかもしれない、お人好しで、甘やかすのが大好きな、私の幼馴染。私はもう一度響ちゃんを振り返って、「お願いします」と言った。
「でも三十キロのしかない、持って帰れるかな?」
「ああ、どうだろう、二人共、三十キロのお米持って帰れる?」
「いやいや待て、全く話が見えない」
翼の指摘は尤もなので、私は響ちゃんに目配せをした。論より証拠。響ちゃんは一つ頷く。そして次の瞬間、何処からともなく現れた
「うわ……」
「椿の女神……本物だ……」
二人の反応に、響ちゃんが少し顔を逸らした。笑いそうになったんだと思う。私は何とも言えない気持ちになった。だって私、これ見た時全く同じこと言ったんだもん。今めちゃくちゃ恥ずかしい。
響ちゃんと一緒に住むようになって、お互いの配給物資の話をした。私は配給で生活しているわけだから、響ちゃんを養えるほど食べ物が無い。これからは二人分を合わせなきゃと思ったのだ。すると、霊付きは私達とは全く違う配給制度であることを知った。
空が開くと、無霊には避難指示が出るが、霊付きには出動要請が出る。霊付きには一番から十番のグループ分けがされていて、出動はローテーションになっていた。それは放送でも聞くから私達も知っている。けれど『出動要請に応じなければ次回の出動まで配給が停止される』というのは、知らなかった。「そりゃ命張って戦ってくれるわけだよ」と、ちょっと嫌な気持ちになった。脅しみたいなシステムだ。でも戦果を上げるとその分、別途報酬もあるようで、無霊よりずっと多くの物資を与えられているらしい。
なお、椿の女神だけは例外で、彼女はサイレンが鳴れば必ず出動する。なぜなら彼女の不在はイコール人類の敗北になるから。それについては響ちゃんが「自分で言い出したことで、納得してる」と話したから、……気分は良くないけど、文句は言えない。何より、私もその恩恵に
「ってことで、戦果報酬、かなり持て余してるんだってさ」
出動回数が多く、その度に他の霊付きとは桁違いの数を撃破しているのだから、そうなるのは当然だろう。幸い、今出して見せたみたいに、彼女の持つ神霊に物資を収納できるような能力を持つものが居るらしい。そしてその『空間』に入れていると、時間経過が無く、食材も悪くならないのだとか。だけど炊事の出来ない彼女では結局ほとんどが消費できていない。
「報酬はかなり偏りがあって、全ての物資が潤沢なわけじゃないの。しばらく米が多くてね、沢山持ってた。……無霊に行き渡ってないって知らなかったよ。良かったら食べて」
響ちゃんは少し申し訳なさそうにそう言った。別に悪いのは響ちゃんじゃないのに。だけど実際、私達はもう半年くらい、白いお米とは無縁だった。代わりに大麦や小麦、パンやパスタなんかが貰えている。響ちゃんは報酬が多過ぎて最近はほとんど断っているとのことだけど、そこから余ったものも他の霊付きや政府関係者で止まっているのだろう。何はともあれ、目の前にあるお米に、二人は目をキラキラさせていた。
「で、でもマジでいいのか? こんな貴重なもんを」
「いいよ、食べ切れないから。一応生産は進んでるって言ってたから、私からもまた聞いてみるよ」
椿の女神から配給状況を問われるって、政府本部でも怯えそうだし、良い効果がありそう。ちょっと期待してしまう。
ところでさっきから、響ちゃん全然笑ってない。元々ちょっと無表情な人だけど、話に応じて微笑んでくれることは多いのに。疑問に思ったところで、一瞬、響ちゃんの視線が空に向いた。同じく仰ぎ見れば、雲が分厚さを増してる気がする。ああ、そっか、雷の気配に緊張しているんだ。今日は朝から曇りだったけど、いつの間にか、いつ雷が鳴ってもおかしくないくらいの空になっていた。
「ねえ、ちょっと雲行き怪しくない? 二人、急いで帰った方が」
「ああそうだな、急ぐわ」
心配だった三十キロの米袋は、二人がせーので息を合わせて持ち上げ、自転車に乗せていた。ジャガイモもこうして乗せて、二人で押して運んできたそうだ。まあ、二人も元々運動部で、今も肉体労働を続けているんだから、二人一緒なら何とかなるかな。私達に礼を言った二人が門まで自転車を押した辺りで、不意に響ちゃんが小さな声で一言呟く。
「グリフォン」
「えっ、うわ!」
すると目の前に、絵本で見たような『グリフォン』の形をした生き物が現れた。ほとんどが猛禽類みたいで、でも脚や身体の形状は猫に少し似ている。膝くらいまでの高さしかないけど、鳥と思えば怖いくらい大きい。翼と理沙も私の声に反応して振り返って、目を大きく見開いていた。精霊や神霊とは意思疎通が出来るとは聞いていたけれど、こんなにはっきり形になるんだ。
「二人を家まで送ってきて」
「クォ!」
返事をした『グリフォン』が、バサバサと羽を動かすと、翼らの方へと飛び、米袋の上に乗った。二人は驚いた顔をしているだけで自転車をぐら付かせたりはしなかった。重さは無いのだろうか。翼らは、戸惑いつつも私に手を振ると、グリフォンを乗せたままで帰っていく。あれすごく目立つなぁ。誰かに会ったら何て言うんだろう、次会った時に聞こう。
二人の姿が見えなくなる前にさっさと家に入ってしまった響ちゃんは、私が戻った頃にはソファの端で小さくなって座っていた。いつもよりちょっとだけ距離を詰めて、その隣に座る。
「ねえ響ちゃん、私、さっきの大きな羽の音に、聞き覚えがあるんだけど」
初めて会った時、屋根の上にあの音を聞いた。あんなに大きな羽の音、そうそう聞くものじゃない。私の言葉に、響ちゃんはのんびりと私から視線を逸らして天井の端を見ていた。
「もしかして私が声掛けに行った後、いつも送ってくれてた?」
「……二回だけね」
だからそれが『いつも』でしょ。二回しか声掛けに行ってないんだから。こんなに優しい人を、好きにならないわけがない。彼女に惹かれてしまったことに、確かな理由を求めるのはもう止めた。ただ、……伝えるかどうかは、もう少し考えたい。
外が暗くなり始めただけで不安を色濃くしている彼女が、もしも憂いなく縋れる相手になれるなら。こうして家に匿って良かったって、心から思えるから。
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