第6話_後悔はしたくないけれど
自転車に乗って仕事に向かうと、いつもの分岐路に翼と理沙が立っていて、私を見付けて手を振った。別に一緒に行く必要なんか無いのに、週に一度だけ重なっている仕事の日、二人はいつもそこで私を待っている。これももう一年になるから、疑問は無くならないが今更指摘はしない。自転車を下りて、おはようの挨拶をした。
「それで、女神様とは仲良くしてるの? もう一週間になるけど」
「あー……」
「何だよ、もう駄目になったのか?」
「破談みたいな言い方やめてよ」
理沙に言われて改めて、同居してから一週間が経ったんだと実感した。たった一週間だけど、
「一緒に寝てるんだけどさ、ベッド大きいから」
「うんうん」
「まさか、何かされたのか?」
翼が一瞬青ざめて心配そうに私を見つめるから、ちょっと笑った。女性間の好意を知る私達だとそういう発想になるよね、だけど響ちゃんにその考えは皆無。私は首を左右に振る。
「何もされてないよ。むしろ、私が何かしそうでやばいなーって、思ってるところ」
「……お前、疲れてんのか?」
普通に心配された。思った以上に反応が深刻で逆に驚く。普段から精神状態を心配されていたような気になって、この反応について掘り下げるのを止めることにした。私が傷付きそうな予感がする。
「最初は本当に全くそんなつもり無くて、でもいざ一緒に居ると、私ってそういえば女の人が好きなんだったなって思い出してさー」
「いや初耳だわ」
「私も聞いたこと無いんだけど……そうだったの?」
「うん、ごめんね」
どのタイミングでも二人には言いようが無くてずっと言っていなかった。二人がどんな顔をしているのかを見る気にはなれなくて、自転車を押しながら前だけを見て黙々と歩く。だけど二人まで一緒に沈黙してしまったから、反応を待つ方が悪手のような気がした。仕方なく二人の戸惑いには気付かない振りをして、私は喋り続ける。強引に同居を迫ったことに対して、今更になって詐欺まがいのことをしてしまったと思うこととか、意識してしまっていることに対しての罪悪感とか、とりあえず総じて「まずいよね」と思っていることを、ぽつぽつと。黙って聞いていた二人は何とも言えないような唸り声を漏らしている。可哀相。私のせいだけど。でも元より誠実な性格をしている二人は、私のこんな下らない悩みにも、真剣に向き合おうとしてくれていた。
「お前が女神様を『好き』になっちまったんなら、そんなんは仕方ねえだろって思うけどな。不可抗力だろ。だけどもしそういうんじゃなくて、良い女だから身体だけ欲しくなってるっつーなら、滝行でもして来い」
「この世界で滝行してる人とか居なさそう……」
「そういう話?」
翼の言葉と私の反応に、理沙が呆れた様子で笑った。まあ余程の物好きなら居るのかもしれないけどさ。だって響ちゃんに会うまではこの世界で橋の下生活してる人なんて居ないと思ってたし。
滝行という言葉に釣られて思考が明後日に逃げたものの、私は沈黙して考える。女の人が好きだからって、多少見た目が良いくらいでは反応しない。こちとら大学一年目でばかみたいにやんちゃな遊び方して深く反省してる身なんだから。少しの欲で火遊びは、だめ、ぜったい。もう懲り懲り。
ただ響ちゃんは、危なっかしいところがあるから無用に目を向けてしまう。そして一度視界にその姿を入れると、仕草や視線の動きで必ずこちらの意識を奪うのだ。彼女にそのつもりは無いんだろうけど、何て言うか、そういう人。私はいつもそれに抗えずに見つめては、彼女が私の視線に気付いて甘やかすような顔で微笑むまでの間、色んな手を止めてしまっていた。
そんな私にいちいち応じる響ちゃんの、一つ一つ丁寧な優しさ、あからさまじゃないけど確かに含まれているそれらを見付けて、私は言葉にならない思いが身体を巡るのを感じる。ただそれは、一緒に住んでから急に湧いてきたものじゃない。
「……そういう感覚って初めて会った時からだよ、そしたら、私って最初から好きだったことにならない? 自覚してなかったからって結局それが問題でしょ?」
「こいつなんか一人で何か喋ってんだけど、理沙、分かるか」
「何となくね」
「マジか、すげーな」
二人の声をBGMに、私は自転車のハンドルに突っ伏すように体重を掛け、足を止めて項垂れる。その様子に理沙は少し笑い、「つまり
「おい、チャリ、壊れるぞ」
「代わりに翼を壊すわけにもいかないから……」
「八つ当たりをする発想から離れろよ」
顔を上げてまた歩き出すも、結局私はあんまり二人の顔を見ていない。話題が話題で、直視するのは恥ずかしかった。だけど他に話せるような相手が居ないから、つい、いっぱい喋ってしまう。仕事場まであと三分くらい。今すぐ着いてくれたら、丁度よく話が途切れたのだろうに。
「ねえ、由枝」
私が話を切り上げたいと思ったのを察知した上だったのか、理沙が妙に真剣な声で私を呼ぶ。何となく誤魔化すことが出来ないで、再び足を止めて彼女を振り返った。
「好きだったら、伝えるのが一番良いと思うわ」
「……そんなことしたら、出て行っちゃうかもしれないでしょ。もう、外で生活なんて、してほしくないのに」
知ったら、今みたいに私の家で伸び伸び過ごしてくれるわけがない。外の方が気楽だって思っちゃうかもしれない。それだけは嫌だった。私が彼女の傍に居たいって思う以前に、響ちゃんにはもう二度と、一人きりで怖い夜を過ごさせたくない。その為なら、……詐欺かもしれないけど、やっぱり黙ってこのまま居た方が、ずっといい。私の言い分に、理沙は眉を下げて頷いた。だけどそれは、肯定じゃなかった。
「由枝の心配も分かるわ。だからこれは私の勝手な願望。私はね、由枝に、『一人じゃない生き方』を選んでほしかったの」
「それなら、余計じゃない?」
私と響ちゃんの同居生活を『二人で生きる』なんて言い方をするのは大袈裟だけど、このまま一緒に暮らしていくのなら、想いを伝えるのは逆効果としか思えない。そう思うのに、理沙はどうしても納得した顔をしなかった。
「想いを飲み込むのってすごく苦しいことだから。……叶うなら一番いいのにって、思っちゃうのよ」
その苦しみを知っているのは、私の方だ。私にそれを飲み込ませたのは、他でもなく。
……ううん、二人じゃない。悪かったのは二人じゃない。もしも私があの時、正直に打ち明けていたって、きっと二人は聞いてくれた。それでも三人で一緒に居ようって言ったと思う。三人で三人の心を明かし合って、もしかしたら私が苦しくない道を、一緒に探してくれたかもしれない。分かっていた。それでも、臆病風を吹かせて黙って背を向けたのは私だ。向き合うことから逃げて、飲み込んだのは、私が勝手に選んだことだ。
こんな世界でも、もう一度、私は同じ選択をするのかな。
浮かんだこの思いは過去に対する後悔だったのか、それとも未来に対する不安だったのか、臆病な私には分からない。ただ、黙り込んでしまった。
何も言わずに居た翼は、しばらくすると私と理沙の背をそっと押して、「遅刻しちまうぞ」と促した。この後、翼と理沙がこの話を蒸し返すことは無かった。
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