第7話 宿借大御神

「行け! そして逝けッ! 逝ってしまえぇぇぇぇええええっ! ふひひははははははひゃひゃっははははァッ!」


 やどかり爆発、やどかり炎上――

 魔王が決戦の地に選んだ荒野は、その地域の地図の書き直しが必要なレベルで破壊され、赤土の露出した無残な姿を晒す。

 たかがやどかり。

 されどやどかり。

 小さきものの力を侮ったことが、貴様の敗因だ――魔王は空をも焦がさん勢いで立ち上る黒煙を仰ぎ、哄笑した。

 しかし黒煙の狭間に垣間見た異物が、それを遮った。


「……は?」

「気合ぃ……っ、根ッ性ぉぉおおおうッ、DEATHです、にゃぁぁぁあああぁぁぁぁぁぁああああああああああああああッ!」


 ――やばい。

 何かは分からないが、やばい。

 魔王は直感する。

 赤き魔女の追撃からも、度重なる窮地からも、幾度となくその命を救ってきた魔王の生存本能が全力で警鐘を鳴らす。

 

 空を覆う黒煙の先端が僅かに割れる。

 五つに割れる。

 四つの爪で切り裂かれたから、五つに分かれたのだ。

 それは雲が浮かぶくらいの高さの出来事で、即ちそれだけ巨大な猫の爪が、今まさに目の前に振り下ろされようとしているのだ。

 ……、だって?

 ――違う!

 もう既に、明確な意思の下に、その最中だ!

 大き過ぎて、あまりに巨大過ぎて、距離感が狂う。

 逃げ出そうにもそこは射程のど真ん中。今更どこへ走ろうと、絶対に逃れられない。そういう位置。そうなる場所に。


「誘い込まれたのは……吾輩の方だというのか……!!」


 ――誤算。

 魔王の、計算違い。

 それは、勝てると思ってしまったこと。

 人ならざる領域の戦いにおいて、ほんの一瞬とはいえ、目先の実力差だけを見て、己が勝利を確信してしまったこと。

 人間の世界でなら、勝つのは強い方だ。

 強いから勝つ。

 力が。技が。策が。心が。その総力が、勝者たるべき者に勝利の栄光ををつかみ取らせる強さとなるからだ。

 しかし彼らがいるのは、そうでない者の世界。

 強い方が、必ずしも勝利できない世界。

 どんなに弱く、どんなに惨めに打ちのめされようとも。

 どんなに儚く、どんなにみすぼらしく這いつくばって泥を啜ろうとも。


 最後まで生きていた者だけが、勝者と呼ばれる。


 やどりは、この世界に至るまでに、99万7621度の死を経験している。

 あと少しで猫界最強の大先輩に追いつけてしまうくらい、数多の世界を渡り歩いている。

 それは即ち、それだけの回数、敗者であったということを意味している。それでも彼女にとって敗北は決して慣れたものではないし、軽い気持ちで享受できるものでは断じてない。

 99万7621度の命を、やどりは一つとして忘れていない。

 全ての敗北を背負って彼女は今、生きている。

 この99万7622度目の命は――目の前の敵がほんの少しだけ、自分より強いくらいのことで手放せるほど、軽くはないのだ。


「――ぅぅぅぅぅうううにゃぁぁぁああああああああああああああッ!」


 魔爪まそうが迫る。

 命を切り裂かんと、大気が唸りを上げる速度で迫り来る。


「……だ、だ……、……まだ、だぁぁぁぁぁあああああああッ!」


 ――かつて赤き髪の魔女との戦いにおいて危うく死にかけたのは、同じように相手を侮ったからだ。

 油断したから、ああなったのだ。

 それと同じ理由で今回も負ける?

 ――否!

 それを知っているから、今度は違う……!

 まさしく今、目の前の少女が見せつけてきたように――この戦いは先に折れた方が負けるのだ……!

 それが分かっているなら、もう二度と、あんな無様な敗北は起こり得ない。

 だから、覚醒する。

 今こそ魔王は――真なるやどかりを統べし全能の存在へと……至る。


「負けぬ――吾輩は負けぬ……断じて負けぬ、……負けぬが故に、勝つのだッ!! これぞ真理ッ! ……我は今こそ、至ったぞ…………【やどかり】の深淵に、至ったッ!」


 地中から。

 服の中から。

 虚空から。

 わらわらと、わらわらと、ガサガサごそごそと、沸き出るやどかりの群れ。

 際限なく上限なく、無限に無尽蔵に、寄り集まって固まって――群れはそれ自体が一つのやどかりへと変貌していく。

 それは超超超超超ド級やどかり型最終決戦兵器――


 【オメガデラックスYADOKARI:モードファイナルエディション】!!


 まさにやどかりの、やどかりによる、やどかりのための無双の戦神が、ここに爆誕したのである。

 胸部に備わるコックピットに搭乗し、操縦桿を握り込む魔王。いや、もはや彼は魔王などという陳腐な存在ではないかも知れない。

 なぜなら彼は既に至っているからだ。この世の真理に。やどかりという概念の深淵に。或いはその向こう側にさえ――だから今こそ、彼をこう称するべきだろう。


 彼こそが、宿借大御神やどかりしおおみかみ

 この世に顕現せし、新たなる神の側の者――であると!


「いやうるせぇですにゃ地の文がさっきからッッ!! いいからさっさと、ブッ潰れろですにゃぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああッ!」


「――おお、……うおおおおおお、なんということだ……! 躯体損傷率、76%、一撃で!? あああああああまさかッ、こ……これだけ力を束ねてもッ、届かないのかッ……!? ぐぅぅぅぅあぁぁぁぁああああッ駄目だ、おっ押し切られるッ……!」


 ――やどりの攻撃を受け止めた瞬間、コックピット内に衝撃が走る。あらゆるメーターは振り切れ、天板は爆裂して中からよくわからないコード類が散乱し、その先端から漏電して火花が散って、照明は赤く明滅し、アラートが鳴り響く。電気系統は次々ショートして既に操縦桿すらまともに動かない。加えて足元から大量のやどかりが! 行き場をなくしてうごめいている!


「いいや! ぐッ、まだだ、まだいける……! 予備電源に切り替えるんだッ、吾輩はまだやれるッ……耐えるんだオメガデラックスYADOKARI:モードファイナルエディション!! 耐えてくれオメガデラックスYADOKARI:モードファイナルエディション――――――ッ!!」


「おまえもうるせぇぇぇぇええええええッ! これで、終わり、DEATHですッ、にゃあぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!!」


「うううッ、ぐあぁぁああああッ、ぐわああっぁあぁぁぁぁぁあぁああああッ!」


 絶叫。咆哮。ぐにゃりと曲がる、オメガデラッ(略)の機体。曲がってはいけない箇所が、曲がってはいけない感じに変形して、ぎりぎりばりばりと歪で耳障りな金切り音を奏でたと思ったら、直後、それは大きな爆発の音に機体ごと飲み込まれてしまう。


「――……ごふッ…………や、」


 コックピット内が爆炎に飲まれる刹那。機体の変形に潰され、圧死する寸前。魔王は静かに呟いた。


「……やっぱ、やどかりじゃ勝てねぇよ………………」


 よく頑張った方である。

 やどかりで。

 最期に、丁寧な自画自賛をして。

 彼はその魂を、霧散させるのだった……。

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