第6話 やどかりを統べる王

 この魔王の特筆すべき性能は、逃げ足の早さである。

 窮地と見るや生存を最優先し速やかに危機を脱する判断の早さ、その生存本能こそがこの魔王の最大の要点だったのかも知れないとやどりは思い知った。

 ミリエともあろうものが取り逃したのは、舐めプだけが原因だけではなかったのだ。いや実際そこまで考えるべきであった。たとえミリエに油断があったとして、それでも尚、逃走を余儀なくされるほど劣勢に追い込まれるくらいの実力差があったなら、本来ミリエから逃げ切るなど不可能なはずなのだ。


「あああああっ、馬鹿にされる! これで逃げ切られたらミリエに笑われるっ!! もうおうち帰れないッ! おまえッ、ふざけるなですにゃ! 逃げずに戦え卑怯者ーっ!」

「馬鹿を言うなッ、吾輩はこんなところで終わるわけにはいかぬのだ! この世界の全てを支配するために生まれて来た吾輩が、こんなわけの分からない矮小生物を生み出す能力片手にこの辺鄙な異世界で死んで、た、ま、る、かぁぁぁぁぁああッ!」


 やどりが【猫箱】に閉じ込めた【破滅】の魔法は、未だ箱の中で封印状態にある。即ち魔王は【超界者】として最重要素質である【Law】を封印され、世界を統べるどころか、その辺のちょっと強いくらいの魔術師のレベルまでが低下しているはずだった。

 そうならなかったのは、概ねミリエの失敗だ。

 魔王を弱体化させるために、何なら【破滅】の【Law】をそぎ落とすくらいのつもりで、魔王の魂に強引に捻じ込んだ【やどかり】の【Law】。それだけがあまりに強烈に魂に刻まれていたから、今度は逆に、やどりの【猫箱】をもってしても封印し切れなくなっていたのだ。

 【Law】による超越級魔法は、その威力が凄まじいだけでなく、それを所有しているだけで莫大な魔力をも生み出す。魔王はやや弱体化したとはいえ依然、世界を震撼させ得るだけの力を誇り――その常軌を逸したパワーの全てを、やどりから逃げることだけに費やしている。

 逃げる魔王。

 追うやどり。

 眼前に数多のやどかりが立ちふさがる。

 一匹一匹は小さくとも、とにかく数が多い。視界がいちいち塞がれる。鬱陶しいことこの上ない。

 【破滅】を失ったことで逆に余力の全てが【やどかり】に向いたのだ。生成される物量は、尋常ではない。


「あいつっ、世界をやどかりで埋め尽くす気ですにゃ!?」

「それも悪くない! ここで死ぬより百倍マシだ! こうなったら吾輩は、やどかりを司る魔王としてこの世界を蹂躙するッ! そして嘲笑ってやろう、こんな矮小生物に滅ぼされた貴様らを! それもまた愉快なり!!」

「ミリエぇぇぇぇぇっ、おまえなんてことしてくれやがったですにゃぁぁあああ! なんか今、とんでもない魔王が誕生してるですにゃ!! 世界最悪級の魔王ですにゃあああああああっ!」


 数多のやどかりを跳ね除けつつ全力で追い掛ける。

 なんとか追いつけそうだ。距離は確かに縮んでいる。


「……に゛ゃ゛……!?」


 ……その時、服の袖に引っ掛かっていた一匹のやどかりが、突如光を放った。

 その小体からは想像もできない熱量と衝撃が膨れ上がったのはその直後。なのにやどりは、やどかりが爆発したのだということが理解できず、ただダメージを受けるしかない。


「!?!? げほっ、ふぎゃんっ!! にゃっ、ぅぐぇっ……!」


 幸い吹き飛ばされたのが魔王の逃げる方角だったから、距離を離されるということはなかった。むしろ爆風に乗って加速した分、一気に迫ったとも言える。

 魔王の計算外?

 いいや違う。

 魔王はその時、既に逃げるという選択肢を放棄していた。

 やどりは分からない。今、何が起きたのか分からない。

 

 

「はっ、はっ……はっ……」

「ふふふふははははは……息が上がっているぞ小娘。追いかけっこはもう終わりか? いいや、これは逃げていた側の台詞ではないな。まぁそれもまた皮肉めいて実に結構!」

「……!? なに、が…………っ」


 魔王の足元で、仰向けに転がっているやどりの上に、ぼとぼとと数匹のやどかりが降り注ぐ。

 それはそれぞれ服の中に入り込もうとしたり、首にくっついたり、口の中に入ろうとしたりと、せわしなくやどりの身体を這い回る。

 そして――魔王が飛び退いたと同時に、それらは一斉に爆発した。


「ッッッッ…………!!」

「ふはははははッ! 凄いぞ、たぶん大した威力だ! 見かけは凄い! 物理衝撃値、魔法抵抗貫通値、ああ、すごくバランスがいい! うん! こう、尖ってるところはないけど、悪くない――悪くはないぞ!!」


 再び爆風に飲まれ転がされるやどり。

 魔王の言う通り威力はそこそこだ。滅茶苦茶痛いが、死ぬほどではない。地味に痛い。地味に効く。即死はないが、何発も食らっていたら死には至るかも知れないくらいの痛みがある。


「なんでやどかりが爆発するですにゃ……っ、そんな生態やどかりにはないですにゃ……! おまえの魔法こそ間違ってるんじゃないですにゃ?!」

「何を言うかね。やどかりは爆発するとも。知られていないだけだ。それとも貴様の知る生物図鑑に、やどかりは爆発しませんとでも書いてあったかね?」

「……っ、魔言修飾術……、言霊のごり押し……! 面倒なことを……!」

「何をいう。これが魔術対戦の真骨頂だろう。さぁ行け我が悪魔の軍勢よ! 何だか徐々に愛着が湧いて来たわッ、その小さくも悍ましい姿、案外これこそ魔王にふさわしいかも知れんなぁ!」


 無数に生成されるやどかりが、やどりを包囲し、その包囲網を狭めていく。

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