第5話 やどかりvsやどり
「正直、あんなに美味しいやどかり料理を出せるおまえを倒すのは、心苦しいですにゃ」
「はッ。吾輩を倒せる前提でいるのか。片腹痛いぞ小娘。我こそは魔王! 暗黒魔界より生まれ出でし、破滅を司る魔王である! 最近やどかり始めました対戦よろしくお願いしますッ!」
「こちらこそ――対戦よろしくですにゃッ!!」
魔王の周囲に魔法陣が展開される。その数は、今までの五つに、付与されたやどかりの分を足して、六つ。皮肉にもミリエの付与した術式により、魔王は新たな境地を切り開く。
「先手は吾輩が頂く! 喰らうがいい…………これが、無限やどかり地獄の魔法!」
目の前の敵はあの赤い髪の魔女の使いだということは分かっている。一目見て分かったのは髪型が似てるからだ。あんな鶏冠みたいに髪がピコピコ跳ねてるやつを忘れるわけがない。そして同じ特徴を持つこのやどりとかいう女は、間違いなくその系譜!
だから先手は譲らない。前回の対戦においては、魔女に先手を許したのがそもそもの敗因だ。逆なら勝負は分からなかった。いや、むしろ相手の魔法陣を破壊するのは魔王の得意とする戦術。なぜなら彼は、【破滅】を司る。
「見よ……このやどかりの軍勢を! 推定増殖係数は4.8×10の54乗! 貴様の一呼吸ごとに増殖するやどかりは三日もあれば星を潰すぞ! それを一ヶ所に無限発生させることで生まれる超高密度かつ超高質量のやどかり空間は、強力な引力の塊……即ちブラックホールと化して全てを飲み込むのだッ! どう足掻こうと間に合うものか! 処理落ちの闇に消え去るがいい! ふはははははははははッ!!」
既存の五つの魔法陣に、六つ目のやどかりの魔法陣を組み合わせることで発現した必勝のデスコンボ。魔女に対する意趣返しのワンターンキル。この場の勝利は何が何でも持ち帰る。その鋼の意思が、魔法をさらに絶対のものとして強固にする。
魔王の正面に構築された球形空間の中に、やどかりを無限生成する術式が格納されている。阻止するには球形空間を破壊するしかない。しかしその空間の表面に展開されるバリアーのような薄い膜こそ、魔王の持つ【破滅】の力。そこに触れるだけであらゆる術式は破壊され、内部に傷一つを負わせない。
つまり、あらゆる攻撃で、この魔法を止める方法が存在しない。
これが、破滅の魔王……改め、破滅とやどかりの魔王が至った境地……!
彼は、ミリエに押し付けられた強烈な呪詛を、己の力と組み合わせることで逆利用し、克服し、超越し、さらなる凶悪な力を誇る最強の存在へと、その高みへと、上り詰めたのだ……!
どんなピンチにも決して諦めない心が、挫けない気持ちが、負けられない覚悟が、背負う想いが、この最悪の呪詛を、逆に最強の魔法への糧とした。
やどりは感服する。
目の前で、【やどかり】とかいう意味不明な【Law】を魂に刻印されてしまった哀れ極まりない男が、不屈の闘志をもってそこからこれだけ強大な魔術を編み出したことを、素直に賞賛する。
なんと美しいコンボだろうか。
魔女ミリエの使い魔として、彼女の傍で高次元の魔導戦闘を幾度となく見て来たやどりをもってしても、それはあまりにも美しい術式の組み合わせであった。
そもそも魔女ミリエは大味なのだ。彼女の術式は一見すると緻密で精密で細密の三密を満たすが、その実、結構中身が隙だらけでざっくりしていることが多い。彼女に言わせれば敢えて遊びを残しておくことであらゆる場面に柔軟に対応できるという戦術上の心がけらしいが、術式全体の芸術性はお世辞にも高いとは言い難い。
よくも悪くも一撃の破壊力を重視するミリエらしいといえばそうなのだが。
「術式なんて中身よりも結果の方が大事でしょ」――などとは一度も口にしたことはないが、しても不思議ではない性格をしているミリエのことだ。どうせ今回も考え無しで、自分が派遣されたのだろう。やどりはそう思っていた。
目の前の、破滅とやどかりの魔王の、美しい魔法を見るまでは。
「ミリエは……大味に見えるだけで、意図して遊んでいるだけで、本当は結構、ちゃんと考えてるんだなぁ……」
いいや、むしろ当然だ。
ちゃんと考えているからこそ。
分かっているからこそ。
意図して遊びを残しつつ、あれだけの結果を出すことができるのだ。
「ふっははははははッ、いよいよ重力が強まって来たぞ……貴様を飲み込むのも時間の問題だ! せいぜい足掻くがいい! もはや誰にもこの魔法を、止めることはできんぞ――吾輩以外はなぁ!!」
「――すぅ」
球状空間の内部がやどかりで満たされる。満ち満ちと満たされ、それでも尚、満たされ続ける。無限に無尽蔵に際限なく上限なく、空間が真っ黒になっても尚まだ永遠に永久に。それはやがて光をも吸い込んでしまう暗黒となって、対戦相手をすり潰してしまうだろう。この魔法をどうにかして阻止しない限り、それは必ず果たされる。約束された勝利のカウントダウンが進む。
やどりは少し息を吸い、それから魔法陣を一つ、切る。
思えばやどりの周囲には、ただ一つの魔法陣しか展開されていない。
温存しているのか。或いはその程度のレベルの魔術師なのか。判断はつかないから油断はしていない。ただ、純粋に、たった一つの魔法陣で何ができる? とは思っていた。そういう疑問だけは、確かにあった。
その疑問の答えが、示される。
魔王の目の前に突如として出現した、一つの箱によって。
「これは幻想の猫箱。箱の中の真実は、このまま闇に溶けて消える」
「……なんだと。それはどういう意味だ」
「おまえの魔法は箱の中に閉じ込めた。やどりがこの箱を開かない限り、真実は確定しない。観測されない事実は存在できない」
「何を言っている……! わけのわからないことを言うな! 我が魔法はそこにある! 今にその箱を破り貴様を滅ぼす!!」
「おまえの後ろに、月は存在しない」
「――ッ!? ま、まさか……観測理外論……、非実在方程式かっ! ……いやッ、有り得んッ……有り得ないッ、それは既に滅んだ理論だ! 貴様の術式は間違っている! そんな術式、構築できるはずが…………ッ!」
「それでも箱はそこにある」
「なんだ……何なんだその魔法は……! そんなの魔法じゃないッ、魔法は、魔術は、もっと、正しくて、あの魔女の術式は滅茶苦茶でも正しかったッ、なのにおまえは違うッ、おまえのそれは間違っているっ!! 何なんだおまえはッ、おまえはいったい、何処から来たッッ!!」
やどりは答えない。答える義理がない。それを明かして故郷を危険に晒すだけの理由がない。だから言わない。ただし少なくともそこは。
「……おまえみたいなやつとの相性が、最悪な世界――ですにゃ」
箱の影からやどりが飛び出す。その爪は確かに、魔王の首を捉えている。
勝負は、そこで決まるかに見えた。
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