第5話 今昔
魔王は死んだ。それが世界の共通認識だった。
世界を砕いた魔王の手により世界は衰退し、その後何千年にも渡って人類は理知なき魔族と凶悪な魔物に苦しめられてきた。
破壊のための破壊。
女神の加護と精霊達の助力により、裂けた大地の上でも人類は細々と生き延びていたが、次第に知性を獲得し、徒党を組むようになっていた魔族を前に怯え暮らすほかなくなっていた。
しかし、千年前に現れた勇者の手により魔王は討ち果たされたのである。魔王の支配により凶暴化していた魔物は次第に沈静化し、魔族には理性と情が戻った。
これで平和になる。
人々は喜びに湧いたが、それも束の間だった。
勇者は旅の中で得た聖剣の膨大な力を以て新たに国を築き上げたのだ。人々に加護をもたらしていた女神も、僅かに生き残った精霊も、勇者に力を貸していた。勇者は大地を潤す力を全て手中に収めたまま、新たなる国の結界内に籠もったのである。
支えを失い、取り残された国々の荒廃は進んだ。魔王の時代より一層酷くなっていた。
新たな国は周囲の地を飲み込み始める。虚ろな目をした新たなる国の兵達は容赦なく殺戮を繰り返し、民を攫っていった。結界に阻まれた農地は返ってこなかった。
帝国。
それが現在世界を蹂躙する災厄の化身の名であった。
「最初の内は、それぞれの国が兵士やら武士やら騎士やらをかき集めて抵抗したんだけど歯が立たなかったんだと。風の国も水の国も帝国に飲まれてからはもうお手上げ。食いもんが一気に無くなっちまって、残った国はどこもかしこも少人数を送り込むのが精々だ」
「我が一族のように、蹂躙されし憐れな民に力を貸す魔族も少なくはなかったが……元々勇者は魔族や魔王に強いからのう。同胞達もあえなく散っていったというわけじゃ」
一気に語り終えたソウキとクロは、長椅子でくつろぎながら茶を啜った。スイコが淹れたという紅茶の香りが部屋を満たす。重苦しい話のわりに二人の顔に悲壮感はない。
一方のアルーフには落ち着きがなかった。翡翠色の鋭い目は迷子のようにきょろきょろと泳ぎ、耳もバタつかせてわかりやすく動揺が表に出ている。
「女神は、自分の意思で勇者について行ったのか? それとも閉じ込められて酷い目に遭ってるとか……」
「千年も昔のことだし、詳しいことは伝わってないって召喚師も言ってたな」
「そうか、千年……。あれ千年も前だったか? 本当に……?」
アルーフは再び俯いた。大きな球状の座布団に背中をもたれて膝を抱えながらぶつぶつと確認するように呟く不審な行動に、ソウキとクロは顔を見合わせる。
探していた聖剣の在処も女神の居所も案外簡単に当たりがついたが、素直に喜べる状況ではない。国一つ作るのに聖剣の力が使い果たされてしまった可能性も高ければ、女神に愛想を尽かされた可能性も高くなってきたわけだ。ソウキ達の話によれば、そもそも帝国の中に入り込むことすらも難しいだろう。
帝国に入り込む手立てを考える必要があるが、今この世の中では伝手も何も無い。現状頼れるのは目の前いるソウキ達くらいのものだ。
長いこと考えこむ姿勢を取っていたアルーフは前触れも無く顔をぱっと上げた。
「あ。もしかして、さっき話してた帝国に送り込まれる少人数ってやつがソウキ達だったりとか……?」
「フハハハハ! ようやく気付きおったか愚鈍なる者よ!」
「だって、こんな子供の集まりが重大な任務やってるなんて普通思わないだろ。……ああ、でもあのスイコって人はもしかして大人? 一番しっかりしてそうだったし」
アルーフは不機嫌に口を尖らせたが、そんなことはお構いなしにソウキは笑う。
「ぶっぶー。スイコはオレと同じで十六歳。ちなみに一番年上なのは魔族のクロで百歳超えときた」
「う、嘘だ……」
「よく見抜いたな。嘘だ」
「嘘かよ」
息を吐くように嘘を吐くソウキ。何かにつけて芝居がかっているその挙動から本当に嘘を見抜くのはアルーフには至難の業のように思えた。肩透かしを食らったアルーフはそのままの勢いで肩を落とす。
「じゃあまさか、少数精鋭ってのも嘘だったり……」
「いやそれは本当。正確には俺一人だけどな。スイコとクロはなんやかんやあって一緒に行動してるだけでさ」
家を構えているくらいだし、砂の国が用意した人員という事なんだろうか。と、アルーフは考えたが、心でも読んだかのようにソウキはそれを否定した。
「オレは影の国から。影の国以外の召喚者はほとんどが行方不明らしいぜ? 逃げたって説が有力らしいが……たしかにオレも話聞かされて、少数精鋭どころかオレ一人って冗談だろ? って思った時期もありました」
ソウキは大げさに肩をすくめる。街の人々との対話を見るに、普通に話そうと思えば普通に話せるはずだが、重い話になればなるほどふざけた真似をする癖があるようだった。いつ命を落としてもおかしくない道中を一人で征く恐怖心がそうさせたのか、元来そういう性分なのか。
「でもさ、国もやけっぱちで少数精鋭にしたわけじゃなくてさ、オレみたいに別の世界から召喚された奴がすげー強いって知ってたらしくて、ここまで来るの楽勝? みたいな?」
ソウキは深くため息をついて冷めた紅茶を飲み干した。ソウキに振り回されながら話を頭にたたき込むのに必死だったアルーフも、ようやく傍らに用意されていたお茶に口を付ける。味が柔らかいおかげか、握り飯とは違って難なく喉元を過ぎる。
満足げに耳を揺らすアルーフの様子を黙ってうかがっていたソウキは目を輝かせて湯飲みを置いた。
「で、アルーフはどこの国の召喚者なんだ?」
「いや……ん? え、なんで?」
ソウキの話の通りであれば、召喚者と呼ばれる者は一人で相当の戦闘力を持つはずだ。アルーフは呆気なく人狩りに捕まる程度の間抜けさと、簡単に背後を取られる迂闊さしか披露していない。
「おにぎり食っても紅茶飲んでもオーバーリアクションしなかったのアルーフだけなんだよ。その妙に警戒心薄い感じも懐かしいレベルだし、術の使い方もオレと似たような感じだし」
「砂の国だから珍しがってるだけなんじゃ」
「王都でも商人達に出してやったら目の色変えてがぶり寄って来てたぜ? 『こんな高品質の茶葉を一体どこで!?』って。これ姉ちゃんにパシられて買った普通のやつなのに」
王都といえば物流の中心だ。王都で手に入らない物はそうそう無い。ソウキの口ぶりからしても、王都が中心的な役割を果たしている事はアルーフの時代から変わりないはずだ。
「悪い。何で別の世界の人だと思ったのか微妙に腑に落ちないけど、俺は生まれも育ちも
「此方?」
「我らが住まう地を此方、ソウキどもの住む世を
「じゃあやっぱ普通に魔族なのか……?」
種族としては大耳なはずなのだが、たしかに魔王は魔族や魔物の王という意味だし、魔族という分類で構わないかとアルーフは妥協した。
その脇でソウキはいまだに納得いかないように首を捻っている。
「でも召喚者じゃないなら、なんであんな妙なとこに? 馬車ん中じゃ探し物があるっつってたけど」
「聖剣を探してるんだ。勇者が持っているはずの聖剣を。魔王を殺す、黎明の剣」
「……聖剣を真っ先に手に入れた国が栄える。──からってわけじゃなさそうだな」
一瞬ソウキの目が剣呑な光を宿したが、アルーフのこれまでの様子を鑑みて殺気を抑えた。続きを促すソウキの瞳は珍しく真剣だ。
「力を蓄えた聖剣で魔王が滅されれば大地に活力が戻るはずなんだ。なのにまだこんな状況ってことは、正しい手順で聖剣が使われてないわけで」
「その正しい手順ってやつをアルーフは知ってるわけか。で、その聖剣は勇者が持ち逃げして帝国の中にあると」
頷くアルーフをしばらく見据えてソウキは黙り込んだ。顎に手を当て、一往復、二往復。そして膝を叩いた。
「よし! そんじゃアルーフも一緒に来るか!」
「俺としては嬉しいけど、本当にいいの?」
「魔族の力は借りられるだけ借りときたいしな。結界を壊せる魔剣造るのにも必要だしさ」
「うむ。下級氏族と一緒くたにされるのは不愉快であるが、これで手は足りるのう。……じゃが問題は魔剣本体か。作戦が上手くいっても鉱石が手に入るかはわからぬしの」
難しい顔をしたクロは腕を組むなり黙り込んでしまった。
「広場で言ってた作戦って、その鉱石のために?」
「直接関係あるわけじゃねえんだけど、無関係でもねえな」
「高度な術を刻める程に魔素純度の高い鉱石がこの砂の国で採れるらしくての。帝国の複雑な結界を破るにはそれが必要なんじゃが……」
「ここの貴族連中──簡単に言えば金持ち連中がな、自分の財産確保すんのに忙しくて帝国に攻め入りたがらないんだよ。たまに国近くに来た帝国兵を追っ払うだけで
満足なんだとさ」
「勝手に採掘しようにも人手が足りぬし、その人手も財をむしられて弱り切っておる」
「それであんな事を」
理性的に行動できるような余裕ももう残っていないということだろう。血の乾ききっていない首元に手を添え、納得したくもない理由にアルーフは納得した。いまごろ彼はどうしているのか。
「だからまずは悪徳領主と貴族共の成敗を……って思ったんだが何の策も無しに突っ込んで行ったところで無駄死にするだけだ。貴族街には訓練された衛士共がわんさかいる。領主をぶっ殺せば終わりってんならオレがパッと行ってサクッとやって終われるんだけど、そうはいかないからさ」
「発想が物騒……」
「
人狩り。まさにアルーフも被害に遭ったあれだ。いわゆるならず者達の仕業かと思い込んでいたが、どうにも雲行きが怪しい。
ソウキは内緒話でもするように口に手を添えて続けた。
「貴族街で情報集めてるときに聞いたんだけどさ、領主が鉄の国からなんかデカい魔動機械を買ったって噂があって、どうもそれが特殊な魔素使うらしいんだよ。それ動かすために魔力炉も買ったらしい」
「魔力炉を使えば魔素を大量に確保できるからのう。魔鉱石をくべるのが主流じゃが……最近では人をくべれば特殊な魔素が得られるという話もまことしやかに語られておる」
「特殊な魔素……もしかして魔素の暴走とも関係があったり?」
「関係なくはないかもな。だとしたら、領主の罪は更に重くなるってわけだ」
暗澹たる思いを抱える三人の心中をよそに、窓の外ではまっさらな光が闇に代わって砂色の街を照らし始めていた。
***
薄明の中、国一番の屋敷の一室に人影があった。
風がよく通るようにと設計された衣服には金糸の豪奢な刺繍が施され、庶民には到底手の届かない品であることが一目でわかる。それを身に纏う壮年の男は豪奢な衣装に着られることもなく、背筋を堂々と伸ばし、目の前で平伏する小太りの男を睥睨した。
その視線に耐えきれず、意匠の異なる簡素な衣服に身を包んだ小太りの男からは大量の汗が噴き出し、足元の絨毯を汚す。
「も、も、申し訳ございません領主様! どうやら運び屋が賊に襲撃されたらしく、燃料の手配に手間取っておりまする。どうか今しばらくお時間を戴きた──っ!」
早口でまくし立てる男を、領主は落ち窪んだ鋭い瞳で一睨みして黙らせた。
「貴様、あれほどの金を積ませておいてまだ稼働できぬと言うのか」
「ひぃい! お許しを!」
領主の地を這う低い声とは対照的に、小太りの男からは叩かれた家畜のような声が上がった。芸も無くひたすら地に額をこすりつける男を一瞥し領主は背を向け、大きく貼りだした窓外に視線を移した。
「アレには私の全てがかかっている。次にしくじったならば貴様の首が飛ぶと思え」
見計らったように射した陽光が、領主の腰に提げられた剣の柄を照らす。それと同時に小太りの男は転がりながら部屋を後にした。
男の騒がしさと入れ替わるようにして眼下の門前が騒がしくなる。皆似たような形の衣を纏っていた。色鮮やかな人の群れ。毎朝の光景だ。
領主の輩下の者達以外にも、陳情に来たのであろう見知らぬ顔もいくつか見て取れた。鮮やかな波の中では色褪せた襤褸切れはよく目立つ。
「無駄な事を……」
領主は眉間に皺を寄せ、音が鳴るほどに拳を握りしめた。
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