第4話 花の咲く

「開門! 開門ーっ!」

 男の太い声と共に巨大な扉が重々しい音を立てて口を開ける。

 石を積み上げて作られた堅牢そうな壁だ。広がる荒野と同じ色をした壁はアルーフの故郷にあった獣避けの門とは異なり、飾り気もなく高くそびえ、無機物らしい威圧感を醸し出している。

 門の上には声を上げた男以外にも幾人かの姿が見えるが、衛士のように制服を着ているわけでもなく統率にばらつきが見えた。


「ここの門、オレと職人街のみんなで作ったんだ。魔物とか帝国兵に困ってたからさ」

「それで普通のおじさん達が門の開閉してるのか」


 門が完全に開くのを待っていた馬車が動き出すと同時に、ソウキは胸を張りながら言う。

 テイコクヘイという単語にも聞き覚えはなかったが、魔物と同列に並べられるということは敵対勢力であるはずだ。わからない単語を一から十まで聞いていてはキリが無い。図書館あたりで歴史書かなにかを読んだほうが手っ取り早いだろう。と、アルーフは半ば諦めの心地だった。

 時代に取り残され過ぎて、どこか知らない世界に迷い込んでしまったような心細さにため息をついていると、にわかに辺りが騒がしくなってきた。


「ソウキ! よかった、帰ってきたんだな!」

「俺たちゃもう限界だ! 新月の日なんか待ってらんねえ!」

「ソウキがいるんなら、アタシらが負けっこないさ!」


 崩れた彫像を中心に広がる広場に人々がひしめいている。お祭り騒ぎではあるが、皆武器を手にしていた。ある者は剣を。ある者は斧を。ある者は鍬を。子供ですら棒きれを手にして振り上げている。丸耳ブレウェ大耳マグナウリスも関係なくだ。


「おいおいおい、どうした!? まだ作戦の日じゃないだろ」


 馬車が止まっていないにも関わらずソウキは荷台から飛び降り、大衆に駆け寄る。数拍遅れて停止する馬車。スイコもクロもソウキに倣って走り去って行ってしまった。馬は繋がれもせずにほったらかしである。このままにしておいたら物音に驚いて暴走する可能性があった。

 せめて御者台に誰かいた方がいいだろう。と、アルーフが身を乗り出した瞬間、外套を力任せに引っ張る者がいた。想定外の事態にアルーフはバランスを崩す。そのままの勢いで荷台から転がり落ち、石畳の地面に叩き付けられた。視界に星が飛ぶ。


「痛っ~~~~!」


 強かにぶつけた頭を抱え涙目で悶絶するアルーフ。鼻の奥で軋むような痛みに目眩すらしていた。だが地面にうずくまっていられたのも束の間で、首根っこを掴まれ、強制的に身体が縦になる。


「なあソウキ、手始めにこいつからってことで良いんだよなあ」


 視線だけで確認したアルーフの背後には縦にも横にも大柄な男が立っていた。比較的長身のアルーフと比べても更にデカい。一見すると、広間で声を張り上げている大衆と比べて冷静なようにも見えたが、いまひとつ焦点の合っていない目は飛び出さんばかりに開かれ血走っている。

 アルーフは振り向くことができない。首元に当てられた冷たい刃物は既に薄皮を裂いていた。刃はよく研がれていたのだろう。瑠璃紺の襟元は滲む血でじわじわと黒く変色していく。

 ここへは死にに来たようなものだが、何の変哲もないナイフで死んだ場合にどうなるかはアルーフにも予想がつかなかった。

 ただ無駄死にするだけなら良い方だ。最悪、再び竜の侵攻を招く事になる。そうなった時に再び耐えられるだけの体力はどの地にも残されていなかった。


──死ぬ必要があるが、死ぬわけにはいかない。


 自分自身の命も重いという実感がアルーフの中で急速に押し寄せる。この身体を生かす必要があると、爪の先まで一気に血も魔素も■■■もが巡るような心地がしていた。

 男が腕を引いただけで終わる。誰の目から見ても明らかだ。


「待てって! そいつはえー……あの、あれだ! 情報屋だ! そいつがいないと領主の屋敷の間取りがわからねえってか、色々と困るんだよ」


 助け船を出したのはソウキだった。口八丁手八丁で男の気を逸らそうとするが、切っ先は肌から離れない。


「娘はもう死んだ。薬があれば治るはずだったのに、あいつら薬は無いなんて言いやがった……金持ち連中には売ってるはずなのに! あるはずなのに、あいつら!」


 激情のままに男は腕を引いた。遠目からでも赤が散るのが見え、誰からともなく悲鳴が上がる。男は既に会話が成り立つ状態ではなかった。

 革命の狼煙が上がる。もう後戻りはできないと群衆は覚悟した。だが地に落ちたのはアルーフの身体ではなく、ナイフの方だった。一瞬だけ訪れた静寂の中に金属音がやけに遠くまで響く。


「は、な……?」


 花。男の手があったはずの場所には花が咲いていた。

 紅玉の色をした波打つ花弁が、真上に昇っていた陽の光を浴びて輝く。人の顔よりも大きな、この世ならざる大輪の美しさは人々の目を奪った。馬の足元まで滑っていったナイフの周りもその花弁で彩られている。


「うああ゛あ゛っ!」


 花を目の当たりにした男と、アルーフの呻きが重なる。舞った赤が血潮ではなかったことに人々は安堵の息を漏らしかけたが、なにか異様な雰囲気が漂っていることに気付いた。

 男の手元に花が咲いたのではなく、男の手が花と化している。ようやく事態を理解した人垣にどよめきの波が発生し、端まで伝播していく。

 生命の変容は竜の力の十八番だ。勿論、その力が完全なものであれば男に理性や意思など残っていようがない上、全身が壁を越えるような丈の巨大花に変貌していたとしても何ら不思議ではない。男の身に起きた不幸は、異変がごく小規模に収まっていることを示していた。

 ごほっ。と、湿った咳がアルーフの喉から鳴った。

 うずくまるように座り込んだアルーフの足元には花弁ではない赤が落ちる。咳き込む度、石畳には血痕の新たな模様が滲んでいく。

 魔素の硬化も花への変容もアルーフの意識を介さずに起きていた。血が固まって瘡蓋が出来るような、術とも呼べない粗雑な現象だ。故に元々制御が効いていないも同然。連鎖的に術には不要な体内の魔素までも活性化してしまっていた。

 それだけならまだしも間の悪いことに、先の荒野で精霊術を使った際、無意識のうちに大量の魔素を身体に取り込んだ状態での出来事だった。しかも竜の力のおまけ付きでだ。暴走状態に陥った魔素が自身の体組織を滅茶苦茶に破壊して回っていた。

 肉が折れて骨が裂ける。眼球の奥で血の味がして舌先が真っ暗。

 身体が内側から爛れる感覚に耐えきれず、アルーフは石畳を何度も掻く。手袋の中で爪が割れたが、胸の内で渦巻く不快感に比べれば幾らかマシだった。

 崩壊と同時に治癒も進むが、削られていく体力に目も開けていられなくなるアルーフ。呼びかけられていることも、何処かへ引き摺られていっていることもわかっていたが、アルーフにはそれに応えるすべが残されていなかった。



 ***


 アルーフが運び込まれたのは日干し煉瓦が積まれた家屋の一室だった。二階建ての屋敷は職人街の元締めの邸宅であったが、独り身の家主が流行病で死んでからは懇意にしていたスイコやソウキに譲り渡されていた。

 三人で使うには広すぎる屋敷内は人買いから奪い返した大耳たちで埋まり、以前の賑わいを取り戻していた。賑わいの中、アルーフのいる一室のみが静まりかえっている。


「あ、起きた」


 痛みの波が引いて、ようやくアルーフが目を開けられたのはすっかり日が暮れてからだった。ぼやけるアルーフの視界には小柄な黒い影が映る。御者台に座っていたクロと呼ばれていた子供だ。全身を黒いローブで覆い、フードも目深にしており表情はうかがえない。


「ククク……。しかし、まさか斯様な所で我が同胞と顔を合わせることになろうとはの」


 もったいつけて脱ぎ去られたフード。その下から顔を覗かせたのは予想に違わぬ子供の顔だった。一見すると尖耳のようにも見えるが、頭上にはくるりと巻いた羊のような黒色の角が生えている。


「同胞?」


 角の生えた種族というものをアルーフは見たことがなく、同胞というクロの物言いがピンとこない。厚手の絨毯の上に寝かせられた格好のまま疑問を口にしたアルーフの声は蚊の鳴くような小ささだった。それでもクロの耳には届いていた。

 名推理を披露する探偵のしたり顔を真似しながら、クロはうずくまるアルーフのすぐ側に屈む。尊大な態度を崩さぬよう努めているようだが、顔を覗き込むクロの水宝石アクアマリンの瞳は期待感に輝いている。


「貴様、魔族であろう? 尋常ならざる瞳の色彩をしておる故に我は始めから見抜いておったがの! 先の騒動にて誇示せしあの魔力……我ら魔族に伝わりし原初の力に相違あるまい。貴様どこの氏族の者じゃ」

「……魔王だって言ったら信じる?」

「ふははは! 見栄を張るにも、もう少しマシな嘘があろうな!」


 クロはおもむろに立ち上がると、纏っていたローブを両手でバサリと広げふんぞり返る。


「名乗る氏族を持たぬ下賤の民よ頭を垂れよ!……既に垂れとるか。まあよい。我こそは由緒正しきマステロル族が長子クロウチルヴァリ・クロースティル・ルバトゥス・ロスカスタニエなるぞ! ククク、あまりの高貴さに声も出──ぬわっ!?」


 頭上から降り注ぐ手刀。クロは頭の頂上を押さえて座り込んで、振り下ろされた手の主をぐわっと睨む。


「アルーフ起きたら知らせろって言ったろうがアホ! なに一人で大騒ぎしてんだよ」

「ソウキ貴様何をする! こやつが魔王を名乗る愚か者故に、この我が世の理を教え込んでやろうとだな……!」

「ははっ、魔王ってアレだろ? 千年前に勇者に倒されたっていう魔族の親玉」


 半笑いで放たれたソウキの聞き捨てならない言葉にアルーフの耳がピンと立ち上がる。骨の髄が痛むのも構わずに身を起こして目を張った。


「魔王が倒されたって? なんだってそんな嘘が──っぐぇ」


 声を張り上げようとした瞬間、損傷した内臓に負荷がかかり、アルーフは再びうずくまる。魔素の暴走自体は治まっていたが、滅茶苦茶に繋ぎ合わさってしまった肉片や神経が悪さをしていた。額に脂汗が滲む。


「あーあーあー、無茶すんなって。最近多いんだよな……ここの爺さんもそれで死んじまったしさ」

「魔素の暴走ゆえに治癒術を使うわけにもいかんしの。大人しく丸まっとる以外にやることは無いのう」

「しっかし……あの術はなんだ? 人を花に変える魔術も式術も聞いたことねえよ」


 首を静かに振るアルーフ。


「……術になってない。あんな風にしようとは思ってなくて……」


 アルーフはぼそぼそと呟くと見る見る間に耳も伏せてしょぼくれていった。見込みが甘かった。そうとしか言えない。

 死なないように、自分も相手もとにかく死なないようにとしか考えられなくなった結果だった。やっぱり衝動的に行動を起こさず領域で待っているべきだったのでは。と、思考が坂を転がり落ちていく。


「アルーフ的には過剰防衛ってことか」


 ソウキは顎に手を当ててしばし考え込む。自分の身を守るのは当然のことだし、魔素の暴走なんてものも見るのは珍しくなかった。増幅器に頼った術師が実験中に辺り一帯を自分ごと吹き飛ばすなんて事故もつい先月あったくらいだ。


「だとしたら、おっさん死なずに済んでラッキーだったんじゃね?」

「は?」


 あっけらかんと言い放つソウキ。アルーフは事の重さに釣り合わない──と、本人としては思える──ことに、随分と軽い物言いをするソウキにぎょっとした。この距離にいるということは、下手すればソウキやクロも巻き込まれる可能性がゼロではないというのに。


「だってあの状況で、アルーフが一流の暗殺者だったりしたら、今頃おっさんの首なんて落とされてるだろ? だったら、制御の効いてない術食らっても手が花になる程度で済んで運が良かったとしか言えなくねえか」

「え、いや、でも、この力が危ないからって、俺はずっと閉じこもってたわけで」

「ああ、それでか。俺と同じ召喚者にしても、なーんか色々知らなすぎると思ったんだよな~」


 ショーカンシャ。ドレイ。テイコクヘイ。

 聞き慣れない単語の連続にアルーフの頭はパンク寸前だった。もはや少しパンクしていた。恥も外聞も無く「おぎゃー」と泣き叫びたいところだがなんとか堪える。さすがにそんな自分を想像したらあまりにも厳しい。

 その代わりにアルーフは口の片端を引きつらせる。諸手を挙げて降参のポーズだ。


「オレ、マオウ。ナニモワカラナイ」

「マジで誰から何の説明もされてないのか」


 片眉を上げたソウキの言葉にアルーフは無言で頷いた。女神に聞かされていた外の状況も、聖剣なり勇者なりの動きが中心で、都じゃなくて国になったとか、巷では何が流行っているだとかは、いつの時点からわからなくなっているのかがわからない。

 途端に真っ黒な瞳は憐れんだような目つきに変わる。


「みんなの前でああ言っちまったし、アルーフにも作戦手伝ってもらおうかと思ってたんだが、こりゃ一から全部説明しねえと話にならなそうだな」


 ソウキは面倒くさそうに後ろ頭を掻いた。

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