2.緑色の石

 -定子さだことやちよの交換ノートから-


 1985年2月16日


 チヨ、昨日の素晴らしい気分に浸ってる時に、なんで史人ふみと君のことなんか出してくるのよ! と本当は怒るところだけど、今日は勘弁してあげる。だって、あの人が記憶が戻るまで家にいてくれることが決まったんですもの。

 それで仮の名前をつけようって私が提案したの。名字はお店の『リッチ』からとって「富田とみた」。名前は両親が男の子が生まれたらつけようと思っていた「直利なおとし」。 直利さんも気に入ってくれたみたい。

 どう、私ってさえてるでしょ?


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 17日。日曜日なので、やちよはクラスメートでボーイフレンドの田城力たしろちからと『リッチ』に来ていた。やちよより小柄だが運動神経は抜群で、1年生ながらサッカー部のレギュラーメンバーになっている。

「ダッコ、あなたはそれで嬉しいかもしれないけど、あの人にとってはどうだか考えたことあるの?」

「あの人じゃなくて、直利さんよ」

定子も負けじと突っかかる。

「とにかく、その直利さんの気持ち、考えたことある?」

 その時、テーブルにコーヒーカップが差し出された。その手を見た定子は思わず目を上げた。エプロンを着けた直利が運んできたのだ。ぎこちなく説明する。

「ブレンドコーヒーを3つ、お持ちしました」

「直利さん、何もそこまでしなくても……」

定子の言葉に直利は答えた。

「いいえ、僕の方から頼んだんです。お世話になっているのに、何もしないわけにもいけませんし」

「直利さん、今日はスーツじゃないのね」

やちよの指摘に答えたのはカウンターでコーヒーを淹れていた定子の父、関本直定せきもとなおさだだった。

「私の服を着てもらってるよ」

そこに定子の母、利子としこが顔を出した。サンドウィッチとコーヒーを持っている。

「ちょうどいいから、直利さんもお昼にしましょう」


 利子がサービスするというので、皆はサンドウィッチを食べながらテーブルを囲んでいた。

「そういえば、警察からはなにも連絡は来てないの?」

 定子の問いに利子が答えた。

「今のところ、直利さんらしい捜索願は出てないそうよ。全国の警察へ照会してみるって」

「持ち物とか、着てた服には手がかりはなかったんですか」

 やちよが利子に尋ねる。

「パパの服に着替えたときに調べたんだけど、タグとかはなくて、素材も化繊っぽいけど分からなかったわ。パパが言うには、スーツは昔のアイビースタイルだって」

「そういえば、パパもお店はじめる前はサラリーマンだったのよね」

定子が言うとおり、直定が脱サラして喫茶店を開いたのが5年前だ。

「あと、僕のスーツのポケットにこれが入っていたんです」

 直利はエプロンのポケットから親指大の緑色の石をとりだした。うっすらと曇っている。

「なんか、ガラス石みたいだな」

今まで黙っていた力が口を開いた。

「ガラス石?」

直利は石を見つめる。

「河原で見つけたことがある。ガラスの欠片が川の流れで磨かれてできるんだ」

「つまり、僕が河原で拾ったということですか」

「石だけじゃどこのものか分からないわね」

定子はため息をついた。


 食事が済むと、直利と利子はカウンターに戻っていった。やちよが定子に向き直る。

「さっきの続きなんだけど」

「もう、チヨはしつこいんだから」

 定子の視線はカウンターの直利に向けられている。直定に皿洗いを教わっているようだ。

「もし、直利さんの記憶がずっと戻らなかったらどうする気?」

「そしたら私、直利さんと一緒になってもいいかな」

「それこそ独りよがりじゃない」

やちよの指摘はもっともだ。定子は言葉に詰まる。

「そ、そんなつもりじゃ……」

「直利さんにだって家族や、家や、仕事があるはずよ。ダッコはそれを取り上げる気?」

「その時が来たら、あの人が決めるだろうさ」

 力は人ごとのようにつぶやいた。定子は話題を変える。

「そういえば、田城君のバースデーって3月だっけ。パーティとかするの?」

今度は力の表情が固まった。

「家は昔から、誕生会はしてないんだ」

やちよが慌てて言葉を継ぐ。

「だから『リッチ』で予約してクレープでも食べようかな、と思ったの」

「そういうことなら、予約入れとくわ」

定子はほっとした。


-定子とやちよの交換ノートから-


 昼間はごめん。ダッコは引っ越してきたから知らなかったと思うけど、力君の誕生日にお兄さんが亡くなったの。私も両親に聞いただけだけど、流川の河原にお兄さんのおもちゃがあったので、川で溺れたんじゃないかって大捜索したけど、結局見つからなかったんだって。お兄さんは誘拐されたとか、UFOにさらわれたとか、週刊誌で変な噂を立てられて大変だったみたい。

 この話は力君には内緒よ。


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