第18話 二十七億の涙

 シスター・支倉は、大聖堂で待っているファラグリフォンを呼びに行き、教会の奥の小会議室に案内した。


「洗礼儀式は?」


 ファラグリフォンは奥にいる天使に訊いた。


「終わった。というよりも、必要性は薄かったのだ。ここにいる公孝もまた、天界側のエージェント。天使の軍勢の敵が作ったリンボと呼ばれる巨大な仮想空間の内部に入り、直接目標を処理する荒事専門の魔導士だ。真名はルシファー・ダイン」


「改めてよろしく。ルシファー・ダインだ。今回のケースのどこまで話す? ラファエル」


「それ以上はわたしから話します」


 その声と共に、美しい女性の天使がまばゆい光とともに現れ、円卓の空いている席に座った。


「わたしはガブリエル。本来、ルシファーをここに送り込んだ任務は、伊達成美という少女の霊魂の保護と彼女の天国側への拉致が目的でした」


「拉致? どういうことですか?」


「ここリンボは、辺境獄と呼ばれる仮想の地獄。実在の三次元に似せて作ったフェイゲンバウム・ハハルビコフ皇子の作った仮想の現実世界。それはわかりますね?」


「ええ」


「ここリンボは、現実の三次元界に投入する予定の地獄の王侯の実践演習の施設だと考えて問題ありません。しかし、ここにいる多くの人間は、そのほとんどが魂のないさまよえる霊。彼らには魂がありませんから、本当の意味で感情を発露したり、感動したりすることはありません」


「それはわたしと娘のエナもですか?」


「いいえ。あなたがここにいるのは、地獄帝国皇帝によって地獄に捕らわれたあるお方の救出のためです。それがあなたの娘、エナ・ファラグリフォン」


「娘が?」


「その通り。そしてルシファーの任務は地獄の副王、ベルゼブブの娘、ベルナ救出と、彼女に顕現している聖霊物、通称宝冠の回収です。しかし、リュミエール・バルビエというイレギュラーによって、それを平和裏にこちらが確保することは難しくなりました」


「リュミエール・バルビエもまた地獄の霊なのですか?」


「ええ。彼女はサタンの娘。ベルゼブブは、天国にも地獄にも属さなくなった地獄王サタンの派閥の生き残りの多くを、ここリンボに放逐したのが二千年前。それを保護し、天国側に引き渡すための霊的な亡命儀式が、あのイエス磔刑だったのです。ですが、リュミエールはこちら側に来ることを拒み、ここに留まりました。理由は彼女の夫、ルシフェルの皇太子ルシェールの霊魂の失踪です」


 公孝も眉をひそめて言う


「失踪? それは初耳だ」


「私もです」


 ラファエルもまた、そのことを知らないようだった。


「失踪したサタンが、どこに帰属しているのかの調査は、ここに亡命したメタトロンの役目ですが、メタトロンはなぜかサタンの調査をやめ、機械天使であることもやめてここに留まりました」


「つまり、天国側でも、地獄側でもない第三勢力がいる、と?」


「その調査はわたしが引き継いでいます。今回の任務は、二人で共同してここの地獄の霊を駆逐し、伊達成美を暗殺することに変更します。いいですね? ルシファー」


「暗殺というのが飲み込めん。なぜだ? なぜわざわざ産まれる二十年前に送り込んだ。最初の任務は成美の夢を叶え、彼女の魂を救済することだ」


 怪訝そうな表情の公孝にガブリエルは淡々と言った。


「最重要なのは宝冠の行方。リュミエールが成美の未来に接触するなら、彼女の宝冠もまた、リュミエールの原罪宝冠の影響で汚染され、憎悪の原罪宝冠になっていると考えるべきです。そして、他人に譲渡できない天意宝冠と違い、原罪宝冠はより強い罪を負う霊ならば奪取できる。あとはわかりますね?」


「ああ、ベルゼブブ、ないしはフェイゲンバウムがそれの奪取を狙っている、と」


「はい。ここでやっかいになってくるのは、リュミエールの時間遡航ですが、彼女の時間遡航は、独自に顕現されたものなので、世界戦のズレがおおく、安定しないので、いずれは彼女はその力だけでは成美を保護できないということもわかるでしょう」


 この言葉を公孝は聞き逃さなかった。


「成美をリュミエールが保護しているなら、協力を得られないか?」


 ガブリエルはあっさりとそれを否定する。


「無理でしょうね。リュミエールがなんど時間遡航しているか教えましょう。二十七億八千万回です。彼女の魂はもう限界なのです。なぜそれほど成美に固執しているのかはわたしも知りません。基本的に彼女の排除を優先してください」


 ルシファーはその狂気じみたリュミエールの決意に、おぞましい怨念を垣間見た。

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