副六話 ハカム
俺の部屋はギルドハウス中央の螺旋階段を登って左側の手前から二つ目、ハカムの部屋は登って右側の一つ目にある。
補足すると右側の部屋は手前から順にハカム、鍾馗、ヨシ。左側は手前から順にフルタンドス、僕、空き部屋である。
フルタンドスは、部屋には住んでいるらしいが顔を見たことはない。食事時に聞いた話によると、背が高く筋骨隆々の白人の男で、体に無数の魔法陣を焼き付けて、身体強化の魔法の研究をしているらしい。
ハカムは森で何度か会ったことがあるそうで、印象を聞くと、猟奇的な男だと言っていた。
さて、ハカムの部屋に向かう。
ノックをするとどうぞと返答がきたので入り、ハカムは予想通り机に向かって色々書いているので、少し話をしてもいいかと切り出す。
「どうした?悩みか?」
いいえと首を横に振る。
「研究テーマが決まって、その研究のきっかけを掴むために森に行きたい。」
と、そして相槌を受けつつ、経緯や計画を説明する。
話し終えると、ハカムは理解したようではあるが少し困ったように言う。
「それは少し難しいな。」
「どうして?」
「実は、そんなに厳しいものじゃないが、暗黙の了解というか、ギルド内でのマナーみたいなものがあってだな。」
と言う。
続きを聞くと、
「俺らは互いの研究をあまり知りすぎないようにするんだ。」
とのことで、さっきのフルタンドスのこともそうだが、互いが互いの倫理観に合わないような研究をしている可能性があり、それを知ってしまってギルドの空気が悪くなると嫌だということで、何も言わないままで全員が守っているマナーらしい。
確かに言われてみるとそうだ。例えばギリシャあたりのある神―――俺の信仰からはやや認めづらい、唯一神ではない神―――は月桂樹を愛するということで、月桂樹はギリシャでは神聖な木として、意味もなく傷をつけたり乱暴に扱うことが嫌がられるらしいが、ハカムは研究のために月桂樹に穴をあけることがあるかもしれない。
そうなれば、俺がギリシャの人間であれば、ハカムと険悪な仲になるかもしれない。
しかし、互いの研究に深入りせず、例えば一緒に森に行くことがなければ、そういうことは起こらないということになるのだろう。
これは仕方がない。俺だってどこに琴線があるのか分からないんだ。
森には一人で行くことにしよう。
ところで、森に行くときの心得くらいは聞いても問題ないだろうか。
少し考えにふけっていたからか、顔をあげると、心配そうにハカムが見ている。
断ったことに俺が傷付いたかと思ったらしいので、そんなことはないと言い、森に行くときに気をつけたほうがいいこととか、心がけてることとかを訊く。
「まあまずは、魔物に会わないこと。どんな魔物にだって、場合によっては殺される。あの森にいるのは基本的にはスライムとアルミラージとワーグだ。ワーグはもし会ってしまっても見逃してくれる可能性が高いが、鳴き声が聞こえたらその方向に向かうのは避けろ。」
そう言ってハカムはワーグの声真似をする。
狼の遠吠えのようで、これを聞き逃すことはないだろう。
しかし…
「ダメージを受けるために森に行くから、わざわざ魔物を避けなくても良い気はするけど。」
「お前、森に行ったことある?」
「いえ。」
「初めて森に行くんだったら、それだけで絶対に怪我するし、何なら、お前の思いの寄らないようなことが必ず起きる。このギルドはあまり初心者に優しくないし、俺もその風潮が好きだから、何も言わないけど、無理に危険なことはしないことだな。」
と、本気の忠告を貰う。そこまで言われれば流石に不安になるので、明日は無理をしない程度に散策することにしよう。
優しくないとか言いつつも、なんだかんだ色々教えてくれていることには、触れないでおこう。
そういえば、と、これも聞いていい範疇なのか分からないが、なぜここで森の生態系について調べているのか訊く。
「それは、まあ話してやってもいいかな。」
とハカムは話し出す。
ハカムの生まれは自然の少ない地域で、土地も痩せ、周りの地域からの交易を通じてしか、食料が入らなかったそうだ。
食料を貰う代わりに、村の人たちは宝石を売っていたらしく、その宝石が無くなれば、一切食料を手に入れることが出来ず、村の全員が餓死するような状況だった。
しかし、ある時、村に来る商人の数が半分になり、しばらくしてまた半分に、というふうに減っていき、とうとう村の人間を養いきれない程にまで、手に入る食料が減った。
ハカムはその頃、ちょうど生まれたばかりで、記憶はないらしいが、魔法の使えない子が生まれたと占い師に言われ、ハカムの両親も含め村の大多数は、魔法も使えない役立たずは殺してしまえとか、神に捧げようなどということを言ったらしい。
ちなみにハカムの村に生贄の文化はなかったらしい。
そんな中、村長が村人を説得し、なんとか、商人に預けて村から出すことに決まり、ハカムは九死に一生を得たという。
ハカムを連れ出した商人は、村のすぐ近く、五キロ圏内のあたりに住んでいたが、そこは自然に溢れた土地だった。
そして、ハカムの生まれた村の周りはすべて、また緑豊かな土地だったらしい。
育ての親になった商人に、なぜそんなに環境の違いがあるのかと聞いたところ、大昔に巨大な爆発があり、村の周辺だけが更地になったあと、それから草木が全く生えず、砂漠になったと言った。
ある時、その砂漠の中できれいな宝石を見つけ、それを売って儲けようと考えた青年が、家族を呼んで住み始めたのが、村の始まりだという話が伝わっていたらしい。
商人の好意もあり、ハカム自身が優秀だったこともあり、その後、ハカムはその地域で最も優秀な大学に入り、自分の生まれた村になぜ植物が生えないのかを調べるために、生態学を学び始めたという。
そして大学を卒業し、そのまま研究を始めてから数年後、フィールドワークを重ねてデータを集めつつも原因は全く検討もつかず、他の研究者からも励まされつつも停滞を感じていたときに、例の『魔法陣全集』を売りに来たハシモトに会って、色々話しているうちに何となくハシモトの下に付いた方が研究を勧められそうだと思い、魔法陣全集を大学側に買ってもらう交渉をする代わりにギルドに入れてもらったらしい。
ハシモトはハカムの村のあたりで本の販売を続けるらしかったので、交通費と住所の書いた紙だけをもらってギルドに向かったらしい。
ギルドに向かう直前、ハカムがある村に止まったところ、宿屋の話す昔話の中に、一夜にして広大な森が出来上がった話を聞き、その森に興味を持ったところ、ギルドのある街に隣接する森だったことがわかり、研究テーマとして最適だと感じて、ギルドに入ってからはその森で研究をしている。ということだ。
ハカムの、故郷への愛を感じるような偉大な研究テーマを聞くと、俺のテーマが陳腐にも思えてくるが、俺にはハカムのような過去はないんだから、仕方ないだろう。
随分と話を聴き込んでいたようで、気づくともうそろそろ深夜だ。
ハカムも眠そうにしているし、俺も明日のコンディションのために早く寝たほうがいいだろう。
俺はハカムの部屋を出て、自室に戻り、すぐに眠りについた。
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