副五話 無理

 ふと起きる。明るくなりかけか、暗くなりかけくらいの光量で部屋が満たされているが、光の入り込む向きからして今がすでに午後になっていることは間違いない。

 寝る直前に見た分厚い本のあるページがしっかりと折り目がついた状態で開かれていて、僕は吸い寄せられるように手に取ってその一点を見つめる。


「ダメージを受けない。防御する。あるいはすり抜けるのもいいかも。」


 これが俺の求めるものではあるまいか。

 研究テーマとしてもしかしたら曖昧かもしれないが、一番研究したいことを研究するのが一番良いような気がするからこれを研究テーマにしようと、昨日決めて今日も改めて決断した。


 思い出すのは子供の頃に読んだある聖人の話。

 信仰心によって得た鋼鉄の体によって民衆をその毎日の命の危険から守り、最期はある貧乏な老人を助けるために自ら火の中に飛び込んでいって死んだのだ。

 こういう最強の人間になりたいと、昔に思ったことを思い出す。僕は最強になりたかったんだと。

 そしてまた文に目をやり、この文の真意を考える。


 …しかし、ダメージを受けないとは何だ。それが分からない。ダメージを弾くのか、吸収するのか。衝撃を受けても動けばダメージと考えるのか。

 観測者効果を考慮すると、認識されることもダメージということになりそうだが、何者からも認識されないのであれば相手に干渉することもできないわけだから、ある意味最弱とすら言える。は?

 そんな難しいことを考える前に、俺は別に最強としての防御があれば良いわけだから、世界一強い攻撃に耐えられればいいんだ。

 まずは普段受けうるダメージを減らす工夫を考えよう。研究はそこからだろうな。


 明日は森に行こうかなとふと思う。

 というのも、ギルドハウスの中でダメージを体験するなら思いつく方法は包丁で指を切るとか二階から飛び降りるとかだが、自分からダメージを受けるのは気乗りしない。かと言って街に出てみても、この街は平和だから、街中で怪我をすることはほとんど無いだろう。

 ギルドカードを持っていれば街の外にもすぐに出られる。街道や街近くの森であればそこそこ安全だろうから、軽い気持ちで行ってみようと思う。

 戦闘はしたことがないが、何か危険な動物にあっても何とかなるかな。怪我をしたときのために治癒魔法の魔法陣を作っておこう。

 あとは本の中からいくつか使えそうな攻撃用の魔法陣を持っていこう。

 魔法陣は本を読んでいるときに何枚も描いていたから、かなり描き慣れた。

 

 

 時計を見て、もうそろそろ夕食の時間だと気づく。夕食は誰かが作ってくれたかな。誰も作ってなければ急いで作ろう。

 夕食にはハシモトも来るだろうから、防御についても色々聞きたい。


 部屋を出ると階下から良い香りがするので、誰かが夕食を作ってくれたらしい。メニューに期待しつつ、俺は階段を降りる。



 ギルドメンバーはすでに夕食を食べていた。

「呼んだけど来なかったんで先に食ってる。」

 そうハカムが言う。

 声を聞いた覚えはなかったから、そのときはまだ寝ていたのだろう。


「研究は決まった?」

「決まったよ。」

それを聞いてハシモトは満足気に頷く。

「ハシモト…ミチヒサさん。」

 考えてみるとハシモトだとハフの名字と被る。これからミチヒサって呼ぼうかな。と思いそう声をかけてみる。

「ハシモトでいいヨ。」

ハシモトで良いのか。



「…ハシモトに聞きたいことがあって、あの本のことなんだけど。」

 席を促されたので座る。ハカムがキッチンから食事を持ってきた。


「食事後じっクり聞くヨ。後で地下の僕の部屋にきてネ。」


 じっくり聞かれることでもないけど。そう言われてしまったら断る理由もないから食事をする。

 鱈のムニエルだ。美味しい。

「久しぶりだけど、料理美味しい。ハカムさんが作ったの?」

言うと、

「分かる?」

ハカムが言う。

「あ!ハカムがデレた!」

「デレてない。」

(ハカム可愛い。)

「あ!赤くなった!」

云々

 食事の時間はいつも通り楽しかった。ハカムは森の生態系の変化に気づいたらしい。キューは物を消す新しい考え方を思い付いたとか。


 食事が終わり、俺はハシモトの部屋に向かった。


 ハシモトの部屋は地下一階の一番奥にある。俺はノックをしてそのまま入る。


「よく来たネ。何か相談ガあるみタいだけど。」


 ハシモトは部屋のベッドで寝転がっていた。隣にはフブキもいる。


「研究テーマが決まったんで」

「オ、ぜひとも聞きたいネ。」

「絶対防御について研究したいと思って。」


 そう口にすると、ハシモトはつまらなそうな顔をした。


「絶対防御ネ。止めはしナい。」


 冷たく返される。なぜ突然こんなにも対応が変わるのか分からん。


「何か研究に不満があるんですか?」

「それは…おそらく、その研究には答えがないからよ。」


 答えがない?単純明快な問いのような気がしたけどな。


「本は全部読んだの?」

「…読んだ。」

「自然数の級数の問題があったでしょ。」


 自然数?…あったかな?記憶に無い。


「まっすぐな道を進ムと後ろに下がル。」


あああれか。あの意味が分からないやつ。


「私たちは五年間やったわ。ただ真っ直ぐ進んだだけだったけどね。」

「そりゃそうでしょ。」

「でもハシモトの世界では、続ければ初めの位置より少し後ろにたどり着くらしいわ。」

「??」


 そんな馬鹿な。理屈に合わない。


「そうよね。意味が分からないわ。」


「僕たちはあの本の四分の一の研究ヲ達成した。二分の一は今の例と同じで少しだケやってから止めた。残りは触れてナい。絶対防御ハその二分の一のウちの一つだネ。」


 なるほど。つまり達成できないと。


「ダが、それが決して達成出来ナいものとハ考えないでくれ。確か、たダ僕たちの興味を強く引かなカっただケだった気もスる。でも、なんにせよ僕たちには達成出来なかったモノだ。」


「でも途中まではった。」


「行ったネ。研究ヲ続けて、恒星に入っても何とモないくらいまでハ行った。でも違かったヨ。」


「何が…。」


「誰にも害されナい。それは絶対防御ではナい。絶対って言うのは無限と同じダ。」


 つまり、ダメージ云々とはそもそもベクトルが違う?


「僕は期待しナい、ダが、応援はしていル。人生は短いから無駄にシないようにネ。」


「私は期待してるわ。でも無理は禁物よ。」


「はあ、ありがとうございます。」

 ギルドの長と副長から諦めのような言葉を掛けられ、俺は落ち込みつつ自室に戻った。



「無限かー…無限、無限、」


 無限をイメージしてみるが、全く想像が湧かない。というか絶対と無限が同じだというのもよく分からない。


「アブソリュートゼロ的なのは正確には絶対absoluteでは無いだろ。」


 有名な氷魔法を思い浮かべるが、確かあれは単位時間あたりの消費魔力量を増やすと温度の減少量が増えるんだった。

 だとすれば、空気の温度が魔法によってのみ変化すると仮定すると、消費した魔力量が無限に近づくほど絶対零度に近づくから、無限→絶対だ。

 


「神は?」


 神は絶対だが、無限か?


 …考えても分からないことは考えても分からない。

 てことは無理じゃん。

 と唐突に結論に至る。ついでに鶏よりも卵だったことに気づき、すべてを理解した気分になる。

 つまり僕の達成しようとしている例の文言は達成できないということだ。これはハシモトたちが諦めるのもよくわかる。

 今まで逡巡しつつ何かしらの結論に至ることを期待していたかもしれない高次元のどなたかには申し訳ないが、つまり、無理なんだよ。(半ギレ)

 もし無限や絶対が理解出来るというやつがいるのなら眼の前に現れてくれないか?何時間でも受けて立ってやるから概念の意味から証明してみろ。全力で否定してやる。

 

 それに、最強を目指すのなら絶対でなくていい。太陽に入っても何ともないならそれで良いんだ。

 …でもああ言われてしまうと、今からその方法を聞きに行くのも憚られる。


 しかし待て、目指したい最強というのはまず今代最強としたとしても、ハシモトから教えられた技術を用いたところでハシモトに劣るという点で最強ではない。

 となれば今代など考えるまでもなく、身近なギルドメンバー十数人のうちでもすでに最強ではないということになる。

 そんなん全然駄目じゃないか。何が最強だ、何が絶対防御だと言いたいくらいだ。

 ならどうすればいい。

 思考がまとまらないと、なんの発想も湧かず、イライラする。そういうとき、思考を続けてもたいていはまたイライラが増すだけだと、昔からの経験で知っているから、とりあえずこういうときはどこかでリラックスしたほうがいい。


 というわけで自分の部屋に戻り座って少し落ち着く。

 とりあえず初めの計画通り、森に行くか。ハカムに声も掛けてみよう。

 夕食後だし、昼間フィールドワークをしてるんだから夜は集めた情報の整理をするために起きてるだろうと思う。

 





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