主八話 夏は海と言うが

 夏は海と言うが、決して外せない夏休みのイベントとして、海水浴がある。

 ある人は異性と、ある人は同性同士で、ある人は家族や親戚と。もはや義務感を感じさせるほど、多くの人は海に行く。

 去年まで僕は、海から遠い地域に住んでいたこともあり、海水浴には年に一回家族や親戚と一緒に行く程度だった。しかし、今年は違う。僕がよく使う電車で十五駅、各駅停車で五十分程のところに、海があるのだ。


 昨日は、珍しく夕食を食べたからかも知れないが、よく眠れた。だからかは分からないが、今日は少し早く起きてしまった。

 今の時間はちょうど午前四時である。

 待ち合わせは海岸の最寄り駅に九時なので、家を出るのはおおよそ七時になるのだが、それまであと三時間もある。一時間は普通に準備などで使うとしても、残りの二時間は何に使おうか非常に迷う。


 そう思っていたが、イルカ型の浮き輪に空気を入れる練習をしていたら、二時間は無為に過ぎた。結局浮き輪を膨らませることはできなかった。


 日が登って室内に光が入ってきた頃、僕は浮き輪との格闘を止めた。考えてみれば、浮き輪は海辺で膨らませるものだし、海辺には何かしらの空気入れがあるものだ。二時間の無駄な時間を過ごして、僕はそれに気づいた。


 朝食は工鵜駅で食べた。駅内のコンビニでおにぎりを二つ買ってホームのベンチで食べた。ホームで桐馬に会ったが、桐馬はすでに朝食を食べていたから、僕は一人で食べた。

 電車はまだ来ない。隣の桐馬に話しかける。


「海水浴は中学生のときも行ってたのか?」

「まあ、友達と一緒によく行ったよ。」

「海、近いんだっけ?確か県は太平洋に面してたよね。」

「ああ。住んでいた町はもう海辺の町といえるくらいには海に近かったね。海にはほぼ毎日行ってた。ただ日本海に行くのは初めてだ。」


 そうか。考えてみると僕も太平洋側にしか行ったことがない。しかし、日本海と太平洋の海岸は何か違うのだろうか。

 僕には海の知識なんて全く無いし、きっと違いは分からないだろうが、海についたら確認してみよう。

 電車が来たので乗る。話は日常の話題に移った。桐馬は水魔法を使いこなせるようになりつつあるらしい。




 五十分は案外長かった。二人なので話題も尽き、いつの間にかどちらも寝ていた。

 そして起きたのは目的地、「海の町 君反きみたん」駅だった。

 見てわかる通り変な名称の駅だ。一時期、どこの鉄道会社もやたらと奇抜な駅名をこぞって付けたことがあった。「○○エアポート」やら「ほくほく○○」などという駅名には馴染みのある人も多いだろう。そんな風潮のなかで、驚くべきことに、このローカル線は駅名に「 スペース」を導入したのだ。僕は、そんな駅名を他に目にしたことはない。


 駅の改札口を出ると、小綺麗な町並みが広がっている。手前にはバスターミナルと、奥にはそこそこ大きいデパートと市庁舎がある。どれもまだ新しそうな雰囲気を出している。

 まあ当然だ。この町はまだ新しいのだ。

 というのも、市が駅名を変更し、町並みを一新させたのは、たった三年前のことだからだ。


「おーい。日下くさかぁー。」


 町並みを眺めていると、遠くから僕を呼ぶ声が聞こえた。博文の声だ。そちらを見ると、東陵姉弟が揃ってこちらに手を振っている。隣には大名たいなもいる。

 どうやら僕たちが最後だったようだが、どうして大名と東陵姉弟は一緒にいるのだろうか。面識でもあったのかな。

 僕は大名と東陵姉弟のところに合流する。



「まさか日下と東陵さんが知り合いだとは思わなかったぜ。」


 大名はそう言うが、僕こそ同じ言葉をそのまま返したい。

 今、僕たちはバスターミナルから海岸に向かっているところである。


「僕はつい先週くらいに知り合ったばかりだけど、大名はいつから知ってたんだ?」

「俺は、入学初日だぜ。なかなか衝撃的なエピソードがあるんだが、この話はしても良いのか?」


 才葉さんは顔を赤くして外を向いている。僕は青春の香りを幻嗅する。

「ぜひ聞かせてよ。」

桐馬が笑いながら言う。


「俺さ、入学初日に恐喝されたんだよ。東陵さんに。」


 一瞬、周辺の空気が凍る音がした。体が動かない。発生源は僕の左斜め前。才葉さんのところだ。


「俺はさ、今博文以外の全員の影、踏んでんだよね。」

 桐馬は不思議そうな顔をして、足を持ち上げようと踏ん張っているが、僕を含め他の面子はしまったという顔をした。

「楠比呂さあ。その話、するなって言ったよな。」

 大名の顔が青い。こんな様子は初めて見た。しかし逆に才葉さんの顔はやや赤い。

 距離が近い。名前呼び。そして赤面差分。

 これは大名が気づいていないだけで才葉さんは大名のことが好きだな。そして気づいてないことをいいことに、ことあるごとにこんな下りをやっているのだろう。

 博文の呆れ顔がそう言っている。

 

 誰も彼も青春しよってからに。



 海だ!夏だ!

 という感じでテンションを上げて今、海岸のど真ん中である。既に僕たちは水着に着替えている。

 桐馬と大名がパラソルを借りに海の家に行き、東陵姉弟は砂の上にきれいにレジャーシートを敷こうと奮闘している。そして僕はビーチボールと浮き輪に空気を入れている。

 早朝に試したように、僕は浮き輪を膨らませることは出来ないから、工鵜駅のコンビニで手動のポンプを買っていたのだ。



 桐馬と大名が戻ってきたところで、僕たちは海に入ることにしたが、だれかしらはここに残って荷物を見ておかなければいけないので、残る人を決めるじゃんけんをした。

 運悪く僕は負けてしまった。


 まあ、海の楽しみかたは人それぞれだし、しばらく友達の様子をぼんやり眺めているのもいいものだ。

 皆は腰くらいまでの水位の場所で、ビーチボールを投げ合ったりしている。海は混雑しているように見えたが、皆が遊んでいる様子を見るに、結構空いているらしい。


 それにしても周りの鮮やかさが眩しい。僕らのパラソルは青と白の縞々だが、パラソルだけでも赤や黄色や緑や橙など、原色はどこを見ても揃っている。海を見れば、花柄や水玉の浮き輪やボール。

 風景がとても綺麗で。どうせオンゲが苦手なら、電気屋でパソコンの代わりにカメラを買えばよかったと思えてしまう。



 遠くで博文が手を振っているので振り返す。楽しそうで何よりだ。時間は十一時を回り、ちょうど皆が海に向かってから一時間といったところ。

 暇潰しに読書でもしようかと思って本を持ってきていたが、周りが賑やかだったりしてなかなか読み進まなかった。

 博文がこちらに走ってくる。おそらく荷物番を交代するのだろう。

「やあ、そろそろ疲れてきたんで荷物、見てるよ。」

助かった。退屈で死にそうだったのだ。

「ありがとう。じゃあ遊んでくる。」

 僕は走って皆のところに行く。


 皆はビーチボールを打ち合っている。こんなことでも楽しいのは、夏の海だからこそだろう。僕も混ざる。

 「ほいっ」「大名、パス!」

 などと声を掛け合いつつボールを弾いているだけで、すぐに時間が経っていく。

 いつの間にか博文が戻ってきていると思ったら、才葉さんと交替したという。

「日本海も太平洋と変わらないな。」

「へーそうなんだ。じつは、僕は太平洋には行ったこと無いんだ。」

 聞いたところ、博文も才葉さんも内陸出身で、いつも治安の悪そうな太平洋ではなく、日本海に行っていたらしい。


「太平洋も治安の悪い場所じゃない。確かに日本海でタトゥーをしている人はまだ見てないけど、どちらの海も大して変わらないよ。」

 博文の、太平洋に対する偏見を正しておく。あながち偏見ではないかもしれないが。

 ボール遊びに疲れて水面に浮いていたりなどしたが、日が上り、腹が減ってきたので、一旦陸に上がった。


「あれ、才葉さん、スク水?」

 先程まで全く気にしていなかったが、才葉さんはスク水である。どうやら上に来ていたラッシュガードを脱いだらしい。

「楠比呂はスク水とビキニ、どっちが好きなんだ?」

 唐突に聞かれ、大名は顔を赤くしている。強面に似合わず、照れ屋であった。

 はいはい、青春青春。

 昼食を買いに行くことにしたが、海の家で買うと高いのでと、近くのハンバーガー屋まで皆で歩くことになった。


 店までは海岸沿いを歩いて十五分ほど掛かった。歩いている間、することもなかったので、しりとりをした。なんの縛りもないやつである。楽しかった。

 僕は昼食を海岸で食べたかったが、鳶が飛んでいたので、しぶしぶ皆の意見に合わせ、海岸近くの公園の四阿あずまやで食べることにした。

 昼食を食べつつ、先程の太平洋岸の話をすると、大名が驚いていた。僕は知らなかったが、大名はこの近くの出身で、独り暮らしをしてはいるが、自宅は高校へ充分通える範囲にあるらしい。もちろん海はこの海が馴染み深いらしい。


「太平洋に行くなんて考えたことねえよ。まあ、一回くらいは行ってみたいけどな。」

「来年、予定が合ったら、俺の実家に旅行しようぜ。海が近いんだよ。」

 桐馬がそう提案する。僕も桐馬の町のことが気になっていたので、賛成であった。

「しかしまあ、来年のことは分からないけどね。」

「そんなこと言うなよw」

「ごめん。僕も桐馬の実家には行ってみたいと思ってたんだ。よければ誘ってほしいな。」

「もちろん誘うさ。」

 一年も後の話である。実際にはどうなるか本当に分からない。まあでも行けたらいいな。



 海の家の近くにロッカーを見つけたので、午後は荷物をそこに入れて、全員で遊ぶことにした。とはいっても、昼食を食べたくらいでは疲れは取れないので、浮き輪で海面を浮いているだけだったが。

 一時間ほど海面で雑談をしていると、海水浴場の範囲は出ていないが、少し沖合いの方に流れ出てしまった。

 そんなに波が強い訳でもないのに不思議だと思うと、

「海面の影は使いやすくて良いな。海面にあるものなら何でも動かせる。」

と才葉さんが言った。それは自分がこの浮き輪を動かしたという自白だろうか。

「魚、見てくるぜ。」

唐突に大名が言った。

「下に巨大な魚がいたんだ。」

大名は全力で両手を広げて大きさを表現する。まさか海水浴場にそんな大きさの魚がいるわけがない。

「頑張って、楠比呂!」

「気をつけてね。」

「……まあいいんじゃない。無理しないでね。」

 色々と言いたいところはあったが、誰も止めないので、僕も黙っておくことにした。


 水中を覗くとかなり深く、めまいがした。水の屈折などで、魚どころか大名の姿すら見えない。

「大名は泳ぎ足りなかったのか。」

 僕はそう考えた。

「多分ね。」

「俺もそう思ってた。」

 博文も桐馬も賛同した。皆、それがわかっていて止めなかったのか。


少し時間が経ち、

「それにしても上がってくるのが遅いね。どこか別の場所に行っちゃったのかな。」

博文は不安そうに言う。

ちょうどそのときに、大名が上がってきた。

「魚に触ってきたぜ。て言うかでかすぎた。絶対、この世界の魚じゃねえ。鱗掴んだのに完全に無視されたし。」

 そう言って大名は、その背中ほどはある大きな鱗を浮き輪の上に引っ張り上げた。


「まじで、それ本物?」

 そう言いつつ触ってみるが、プラスチックのようだったり、作り物のような感じはない。

「多分まだ下にいるぜ。お前らも、ちょっと見てこいよ。」

 大名は言うが、僕は遠慮しておいた。もう巨大生物にはうんざりだ。

 そもそも海水浴場にそんな生物がいるのはまずいだろう。


「上から見ても、魚っぽい影は見えないけどね。」

 確かに。博文の言う通りである。そんなに大きな魚がいたら、海面からでも見えるはずだ。

「見えないことはねえだろ。俺にははっきり見えるぜ?」

「でも、周りの誰も気づいてないよ?」

 大名は不本意そうな顔をしたが、僕たちが魚のことを信じていることが解っているらしく、反論はしない。

「日下、ちょっと見に行こうぜ。」

「巨大生物とか怖いから嫌だ。」

 誘われたが、断る。

「じゃあ桐馬、行こうぜ。」

「いいよ。確認してくるからみんなちょっと待っててね。」

 そんなものを見に行くとは、とてつもない勇気である。



「居た。すごい大きい、鯉みたいだった。」

 一分ほどして帰ってきた、桐馬の第一声はそれだった。

 桐馬も大きな鱗を持ってきていた。

「俺が思っていたより大きかったね。近くに行くと、もう、視界一面が魚だったよ。この海水浴場の沖に居座ってるっぽい。」

「上からは見えないのにね。」

「なんでさっき見えなかったのか、不思議なんだよ。今は上からでもはっきり見えるのに。」


 巨大な魚、見えない魚が足元にいると思うと、自然と体が震えてくる。

「もうそろそろ戻らないか?」

冷静を繕ってそう提案する。

「日下、すごい震えてるけど、体冷えた?」

「…そんな感じかな。」

「そうだな、日も陰ってきたし、そろそろ帰るか。東陵さん。浮き輪を海岸近くに戻してもらってもいいですかね。」

「りょうかい。」


 僕たちは海岸から引き上げ、君反駅付近で夕食を食べて、各最寄り駅で解散した。

 鱗は目立つので、桐馬は端だけ千切って持って帰って来ていた。大名はそのまま海に捨てていた。

 学生寮の最寄り駅で東陵姉弟と別れ、桐馬と僕の二人になった。

「海は楽しいけど怖いね。」

「最後震えてたのは、魚を想像していたからだろ。」

「ばれてたか。」

「大きな生き物って怖いよな。俺も、あの魚を見たときはすぐに海から上がりたいと思ったよ。怖くて。」

 それはそうだろう。しかし桐馬は、怖いなどと言いつつも、貴重な経験をしたと嬉しそうにしていた。

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