公爵家の茶会 その9

 それはあまりに巨大だった。

 身長153センチ、体重42キロ。成人女性としては小柄なリタだが、もちろんその対比に惑わされたわけではなく、物理的な大きさそのものが遥かに常識から外れていたのだ。


 イメルダはこれほどの魔力を見たことがなかった。唯一思い当たるのは魔術師協会副会長であるロレンツォ・フィオレッティだけだが、彼とてもここまでの大きさではなかったはずだ。

 文字通り見上げるほどの巨大な魔力の塊。それを陽炎のように全身から立ち昇らせるリタへイメルダが震える口を開いた。


「あ、ありえない……どうしてこんな……」


 まるで独り言のようなイメルダの呟き。リタが「ふんすっ!」と鼻息も荒く答えた。


「どうじゃ! これが200年にわたり練り上げてきたわしの魔力じゃ! 自分でいうのもアレじゃが、なかなかのもんじゃろう? ……なんぞ驚いて声も出ぬか。ビビって座り小便垂れるでないぞ、この小娘が」


「凄い……信じられない……」


 模擬戦の最中であることさえ忘れて、思わずイメルダは呆けてしまう。人は理解の範疇を超えたものを見せられるとポカンと口を開けて放心してしまうものだが、今がまさにその状態だった。

 けれどそれも数瞬。さすがは選りすぐられたエリートと言うべきか。即座に状況を理解しようと脳細胞をフル回転させた。



 にわかには信じがたいことだが、決してこれは幻覚やトリックではない。そのような術を使っている様子は見られないし、術式の展開も感じ取れない。


 であるならば、これは夢か? 幻か?

 ここへ至るまでに私とこの女はほぼ同量の魔力を消費してきたはずだ。もはや私は魔力が尽きかけているというのに、この女にはまだまだ魔力が残っている。


 決して私は魔力が少ない方ではない。いや、むしろ並みの魔術師の3倍はあると自負してきたというのに……一体なんなんだこの女は! まったくの出鱈目でたらめではないか!

 

 少なめに見積もって私の30倍はある……いや、もっとか? ということは、一般的な魔術師の約100倍……って、待て待て待て! 絶対におかしいだろ!


あの・・ロレンツォでさえ私の2倍程度だというのに、それを大きく凌駕するこの魔力量は……化け物か!


 ……いやいや、ちょっと待て。この女はロレンツォの弟子だったはず。師匠が弟子の魔力量を把握していないはずがない。なのにこれまで噂の一端にさえ上ったことはなかった。


 確かに数少ない無詠唱魔術の使い手として「ムルシアの魔女」の名とともに注目を浴びてはいるが、魔力量の多さで名が挙がったことは一度もなかったのだ。


 ということは、意図的に隠している?

 まさに化け物級の人材であるはずなのに、そうせざるを得ない理由って一体……



「!!!!!」


 何に思い至ったのか、突然イメルダが両目を剥いた。そして信じられないものを見るようにリタの顔を凝視する。

 もはや言葉さえ出てこない。無言のまま口はパクパクと開閉を繰り返し、無意識に持ち上げた指で無遠慮にリタを指し示す。

 その様子を薄笑いとともに眺めていたリタが再び口を開いた。



「どうした? なにか思い当たることでもあったのか? 人を指差すのはあまり行儀のいいことではないぞ」


「あ……あ……」


「言いたいことがあるならさっさと申せ。聞くだけなら聞いてやらんこともない」


「あ……あ……あな……あなたは、もしや……アニエ――」


「おっと、その名を言うでない。わしは『リタ』じゃ。『リタ・ムルシア』じゃによって、それ以外の名は持っておらぬ。――それにしてもやっと気付いたか。これまで散々ヒントを与えてやったというに、随分と察しの悪い女じゃのぉ」


 言いながらリタがイメルダをキッと睨みつける。そして無言のまま掌からパリパリと小さな雷を発生させた。

 言うまでもなくそれはイメルダへの警告だった。それ以上口を滑らせるなら命はないと思え。そう語っていた。


 イメルダが顔面を蒼白にする。

 もはや自分にできることはなにもない。もとより魔力が尽きかけているのもあるが、そもそも相手は歴史に名を残すあの・・偉大な魔女である。

 史実が事実であるならば、どう逆立ちしたって自分に勝てる相手ではない。


 見ろ、あの魔力を。

 彼女が本気を出せば、自分なんて一瞬にして塵と化すに違いないのだ。


 意図せずゴクリと喉が鳴る。それでも恐怖よりも知的好奇心が勝るイメルダは、ブルブルと身体を震わせながら、言うことのきかない唇を必死に動かした。


「や、やっぱりそうだった……3年前……対アストゥリア戦役で突然降ってきた隕石……あれは貴女だったのでしょう? お、おかしいと思っていたのよ。あれほど大規模な広域殲滅魔法を使えるのは、世界広しといえども貴女しかいないのだから……。あの時私は確信した。死んだはずの貴女がこの国に潜伏しているという噂。それが真実であったことを」


 訴えかけるようなイメルダの視線。それを真正面から受けたリタがしたり顔で答えた。


「ほう、なかなかに鋭い考察じゃのぉ。ふふふ、いかにもわしじゃ、わしがやった。諸事情により、あぁする他になかったからな。一介の兵たちには気の毒をしたと思うが、所詮は戦争じゃ、致し方あるまい。――と、話が脱線したな。そんな話はどうでもいい。して、お前はどうするつもりじゃ? まだ模擬戦とやらを続けるつもりか?」


「む、む、む、無理です。どうしたって貴女に勝てるとは思えません。……そもそも魔力が尽きかけているのです。もうこの辺で終わりに……」


 首を横に振りながらイメルダが諦めの言葉を零す。リタが再び視線を鋭くした。


「ならば死ね。わしの正体を知った者を生かしておくわけにはいかぬのじゃ。お前らの言う『不測の事態』とやらで、今すぐあの世へ送ってやろう。――じゃが心配するな。傷みを感じる間もなく塵と化してやるからのぉ」


「ひっ……」


 イメルダが恐怖に顔を歪ませる。けれど彼女にできることは何もなかった。

 もとより魔力は尽きかけている。これでは薄い防御術式すら満足に発動できないだろう。

 大体においてこの魔力量の差である。もちろん知識も才能も技術も術式の展開速度も何もかもが足元にさえ及んでいないのだ。


 決して埋めることのできない、魔術に捧げてきた時間の長さ。それは間違いなくそこにはあった。

 どうしたって逃げられない。その現実を受け止めるためにイメルダが覚悟を決めようとしていると、突如その背に声がかけられる。

 振り向いてみれば、それはノエラだった。



「イメルダ! またしてもコソコソと話ばかりして! お客様が退屈してますわよ、さっさと模擬戦を続けなさい!」


 事情も知らずに吐かれた能天気な言葉。ふと現実に引き戻されたイメルダが、ふぅ、と息を吐きながら背後へ告げた。


「申し訳ございません、私の負けです。ですので余興はこれにて終了とさせていただきたく存じます」


「はぁ!? お前は何を申しているのです!? 負けを認めるだなんて、よもや我が家の名に泥を塗るつもりではないでしょうね! まだ戦えるならそのまま続けなさい!」


「……承知しました。奥様がそう仰るのなら続けさせていただきます。ただし、すでに申し上げた通り負けは負けです。決して覆ることはありません。その代わり、最後にお客様を満足させるべく派手な魔術をお見せしますので、それにてどうかご容赦いただきたく」


「ふんっ! 五体満足で動けているうちはまだ負けではありませんわ! ごたごた言わずにさっさと続けなさい!」


 覚悟が滲むイメルダの言葉。気付いているのかいないのか、それには一切触れずにノエラが無慈悲な言葉を吐いた。それを見届けたイメルダが再び正面へ向き直ってリタへ告げた。


「お聞きでしたね? そんなわけですから、もう覚悟はできています。もはや魔力も尽きました。私にはこれ以上できることがありませんので、好きになさって結構です」


「……」


「ただ一つお願いがございます。後生だと思ってお聞き届けいただければ幸いです。――なにとぞ最後の魔法は派手なものをお願いいたします。お客様たちの目を楽しませるような、ド派手なものをぜひ」


「……よいのか? 死ぬぞ?」


「いまさらですよ。もとよりそのつもりなのでしょう? 目も眩むような美しくも煌びやかな魔法。滅多に見ることのない高位の攻撃魔法で、私の最後を飾っていただきたいのです。そして――」


 涙を浮かべながら紡がれるイメルダの訴え。黙ってそれを聞いていたリタだが、最後まで聞き終わる前にその手を前へ掲げた。そして合図もなしに突然両手へ術式を展開させる。



 見る見るうちに頭上で大きく膨れ上がる光の塊。それが会場を覆いつくしたかと思うと、次の瞬間に多数の稲妻が地へ降り注いだ。


 それは魔術の五大属性の一つ、雷に属する高位の攻撃魔法――雷嵐ライトニング・ストームだった。

 七色の光を瞬かせながら地に降り注ぐ無数の雷撃。遠目で見れば美しくも煌びやかなものなのだろうが、これほどの至近距離で見せられると、もはや感動よりも恐怖の方が上回ってしまう。

 そのうえ耳をつんざく轟音は、男でさえ悲鳴を上げてしまうほどに凄まじく、実際に多数の観客たちは叫び声を上げながら逃げ惑う有様だった。


 そんな状態が1分も続いただろうか。前触れもなく頭上の光が消え去ると、再びその場に静寂が戻ってくる。

 いや、嘘である。静寂なんてものは存在しない。なぜなら、恐怖に慄いた観客たちが地に蹲ったまま悲鳴を上げ続けていたからだ。


 それはノエラも同じだった。

 お付きの護衛騎士に守られていたものの、他の客たちと同じように恐怖に顔を歪めて地に伏していた。土でドレスが汚れるのも構わずに、必死にその身を丸めていたのだ。


 無数の雷撃に晒されて、茶会の会場にもうもうと土煙が立ち込める。しばらくしてそれが晴れてくると、そこに二人の姿が浮かび上がってきた。


 一人はリタだった。まさに仁王立ち。貴族女性としてはいささか下品なほどにしっかりと地を踏みしめる様は、美しくも愛らしいいつもの彼女である。

 そしてもう一人はイメルダだ。

 約束通り、リタが持ちうる中で一番ド派手な攻撃魔法を食らったはずの彼女が、なぜか無傷のままそこに立っていた。

 そのイメルダがリタへ言う。


「どうして……どうして私を……殺さなかったの……」


「ふんっ。これを使ったのはほぼほぼ50年ぶりじゃからな。ちぃとばかり手元が狂うてしもうたわい。なんにせよ、運のえぇ奴じゃ」

 

「……」


「なんじゃい。少しはホッとした顔をせんかい。つまらぬ奴じゃ。――で、再び問うが、どうする? まだ続けるか? とはいえ、この状態では無理だと思うがのぉ。まぁ、飼い主に訊いてみるがよかろう」 


 周囲を見渡しながらリタが問う。見れば辺りは阿鼻叫喚の地獄絵図だった。

 幸いにも怪我人はいないようだが、逃げ惑う客たちにテーブルと椅子は倒されて、茶と菓子が地面へ盛大にぶち撒けられている。

 未だ伏せたままの客たちは、土と埃と草の汁に汚れて見るも無残な姿だった。

 それらを見たイメルダが、リタの問いには答えずに代わりにノエラへ向けて叫んだ。



「奥様。ご覧のように私の負けです。いまさら裁定は覆りません。それでも戦えと仰るのなら、同じ魔法をもう一度リタ様へお願いしようかと存じますが、よろしいでしょうか?」


 自ら問うておきながら、有無を言わさぬイメルダの言葉。それを聞いたノエラが、のろのろと頭を上げて忌々しそうに睨みつけた。


「もういい! もう結構です! これ以上庭を荒らされたら敵いませんわ!」


「承知いたしました。それでは私の負けということでよろしいですね?」


「よろしいもなにも、仕方ないじゃない! だけどお前、只では済まさないわよ! ご覧なさい周りを! 大勢のお客様に迷惑をかけたうえに、我が家の名に泥を塗ったのですからね!」


「……大変申し訳ございません。どのような処分もお受けいたします」


「なら言わせてもらうけれど、クビよクビっ! 解雇よ! 今すぐ出ていってちょうだい! あの女をやり込めて、師匠であるロレンツォの名を貶めるはずだったのに! なのに……なのに……逆にうちの株が下がってしまったじゃない! 人の口に戸は立てられないのよ。このことはすぐに国中へ広まるに決まってる! 主人には叱られるし、社交界でも白い目で見られてしまうわ! 一体どうしてくれるのよ! もうお前なんていらない。顔も見たくないわ!」


 お上品な公爵夫人の仮面を投げ捨てて、ヒステリックにノエラが叫び続ける。

 やっと落ち着きを取り戻し始めた客たちがその様子にドン引きしていると、健気にも頭を下げてイメルダが告げた。


「……承知いたしました。それではすぐに姿を消させていただきます。受けた御恩を仇で返す形となり大変申し訳ございませんでした。こんな私を長らく重用していただいたことに感謝の言葉もございません。本当にありがとうございました」


 それは哀別か悔恨か。言いながらイメルダが涙を流す。そしてくるりと振り向きリタへ言った。


「そんなわけですから、もう私に居場所はございません。どのみち魔術師協会からは破門された身。後ろ盾が無くなった今となっては、生きる術さえなくなってしまいました。今さら市井で生きていくことも無理でしょうから、先ほどの言葉通りにどうか私を始末してください」

 

 隠すことなくイメルダがポロポロと涙を流す。対してリタがニンマリとした笑みを浮かべたのだが、その顔は従前どおりのものであると同時に口調までがもとに戻っていた。


「そう。ならば今ここで引導を渡してあげようかしら。いずれにせよアレ・・を知ってしまった者は生かしておけないもの」


「……」


「って思ったけれど、やっぱりやめることにするわ」


「えっ?」


「居場所がない? 生きる術が見つからない? それならうちへ来ればいい。この通り嫁が魔女なんですもの、ムルシア家は魔術師に理解がありますわよ?」


「え……それって……」


「ただし条件があります。例のアレ・・ですけれど、決して漏らさず墓まで持っていくと誓いなさい。万が一にも露呈させた場合、このわたくしが腕によりをかけて、この世のものとは思えぬほどの地獄を見せて差し上げますわ。よろしいかしら?」


 瞳を覗き込むようにリタが語りかける。

 その様子にゾッと後退ったイメルダだったが、次の瞬間には即答していた。


「わ、わかりました! と言うか、むしろ望むところです! このまま魔術の研究が続けられるのなら、どこへだって行きます!」


「そう、それは良かったわ。それじゃあ早速帰りましょうか。――というわけですから、ノエラ様。イメルダは私が貰って帰りますけれど異論はございませんわよね? もしもあると仰るのなら、此度こたびわたくしの扱いを義母ははの実家であるバルテリンク公爵家へ言いつけますわよ? よろしくて?」


「うぅ……」


 訊かれたノエラはうめき声を上げるので精一杯だった。

 同じ公爵位を持つ家であっても、現国王の叔父であるバルテリンク公爵と、8代も前に枝分かれした傍系の傍系でしかないマウアー公爵とでは権力から名声に至るまで雲泥の差がある。

 同列でありながらも決して逆らうことが許されない相手。それがバルテリンク公爵家なのだから、当然ノエラには反論できるはずもない。


 もとより負けたときのことを考えていなかったノエラである。

 勝負は時の運ともいう通り、実力で勝っているものが必ずしも勝つとは限らない。そのためには負けたときのことも考えておかなければならないのだが、油断か慢心か、いずれにせよ浅慮が過ぎた。

 

 そんな公爵夫人の恨めしそうな視線を背に感じながら、変わらずリタはニンマリとした笑みのまま、イメルダを伴ってその場を後にしたのだった。



―――――――――――――――――



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11月2日に「拝啓勇者様」のコミック第一巻が発売になりました。

全国の主要書店、またはネット通販にてお買い求めいただけます。


また11月17日より電子書籍版も発売になりました。

こちらも主要電子書籍サイトにてお読みいただくことができます。


おまけとして、懐かしい幼女時代のリタの書き下ろし短編小説も付いていますので、この機会にお手に取っていただけますと幸いです。


詳しくは近況ノートをご覧ください。

https://kakuyomu.jp/users/chikuwa660/news/16817330667153633639


よろしくお願いいたします。


黒井ちくわ

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