公爵家の茶会 その7

 単なる茶会の余興であるはずの魔術の模擬戦。模擬といえども一つ間違えば大怪我をしかねない――いや、それどころか、命さえ危ぶまれるほどの内容に観客たちが静まり返る。

 今や口を開く者もいない静寂が支配する茶会の会場。その中でただ一人だけ声を上げる者がいた。


「イメルダ! お前は一体何をしているのです! 相手が身重だからと手心を加える必要などありませんわよ! 遠慮はいりませぬ、さっさと終わらせてしまいなさい!」


 どこか癖のある、癪に障る甲高い声。もちろんそれはノエラだ。

 我がいえの魔術師が負けるはずがない。余裕綽々しゃくしゃくに構えていれば、予想に反して苦戦している。それが面白くなかったのか、お上品な公爵夫人にあるまじき強い口調でノエラが吠えた。

 それにイメルダが答える。


「わ、わかっております! すぐに決着をつけますので、少々お待ちください!」


 震えて裏返った早口な声。明らかにイメルダは動揺していた。

 それはノエラに叱責されたからだと誰もが思っていたが、実際にはリタの指摘に狼狽えていたのだ。


 とはいえノエラの苦言も無下にはできない。あくまで自分は飼い犬である。だから飼い主の言うことには従わなければならないのだ。

 そんな時だった。黙って二人を見ていたリタが再び口を開いた。


「さぁ、夫人もあのようにおっしゃっておりますし、そろそろ再開するといたしましょうか。約束通り見せて差し上げますわ。あなたの理論の致命的な欠点をね」


 言うなりリタが体勢を変える。やや足を広げて重心を下げた、利き手を前へ突き出した半身の構え。それはよく見る魔術師の戦闘姿勢だった。

 攻撃の時も防御の際も、これまでリタは棒立ちのままだった。身重なので腹に負担をかけないようにしているのかと思いきや、実はそうではなかったらしい。


 つまりは「余裕」ということなのだろう。イメルダごときとの手合わせに戦闘態勢を取る必要はない。棒立ちのままで十分である。

 長きにわたる日陰の人生のせいで、少々ひがみ根性に毒されているイメルダは、リタの態度を侮辱と受け取り隠すことなく顔を歪めた。

 それを見たリタが、なにを思ったのかふふんと鼻を鳴らした。


「どう受け取ろうと自由ですけれど、先達の進言は素直に聞き入れるべきですわよ。まぁ、この際どうでもいいですけれど。――それじゃあいきましょうか。まずはこれを受け切ってごらんなさい。それさえ無理だと言うなら、もはや話すことなどございませんわ」


 言いつつリタがおもむろに右手を翳す。するとそこから、目にも止まらぬ速さで何かが撃ち出された。

 眩い光を纏った棒状の何か。よく見ると騎士が持つ投げ槍ジャベリンによく似たそれが、凄まじい速度でイメルダに襲いかかっていったのだ。

 するとイメルダは、これまで相当に鍛錬を積んできたに違いない、そう思わせる素早い反応で咄嗟に防御結界を張り巡らせた。


 身体の前面を覆うドーム形状の光る盾。リタが放った無数の槍がそこへ向かって吸い込まれていく。それも微妙に角度を変えながら、隙あらば防御結界の向こうへ到達しようと試みた。

 しかしそれを完璧に防いでみせたイメルダに、再び笑いながらリタが告げた。


「ふぅーん、なかなかに強固な防御結界ですわね。これを突破するのはかなり骨が折れそう」

 

「はぁはぁはぁ……この程度の結界ならいくらでも展開できます。何度攻撃しても無駄ですよ」


「かもしれませんわね。だけど魔力の消費も相当なはず。さて、あと何回もつかしら」


「それは貴女様だって同じでしょう? あれほどの魔法投槍マジックジャベリンは初めて見ました。そう何度も使えるものではないはずです」


「ご心配には及びませんわ。こう見えて魔力量には自信がありますもの。――ところであなた、なぜ反撃してこなかったのかしら? まさか防御で手が一杯だったなんて申しませんわよね?」


「あれだけの攻撃を受け止めながら、同時に反撃なんてできるわけないでしょう! 貴女様は何を仰っているのですか!?」


 ややキレ気味にイメルダが言う。変わらずリタが笑みを浮かべて答えた。


「ならば今度は貴女が攻撃してくることね。わたくしが模範解答を見せて差し上げますわ。ただし途中で反撃するので注意なさい」


「くっ……!」


 親子ほど年の離れた女に鼻で笑われた。その事実にプライドを傷つけられたイメルダは、皆まで聞かずに両手を前へ突き出した。

 直後に放たれる氷の塊。美しく透き通った氷で作られた鋭い刃が次々とリタへ襲いかかる。しかしリタも慣れたもの。即座に展開した防御結界ですべてを弾き返した。


 いや、それどころか、結界の隙間を縫うようにして今度は大人の拳大もある炎の弾を撃ち始めたのだ。

 慌てたイメルダが攻撃を止めて防御結界を張る。直後に轟く爆音と漂う煙。その切れ目から見える顔には驚愕の表情が張り付いていた。


「ば、馬鹿な……どうしてそんなことが……」

 

「ふふふ。攻撃と防御が同時にできるわけがない。そんなの魔術のセオリーに反する。――貴女はそう言いたいのではなくって?」


「う……」


「だけどできるものはできるのだから仕方ないじゃない。これが現実なんだもの。とは言っても、そうそう受け入れられるものではありませんわよね。――ならばこれはどうかしら? さぁもう一発いきますわよ。気合いを入れて受け止めなさい!」


 未だ驚いたままのイメルダへリタが威勢よく言い放つ。直後に左右の手からそれぞれ異なるものが飛び出した。


 右手の先から出てきたもの――それは氷の弾丸だった。大きさは小指の先ほど。水属性の攻撃魔法の基本中の基本である氷弾アイスバレット。一発の威力はそれほどでもないが、熟練の魔術師になると弾幕を張れるほどに連射が可能だ。

 そして左手から放たれたのは、先ほどと同じ炎の塊だった。それにはさすがのイメルダも驚愕のあまり言葉を失ってしまう。


 火と水。

 真逆の属性を持つそれは、それぞれに専門の使い手がいるほど相容れないものである。だからこの二つを同時に発動するなんて聞いたことがなかった。

 というよりも、そもそもが異なる術式を同時に展開するなどという芸当をやってのける魔術師自体がいないのだ。

 

 にもかかわらず、それを眼の前の若い魔女がやってのけた。

 火と水という、決して両立し得ない魔術を同時に展開してみせたのだ。


 そんな馬鹿な! 絶対に有り得ない!

 信じられない思いがイメルダを支配する。しかしそれも一瞬。直後に彼女は再び防御術式を発動してその身を守ることになる。


 ガリガリと音を立てて防御壁が削られていく。その間も絶え間なく氷の弾丸が降り注ぎ、灼熱の炎弾が炸裂した。

 見た目以上の火力の高さに、さすがのイメルダも肝を冷やす。魔力量の多さにはいささか自信のある彼女にして、圧倒的な物量に押し切られてしまいそうだった。


 この女……まさか本気で殺そうとしているのでは……

 次第にイメルダの脳裏に恐怖が湧いてくる。そんな時だった。不意に攻撃の手を休めてリタが口を開いた。



「うふふ……よもや手も足も出ませんか。このくらいで音を上げていては、無詠唱魔術を極めるだなんて恥ずかしくて言えませんわよ」


「くっ……」


「なんですの、その顔? 先ほどと同じく『どうしてそんなことが』なんて言いたそうですわね。それこそが貴女の理論の欠陥だとも知らずに」


「えっ?」


「まだわかりませんの? ならばここで幾つかお訊きしたいのですけれど、無詠唱魔術の利点、そして目的とは何だとお思い?」

 

「利点……? そ、それはもちろん、呪文詠唱を省略することによる術式展開の大幅な時間短縮だと……」


「なるほど。ならばその目的は? 無詠唱魔術を極めることで、一体何を実現しようとしていますの?」


「えっ……目的……?」


 思わずイメルダが訊き返してしまう。

 これまで彼女はひたすら呪文詠唱の省略を目指してきた。そのために幾つもの新しい術式を編み出してきたし、その応用も模索し続けてきたのだ。

 その理論と術式はこれまでにない画期的なものだとして、実際に王国アカデミーから最高学術賞を授与されるほどだった。


 それをいきなり目的と尋ねられても答えようがない。なぜなら、これまで意識したことがなかったからだ。

 名だたる先人たちがこぞって解き明かそうとしてきた無詠唱魔術の深淵。それを覗き見ることばかりに執着して、その先にあるものを疎かにしていた。


 今さらながらに気付かされ、何を言えばいいのかわからぬままに口を閉ざしたイメルダ。彼女へリタが追い打ちをかける。



「なんですの? もしや答えられませんの? それだけ長く研究を重ねながら、行き着く先にあるものを思い描いたことはありませんでしたの?」


「そ……それは……」


「手段が目的になっている。今の貴女はまさにその状態ですわ。だから初めにボタンを掛け違えてしまうのです。なぜ貴女は人生を賭してその研究を続けているのか。今一度初心に帰って考え直すべきだと思いますわよ」


 相変わらずの笑みを浮かべたままリタが言う。

 決して人を馬鹿にするものではなく、かといっておもねっているわけでもない。彼女にとっては平常運転そのものだったが、それが今のイメルダには癪に障ったらしい。己とリタの身分差さえ忘れてキッと睨みつけた。


「な、なにをしたり顔で……いい加減に人を馬鹿にするのはおやめください! これまで私がどんな思いで研究を続けてきたのか、それが貴女にわかりますか! 無詠唱魔術を解き明かせば次代の魔術界の礎になる。ひいては魔術師協会、さらには国のお役に立てるのです! その思い一心で頑張ってきたというのに、ある日突然、研究をやめて現場に出ろと言われてしまった!」


「……」


「対して貴女はどうなのです!? 国を代表する財閥系貴族家に生まれて何の不自由もなく大切に育てられた。財力に物を言わせてロレンツォ・フィオレッティなどというエリートを師に雇い、ずっと手取り足取り指導されてきたのでしょう!? そして若くして天才の名をほしいままにした。容姿に恵まれ、王国屈指の名家へ嫁ぎ、愛する伴侶を得て子宝にも恵まれた順風満帆な人生。――それに比べて私はどうなのです! 他人ひとが恋愛にうつつを抜かす間も一人研究に明け暮れ、気付けばもうこの年。もとよりこの容姿ですもの、結婚なんてとうに諦めていたけれど、せめて人並みの人生を歩んでみたかった!」


「結婚……?」


「リタ様。貴女は魔術の修行を始めて何年になりますか? 随分とお若いようですが、そのお年だと精々10年かそこらといったところでしょう。対して私はもう30年も魔術界に身を置いているのです! それを今さら貴女のような小娘に言われたくなどありません!」


「小娘……?」


「えぇそうです、小娘ですよ! そう言って何が悪いのです! 確かに貴女は『ムルシアの魔女』と謳われるほどの偉大な魔術師に違いありません! あれだけの名声と実績をその若さで得ているのは尊敬に値すると言っていい。けれどすべては、恵まれた環境のおかげなのではありませんか!?」


「恵まれた環境……ですって?」


「その通りではありませんか! 確かに持って生まれた才能もあるでしょう。けれどそれ以上に環境に恵まれていたとしか言いようがない! 私なんか泥水をすすりながらすべてを一人で作り上げてきたというのに!」


 言っているうちに興奮してきたのか、遂にイメルダが感情を爆発させる。真面目で寡黙な彼女ゆえにこれまで決して口に出したことのなかった秘めた思い。

 しばらくそれを大人しく聞いていたリタだったが、次第にその表情が変わっていった。


 それは無表情だった。

 ある時を境にすぅっと表情が消えたかと思うと、まるで能面のような顔になったのだ。そしてジッとイメルダを見つめながら静かに口を開いた。



「ほぅ……なかなかに言うてくれるのぉ。お前はわしが何の努力もせずに、何も捨てずにここまで辿り着いたと言うのか。なるほどのぉ」


「えっ……?」


「まったく、笑わせるでない。30年魔術に携わってきたじゃと? そんなものは屁の突っ張りにもならぬわ。わしに言わせればたった・・・の30年に過ぎぬ。――遥か昔より脈々と受け継がれてきた深淵なる魔術の世界。基礎の習得に50年。応用に50年。くわえて無詠唱魔術の理論構築と実践に100年を費やしてきたこのわしが、恵まれた環境だけでここまできたと申すか?」


「あ、あの……リタ様?」


「ふざけるでないわ、この小童こわっぱが! 冗談も休み休み言え! ――ならば教えてやろう。本当の無詠唱魔術とはどういうものかをな。このわしが200年もの歳月をかけて培ってきたもの。それを見せてやろうではないか、思う存分な。さぁ、覚悟せぇよ!」


 表情どころか、口調すらも突然変わったリタが無表情のままイメルダを見つめる。

 愛らしくも美しい侯爵夫人然としていたにもかかわらず、今の彼女にはまったくその片鱗は見られなかった。



―――――――――――――――――



宣伝です。


11月2日に「拝啓勇者様」のコミック第一巻が発売になりました。

全国の主要書店、またはネット通販にてお買い求めいただけます。


また11月17日より電子書籍版も発売になりました。

こちらも主要電子書籍サイトにてお読みいただくことができます。


おまけとして、懐かしい幼女時代のリタの書き下ろし短編小説も付いていますので、この機会にお手に取っていただけますと幸いです。


詳しくは近況ノートをご覧ください。

https://kakuyomu.jp/users/chikuwa660/news/16817330667153633639


よろしくお願いいたします。


黒井ちくわ

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