公爵家の茶会 その6

 本当の模擬戦を見せてやる。

 そう告げたリタの姿を、イメルダはまじまじと眺めるしかなかった。

 しかしそれも仕方がない。見ればその下腹部はふっくらと膨らんでいたのだから。


 未だ安定期に入っていない妊娠三ヶ月。一番安静にしなければいけない時に、魔術の模擬戦などさせられるわけがない。けれどリタは応じてやると息巻いている。


 果たしてどうしたものか。迷いとともに視線を遠くへ投げれば、変わらずニンマリとした笑みのノエラが軽く顎をしゃくって見せる。

 それを見たイメルダが、不意に表情を消してリタに答えた。


「畏まりました。ならばお望み通り、一対一の模擬戦を承ります」



 茶会の会場よりもさらに奥、自然の景観を生かした広い庭の一角に模擬戦の場が急ぎ設けられた。といっても何もない、だだっ広いだけの馬場を利用しただけだったが。

 準備も終わり、リタがそちらへ向かおうとしていると、泣きそうな顔のミュリエルが縋りついてくる。


「リタ様……どうしても戦われるおつもりですか? やはり考え直した方が……」


「大丈夫よミュリエル。この程度のことでどうにかなるほど、やわな私じゃないから。あなただってわかっているでしょう? 私がカルデイアで何を成してきたのかを」


「もちろんです! でも……でも……そのお腹には大切なお子が……侮るわけではありませんが、万が一にもリタ様が……」


「まぁね。確かにここには愛する我が子が宿っている。大事な大事なあの人の子がね。だからこそ私は負けたりしない。約束する、必ず何事もなく戻ってくると」


「あぁ……リタ様……」


 自分が戦うわけでもないのに、まるで己のことのように心配する専属メイドのミュリエル。15歳という実年齢の割には幼い顔をくしゃくしゃにして、行かせないとばかりに必死に取り縋る。

 そんな二人の姿は、まるで実の姉妹が今生の別れを惜しんでいるようにしか見えなかった。



「イメルダ。せっかく廻ってきたこの機会。リタ、ムルシア、そして魔術師協会の名を貶める絶好の好機に他ならない。決して負けは許されないわよ」


「はい奥様。重々承知しております」


 涙なくしては見られないリタたちに対して、こちらはこちらで鼻息も荒く檄を飛ばしていた。

 得意の的当てで圧勝してリタの名を損なって、偶然起こった「不測の事態」とやらでその顔にも傷をつける。ムルシアの評判はがた落ち。いてはリタの師匠にして、魔術師協会副会長のロレンツォの株を下げて次期宮廷魔術師レースで優位に立つ。


 どこか子供じみた、いや、あまりにお粗末としか言いようのない、もはや陰謀にすらなっていない策を策と思い込み、本気で実行しようとしていたマウアー公爵家夫人のノエラであるが、ひょんなことから転がり込んできた、リアルにリタを叩けるチャンスに色めき立つのをもはや隠そうともしていない。


 自身の手駒、イメルダの顔に冴えない色が滲んでいるのにも気づかぬままに威勢よく送り出そうとする。

 そうしてリタとイメルダとノエラ。三者三様、それぞれの胸にそれぞれの思いを秘めたまま、大勢の観客が見つめる中で模擬戦が始まったのだった。




「さぁ、いきますわよ。覚悟はよろしくて?」


 淑女らしさなんてなんのその。組んだ指を盛大にポキポキ鳴らしながらリタが問い、その対面には思い詰めた表情のイメルダが立つ。

 距離約20メートル。向かい合った二人が互いに様子を見ていると、その間を甲高い声が切り裂いた。


「始めなさい!」


 ノエラの合図とともに両者が動く。

 リタはその場で両腕を広げ、イメルダは両手を前へ突き出した。


「お覚悟!」


 突如発せられるイメルダの叫び。直後に両手から一筋の光が伸びていく。

 それは攻撃魔法の基礎中の基礎である魔法矢マジックアローだった。さすがに無詠唱魔術師を名乗るだけはあり、決して詠唱魔術士にはできない芸当――予備動作なしの攻撃魔法の発動をやってのけた。


 しかしそれは敢え無くリタに防がれてしまう。

 指先をほんの少し動かすだけで展開された防御術式。それにより魔法の矢は明後日の方向へ弾かれていった。


 イメルダの瞳が僅かに見開かれる。

 実のところ彼女は、自分以外の無詠唱魔術を見たことがなかった。術式の展開速度にはそれなりに自信のあったイメルダだが、それを容易に防がれた事実に正直驚きを隠せない。


 しかしそれ以上に驚いていたのは観客たちだった。

 前触れもなく突然発せられた光の矢。それを弾き飛ばした光る盾。

 魔法とは呪文を唱えて発動するものである。その常識を覆した目の前の光景に、それまでの喝采はどこへやら、その場を唐突に静寂が支配した。

 固唾を飲んで見守る観客たちの視線の先で、おもむろにリタが口を開いた。



「イメルダ。遠慮は無用と申したはずです。先に従軍したカルデイア戦役。あのとき貴女は情け容赦なく敵兵を蹴散らしたと聞いています。そのつもりでかかってきなさい」


「しかし……」


「しかしも案山子かかしもございませんわ。身重だからと手加減するつもりなら、いっそこの模擬戦を取り止めますわよ。まったく、舐めないでちょうだい」


「承知しました。ならば全力でかからせていただきます。ただし、もしもの際は――」


「もちろん自己責任ですわ。どのような結果になろうとも、このリタ、甘んじて受け入れると約束しましょう。たとえこの子に害が及んでも、決して貴女のせいにしたりはしない」


 言いながらリタが、やや膨らんだマタニティドレスの下腹部を優しく撫でる。それを見たノエラが、我が意を得たりとばかりにニンマリと周囲へ告げた。


「皆様聞きましたわね。この模擬戦、すべてはリタ様の責任のもとに行われるのです。どのような結果になろうとも当家は一切関知いたしませぬ。ここにいる全員が証人であることをお忘れなきよう。――さぁイメルダ。思う存分におやりなさい」


 万が一の不測の事態。もしも起きたとしても一切責任は問われない。

 体よく責任回避の名分ができたとほくそ笑むノエラと取り巻きたちに対して、変わらずイメルダは強張った表情を浮かべたままだった。

 彼女へリタが続けて言う。


「さて、飼い主の許可も下りたことですし、もはや何の遠慮もいりませんわよ。さぁ、さっさとかかってらっしゃい。それとも、こちらからいきましょうか? こんな風にね!」


 言いつつリタが右手を突き出す。すると直後に炎の塊が飛び出してきた。

 それはあまりに早すぎて、もはや一般的な魔法という概念からも外れていた。瞬きをするより早く生み出された大きな火球が、一直線にイメルダを襲ったのだ。


「くっ!」


 咄嗟にイメルダが両手を眼前に突き出した。並の詠唱魔術師ならば到底間に合わない刹那に発動された防御術式が、ぼうっとした淡い光とともに炎の球を受け止める。

 周囲に轟く炸裂音と網膜に焼き付く眩い閃光。誰もが最悪の結果を予想していると、もうもうと立ち込める煙の向こうから変わらぬイメルダが姿を現した。


「はぁはぁはぁ……」


「うふふ、さすがは実戦経験者。机上の空論ばかり捏ねくり回す丨青瓢箪あおびょうたんとは一線を画してますわね。私の攻撃を真正面から防いでみせた方は本当に久しぶりですわ。けれどまだ始まったばかり。さぁ次は貴女の番。どんな術を見せていただけるのか楽しみですわ」



 小柄で華奢(しかし巨乳)な体躯と童顔のせいで年齢の割に幼く見えるリタではあるが、この時ばかりは年相応の妖艶な笑みを窺わせていた。

 すると今度はイメルダが右手を突き出した。


 それは前回と同じ魔法の矢マジックアローだった。しかし今度は休む間もなく連続で撃ち出される。

 従来の詠唱魔術では到底不可能な連射能力。少しでも魔法を知る者ならば、それが如何に常識を打ち破るものであるかはすぐに理解したはずだ。事実、観客の中には、その能力に舌を巻く者もいた。


 けれどリタは平然としたまま次々と矢を弾いていく。

 それも防御術式を自身の前面に広く展開するのではなく、あらかじめ予測した着弾位置に薄く小さく、必要最低限の大きさで広げていた。

 

 それは限られた魔力を有効活用するための実戦における必須能力だった。しかし言うは易く行うは難し。誰もが一朝一夕に行えるものではない。

 それだけで目の前の「ムルシアの魔女」が、実戦経験豊富な歴戦の魔術師であることを思い出させるには十分だった。


 未だ少女にしか見えない幼気な童顔の裏に隠された、王国の西の盾――西部辺境侯爵家次期当主夫人としての顔。夫の代わりに次期将軍職を取り仕切るのではないかと囁かれる武闘派魔術師の本性。それらがちらちらと垣間見え始めた姿に、思わず周囲の私語が減る。


 そうこうしているうちに、リタがすべてのイメルダの攻撃を叩き落としてしまう。

 悔しそうに歯噛みするイメルダと、息をする間もないまま事の推移を見守る観客たち。その前で再びリタが口を開いた。



「さすがは最高学術賞を受賞した無詠唱魔術だけはありますわね。ここは素直に褒めて差し上げましょう。自分で言うのもアレですが、わたくしと師匠が打ち立てた無詠唱理論は、あまりに高度すぎて理解はできても実践できないと言われてきました。ゆえに人を選ぶと。対してあなたの理論はその敷居を一気に引き下げるものと言っていい。特にあの魔術式の圧縮と伸長のアルゴリズムにはさすがの私も感心させられました」


「……」


「とは言え、あまりに粗削りが過ぎる。一見すると汎用性の高い完璧な理論のようですけれど、いたる所に穴が見えますわ」


「あ、穴……?」


「えぇ穴。大穴ですわ。矛盾と言い換えてもいい。はっきり申します。あなたの理論には重大な欠陥が隠れておりますの。大変言い難いことですけれど、手遅れになる前に根本から組み立て直すべきかと存じますわ」


 指を差し、イメルダの至らなさを情け容赦なくリタが言及する。

 それにはさすがのイメルダも神経を逆撫でされてしまう。自分よりも二十も年下の若輩者といっても過言ではない女に、あろうことか真正面から否定されたのだ。まったく情け容赦のない、歯に衣着せぬ言葉とともに。


 確かにロレンツォの弟子などという恵まれた環境であるうえに、幸か不幸か、実戦経験だって豊富だ。なんなら身分だって雲の上の存在である。それでも魔術に関わってきた年数も、蓄積してきた知識もなにもかも自分の方が上なのだ。

 そこへ思い至ったイメルダが語気強く言い返した。


「なにを知った風なことを! ちょっと私の論文を斜め読みしたくらいで、すべてをわかった気にならないでいただきたい! 一体どこにそんな矛盾があるというのです!? むしろ詳しく教えてほしいくらいですわ! もしも説明できるならね!」

 

「ふふふ、そんなの言うまでもありませんわ。なぜならその矛盾は、とっくの昔に私がぶち当たったものですから。そして結局は解決できずにお蔵入りさせた」


「……え?」


「ここまで言ってもまだわかりませんの? 貴女が自分で考え出したと思っている無詠唱魔術の理論。それは私がとうの昔に検討、精査して、とっくに諦めたものに他ならないと申しているのです」


「な、なにを馬鹿な! そんなでたらめを言って揺さぶろうとしても無駄ですよ! 私の理論は私が一番理解しているのですから!」


 嘘か誠かハッタリか。そのいずれかはわからない。

 それでも強気の姿勢を崩すことなくイメルダが言い返すと、ふふふと笑ってリタが答えた。


「ならば実際に見せて差し上げますわ。幾ら理論を捏ね繰り回したところで実践できなければ意味がありませんもの。物理事象として再現できない理屈と理論。それはまさに空論以外の何物でもございませんから」


 そう言って笑うリタと顔を強張らせるイメルダ。

 まったく対照的な二人の姿を、観客たちは無言のまま見つめるしかなかった。



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しつこいですが宣伝です!


11月2日に「拝啓勇者様」のコミック第一巻が発売になりました。

全国の主要書店、またはネット通販にてお買い求めいただけます。


また11月17日より電子書籍版も発売になりました。

こちらも主要電子書籍サイトにてお読みいただくことができます。


おまけとして、懐かしい幼女時代のリタの書き下ろし短編小説も付いていますので、この機会にお手に取っていただけますと幸いです。


詳しくは近況ノートをご覧ください。

https://kakuyomu.jp/users/chikuwa660/news/16817330667153633639


よろしくお願いいたします。


黒井ちくわ

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