公爵家の茶会 その3

 マウアー公爵夫人、ノエラの主催する茶会。それへ出席するためにリタは二日も馬車に揺られてきたのだが、これは貴族の常識から言って有り得なかった。

 

 そもそも茶会とは、親しい者たちで行う気軽なものである。普段から付き合いのある貴族のご婦人たちが、軽食をつまみながら茶飲み話に興じるというのがその趣旨だ。

 にもかかわらず、派閥が違うどころか面識さえない遠方の貴族の若奥方を、わざわざ前乗りさせてまで呼び寄せる意味がわからない。


 そのうえ付けられた世話役のメイドは、巧妙に偽装した魔女と思しき女だった。

 これはなにかあるに違いない。リタのみならず、お付きの者たち全員がそう思わざるを得なかったのだが、当のメイドは何を聞いても決して尻尾を出そうとしなかった。


 どうせ偽名だろうが、ルイーズと名乗ったそのメイドは、見たところ夫人のノエラとそう変わらない年齢のようだ。ということは、恐らく40過ぎだろうか。

 スラリと背が高い……と言えば聞こえはいいが、まったく肉感のない身体はまるで枯れ木のように細くひょろりとしており、決して整っていると言えない顔はどこか爬虫類を連想させた。


 そんなルイーズが事あるごとに顔を出し、甲斐甲斐しくもリタの世話を焼こうとする。こちらにもメイドがいるからとやんわり断わりを入れてみても、一向に言うことを聞こうとしなかった。

 その女が夕刻になって再びリタの部屋へ顔を出す。要件は夕食の呼び出し。もちろん断る理由のないリタは、女主人が待つ食堂へと足を運んだのだった。



「いかがです、リタ様。お寛ぎいただいておりますか?」


 食堂へ着くやいなや、リタの姿を認めたノエラ夫人が開口一番そう告げた。

 自ら招待しておきながら、昼の出迎えから後、今に至るまでノエラはリタと顔を合わせていなかった。それは長旅によるリタの疲労を慮ってのことなのか、単に忙しかっただけなのかはわからない。

 いずれにしても隙のない笑みの下に本音を隠してご機嫌を伺おうとする。対してリタも、やはり隙のない笑顔で返した。

 

「それはもう。これまでも様々なお屋敷に泊まりましたが、このような素晴らしいお部屋は初めてですわ。未だ若奥方と呼ばれる若輩者。こんなわたくしごときに、あれほどのお部屋を用立てていただき恐縮至極に存じます」


「何をおっしゃいますの。わざわざムルシア領からお越しいただいたのですから、最上のおもてなしをせねばバチが当たるというもの。そもそもわたくしの方から招待しましたのよ。恐縮などせずともよろしいですわ」


「ありがとうございます。そう仰っていただけますと肩の力も抜けます」


「うふふ、若者に遠慮は無用。年配者の気遣いには素直に応じるのが礼儀というものよ。その点貴女は率直でいいわ。さすがは名門ムルシア家の若奥方だと感心するところです」


 単なる挨拶に見えて、そのじつ腹の探り合い。

 これは毎度おなじみ貴族の腹芸である。けれどこの場は少々リタに分が悪かった。


 ノエラがホストでリタはゲスト。それどころか、遠路遥々はるばる呼び出されたのだから、普通であればリタはもっと大きな顔をしていいはずだ。しかし相手は格上の公爵夫人。どう逆立ちしたってそんな態度が許されるはずもなかった。


 自由奔放、慇懃無礼、傲岸不遜。目上の者にも臆さず正論をかざす。

 社交界の者たちはリタに対してそんなイメージを持っている。けれどそれは、あくまでリタと敵対した者たちの末路を見たからに過ぎず、実際の彼女はいたって常識的な人物だった。(まぁ、少々破天荒が過ぎるきらいはあるが)


 だからリタは、未だ何もやらかしていない夫人に対してマウントを取ることができず、当たり障りのない会話に終止するしかなかった。

 そのリタが、ふと気づいた疑問を口にする。


「失礼ながら、公爵様のお姿が見えないようですが?」


生憎あいにくと主人は外出中ですの。なんでも陛下に呼ばれたとかで登城しておりまして、帰りは3日後になると申しておりましたわ」


「そうですか。それは失礼いたしました」


 何気ないノエラの返答に、意図せずリタが違和感を覚えてしまう。


 ざっと周囲を見渡してみる。

 するとそこには、リタと同じように前日入りしてきた貴族たちが集まっていた。その数10名。すべてが夫婦同伴で、一人なのはリタだけである。

 

 貴族の夫人が開く茶会。それに夫が同伴するなどおよそ聞いたことがない。

 今回はやむを得ず同行できなかったリタの夫であるが、彼さえも招待されていたわけではなく、勝手についてこようとしていただけだった。

 

 常識的に言うなら、当主の不在を知っていながら屋敷を訪れるのは失礼に当たる。百歩譲って夫人だけならまだ許されるかもしれないが、夫まで伴っているのはさすがに非常識極まりない。

 にもかかわらず、一体これはなんなのか。これでは家主に断りもなく勝手に上がり込んでいるようなものではないか。


 気になる。とっても気になってはいるのだけれど、完全アウェーのこの場ではとてもリタには尋ねることができなかった。

 


 ◆◆◆◆

 


 ここはマウアー公爵夫人、ノエラの私室。

 時刻はすでに夜半すぎ。夕食会もとうに終わり、すでに客たちも各々の部屋で寝息を立て始める頃合い。湯浴みを終えたノエラが部屋着で寛いでいると、そこへ一人のメイドがやってきた。


 スリムといえば聞こえはいいが、単に痩せぎすな年嵩としかさのメイドである。見たところ年齢は40歳過ぎくらいだろうか。

 その女が慇懃にもうやうやしく口を開いた。


「お待たせいたしました。本日の役目がすべて終わりましたので、ご報告に参りました」


「ご苦労様、イメルダ。慣れぬメイドの仕事に疲れたのではなくって? 報告が終わったら休んでいいわよ」


「恐縮です。お言葉に甘えさせていただきます」


「それで、リタ・ムルシアはどうだった? わざわざメイドのふりまでして近づいたんですもの。何か得るものはあったのかしら?」


「はい、おかげさまで。巷で『ムルシアの魔女』と謳われる御仁ですから、どれほどのものかと思っておりましたが、噂ほどの強い魔力は感じられませんでした。あるいは上手く隠しているのかもしれませんが、特に問題ない程度かと」


「そう。ならば予定通りに事を進めるわよ。よろしくて?」


 湯上りに飲んだワインが効いているのだろうか。ほんのりと頬を赤らめたノエラが訊いてくる。それへイメルダと呼ばれたメイドがおずおずと答えた。


「はい……実はそのことですが……本当に問題ないのでしょうか。アンペールもレオジーニも、そして先日のシェロン家もそうですが、皆リタ様へ手を出そうとして返り討ちにあっています。敵対した者たちはすべて家ごと滅ぼされているのです」


「ふふん。そんなの問題ないわ。幾つもの家が潰されているのは事実だけれど、そのすべてがあの子一人の力のわけないじゃない。騒動の裏に貴族家あり。ムルシアもレンテリアもラングロワも、そのときどきに裏で動いていたに違いないわ」


「そうかもしれませんが……それでも侮るべきではないかと。先般の戦役では敵城を単身で攻め落としたとも聞き及びますし」


「それだって眉唾ものよ。こと戦場においては、兵たちを鼓舞するために戦果を大げさに吹聴するのは珍しくないもの。ならば問うけれど、そもそも一人で城を落とすだなんてできると思う?」


「いいえ無理でしょう。どのような手を使ったかはわかりませんが、とても一人でできるとは思えません。ですが……」


「どうしたの? もしや、この期に及んで怖気づいたとか言うつもり?」


「そうではありません。決してそんなことはございません」


「ならいいけれど。――よもや忘れたわけではないでしょうね。次期宮廷魔術師の候補に上がっているのは、お前とロレンツォ・フィオレッティの二人だけ。けれどロレンツォといえばの有名な『隻腕の無詠唱魔術師』にして王国魔術師協会のナンバー2。対してお前には、王国アカデミーで最高賞を受賞した魔術研究論文の著者という肩書しかない」


「……」


「確かにお前は従軍魔術師として先の戦役では目覚ましい戦果を挙げた。しかしそれを言ってしまえばロレンツォも同じ。いいえ、むしろ彼の方が評価は高いと言っていい。なにせ陛下のお嬢様とお孫様を救い出した先遣隊のメンバーだったのだから」


「……」


「そんなのとまともに競えるわけがないじゃない。けれどお前には競り勝ってもらわなければならないのよ。なんとしてでも我がいえから次期宮廷魔術師を拝出しなければならないの。国から支払われる報奨金と手当のためにもね。それは十分わかっているでしょう?」


「もちろんでございます。魔術しか脳のないこんな私を拾ってくださったのですから、奥様方には感謝しかございません。その恩に報いるためにも、必ずや次期宮廷魔術師の座を射止めてご覧に入れます」


「ふふ、それでこそイメルダね。頼りにしているわよ」


「お任せください」


「とはいえ相手は魔術師協会のナンバー2。正攻法では難しいのもまた事実。――そこでリタよ。あの子がロレンツォの一番弟子なのは有名な話なのだから、それを模擬戦で叩きのめしてやれば師匠の評価も下がるというもの。それに今や飛ぶ鳥を落とす勢いのリタに、吠え面をかかせることもできるしね」


「……」


「ねぇイメルダ。お前は悔しくないの? あのように若く美しいどころか、富も名声も地位も、そして愛する家族さえも手に入れているリタが目障りではないのかしら?」


 計るようなノエラの視線。見つめられたイメルダの表情が徐々に変わっていく。

 それは嫉妬だった。ねたみ、そねみ、他人を羨む仄暗い感情。決して褒められないそれらに支配されたイメルダが無言のまま頷く。

 それを見たノエラがにんまりと口角を上げた。


「ならば痛い目にあわせてやればいい。そしてあの自慢の美貌に傷の一つでも付けてやることよ。同意のもとでの模擬戦であれば、たとえ傷が付いたとしても文句は言えないわ」


「けれど奥様。彼女が申し出を受けてくれるでしょうか。もしも断られたら――」


「うふふ、心配には及ばないわ。所詮は茶会の席の余興。万が一にも断られたら、その時は負けるのが怖くて逃げたのだとあちこちで吹聴してあげるわよ。もちろん負けても師匠の名を下げることになるのだから、どのみちあの子に逃げ道なんてないわ」


「……はい」


「ふふ。わたくしはね、リタのことが気に入らないのよ。あの子が社交界へ姿を現した途端、馬鹿な男どもがまるで信奉者のように虜になってしまった。それまではわたくしのことを持て囃していたというのに」


「……」


「どうしても納得できないの。あれほど男どもが美しいだの可愛らしいだのと称するものだから、どれほどのものかと思って会ってみたら、とんだチビだったじゃない。確かに男好きするような姿をしているけれど、あれではまるで子供だわ。どいつもこいつも皆ロリコンじゃないのかしら。気持ち悪い」


 吐き捨てるようなノエラの述懐。それにイメルダが賛意を示したのだが、今やその顔からは一切の表情が消えていた。


「はい。確かに整った容姿をしておいでですが、顔の造形も全体のシルエットも、そして女性としての色香も到底奥様には及ばないかと存じます」


「うふふ、ありがとう。でもね、一見すると子供にしか見えない女でも、それを好む男が多いのもまた事実。実際、我が夫は首都の屋敷で18の小娘を囲っていますもの。胸と尻が大きいだけの小便臭いガキをね。――実の娘よりも若い女を寵愛するだなんて、男というのは本当に、本当に……」


 突如表情を変えたかと思えば、ノエラがギリギリと歯を鳴らし始める。

 眉間にはしわが寄り、切れ長の瞳はより一層細くなって、まるでその顔は般若のように見えた。


 それを見たイメルダ――リタにルイーズと名乗った年嵩のメイドは、変わらず生真面目そうな仕草で深く深く頭を下げたのだった。



―――――――――――――――――



ここで宣伝です!


11月2日に「拝啓勇者様」のコミック第一巻が発売になりました。

全国の主要書店、またはネット通販にて購入できます。


また11月17日より電子書籍版も発売になりました。

こちらも主要電子書籍サイトにてお読みいただくことができます。


おまけに懐かしい幼女時代のリタの書き下ろし短編小説も付いていますので、この機会にお手に取っていただけますと幸いです。


詳しくは近況ノートをご覧ください。

https://kakuyomu.jp/users/chikuwa660/news/16817330667153633639


よろしくお願いいたします。


黒井ちくわ

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る