公爵家の茶会 その2
「あの……若奥方様。そろそろマウアー公爵邸に到着いたします。恐れ入りますが、お目を覚ましていただきたく……」
遠慮がちな女の声がリタを
王国最西部に位置するムルシア侯爵領の領都カラモルテ。そこを発ったのが二日前。そして現在リタがいるのは、北の隣国――南クリキア共和国と国境線を接するマウアー公爵領の領都ヴァレット。
風光明媚な観光地として名高いこの都市は、北に位置するわりに冬は温暖で過ごしやすい。また夏は冷涼なので、首都から馬車で一日といった立地も手伝って貴族たちの避暑地としても有名だった。
この地を治めるマウアー公爵家は、ハサール王家の血を引く由緒正しき一族である。しかしそれも今は昔。本家から枝分かれしてすでに8代を経ているため、今やその血は相当に薄まっていた。
それでも王族の遠戚である事実に変わりなく、親戚の
そんなマウアー公爵の住まう邸宅の前へ、ムルシア家の馬車が
「んあぁぁぁーん! やっと着いたのねぇ!」
「リタ様……声がエッチですよ」
「えっ? 何か言った?」
「なんでもありません、気のせいです」
「そう? それにしても、やっと着いたのねぇ。なんだか今回はとっても長く感じたわ」
思わずリタが独りごちる。それに専属メイドのミュリエルが答えた。
「はい、確かに。今回の道中では特に見るべきものがなかったですからね。朝から晩までひたすら山道でしたし」
「そうなのよ! いつもなら通る町ごとに寄り道して、ご当地スイーツを満喫するのに! あぁもう、全然つまらなかったわ!」
「……そこですか。あのリタ様。申し上げておきますが、あなた様はご懐妊中の身なのですよ。まだ安定期にも入っていませんので、引き続き甘いものは控えるようにとお医者様からも――」
リタの失言にミュリエルがじっとりした視線を返した。それを受けたリタが思わずたじろぐ。
「や、やぁねぇ! 冗談よ! 冗談に決まってるじゃない! ミュリエルったら真に受けちゃって。もう、真面目ちゃんなんだから!」
「……真面目とか不真面目とかではありません。私はリタ様のお身体を案じているのです。いいですか? そもそもリタ様は――」
「へ、へぇ! ここがマウアー公爵邸ね! さすがは貴族たちがこぞって押し寄せる避暑地だけはあるわね! 聞きしに勝る素敵なお屋敷だこと。見て見て! あぁ、自然との調和が素晴らしいわぁ!」
「そうですね。総石造りのムルシア邸も重厚で素晴らしいですが、自然の景観と合わせた木造のお屋敷というのも、これはこれでとても美しいと思います。それでお話の続きですが――」
「さ、さぁミュリエル着いたわよ! 出迎えもいることだし、さっさと馬車から降りちゃいましょうか!」
最近とみに多くなってきたミュリエルの小言。それを遮るように慌ててリタが立ち上がり、自らドアの取手に手をかけた。
マウアー公爵邸の正門へ向かって歩く、ムルシア侯爵家の若奥方一行。
主人であるリタを先頭にして、専属メイドのミュリエルと他2名が続く。
その後ろを侍従のダニエルが、そして周囲を専属護衛のエクトルを始めとする護衛騎士4名が固める。その他にも馬車の御者と護衛が5名いるのだが、彼らは現在別室にて待機中だ。
ちなみに、スケジュールが合わなかった夫と、長旅が無理な娘は屋敷へ残してきた。今頃は祖父と祖母が嬉々として孫の面倒を見ていることだろう。
このように、たかが茶会に参加するにはいささか物々しい集団ではある。
けれどこれもやむを得ない。なぜなら、マウアー家と付き合いのないムルシア家、ひいてはリタにとってこの場は完全アウェー以外の何物でもなかったからだ。
誰一人として味方はいない。さすがに夜会などで見知った顔が幾人かはいるだろうが、それとて片手に余るくらいだろう。
とはいえリタは王国の西の盾――西部辺境侯爵家の嫁である。さすがに表立って敵対されたりしないだろうが、それでも何が起こるかわからない。
前回の騒動では、拉致されかけた挙げ句に殺されそうにまでなったのだ。厳重すぎる警戒がマウアー家に不快感を与えることは承知していたが、ムルシア家としてこれだけは譲れない一線だった。
もっとも当のリタにとってはひたすら些細なことである。いざとなれば得意の広域殲滅魔法によって、屋敷ごと焦土へ化すだけなのだから。
紛れもない実力に裏打ちされた揺るぎない自信。
完全アウェーな場所においてもいつもと変わらぬ落ち着きを見せるリタに、お付きの者たちが頼もしそうな視線を向ける。するとそこへ屋敷の者たちが出迎えに出てきた。
人数は3名。
明らかに執事とわかる壮年の男が一人と、ベテランらしき
その女がぎりぎり失礼にならない程度にリタを眺め回しつつ口を開いた。
「リタ・ムルシア様、ようこそおいでくださいました。わたくしはマウアー公爵家が夫人、ノエラと申します。よしなに」
挨拶を口にしながら、値踏みするような視線をノエラが向けてくる。それを人好きのする笑みで隠す彼女に対してリタも満面の笑みを返した。
「リタ・ムルシアです。この度はご招待いただきありがとうございます」
「突然の招待に、さぞ驚かれたことでしょう。にもかかわらず、遠くまで足をお運びいただき誠に恐縮に存じます。ささ、どうかこちらでお休みください。ご案内いたします」
言いながらノエラが歩き始める。落ち目とはいえ、マウアー公爵家は王家に繋がる由緒正しき家柄である。そこの夫人であるノエラの腹の中では様々なことが渦巻いているのだろうが、その一切を垣間見せずに満面の笑みを顔に浮かべたままだった。
「予定通り、茶会は明日の十四時からです。それまではこちらの客室にて、ごゆるりと旅の疲れを癒していただきたく存じます」
変わらず人好きのする笑顔のまま、ノエラが客室の一つを案内する。それから後のことを脇に控えるメイドに任せて執事とともに去っていった。
今回の茶会はノエラがホストを務めている。だから一人の客にそれほど時間を割いていられない。それはわかる。わかるのだが、それにしては対応がおざなりと言わざるを得なかった。
果たしてリタがどれほどの客なのかはわからない。けれど派閥の垣根を越えて招待するくらいなのだから、恐らくは特別な存在であるはずだ。
その証拠に、案内された客室は別格と言っても差し支えないほどの豪華さだった。
部屋の広さは言うに及ばず、内装から建具、置かれている家具に至るまですべてが一級品といっていい。もちろん掃除は行き届いており、どこを見たって埃一つ落ちていなかった。
物珍しさのためか、それとも警戒か。部屋の中へざっと目を通すリタとミュリエルと護衛騎士たち。その背へ年嵩のメイドが声をかけてくる。
「
「よろしくね、ルイーズ」
「こちらこそよろしくお願いいたします。どうぞリタ様。自室だと思って遠慮なくお寛ぎください。それと、お付きの方たちの控えの部屋はこちらにご用意してございますのでご安心を。このドアから直接出入りできます」
「ありがとう。さすがは名高いマウアー公爵邸ですわね。すべてが素晴しく、ゆっくり寛げそうですわ」
「お褒め頂き恐縮でございます。長旅で喉も乾いたことでしょう。ただいまお茶をお入れしますので、少々お待ちくださいませ」
恭しい態度でメイドが去っていく。そしてドアが閉められたところで再びリタが口を開いた。
「ねぇミュリエル、気付いていたかしら。あの女……メイドじゃないわ」
「えっ……?」
「巧妙に隠していたけれど間違いないわ。見てごらんなさい、魔力の残滓が漂っているもの。いくら隠したところで、私の目は欺けないわよ」
「魔力……ですか? では、あのメイドは――」
「魔女ね。断言したっていい。それも相当な手練れと見たわ。――さぁ、面白くなってきたわよ。わざわざこんなヴァレットくんだりまで私を呼び出したんですもの。その真意とやらをとくと拝見させてもらおうかしら」
決して
そんな表情をしていても彼女は十分以上に美しく、そして可愛らしかったのだが、それを見たミュリエルと騎士たちがいつぞやの拉致事件を思い出して顔を青ざめさせた。
腹芸のできない者は長生きできない
それくらい本音と建前、そして嘘と真実が入り乱れる貴族の社会において、言葉の裏を読めない者は即座に淘汰される。
そんなわけだから、海千山千、
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全国の主要書店、またはネット通販にて購入できます。
また11月17日より電子書籍版も発売になりました。
こちらも主要電子書籍サイトにてお読みいただくことができます。
また、懐かしい幼女時代のリタの書き下ろし短編小説もおまけに付いていますので、この機会にぜひお手に取っていただけますと幸いです。
詳しくは近況ノートをご覧ください。
https://kakuyomu.jp/users/chikuwa660/news/16817330667153633639
よろしくお願いいたします。
黒井ちくわ
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