公爵家の茶会 その1
「あぁん、ミーナちゃん! そうそう、その調子よ!」
「凄いよミーナ、もう少しだ!」
ムルシア侯爵領の領都カラモルテ。その中心に位置する豪奢な屋敷の一角に喜々とした声が響いていた。
一人は濃い茶色の髪を綺麗に撫で付けた20代前半の若い男。そしてもう一人は、白に近いプラチナブロンドの髪をいささか時代遅れな縦ロールに整えた滅多に見ないほどの美少女。
もちろんそれはムルシア侯爵家の若夫婦であるフレデリクとリタだ。
この二人がなにやら朝っぱらから歓声を上げているのだが、見ればそこにいたのは二人の愛娘――ヴィルヘルミーナだった。
絵に描いたような「よちよち」とした足取りで、満面の笑みとともに両親へ向かって歩む小さな幼女。数日前に一歳になったばかりの女児が、両手を前へ突き出しながら一歩ずつ歩を進めていた。
それを見守るリタとフレデリクが、今にも抱きしめそうな勢いで両腕を広げて待ち受ける。そしていつ転びそうになってもいいように、ヴィルヘルミーナの背後にはリタ専属メイドのミュリエルが控えていた。
幼児用の簡素なドレスに身を包んだ天使のような女児と、娘を溺愛する若い夫婦。まさに幸せとしか言いようのないその光景は、誰の顔にも笑みを浮かべさせる。
父と母の歓声を浴びながら、一歩また一歩とヴィルヘルミーナが前へと進んでいく。そしてついに母親の胸へ飛び込むと、その上からフレデリクが両腕で包み込んだ。
「あぁミーナ! とっても上手だったよ! その調子なら、すぐに走り回るようになるんだろうなぁ」
「そうね、あなた! きっとすぐに違いないわ!」
「なぁリタ、僕は思うんだ。うちの娘は天才なんじゃないかってね! まだ一歳になったばかりなのに、もうこんなに上手に歩けるんだから!」
「本当に! きっとミーナは特別なのよ!」
愛する娘に溢れんばかりの賛辞を浴びせて、リタとフレデリクが恍惚とした表情を見せる。それは誰がなんと言おうと、子を持つ親が一度は罹患する「親馬鹿病」以外のなにものでもなかった。
個人差はあるものの、普通の子供であれば一歳の誕生日を迎える頃には一人で歩き始める。だからヴィルヘルミーナの発育が特別に速いというわけではないのだが、どうやら両親はそう思わなかったらしい。
確かにヴィルヘルミーナは同年代の子達に比べて小柄な体格をしている。見ようによっては発育が遅れているようにも見えるのだが、実のところそれは揃って小柄な両親に似たせいだった。
母親に似て器量が良い反面、男性としては背が低いフレデリクと、これまた母親から「低身長ロリ巨乳」を受け継いだリタ。この二人の遺伝子を継いでいるのだから、ヴィルヘルミーナが小柄なのも無理はなかった。
いや、それどころか、これまで病気らしい病気をしてこなかった事実を思い返せば、未熟どころかむしろ頑強と言っていいほどだ。
とはいえ親とはそういうものである。いくら医師や乳母に問題ないと告げられようと、我が子の微妙な変化を拾っては右往左往する。特にヴィルヘルミーナは二人にとって初めての子供だったから、過剰なほど気にかけるのも仕方がなかった。
そんな若夫婦が愛する娘を思う存分に撫でまわしていると、そこへ横から声がかけられた。
「ねぇリタ。取り込み中に申し訳ないのだけれど、少しよろしいかしら。今朝の早馬で届いたのだけれど、あなたにお手紙が来てるわよ」
それはフレデリクの母にしてリタの義母。そしてここムルシア侯爵家の奥方でもあるシャルロッテだった。
平均寿命が50代半ばのこの時代。現在42歳の彼女はとっくに中年を過ぎていたが、巷で話題の「美魔女」を地で行くその美貌は未だ健在だ。
むしろその年齢でしか醸せない色香を漂わせるその様は、経産婦ながら未だ美少女と名高いリタでさえ「小娘」と一蹴してしまうほど艶めかしい。
その義母が、息子の嫁へ一通の封筒を手渡した。
「これは……」
「その紋章はマウアー公爵家ですわね。突然どうしたのかしら」
シャルロッテが不思議そうに小首を傾げる。
するとフレデリクも同じような顔をした
「本当ですね。マウアー家とはほとんど付き合いはないはずですけど。父上宛ならわかりますが、どうしてリタ宛なのでしょう」
「さぁ……」
フレデリクが言う通り、ムルシア家とマウアー家とはほとんど付き合いがない。精々が年に一度の国王拝謁の際に顔を合わせる程度で、手紙を送られる理由などまったく思いつかなかった。
一応は公爵家なので、シャルロッテの実家であるバルテリンク公爵家とは親戚関係にある。けれどもう8代も前に枝分かれした傍系の傍系でしかなく、今となっては他人とそう変わらなかった。
そんな家から突然リタへ手紙が送られてきたのだから、皆が首を捻るのも無理はない。
当主のオスカル宛ならまだわかる。付き合いはなくとも、マウアー家の当主とは年に一度は必ず顔を合わせているので既知の間柄と言っていい。
けれど何故にリタなのか。
周囲から興味深々の視線が集まる。そうなればリタもこの場で手紙を開封せざるを得なくなってしまい、止む無く封を開けて中身を取り出し、素早く視線を走らせた。
「……えぇと、お茶会の招待状ですわね。簡単に申し上げれば」
「お茶会?」
「はい。この度、マウアー公爵夫人がお茶会を主催なさるそうです。それに
「あら、そう……」
突然シャルロッテが拍子抜けした顔をする。
散々訝しんだものの、蓋を開けてみればなんてことのないお茶会の誘いだった。
貴族の奥方が他家へ茶会の誘いをすることは珍しくない。
男が夜会で密談を交わすように、女は女で集まって、あぁでもない、こうでもないと噂話に興じるのだ。
もちろんそれが目的ではなく、表では取りとめのない話をしつつも、裏では盛大な駆け引きが行われるのだが。
手紙の内容に一度は気が削がれたシャルロッテだったが、ふと思い当たって再び口を開いた。
「それはそうと、どうしてあなたへ招待状を送ってきたのかしら。リタはマウアー公爵夫人とお会いしたことがあったかしら?」
「いいえ、ございません。お名前は存じ上げておりますが、これまでお会いする機会もありませんでしたので」
「そうよねぇ。わたくしだって最後にお会いしたのは5、6年前になりますもの。それも夫の同伴でね。そもそも我が
「ならば、なおのこと招待状の意味がわかりません。派閥も違えば面識もない、こんな小娘を誘う理由って……」
あまりの意味の分からなさに思わずリタが失言してしまう。するとすかさずシャルロッテが苦言を呈した。
「これ、リタ。小娘などと己を卑下するものではありませんよ。確かに嫁いでから日は浅いですが、あなたはすでにムルシアの子を産んでいるのです。立派な嫁であると自負なさい」
「申し訳ございません。公爵夫人と比べれば、私など取るに足らない者ではないかと。そう浅慮してしまいました。お許しを」
「いいですか。決してあなたはそのような者ではありません。ご覧なさい。こんなに可愛らしい、まるで天使のような孫を産んでくれたではありませんか」
言いながらシャルロッテがヴィルヘルミーナを抱き上げて、滑らかな頬へ頬ずりしながら目を細めた。
シャルロッテにとってヴィルヘルミーナは二人目の孫である。もちろん初孫のフェリクスも同様に可愛がっているのだが、所詮は娘が嫁ぎ先で産んだ外孫だった。
どうしたって相手の家に遠慮はあるし、気だって遣う。孫に会いたいからとそう度々押し掛けるわけにもいかず、結局は産まれてから数えるほどしか会えていなかった。
対してヴィルヘルミーナは嫁が産んだ内孫である。なにせ同じ屋敷に住んでいるのだから、なんの気兼ねもなく朝から晩まで一緒にいることだってできる。
実際シャルロッテは、あれやこれやと理由をつけては孫娘の面倒を見たがった。おかげでヴィルヘルミーナはすっかり「おばあちゃん子」になってしまい、今ではリタと乳母の次に懐く始末。
それにはさすがのフレデリクも思うところがあったのだが、それで家族が円満であるのならばと敢えて何も言わずにいた。いや、より正確に言うなら、
そのフレデリクが、気掛かりそうに妻の下腹部を眺めつつ口を挟んできた。
「なぁリタ。それで茶会はどうするんだい? 君はもう妊娠三ヶ月目だからね。僕としては大事を取って断ってほしいのだけれど」
「そうねぇ。正直に言うなら私だって行きたくないわ。相手は派閥の異なる格上の家。言わば敵の巣に飛び込むようなものだもの」
言いながらリタがちらりと見れば、それにシャルロッテが答えた。
「確かにね。普通であればこんな招待の仕方なんてしませんもの。ということは、必ず何か別の目的があるはず。――ねぇリタ、嫌なら無理に応じなくてもいいのよ。あなたは大事なムルシアの子を妊娠中なのだから。そもそも慣例を無視してきたのはあちらなのだし、なんなら、わたくしの名で断りを入れてあげましょうか?」
「お気遣いありがとうございます。けれど大丈夫です。せっかくの機会ですから招待に応じてみようかと。実を言いますと、別の派閥の内情を一度見てみたかったのです」
「そう。あなたが言うなら止めたりしませんが、くれぐれも無理だけはせぬように。さすがにムルシア家の嫁を取って食ったりはしないでしょうが、揚げ足を取られたり、難癖をつけられたりはするかもしれません。そんな時はわたくしの実家――バルテリンク公爵家の名を出してもかまいませんよ。もっともあなたであれば、それには及ばないでしょうけれど」
口では心配そうにしながらも、シャルロッテの顔にまったく憂いは見えない。
とはいえそれはもっともである。なぜならリタの過去を思い返してみれば、その暴れ振りは枚挙に暇がなかったからだ。
アンペール侯爵家をぶっ潰し、ファルハーレン公国の窮地を救ってカルデイア大公国を滅ぼした。レオジーニ侯爵家とドナウアー伯爵家を取り潰させて東部貴族の再編を促し、つい先日にはシェロン伯爵家を断絶させて、ランゲルバッハ公爵家にまで責任を取らせた。
事件の裏にリタあり。
そう言われても仕方ないほどに、ここ数年に起こった大きな出来事の裏側には必ず彼女がいた。そのほとんどがリタ自らが起こしたものではなかったけれど、彼女なくしては起こり得なかったのも事実である。
はてさて、今度は何が起こるやら。
面倒事の気配に思わずため息が漏れそうになるシャルロッテだが、反面その顔には面白そうな表情が浮かんでいた。
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よろしくお願いいたします。
黒井ちくわ
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