姉と弟の矜持 その17

「おいリタ、下がれ! そいつはまだ殺すんじゃねぇ!」


 突如として部屋の中に男の声が響き渡った。

 皆がそちらへ視線を向ければ、そこにいたのは王国東部貴族筆頭、ラングロワ侯爵家の嫡男であるラインハルトだった。

 次代の東部辺境侯爵でありリタの義弟でもあるこの男は、まるでトレードマークのようにいつも軽薄そうな薄ら笑いを浮かべている。しかし今に限っては真剣な顔つきをしており、はぁはぁと息をつきながら肩を大きく上下させていた。

 そんなラインハルトをリタがニヤリと笑って流し見る。


「あら、誰かと思えばラインハルト様ではありませんの。随分とまた、のんびりした登場ですわねぇ。あなた様のことだから、もう少し早くいらっしゃるかと思ってましたのに」


「なに言ってやがる! そもそも俺がこの話を聞いたのは昨日なんだぞ!? 早馬が突然やって来て『若奥方様が捕らえられました! お助けを!』なんて言うもんだから、慌てて駆けつけてみりゃぁ……なんだよこれ!?」


「なんだもかんだもありませんわよ。この痴れ者が無礼にもわたくしたちを襲おうとしたものですから、やむなく返り討ちにして差し上げていたところですわ」


 言いながらリタが周囲へ視線を向ける。すると睨みつけるマティアスと驚愕したまま固まるセルジュ、そして諦めの表情とともに剣を下ろすシェロン家の騎士たちの姿が目に入った。

 さすがの彼らも理解していた。この若い男には決して逆らってはいけないことを。


 幾ら現場を押さえられたからといって、さすがにラインハルトまで害するわけにはいかない。見れば護衛と思しき複数の男たちを伴っているし、もとよりここへ駆けつけたことは、屋敷の者たちへも伝えているに違いないのだから。

 

 もはや言い逃れはできない。その現実にがっくりと肩を落とすセルジュへ向かってラインハルトが詰問を始めた。


「シェロン伯爵セルジュ。久しいな。貴様に会うのは昨年の御前会議以来だな。それでだ……一応訊いてやるが、この俺が誰なのかわかっているよな?」


 唐突な声掛けにセルジュの肩がびくりと跳ねる。ややあって、小さなかすれ声が漏れた。


「は、はい……ラインハルト様かとお見受けしますが……」


「ふん、わかってんならさっさと答えろよ。それじゃあこいつは? この女が何者なのか、それも答えてみろ」


 言いながらラインハルトがリタを指さす。その瞳は何一つ見逃さぬよう鋭く細められていた。まるで射抜くような容赦のない視線。それでもセルジュはなんとか足掻こうとする。


「こ、この者は貴族の名を語る不届き者でございますゆえ、ほ、捕縛して警邏に突き出してやろうかと……」


「ふん、なるほどなぁ。そりゃあ大した心がけだ。泣く子も黙るムルシア侯爵家の若奥方。その名を語る不届き者なら重罪人だからな」


「さ、左様でございます。ですから私は捕縛しようと……」


 目を泳がせながらセルジュが答える。始めこそ普通の声量だったが、次第にそれも小さくなり、最後にはゴニョゴニョと聞き取れなくなった。


 そもそもリタとラインハルトは親戚同士である。普段から顔を突き合わせては喧嘩するほど仲が良く、口では様々に言いながらも互いのことは認めあっていた。

 そんなラインハルトがリタを見間違うはずもない。もはやセルジュの答えは子供の言い訳にすら及ばないほど稚拙なものでしかなかった。


 びくびくと肩を震わせ、決して目を合わせようとしないセルジュ。まるで父親に叱られる幼い子供のような男をラインハルトが鼻で笑った。


「それにしちゃあお前、こりゃなんだ? これじゃあ捕縛というより皆殺しにしか見えねぇが?」


「そ、それは……この者たちが抵抗したものですから……」


「ふぅん、抵抗ねぇ」


「は、はい。ですから我らは、止む無く――」


「はぁん!? おいてめぇ、ふざけんじゃねぇぞ! 今日び5歳のガキだってちったぁマシな言い訳するぞ! ――いいか、こいつはリタだ。リタ・ムルシアだ。俺の名において断言してやる。こいつは本物だ、絶対に偽者なんかじゃねぇよ!」


 リタを指し示しながらラインハルトが啖呵を切る。それを見たリタが苦言を呈した。


「いやですわね。不用意に人を指差してはいけないと常々申しておりますでしょう? まったく不躾ぶしつけ義弟おとうとですこと」


「おい! 人前で義弟って呼ぶんじゃねぇよ! そもそも俺はお前より年上だっつーの!」


「だって貴方は私の義妹いもうとの旦那じゃない。義弟おとうとと言ってなにが悪いのかしら?」


「ちくしょう……腹立つな……」


 まるで漫才のようないつものやりとり。気安い間柄だからこそできるそれは、この二人の関係を如実に物語っていた。

 それを前にしてはさすがのセルジュも諦めざるを得ない。口を閉ざし、顔も上げられぬまま足元の絨毯を見つめていると、再びラインハルトが声をかけた。


「てなわけで、お前は本物のリタ・ムルシアを害そうとしていたわけだ。そうなるともう、故意も過失も関係ねぇ。どんな理由があったにせよ、上位貴族を襲うなんざ到底許されることじゃねぇからな。――それでセルジュ。この期に及んでなにか申し開きはあるか? 聞くだけなら聞いてやる。まぁ、本当に聞くだけだがな」


「……」


「なんだ、だんまりか? 場末の盗人でさえ警邏の前では申し開きくらいするぞ? それともお前には口がないのか?」


「……」


「ダメだこいつ。――それじゃあ代わりに、お前に訊いてやる。親父の代わりに申し開きをしてみろ」


 そう言ってラインハルトが横へ視線を向けると、そこには身動ぎしないマティアスがいた。父親と違ってその顔には未だ消えない闘志が漲り、剣も手に握ったままである。

 切り裂かれた右膝はさすがに地につけているが、それでもその瞳には未だ物騒な光が満ちていた。それへラインハルトが皮肉そうな笑みを向ける。


「お前がマティアスだな。シェロン伯爵家の嫡男に違いないか?」


「いかにも俺がマティアスだ。そういう貴様は……誰だ?」


 胡乱な表情とともに吐き出された予想外の言葉。緊迫した空気などなんのその、それを聞いた途端に皆がずっこけそうになる。

 もっともそれは無理もない。長年にわたり東部貴族の一員として生きてきたにもかかわらず、筆頭貴族家であるラングロワ家の嫡男――ラインハルトの顔はおろか、名を聞いてもピンとこなかったのだから。


 ラングロワ家が筆頭の座を引き継いでから4年。確かに未だ日が浅いと言われれば否定できないが、それにしたって無知が過ぎる。

 少なくとも自派閥の頂点に君臨する家なのだから、そこの嫡男を知らないなどあり得ない。


 馬鹿か? 馬鹿なのか?


 リタたちのみならず、シェロン家の者たちまでが訝し気な視線を送る中、まったく意に返さずにマティアスが睨みつけてくる。それを薄ら笑いで返しながら再びラインハルトが口を開いた。



「俺か? まさか俺のことがわからんのか?」


「わからんな。貴様に会った記憶もなければ顔さえ知らん」


「……そうか。まぁ、確かにそうかもな。俺もお前に会ったのはこれが初めてだからな。――そうは言っても、これまでの経緯で俺が誰なのかは容易に察せられそうなもんだが。本当にわからんのか?」


「わからんと言っている! 勿体ぶらずにさっさと正体を明かせ!」



 その言葉にラインハルトは心の底から同情してしまう。

 爵位こそ中位の伯爵家だが、シェロン家といえば過去に公爵家から枝分かれした名門貴族家である。その現当主セルジュの馬鹿さ加減も相当なものだが、その嫡子であるマティアスもまた別の意味で愚かだった。


 取り潰されたアンペール家もそうだが、いかに歴史が古く名門と謳われる貴族家でも、暗愚な者が引き継げば一瞬で滅び去ってしまう。

 いや、単に愚かだけならどうにかなっていただろう。名家ゆえに優秀な人材、使用人も潤沢だろうし、周囲の家も盛り立ててくれるのだから。


 けれど格上の家に喧嘩を売るのだけはいただけない。爵位、家柄などの上下関係が厳格な貴族社会においてそれだけは禁忌だった。

 格上も格上、ハサール王国内でも五指に入る侯爵家の若奥方に襲い掛かり、あまつさえお付きの者もろとも皆殺しにしようとしたのだ。

 どう申し開きをしたところで決して許されるものではない。もはや当人のみならず、一族全員が斬首となるべき事案であるといっても過言ではなかった。

 なのに、この体たらくである。

 場に失笑と白けた空気が漂い始める。それを如実に感じつつ、ラインハルトが自身の名を告げた。

 

「仕方ねぇなぁ。そんならお前にもわかるように、あらためて名乗ってやる。その耳かっぽじって聞きやがれ。――俺の名はラインハルト・ラングロワ。東部貴族筆頭ラングロワ侯爵家の長子にして嫡男だ。まぁ早い話が、次の東部辺境侯ってところだな。これでわかったか?」


「なに……ラングロワ……だと……?」


「そんなわけだから、上位貴族として命じてやる。――抵抗は無駄だ。さっさとその剣を捨てて投降しろ」


「ラングロワ……」


「おい、聞いてんのか? 剣を捨てろと言ってんだろうが」


「剣を捨てる……? この俺が……?」


「お前、耳がねぇのか?」


「……くそがぁぁぁぁぁ! 死ねぇぇぇぇぇぇぇ!」


 切り裂かれ、止め処なく血が流れるマティアスの右膝。恐らく腱も切れているのだろう。がくがくと震えるその脚では立ち上がることさえ儘ならないはず。

 けれど気合か根性か、はたまた往生際の悪さゆえか、突如その場で立ち上がるとリタへ向かって斬りかかってくる。


 ラインハルトが登場した時点ですでにシェロン家は詰んでいた。だからこの状況で抵抗してくるとはもはや誰も思わない。

 それはリタも同じだ。決して油断していたわけではなかったのだろうが、今や傍観に徹していた彼女の反応が遅れたのも無理はなかった。


 鬼気迫るマティアスの太刀筋。咄嗟にリタが身構えようとしたものの、握った剣の重さに思わずたじろいでしまう。

 思えば身体強化の魔術を施してから相当時間が経っていた。恐らく効果が切れたのだろう。今やその剣は両手で持つのさえやっとの代物と成り果てていた。



―――――――――――



ここで宣伝です。


来る11月2日(木)発売の「拝啓勇者様」のコミック第一巻ですが、この度書影が公開されましたのでお知らせいたします。

詳しくは近況ノートをご覧ください。

リンクはこちら


https://kakuyomu.jp/users/chikuwa660/news/16817330665975021287


よろしくお願いいたします。


黒井ちくわ

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る