姉と弟の矜持 その16

「さて、それでは今度こそ始めましょうか。――覚悟はよろしくて? 格の違い、そして力の差をとくと思い知らせてあげますから楽しみになさい」


 エクトルから借りた剣を両手で持って、リタが構えの姿勢を取る。しかし身長153センチ、体重42キロの細く華奢な彼女にとって明らかにそれは不釣り合いだった。


 護衛騎士が持つ幅広のブロードソードは、敵を鎧ごと叩き切るため意図的に重く作られている。そのためリタの細腕はプルプルと震え、バランスを取るため自然と身体は後傾姿勢になる。それは傍から見ても心配になるほど拙いものでしかなかったが、当の本人は至極真面目だった。


 そもそもリタは奥方御用達のドレス姿である。幾重にも施されたひらひらとしたフリルと、ぎゅうぎゅうとコルセットで絞り上げられた姿はどうしたって動きやすそうに見えない。そのうえヒールの高い靴と細く白い腕を見ていれば、目を瞑っていても勝てるのではないかと思えてくる。


 なのに、あの自信はなんなのか。

 剣の腕でも体格においても明らかに不利だというのに、己が負けるなんてこれっぽっちも思っていない。それどころか返り討ちにする気満々なのだ。

 まるで根拠の見えないリタの態度は、マティアスをそこはかとない不安に陥れた。なにせ相手は魔女である。一見か弱い女に見えて果たして何をしてくるかわからない。


 それでもここは己の剣で立ち向かうしかないのだ。

 剣の腕にはそれなりに自信があるマティアスは、鼓舞するように自身の頬を平手で叩くと、直後に勢いよく斬り込んでいった。



 一撃で勝負を決めてやる。

 そう言いたげな力任せに放たれたマティアスの一撃。速度も角度も申し分のないそれを、リタは真正面から受け止めた。


 驚きのあまりマティアスの瞳が見開かれる。

 身長、体重、腕力とすべてが劣っているにもかかわらず、リタはマティアスの一撃を真正面から防いで見せた。決してかわしたり逸したりわけではなく、文字通り剣で剣を受け止めたのだ。


 信じられない。この細腕の一体どこにそんな力があるのか。

 そう思わずにはいられないマティアスは、そのままリタと鍔迫り合いにもつれ込む。その彼へ向かって、ふんすっと鼻息も荒くリタが告げた。


「いかがかしら? 我が義父ちちムルシア公に鍛えられたこの剣技。なかなかのものでしょう?」


 剣技だとリタは言うが、これは単なる鍔迫り合いである。そしてそれは体重と膂力がものを言う。

 体重差のある者がぶつかり合えば、当然のように軽い方が弾かれる。物理法則としてそれは当たり前のことなのだが、まるで地面に縫い付けられているように、押せども押せどもリタは動かなかった。


 未だ成人すらしていない少年のマティアスではあるけれど、すでに大人顔負けの体格を誇っている。そのため幼少の頃から続けている剣術は、このまま騎士団に入団できるほどに鍛え上げられていた。

 それを高らかに誇っていたが、見るからに体重差のあるリタを押し返すことすらできない現実に冷や汗を垂らす。

 それでもマティアスは決死の表情とともに姿勢を立て直すと、再びリタへ斬りかかっていった。

 

 キンッ!

 ギンッ!

 ガギンッ!


 休みなく攻撃を続けるマティアスと、ひたすら受け続けるリタ。一見するとリタの防戦一方なのだが、よくよく見れば言いようのない違和感に満ちていた。


 リタが振るう両手持ちのブロードソードは、重くて長くて小回りが利かない。ともなれば、その細腕ではマティアスの攻撃を防ぎきれないはずなのだが、不思議とすべての斬撃を受け止めていた。

 確かに受けに徹していれば最低限の動きで済むのだろうが、それにしたって限度というものがある。剣を持ち上げるだけでやっとの状況で、マティアスの攻撃を受け続けるなど到底できるはずもないのだ。

 

 おかしい……絶対におかしい……

 くそ……何か小細工しているに違いない。

 ならば手数で圧倒するまでだ。

 当たるまで手を出し続けてやる。


「ぬあぁぁぁぁ!」


 ヒュンヒュンと音を上げながら、マティアスの攻撃速度が上がっていく。

 変わらずそれを受け続けていたリタが、突如ニヤリと笑って口を開いた。


「ふふふ、どうしましたの? 全然当たりませんわねぇ。威勢のいいことばかり言っているわりには随分とお粗末だこと。もう一度基礎から剣術を学び直したほうがよろしいのではなくって?」


「くっそぉぉぉぉ!」 

 

 ガンッ!


「それにしても防御は飽きましたわ。そろそろ攻撃に移らせていただきますけれど、覚悟はよろしくて?」 


「うるさい、死ねぇぇ!」


 ギキンッ!


「無粋ですわねぇ。たとえ必死だったとしても、殿方というものは女性の前では余裕を装うものですわよ。まったく見苦しいったらありゃしない」 


 零しつつリタがブロードソードを横薙ぎにする。

 それは決して剣技と呼べないほどの雑なものでしかなかったが、誰もが危険を感じるほどには鋭く速いものだった。


 慌ててマティアスが受け止める。腕に伝わる衝撃を鑑みれば、まともに喰らえばただでは済まない。そう思わずにはいられないほどの衝撃は、変わらず違和感に満ちていた。

 しかし今はのんびり考えている余裕などない。見ればリタが再び剣を振りかぶり、続く二撃三撃を加えようとしていた。


 防御姿勢をとるマティアスへリタが容赦なく剣を叩きつける。それは彼女の細腕からは想像できないほどの斬撃だった。


 ビリビリと痺れる腕とともに、ますます深まる疑惑。

 おかしい……やはりおかしい。

 そもそもあの腕では、満足に剣を振り回せるはずがないのだ。

 一体これはなんなのか。


 などと必死に考えてみても眼の前の状況は変わらない。直前まで一方的に攻撃していたというのに、今や防戦一方である。

 それでもマティアスは、身に染み付いた剣技を呼び覚まして必死に剣を振るい続けた。


 剣を受け止めたかと思えば、そのままリタが反撃に転じる。それをマティアスが弾き返して突きを放つ。

 それをまたリタが躱して剣を袈裟斬りにすれば、避けたマティアスが再び剣を叩きつけた。 

 一進一退。まさにそんな攻防に周囲の者たちが思わず声を上げた。


「凄い……若奥方様がこれほどの剣の使い手だったとは……」


「リタ様……」


「姉上……もしや、それって……」


 魔法。

 そう言いかけたフランシスだが、皆まで言わずに口を閉ざした。

 


 そう、それは魔法だった。

 一時的に身体能力を底上げする、いわゆる「身体強化」と呼ばれるもので、主に戦場などで使われる。とはいえその効果は限定的で、持続時間は10分程度に過ぎない。精々がもとから持っている筋力と反射速度、そして持久力をある程度引き上げるものでしかなかった。

 

 それをリタは自身の身体へ施していた。もちろん無詠唱で。

 おかげで重い剣を振り回せるほどには腕力が上がっていたし、マティアスの動きもゆっくり見えた。しかしもとより軽い体重だけは如何ともしがたく、剣を振る度に身体が持っていかれそうになるのだけは防げなかった。


 そもそもリタの実力は素人に毛が生えた程度でしかない。贅沢にも義父であるムルシア公自らに剣術を指南されているが、彼女の腕は護身の範囲を超えるものではなかったのだ。

 それでもリタはマティアスと互角以上に戦っていた。身体強化の魔術とはそれほどまでに効果があるらしく、確かに剣の振りは雑だし足元も覚束ないが、少なくともマティアスを追い詰める程度には動けていた。

 

 リタに剣を振るわれる度に己の身体に傷が増えていく。そのくせ自分の攻撃はすべて弾かれる。焦りを募らしたマティアスが、不用意にも攻め急いだあまりに態勢を崩してしまう。

 それを見逃すリタではない。刹那に彼女は剣を突き出した。


「ぐあっ!」


 左腕から流れる鮮血と額を滴る脂汗。

 リタに左肘の筋を斬られたマティアスが堪らずよろよろと数歩後退る。その背を父親のセルジュが無慈悲に怒鳴りつけた。


「この役立たずが! 一体何をしているのだ、そんな女などさっさと片付けてしまえ!」


「く……くそ……」


「あらあら、随分と外野が煩いですわ。仮にも父親ならば、息子の危機を救うくらいのことはするべきだと思いますけれど。――ともあれ、ごめんあそばせ。随分とざっくりいってしまいましたわねぇ……あぁ痛そう。まぁ、幸いにも利き手ではありませんから、もう少し楽しませていただけそうですけれど」


 手で口元を隠しながら、まるで煽るような言葉をリタが吐く。それを聞いたマティアスが大声で叫んだ。


「おのれぇ、このアマぁ! 殺す! 絶対にぶっ殺してやる!」


「お口が悪すぎましてよ。もとより醜いお顔なのですから、せめて言葉遣いくらいはお気を付けなさいませ。そうでもせねば、嫁の来手もありませんわよ」


「なにぃ! やかましいわ、このクソが! 今すぐ殺してやる!!」


 マティアスは激昂していた。

 ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべるリタとは対照的に、目も眉も吊り上がり、口からはギリギリと歯を食いしばる音が聞こえてくる。そしてまた力任せに剣を振るってきた。

 それを余裕の態度でリタが弾き返す。


「ふふふ、その程度の腕では何度やっても同じですわ。ほらほら、ちゃんと受けないと、次は足を斬られてしまいますわよ?」


 リタが執拗にマティアスの脚を狙い始める。口では威勢のいいことを言いながら、それを何とか防ぎ続けていたマティアスが、ついに右膝を切り裂かれてしまう。

 もはや立っていられず、がっくりとその場に膝をつく大柄な少年。間髪入れずその首へリタがブロードソードを振り下ろそうとする。



「待て! それまでだ!」


 その時、突然背後から声がかけられた。

 思わずリタが視線を横へ向けると、そこへ見知った顔が写り込んでくる。

 

 さらさらとなびく金色の長髪に透き通る青い瞳の美丈夫。

 見ればほとんどの女性が見惚れるほどの美しい顔立ちに、細身ながらも鍛え抜かれたすらりと背の高い体躯。


 見間違うはずもない。それは東部貴族家筆頭、ラングロワ侯爵家の次期当主にしてリタの義弟、ラインハルト・ラングロワその人だった。



――――――



ここで宣伝です。


本日、各コミック配信サイトにて本作品のコミカライズ第6話が公開されました。

作者は「神林イチトラ」先生で、今となっては懐かしい、幼女時代のリタが暴れまくります。


リタと言えば、やっぱり「ぬおぉぉぉぉ!」の掛け声が定番ですよねw

そんな幼女が活躍する第6話。ぜひご覧いただけますと幸いです。


また、来る11月2日(木)にコミカライズの第1巻が発売となります。

全国の主要書店、各通販サイトにてお買い求めいただけますので、併せてこちらもよろしくお願いいたします。


小説も漫画もそうですが、いわゆる「本」というものは「紙媒体」の売り上げ(発売から一ヶ月間の初動)で続刊が決まります。なので、できましたら電子ではなく「紙」の本をお買い求めいただけますととても嬉しいです。

もちろん無理にとは申しませんが、ぜひぜひよろしくお願いいたします。


黒井ちくわ

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