姉と弟の矜持 その13

「お前を無礼討ちするためにわたくしは参りましたのよ。皆まで言わさないでくださいまし、恥ずかしい」


 決して感情を悟らせない、お手本のような澄まし顔。

 貴族の腹芸を極めつくした、いかにも淑女然としたたたずまい。

 それらすべてを放り捨て、突然リタが顔に満面の笑みを浮かべた。


 それは見る者すべてを魅了するようなものであるとともに、どこか背筋が寒くなるものでもあった。

 そんなお世辞にもたちが良いとは言えない面差しのリタに、しかしセルジュは余裕の態度を崩さない。ガマガエルにも似た醜悪な顔にニヤニヤとした侮蔑の笑みを浮かべて言い放った。


「ほう……未だ証拠も揃っておらぬというのに、随分と強く出てきたものだな。しかもこの私を無礼討ちするだと? はっ! 意味がわかって言っているのか? 事と次第によっては、そなたの方が罪に問われるやもしれぬのだぞ?」


「異なことを。なぜにわたくしが罪に問われねばならぬのです? まったく、伯爵ごときが笑わせないでくださいまし」


「なんだと……? たかが準貴族の娘風情が、この私を『伯爵ごとき』と申すか? よほど不敬に問われたいとみえる」


「不敬? それはお前の方ではなくって? おふざけも大概になさいまし。重ねて申しますけれど、正当性の欠片かけらもないよこしまな理由から命を狙われて、その犯人を無礼討ちしにやってきたのがこのわたくし。それは理解してますわよね?」


「……貴様はさっきからなにを言っているのだ? そもそも無礼討ちとは、上位の者が下位の者を斬り捨てること。その逆などあり得ぬ」


「随分と察しが悪いですわね。ですからわたくしがやってきたのだと先ほどから申しているではありませんか。確かに弟――フランシスはレンテリアの系譜ではありますけれど、この子自身は爵位を持たぬ準貴族に過ぎませぬ。いくら理不尽な扱いを受けたからといって、貴族相手に談判などできるはずがありませんでしょう?」



 さっぱり会話が嚙み合わない。

 まるで上位貴族のごときリタの物言いに、余裕の笑みから一転してセルジュはいぶかしむような表情を浮かべた。その隣には意味もわからずポカンとした顔のマティアスが佇む。


 そんな時だった。シェロン家の執事――セレスタンの顔が見る見るうちに青ざめていったのは。

 瞳は大きく見開かれ、唇は小刻みに震えて、ややもすればその場に卒倒しそうなほど狼狽しているように見える。

 その彼が言う。


「お、お待ちくださいご主人様。わ、私の記憶が確かなら、そのお方は……」


「なんだセレスタン。此奴こやつがどうかしたのか? 言いたいことがあるのなら、はっきり申せ」


「し、失礼ながら申し上げますが、このお方はあの・・リタ様ではないかと……」


「だからなんだ? 貴様はなにを言っている? 先ほどから此奴こやつ自身がそう名乗っているではないか。レンテリアの傍系の娘、リタであると」


「ち、違います! 私が申し上げたいのはそうではなく……確かにこのお方はリタ様ですし、レンテリア伯爵のご親戚であるのも事実です。しかし――」


「勿体ぶらずにさっさと言え!」


 己から口を挟んでおきながら肝心なところで言い淀むセレスタン。

 その様子に苛立ったのか、語気を荒げながらセルジュがただすと、セレスタンが観念したように再び口を開いた。


「まだおわかりになりませんか!? このお方はリタ様なのです! 西部辺境侯ムルシア侯爵家の若奥方、リタ・ムルシア夫人その人なのですよ!」



 叫ぶような執事の言葉。

 セルジュはその意味を即座に理解できなかった。けれどそれも数舜。直後に彼は盛大に叫んだ。


「なにぃぃぃぃぃ!!??」


 これでもかと瞳を見開き、顎が外れそうなほどに大きく口を開けた顔はアホそのものである。そして隣に座る息子――マティアスも同じ顔をしていた。

 机を挟んで二人の対面に座るリタはすでにもとのお澄まし顔に戻っていたが、その瞳は変わらず冷め切ったまま。見つめられたシェロン家の二人は揃って膝を震わせるばかりである。

 それでもさすがは有力伯爵家の当主とでも言うべきか。もはや自由にならぬ唇を必死に動かしてセルジュが平静を装う。


「しょ、少々驚きましたが、それは確かなのですかな? あなた様は間違いなくムルシア侯爵家の――」


「いまさら何を言っているのやら。もしや本気で疑ってますの? ふぅ……ならば改めて名乗りますけれど、わたくしはリタ・ムルシア。西部辺境侯オスカル・ムルシアが嫡男フレデリクの妻にして、次期ムルシア侯爵家夫人でもありますわね」


「くっ……! わ、我らをたばかられるおつもりか? それならそうと最初から――」


「謀る? いやですわね、人聞きの悪い。お前たちを騙そうだなんて、これっぽっちも思っておりませんわよ。名は正直に申しましたし、フランシスの姉であるのも偽りなき事実ですもの」

 

「だ、だからと言って――」


「なんですの? まさか口答えなさるおつもり? 次期侯爵夫人ともあろうこのわたくしに向かって?」


「あっ……いや……その……」


「そもそもですけれど、ムルシア家の嫁がレンテリア伯爵の姪だという話はあまりに有名ではございませんか。にもかかわらず、まさかそれすらもご存じなかったなんて申されませんわよね?」


「い、いや……それは知っておりましたが……しかし……」


「しかしもかかしもございませんわ。確かにお前たち東部貴族にしてみれば、西部貴族家の縁戚関係になど興味はないかもしれません。けれど同じ王国に籍を置く身として、当然知っているべきことでしょう? いまさら不勉強を嘆いたところで遅すぎますわよ」


 言いながらリタがチラリとマティアスへ視線を向ける。

 底が知れぬほど冷め切ったその瞳には、プレ・デビュタント会場で見惚れた面影はとうになく、そこにあるのはまるで汚物でも見るような嫌悪感と蔑みばかりだった。

 

 それを見た途端、マティアスの背を冷たいものが走り抜けた。

 全身を強張らせて一言も声を発せられぬまま、その脳裏では「こいつはやばい! マジでやばい!」と本能が叫び続けていたのだ。


 けれど彼には何もできない。

 もとより父親の会話に口を挟めないというのもあるが、格下だとばかり思い込んでいたリタが実は上位の貴族であったという現実に打ちのめされていたのだ。

 

 ムルシア侯爵家といえば、泣く子も黙る王国一の武家貴族家。くわえて最古の貴族家でもあり、その権力が及ぶ範囲は計り知れない。

 抱える兵力は国の四割を超えると言われ、そのあまりの武力には王家でさえ気を遣うほどだ。


 そんな相手に自分たちがなにをしたのか思い返してみれば、もはやそこには絶望しかない。到底許されない身勝手な理由で相手を襲い、あまつさえ亡き者にまでしようとしたのだから。

 いまさらどのように言い訳をしたところで到底許されるはずもなく、この先に待つ極刑を鑑みれば今ここで死んだ方がよっぽどマシだった。


 マティアスの身体からへなへなと力が抜けていく。

 もはや身体を支える気力すらなく、座るソファの肘掛けにその身を任せてぐったりとしてしまう。しかし父親のセルジュは息子ほど諦めがよくないらしく、事ここに及んで無様にも足掻こうとした。

 


「そ、そのように頭ごなしに申されましても、こちらは委縮するばかりでございます。ならば対等な話し合いをするために、こちらも侯爵家へ仲裁を願い出たいのですが……」 


「失礼ですわね。誰も頭ごなしになんて言ってませんわよ。ただ事実を事実のままに申しただけではありませんの。――それで仲裁ですって? ふぅん……いまさらなにを申し開きするつもりなのかしら? とっくに手遅れだと思いますけれど」


「し、しかし――」


「まぁいいですわ。ともあれ、どこの侯爵家へ助力を乞うおつもりなのか、せいぜい名をおっしゃってみてくださいまし。聞くだけなら聞いて差し上げますわよ」


 その言葉を聞いた途端にセルジュの瞳がキラリと輝く。

 何気にどや顔を晒し、心なしか胸を反らしてこう告げた。


「バラデュール侯爵家でございます! の家ならば、貴家とも対等に話し合いができるかと存じますからな!」


 直前までとは打って変わって、見るからに自信満々のセルジュ。

 けれどリタは余計に蔑むような視線を投げつけるばかりだった。


「ふぅーん、バラデュール侯爵家ねぇ。確かに東部ではそれなりに名が通っているのかもしれませんけれど、我がいえに比べれば数段劣りますわね。同じ爵位とはいえ、家柄も序列も比ぶべくもない。にもかかわらず対等な立場で話し合いたいだなんて、まったくどの口が言うのかしら。この口?」


「くっ……! な、ならばランゲルバッハ公爵家ではいかがか!? 王族の親戚筋であるの家ならば、貴家よりも上位であろう!」


「あら? 今度はまた随分と高貴な家を引っ張り出してきましたわねぇ。仰る通り、ランゲルバッハ公爵家ならば確かに対等以上の話し合いになりますでしょう」


「な、ならば――」


「とは言え、そちらが公爵家を担ぎ出すというのなら、こちらも公爵家を連れてくるだけのこと。そうですわねぇ……我が義母ははの実家、バルテリンク公爵家なんていかがかしら? 公爵様は我が夫フレデリクの祖父にあたるお方ですから、可愛い孫のためならば二つ返事で馳せ参じていただけるかと存じますわよ?」


「バ、バルテリンク……だと……」


 その名を聞いたセルジュの気勢が急速にそがれていく。

 もっともそれは無理もない。彼の遠戚であるランゲルバッハ公爵家は確かに王家の親戚筋ではあるけれど、それは5代も前に遡るほど血の薄い存在でしかなかったからだ。


 対してリタの義母――シャルロッテの実家であるバルテリンク公爵家の当主は、二代前の王弟の息子である。

 早い話が現国王の従兄いとこにあたる人物なのだから、その権力はランゲルバッハ家とは比べものにならないほど強大だった。


 そんなわけだから、ついにセルジュが呆けてしまうのも無理からぬことだった。しかし良い意味でも悪い意味で往生際の悪い彼はついに禁断の手に打って出ることになる。

 突如身体を震わせたかと思うと、周囲へ向けて叫び出した。


「くっ……ならばここまで! ――えぇい、出会え出会え! ここにいる者どもは、貴族の名をかたる不届き者だ! 一人残らず始末せよ!」


 恐らく初めから廊下で待機していたのだろう。セルジュの言葉を合図にして大勢の騎士たちが部屋の中へとなだれ込んでくる。

 容赦なく剣を抜き放ちながら、今すぐにでも斬りかかる勢いの騎士たち。

 その彼らをぐるりと見まわしながらリタが笑う。


「ふふふ……ついに馬脚を現しましたわね。とは言え、それはこちらも望むところ。――さぁて、一体どうしてくれようかしら?」


 周囲を取り巻く幾人もの騎士たちと、その背後へと逃げていくシェロン家の面々。

 その様子を眺めるリタの顔には、まさに極上の笑みが浮かび上がっていたのだった。



―――――――――



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本日「拝啓勇者様」のコミカライズ第二話が公開されました。

詳しくは下記「近況ノート」をご覧ください。

よろしくお願いいたします。


https://kakuyomu.jp/users/chikuwa660/news/16817330658938880840

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