姉と弟の矜持 その12

 夕暮れ時の街道を東へ向かって進む集団がいた。

 いかにも裕福な貴族と思しき豪奢な馬車が一台とそれなりの馬車が一台。加えて騎乗した護衛の騎士が二名いるのだが、それ以外の面々が明らかに異様だった。


 数は10名ほどだろうか。

 一人残らず手の自由を奪われて、縄で数珠繋ぎにされている野盗らしき者たち。その状態で早足と呼ぶにはいささか早すぎる速度で馬車の後ろを無理やり歩かされていた。


 後ろへ視線を向けると思わず悲鳴を上げそうな光景が広がる。

 先行する集団から少し離れてついてくる一匹の獣。

 それは犬と呼ぶには大きすぎた。いや、それどころか頭が三つもある全長3メートルの見るも恐ろしい姿は、およそこの世のものとは思えない。


 それはケルべロスだった。

 いにしえの召喚契約により冥界から馳せ参じた地獄の番犬。巨大な体躯を揺すりながらまさにノシノシと歩くその様は、たとえ味方であるとわかっていても震え上がるほどの恐ろしさだ。

 前を見れば「ムルシアの魔女」ことリタ・ムルシアが乗る馬車と付き人たちの馬車、さらに護衛騎士と捕虜たちが進む。


 もう何時間歩かされているのだろうか。

 限界を告げるかのように捕虜の一人がよろよろと足をもつれさせる。するとそこへ並走する馬車から野次が飛んできた。


「はいはい、なにをもたもたしているのです。きりきり歩いてくださいまし。足手まといになるのなら、いっそケロちゃんのおやつにして差し上げますわよ」


「グォォォ!」


「ひぃぃぃ!」 


 男たちへ向かってリタが悪態をつく。その様を眺めながらフランシスは思う。


 見惚れるような美貌と舌を巻くほどの智謀。その両方を兼ね備える姉のリタは生まれた時から傍にいた。

 まるでもう一人の母親のように溢れるほどの愛情を注がれて、己の人格形成に多大なる影響を及ぼしてきた姉である。その優しさも厳しさもすべてを知っているつもりだった。

 しかしフランシスはその顔を初めて見た。


 ときに垣間見せるもうひとつの顔。

 厳しさと激しさを同居させる、ときに苛烈とさえ言えるそれは、姉がただ美しくて優しいだけの人物ではないことを物語る。これまで成してきた様々な功績や武勲を鑑みれば、奥に隠れるそれらこそが彼女の本質であることは十分に理解していた。

 

 それでもいまのリタは、フランシスにとって驚かざるを得ない。

 口調は穏やかだし顔は笑っているけれど、賊たちを脅す瞳は冷え渡り、そこにはおよそ慈悲と呼べるものは存在していなかったのだから。


 その現実に愕然としながらも、事実を事実として受け入れていく。

 御年13歳。プレ・デビュタントも終わり今やもう子供とも言えなくなったフランシスは、一歩また一歩と大人への階段を上り始めたのだった。



 ◆◆◆◆



「さて、そろそろ奴らが戻ってくる頃合いだろう。お前の言う『くそ生意気な小娘』とやらに会うのが今から楽しみだな」


「はい、私もです。皆の前で受けたあの屈辱。それをそっくり返してやりますよ」


 ここは首都アルガニルから馬車で一日ほど南東へ向かったところにあるシェロン伯爵領。その領都ギティリスに建つ豪奢な屋敷の一室。

 そこである二人が顔を付き合わせていた。


 それは40歳前後の中年の男――シェロン伯爵家当主セルジュとその息子マティアスである。

 顔の造形からたたずまいに至るまで、間違いようのない血の繋がりを感じさせる父と子。お世辞にも整っているとは言い難い、ともすればガマガエルにも似た顔を歪めるその様は、見る者に嫌悪感を覚えさせるものだった。


 なにを思っているのか。そんな二人が会話に花を咲かせながらたちの悪い笑みを「ふふふ」と漏らしていると、そこへ執事が声を掛けてくる。


「失礼いたします、伯爵様。お客様がお見えです」


「なに? 客だと……? 今日は来客の予定などないはずだが。――騎士たちが戻ってきたのではなくてか?」


「はい。お客様は『フランシス・レンテリア』様と名乗っておいでです。アポのない方にはお会いせぬと何度もお伝えしたのですが、この名を伝えれば必ずお会いになるはずだと強硬に申されまして」


「なにぃ!?」


 フランシス・レンテリア。

 その名を聞いた途端にセルジュの眉が跳ね上がる。見れば息子のマティアスまでもが同じような顔をしていた。

 予定通りに事が運んでいるのなら、今頃その人物はこの世にいないはず。にもかかわらずその名が告げられたということは、なにか想定外のことが起こったに違いない。 

 驚きと怪訝さ。その二つが複雑に混ざり合った表情を浮かべてセルジュが問う。


「待て。その名に間違いないのだな? 確かに『フランシス・レンテリア』と名乗ったのだな?」


「はい。未だ年若い少年でございましたので、恐らくご本人に間違いないかと。その他には護衛の騎士が2名と供回りの者が3名。そのうちの一名は、どこぞの貴族令嬢とお見受けいたしますが……」


 自ら報告しておきながら胡乱な表情を隠せないでいるシェロン家の執事。なおも当主に伺いを立てようとしたその時、一瞬早くセルジュが口を開いた。


「わかった。会ってやるから客人を応接室へ案内しろ。随行を許すのは護衛騎士1名と供回り1名のみだ。――あぁ、その令嬢とやらも一緒に来いと伝えろ。わかったか?」





 応接室へと案内されたリタとフランシス一行はそのまま部屋の中で待たされた。

 ソファの中央にフランシス、その右隣にリタが腰掛け、護衛騎士が一名とメイドのラシェルが二人を守るように後ろへ立つ。

 専属メイドのミュリエルはリタと離れることに最後まで難色を示したのだが、随行人数が限られているために泣く泣く馬車で待機することになった。


 自分たちを襲い、亡き者にしようとしたシェロン伯爵。

 その巣とも言える屋敷の中へのこのことやって来たのだから、どう控えめに言っても絶体絶命の危機である。中でもたった一人の護衛騎士は、自身の肩に伸し掛かる責任の重さと緊張のあまり脂汗を流す始末だ。


 もちろん彼もリタの実力は知っている。

 強力無比な攻撃魔法と瞬く間に敵を制圧する圧倒的な力。その全てを間近で見てきた彼には、およそ主人が窮地に陥る場面など想像し難かった。

 事実リタは敵の本拠地のど真ん中にもかかわらず飄々としていたし、なんなら余裕の笑みさえ浮かべていたのだから。


 およそ客に出すものとは思えない粗末な茶。それに口をつけることなく一行が待っていると、そこへ先触れもなく二人の男が姿を現した。

 もちろんそれは当主のセルジュとその息子のマティアスである。内心はどうであれ、この二人は顔に笑みを浮かべたまま部屋の中へと入ってくると開口一番言い放った。


「これはこれは。突然の来訪に驚いたぞ。ともあれ歓迎しよう、レンテリア家の――」


「フランシスです。レンテリア伯爵アンブロシオの弟フェルディナンドが長男、フランシス・レンテリアにございます」

 

 慇懃無礼とはこのことか。

 口調も表情も決して険しいものではないけれど、屋敷の主人に対してソファから立ち上がることなくフランシスが挨拶を交わす。

 それは傍から見てもピリピリとした緊張感が伝わってくるものだったが、それを歯牙にもかけずにセルジュが言い返した。


「ほう、そなたがレンテリアの傍系か。その名はマティアスから聞いていたぞ。――して、本日はなに用か?」


「訊かずともおわかりなのではありませんか? それとも想定外すぎてわかりませんか?」


「さぁ、一体なんのことやら。謎解きは好きではないので、単刀直入に申していただきたい」


「ならば申しますが、この度の我々に対する襲撃行為。その釈明を求めに参りました」


「襲撃? はて、なんのことやら。さっぱりわからぬな」


 ニヤニヤとした笑みを浮かべながらセルジュが答える。見れば横に座るマティアスも同じような顔をしていた。

 その二人を見つめながら、負けじとばかりにフランシスが言い立てる。


「しらばっくれて無駄ですよ。なにせ襲撃者はすべて捕らえさせていただきましたから。彼らが口を割ったのです。すべてはシェロン伯爵の指示であると」


「ほう、そなたたちは賊に襲われたのか。それは災難だったな、お悔やみを申し上げる。とは言え、私がそれにかかわっているなど少々聞き捨てならんが」

 

「聞き捨てもなにも事実ですから。全員がシェロン家の騎士なのだと申しております」


「そんなものなんとでも言えよう。おおかた我が家を陥れるための方便なのではないか? 最近多いのだよ、そのような謀略を企てる輩がな」



 のらりくらりと追求をかわすセルジュ。その瞳に好色そうな光が宿っているのにふとフランシスが気づく。

 視線を辿ってみれば、そこには姉のリタがいた。すると彼女がここへ来て初めて口を開いた。


「ご挨拶が遅れまして大変失礼いたしました。わたくしはリタ。ここなフランシスの姉でございます。お見知りおきを」


「ほう、そなたがそうか。大変に美しい方だと息子から聞いてはいたが、これはなかなか……」


「ふふふ、ありがとうございます。世辞とわかっていても決して悪い気はしませんわ」


「世辞ではない。そなたほどの器量はそういないであろう。息子が執着するのもわかるというもの。――して、そなたの目的も同じか? よもやこの私が襲撃にかかわっているなどと世迷言を申すつもりではあるまいな?」

 

「滅相もございません。いまさらそのようなことは申しませんわ。――なんて、まったくまどろっこしいったらありゃしない。いまや証拠は歴然。お前を無礼討ちするためにわたくしは参りましたのよ。皆まで言わさないでくださいまし、恥ずかしい」


 言いながらリタが破顔していく。

 それは見る者すべての視線を釘付けにするような魅力的なものだった。



―――――――――



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