姉と弟の矜持 その11

「うふふ……なかなかいい態度ですわね。ならばよろしい。嫌でも素直になるようにして差し上げますわ。いまさら泣いて許しを乞うたところで遅いですわよ?」


 10代前半に見えるほどの童顔にもかかわらず、見る者を惹きこむような妖艶な笑みを浮かべるリタ。

 紅く濡れた唇は大きく弧を描き、隙間からちらちらと覗く舌が余計に彼女を魅惑的に見せていた。けれどよく見れば瞳はまったく笑っておらず、鋭く細められたその奥には冷め切った輝きが鈍く光る。


 声音も口調も決して高圧的なものではない。いや、むしろ慇懃いんぎんに過ぎるほど丁寧だと言っていいだろう。

 しかしその瞳に見つめられた賊たちは、意図せず身体が怖気おぞけ立つ。

 はっきりとした理由は説明できないものの、今や彼らは目の前の少女が相当ヤバい存在であることを確信していた。


 話が違うではないか。

 事前の説明によれば、相手はただのか弱い少女だったはず。なのになぜ魔法が使えるのか。 

 魔術師といえば滅多にいない「魔力持ち」の中でも、さらに選りすぐられたエリート中のエリート。そんな者が相手なら事前にそう知らされてもおかしくないのに、なに一つ聞かされていなかった。


 もしやたばかられたのか……?

 いや、わざわざそんなことをする意味などないだろう。ということは、恐らく上も知らなかったに違いない。

 とは言え、もとより魔術師などそう多くはないのだ。しかも明らかに場慣れしているこの様子。

 果たしてこの少女は一体……?



 突如沸き起こる疑問とそこはかとない恐怖。それに男が押しつぶされそうになっていると、さらにその隣の男がポツリと漏らした。


「いや、ちょっと待て。リタ……リタと言ったな。その名の魔術師なら、以前どこかで聞いたような……」


 何かに気付いたのだろうか。

 突如男が凄まじい勢いで顔を上げる。そしてリタを指さして叫んだ。


「あっ! お、お前は……まさか……まさか……」


「うふふ。随分と察しが悪いですわね。事ここに及んで、ようやく気付くなんて。――まぁ、いまさら手遅れですけれど」


 変わらず妖艶な笑みを湛えたままリタが答える。

 するともう一人の男が、二の句を継げずに固まったままの仲間へ胡乱な顔を向けた。


「おいお前、何を知っている!? 教えろ! こいつは一体何者なんだ!?」


「リタだ……リタなんだ……こいつはリタなんだよ!」


「リタ?」


「そう、リタだ! その名を持つ魔術師なんてこの国に一人しかいない! こいつはリタ・ムルシア、『ムルシアの魔女』に間違いない!」


「なにぃ!?」


 ざわざわ……

 ざわざわ……


 男が叫んだその直後、声にならないざわめきが広がった。

 なぜならその名は、この国に住む者ならば知らぬ者はいないほどに有名だったからだ。

 

 アンペール侯爵家との悶着では智謀と暴力を用いて相手を追い詰め、しまいに侯爵家を破滅させた。

 アストゥリア帝国によるファルハーレン侵攻の際には、国王の勅命により先遣隊として現地へ赴き、困難と言われた公妃と公子の救出を成功させた。


 さらにブルゴー・カルデイア戦役においては、勇者ケビンと共闘して首都の制圧と戦の終結に多大なる貢献を果たした。そこで殺した敵兵の数は優に千を数えると言われ、今やその話は他国へさえ伝わるほどである。

 その他にも大小様々な武勲を挙げれば枚挙に暇がなく、清楚で可憐な少女のような見た目にもかかわらず、リタは超がつくほどの武闘派で有名だった。


 噂では襲撃してきた賊たちを笑いながら魔獣に食わせたとも聞くし、身内には優しく慈悲深い反面、ひとたび敵とみなせば、その苛烈さは烈火のごとく激しい。

 そんな者が相手なのだ。とてもまともに相手できるとも思えない。事実、あっという間に制圧されてしまったではないか。


 とは言え、相手は小柄な少女が一人。

 得てして武勇伝などというものは大げさに伝わりがちなもの。ならばこの人数で一斉に飛び掛かれば案外いけるかもしれない。


 などと思った賊の一人が隙を見て武器を拾おうとしていると、それを目ざとく見つけたリタが機先を制した。

 

「うふふ、なにをなさるおつもり? 抵抗すれば死ぬことになりますわよ。それはあなた達の望みではないでしょう? もちろんわたくしの望みでもありませんわ。なぜなら、これからあなたたちには黒幕のところまで案内していただかなければならないのですから。――とは申せ、これほどの人数は必要ありませんわね。2,3人もいれば十分でしょう。ぞろぞろ連れ歩くのも面倒ですし、少々間引きしておきましょうかしら?」


 もとより邪悪な笑みをさらに深めながらリタが言う。直後に両手を空へかざして、なにやら呪文らしきものを唱え始めた。

 


「βγζЗΛщЖд~ʅ( ՞ਊ՞)ʃ~∮υЙгω――€∵Δ~――」

 

 透き通るように美しく、耳に優しい歌うような調べ。

 賊と騎士とメイドと御者。その全ての者が思わず聞き惚れていると、それは突然現れた。


 それは犬だった。

 いや、正確に言うなら、それはほんの少しだけ犬に似たところのある別の生き物に違いなかった。

 体長は約3メートル。背には無数の蛇が蠢き、鋭く長い尻尾はまるで伝説の竜のそれにしか見えない。

 それだけでも十分に犬には見えなかったが、それを決定的にしていたのが頭だった。


 なんとその犬には頭が三つ生えていたのだ。

 そして口の中には真っ赤に燃え盛る炎がちろちろと垣間見えていた。

 

 そう、それは冥界の番犬「ケルベロス」だった。

 こともあろうにリタは、その道の専門家――召喚魔術師でさえ容易に手懐けられない魔物を、たかだが10人少々の賊のために呼び出したのである。


 見る者が見れば、それは垂涎の光景だったに違いない。

 いにしえの召喚魔導書に記されていながら誰一人として飼い慣らせなかった冥界の番犬。それが忠犬よろしく目の前で「おすわり」していたのだから。


「お久しぶりね、ケロちゃん。変わらずいい子にしていたかしら?」 


「グオォォ!!」


「グルォァォ!!」


「ゴアォォゥ!!」 


 リタの呼びかけにケルベロスが勢いよく吠える。

 見る者すべてが震え上がるような光景にもかかわらず、変わらずリタは美しい笑みのまま優しくその背を撫でた。

 それからくるりと振り向いて言う。その顔には再び邪悪な笑みが広がっていた。


「さぁ賊の皆さま。あなた達が伯爵家の飼い犬ならば、彼がわたくしのそれですわ。名前はケロちゃん、可愛いでしょう? ――せっかくですからわんちゃん同士、仲良くなさってはいかが?」


 

 ◆◆◆◆



 直後に賊たちは真相を吐いたのだが、やはり彼らはリタが言い当てた通りの者たちだった。全員がシェロン伯爵家の騎士であり、当主セルジュから直接命を受けていたのだ。

 衆人環視のもとで罵声を浴びせたものの、所詮しょせんは子供の喧嘩(リタは大人だけど……)である。にもかかわらず当主自らが口を挟んできたのも驚きだが、白昼堂々と相手を攫おうとしてきたのにはもはや驚きを通り越して呆れざるを得なかった。


 しかも、あまつさえリタ以外の全員を皆殺しにしようとしたのだ。

 確かにフレデリクは爵位すら持たない準貴族に過ぎないが、少なくともあの・・レンテリア伯爵家の系譜に連なる者なのだから、普通の神経ならば手を出そうなどと思わないはずである。

 なのにそうしてきたということは、よほど権力を過信しているか、盛大に勘違いしているかのどちらかでしかない。

 

 西部貴族に東部貴族と違いはあるが、レンテリア家もシェロン家も同じ伯爵家である。もとより爵位に上下はなく、実態はどうであれ表向きは同列に扱われている。

 そんなわけだから、この両家が諍いを起こしたとしても直ちにどうにかなるわけではなく、同列がゆえに無礼討ちは許されないし、実力を行使するなど以ての外だ。


 精々が互いの上位貴族家へ仲裁を求める程度で、それも家同士の力関係によっては泣き寝入りもあり得る。

 なのでシェロン家は恐らくリタとフレデリク、ひいてはレンテリア家を侮ったのだろうが、そこに大きな誤算があるなど知る由もなかった。

 

 その事実にリタはニンマリとした笑みを漏らす。

 そしてケルベロスに恐れ戦くシェロン家の騎士たちの尻に蹴りを入れながら、粛々と街道を東へ向かって進みだしたのだった。



―――――――――



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詳しくは下記「近況ノート」をご覧ください。

よろしくお願いいたします。


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