姉と弟の矜持 その10

 それは簡単な仕事だった。

 なぜなら、とある娘を一人さらってくるだけなのだから。


 とは言え相手は貴族の縁者。忽然と姿を消したとなれば大騒ぎになるのは間違いない。

 けれどそれは大した問題ではなかった。確かに本家――レンテリア伯爵家はそれなりに名の知れた貴族家ではあるけれど、その分家の傍系でしかない娘自身は爵位を持たない平民に毛が生えた程度の者でしかなかったからだ。


 拉致にまったく抵抗がないと言えば嘘になる。

 しかし伯爵家に忠誠を誓った騎士である以上、如何に理不尽な要求であろうと粛々と成し遂げなければならないのだ。

 思えばその娘とやらも哀れと言うほかない。

 幼い頃から我が儘で、やりたい放題で有名な次期シェロン伯爵家当主――マティアス。彼に目をつけられたがために不幸な運命を辿るのだから。

 

 しかし同情は禁物。私情を仕事に挟むべからず。

 さっさと娘の身柄を確保して、他を皆殺しにしなければならないのだ。それこそがあるじ――シェロン伯爵のめいなのだから。

 


 ◆◆◆◆



 大きい馬車と小さな馬車。

 その2台を守ろうと5名の騎士たちが周囲を固める。見渡せば軽く10名を超える賊たちが周りを取り囲んでおり、どう控えめに言っても絶体絶命だった。

 そんな中、賊の一人が進み出てくる。


「全員武器を捨てろ! 馬車の中の者たちも全員降りてこい! いいか、おかしな真似はするなよ! 少しでも動けば皆殺しにするからな!」


 薄汚れた粗末な服装はまるで賊のお手本のようである。にもかかわらず、その発音も所作も妙に洗練されているうえに、手に握る得物も服装に釣り合わない業物わざものだった。

 そのどこかちぐはぐで不自然な様は、貴族お抱えの騎士たちが意図してその姿に身をやつしているようにしか見えない。ならばこの襲撃は偶発的なものではなく、事前に計画されていたものに違いなかった。


 などと考えてみたところでこの状況はなにも変わらない。その現実を前にして騎士たちが武器を捨てるべきか躊躇していると、おもむろに馬車の扉が開いた。


 慣れた手つきで自らステップを下ろし、静々と馬車から降りてくる一人の少女。

 もちろんそれはリタだった。この上位貴族家の若奥方は、まるで幼気いたいけな少女のような見た目をしているにもかかわらず、まったく恐れることなくその姿を晒すと、たれ目がちな灰色の瞳を細めてにっこりと微笑んだ。

  

「うふふ。ごきげんよう、シェロン伯爵家の皆様方。丁重なお迎え、大変に痛み入りますわ」


 開口一番。余裕の笑みとともにリタが告げると、賊たちが目に見えて動揺した。


「な、なにを言う! 我々は伯爵家の者などではない! 世迷言を申すな!」


「あら、そうですの? それは見当外れでしたわ、ごめんあそばせ。随分とみすぼらしい格好をなさっているものですから、てっきりそうなのかと」


「ちっ! 我々を愚弄する気か!」


「ふふふ。愚弄もなにも、そもそも盗賊風情がそのような言い回しをするはずがございませんでしょう? 本当に馬鹿ですわね、少しは演技の勉強でもなさったらいかが? ――主人が主人なら飼い犬も飼い犬。どちらも救いようがないほどの愚か者ですわ」


「き、貴様ぁ……!」


 ギリギリと音が聞こえるほどの歯軋はぎしりとともに、手に持った得物を振りかぶろうとする賊たち。

 するとその前へ護衛騎士たちが割って入ってくる。


「若奥方様! 危険です、お下がりください!」


「ここは我らにお任せを! 若奥方様は馬車の中へ!」


 剣を抜き、口々に騎士たちが言い募る。

 彼らとて武家貴族筆頭、ムルシア侯爵家の騎士である。たとえ明らかな劣勢であったとしても、最後まで主人を守り抜く矜持に殉じようとしていた。

 その彼らが視界を遮るようにリタの前へ出る。そして今にも斬りかからんばかりに剣を構え直していると賊の一人が声を上げた。


「やかましいわ! どのみち貴様らは死ぬ運命にあるのだ! さっさとその娘を差し出せ!」


「断る! たかが盗賊風情に後れを取るものか! 欲しければ力ずくで連れていくがいい!」


「ならば望み通りそうさせてもらおう! まずは貴様らから血祭りに上げてやる。その後に馬車の中の者たちだ!」


「あら、ごめんあそばせ。前を失礼いたしますわよ?」


 売り言葉に買い言葉。

 まさに一触即発の場面にもかかわらず、まるで危機感を感じさせない様子でリタが進み出る。

 周囲を取り囲む賊の集団と追い詰められる護衛騎士。その間に身を割り込ませると、ついとその手を前へかざした。


「ごちゃごちゃごちゃごちゃ、うるさいですわよ! 御託を並べる暇があるなら、さっさとかかってきやがれ、ですわ! ――もっとも、この私を相手にして生き延びられた者はおりませんけれど」


「なにぃ! この娘ぇ……調子に乗るなよ!」


「リ、リタ様、危険です! 下がって――」


「ふふん。良い機会ですからあなた達にも教えて差し上げますわ。なぜにわたくしが『ムルシアの魔女』などという大層な二つ名を持っているのかをね」


 言いながらリタが騎士たちへ向かってウィンクをする。同時にかざされたてのひらから光の玉が撃ち出された。

 それは全く予備動作のないものだった。そのため誰もよけることができずに、気付けば賊の全員が地面に転がっていた。



「ぐあぁぁぁ! 顔が、顔がぁ!」


「うぐぅぉぉぉ……」


 ある者は顔面を押さえて地面をのたうち回り、またある者は腹を押さえてうずくまる。見れば無事なものは誰一人おらず、全員が悲鳴を上げて地に転がっていた。


 もちろんそれは魔法である。リタが得意とする魔法矢マジックアロー

 しかも長年の研究の末に編み出した誘導機能付きの進化版とも言えるもので、いまのところそれを使えるのはリタとその師匠(実際には弟子だけど)であるロレンツォのみ。

 それが賊の全員を瞬時に行動不能にしていたのだった。


 発する言葉さえ見つからず呆気にとられる騎士たちと、抱き合って悲鳴を上げるメイドたち。

 彼らを横目に見ながら、地に這う賊たちに向かってリタが言う。その顔には見下すような笑みが広がっていた。


「ふふふ……随分と期待外れですわね。栄えあるシェロン伯爵家の騎士なのだから、もう少し骨のあるお方たちかと思っておりましたのに。まったく見掛け倒しもいいところ」


「ぐあぁぁ……な、なにを言う……我らはただの盗賊団だ……伯爵家など知らぬ……」


「誤魔化したって無駄ですわ。そちらの正体なんてとっくにお見通しですもの。――それで、依頼主はアホのマティアスなのかしら? それともバカ親父のセルジュ? お答えなさい」


「貴様ぁ……伯爵家当主とご子息に対してその物言い、あまりに不敬であろう。訂正して謝罪しろ!」


「ふふん。訂正する気なんてさらさらありませんわ。そもそもわたくしをかどわかそうとした相手ですのよ? どうして謝らなければなりませんの? それはあなたたちも同じ。このまま無礼討ちしてもかまいませんのよ?」

 

「ぶ、無礼討ちだと!? たかが準貴族家の娘の分際で、伯爵家に盾突いてただで済むと思っているのか!? シェロン家が本気を出せば、バラデュール侯爵家さえ動かすことができるのだ! 無礼討ちされるのは貴様の方であろう!」


 恐らく骨が折れているのだろう。一目見てわかるほどに男の頬は陥没していた。

 するとそれを見たリタの顔に、より一層輝くような笑みが広がっていく。


「ひとつお訊きしますけれど、あなた何か勘違いしてはおりませぬか? 上位貴族が下位貴族を無礼討ちしてなにが悪いのです?」


「なに……?」


「シェロン家とて腐っても伯爵家。そんな家の者を斬り捨てるのですから、もちろん相応の理由は必要でしょう。けれどこの状況ならば、もはや無礼討ちされても文句は言えないかと存じますわよ?」


「き、貴様のような下賤の者が伯爵家へ手出しなどできるわけなかろう! 一体どんなつもりでそのようなことを申しているのだ!?」


「ふふふ、それはまだ秘密ですわ。いずれ近いうちに明らかにいたしますので、乞うご期待といったところでしょうか。――とにかくあなた方には、これから依頼主のところへ案内していただきます。よろしくて?」


「ぬかせっ!」


 変わらず笑顔のままのリタに向かって、ペッと賊の男が唾を吐きかける。

 それは幸いにも彼女にかかることはなかったが、それでもリタの眉が見る見るうちに吊り上がっていった。


「うふふ……なかなかいい態度ですわね。ならばよろしい。嫌でも素直になるようにして差し上げますわ。いまさら泣いて許しを乞うたところで遅いですわよ?」


 そう告げるリタの顔には、今や邪悪といっても過言ではない表情が浮かび上がっていたのだった。



―――――――――



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この度「拝啓勇者様」のコミカライズ連載がスタートしました。

詳しくは下記「近況ノート」をご覧ください。

よろしくお願いいたします。


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