姉と弟の矜持 その7

 ちょっとなに言ってるのかわからない。

 思わずそう叫びそうになるほど、マティアスの発言は意味不明だった。

 それもそうだろう。未婚の、いやそれどころか、未だ成人すらしていない14歳の少年から、突然愛人になってほしいと乞われたのだから。


 19歳の経産婦にもかかわらず、小柄な体躯と童顔のせいで実年齢よりも幼く見えるリタである。そのうえ滅多に見ないほどの美少女ぶりを誇っているのだから、百歩譲って嫁に欲しいと言われたのならまだわかる。

 それがなぜ愛人なのか。まったくもって理解に苦しむ。


 いや、マティアスにはカリーヌという婚約者(まだ未確定らしいが)がいるのだから、リタを本妻にできないのはわかる。だから彼は愛人としてなどと言ったのだろうが、それにしては話が飛躍しすぎていた。


 そもそも、あまりに失礼ではないか。

 未婚の、しかも年頃の女性に対していきなり愛人になれなどと、普通の神経をしていれば言えるはずもない。


 一体何なのだ、このガキは!

 これでは己の欲望に忠実なだけの幼児そのものではないか。

 しかも無駄に地位と権力を持っているだけ余計にたちが悪い。


 さぁて、この馬鹿で無神経なエロガキをどうしてやろうか……


 無駄にでかいマティアスの声は当然のように周囲へも聞こえていた。そのため周りの者たちがざわめき始るとようやくリタが我に返る。

 あまりに斜め上の発言に意図せずアホのような顔をさせられた彼女であるが、すでにその顔には元通りの仮面が被せられていた。


「ふふふ……マティアス様もお人が悪い。いきなり愛人になれとは突拍子もなさすぎますわ。さすがに冗談ですわよね?」


「いや、冗談ではない。俺は本気で言っているのだ。貴女の美貌、そしてその肢体を他人ひとにくれてやるにはあまりに惜しい。だから俺が愛人として囲ってやろうと言っている」


「……」


「知っての通り俺はシェロン伯爵家次期当主だ。そしてあの・・ランゲルバッハ公爵家の系譜でもある。その家に取り込んでやると言っているのだ。断るなど以ての外、むしろ名誉だと喜ぶがいい」


 一体どこから生まれてくるのか。自信満々と呼ぶにはいささか不遜すぎる態度でマティアスが言う。

 それにはさすがのリタも再びポカンと口を開けそうになってしまったのだが、そのとき横から凄まじい勢いで口を挟んでくる者がいた。


「無礼が過ぎるぞ、マティアス! 姉上にそんなことを言うなんて許せない! いい加減にしろ!」


 怒りのあまり震えを帯びた、変声期特有のハスキーボイス。

 それはフランシスだった。敬愛する姉へ目の前で暴言を吐かれた彼は、ついに怒りを抑えきれなくなったらしい。穏やかな性格のために決して声を荒げることのない彼が、未だかつてないほどに激昂していた。

 しかしマティアスはまるで意に介さず言い返す。


「うるさいぞフランシス! お前ごときが意見するな、この準貴族めがっ!」


「やかましい! 身分が上だろうが下だろうがそんなことどうだっていい! 大切な姉上に無礼をはたらかれて、これが黙っていられるか! 謝罪しろ! 今すぐ姉上へ謝るんだ!」


「なんだとぉ!? 俺は貴族だ! 公爵家の系譜なんだ! 貴様のような爵位も持たぬ、平民に毛が生えた程度の輩にとがめられるいわれなど何一つないわ!」


「なにぃ!」


「黙っていろ! それ以上わめき立てるつもりなら、無礼討ちにしてやってもかまわぬのだぞ!」


「やってみろ! できるものならやってみろよ! できもしないことを口にするな、この腰抜けめ!」


 売り言葉に買い言葉。一触即発とはこのことか。

 掴みかかる勢いで身を乗り出すフランシスと、腰に履かせた儀礼刀を憤怒のあまり引き抜こうとするマティアス。

 このままでは殺傷沙汰になる。さすがに周囲の者たちが止めに入ろうとしかけたその時、二人の間にスッ身体を滑り込まる者がいた。

 思わず気勢をがれるフランシスとマティアス。二人の間でリタがにっこり微笑んだ。もしもこのような場面でなければ、それはうっとりと見惚れてしまうほど魅力的な笑みだった。


「フランシス、もうそのへんでおやめなさい。あなたの思いは嬉しいけれど、それ以上は蛮勇というもの。相手はお貴族様なのよ。準貴族でしかないあなたとは身分も力も桁違い。無礼討ちにされても決して文句は言えないわ」


「あ、姉上! しかし!」


「そして、マティアス様」


「な、なんだ!」


わたくし如きにそのようなお言葉、大変に痛み入りますわ。シェロン伯爵家と言えば、東部貴族家の中でもランゲルバッハ公爵家の系譜を継ぐ有力な貴族家。たとえ愛人だとしても、その一員に加えていただけるならこれほどの名誉はございませんでしょう」


 変わらず魅力的な笑みを顔に浮かべてリタが告げる。見惚れたマティアスが瞬間怒りを忘れていると、ついとリタが顔を近づけた。

 身長153センチの彼女には177センチのマティアスはとても威圧感を覚えるだろう。しかも今や手で触れられるほど近くに寄っているのだから、より一層そうだったに違いない。

 けれどリタはまるで恐れることなく再び口を開いた。


「とは言え、それは同時に苦しい人生の始まりでもある。正妻には疎まれ、親戚縁者からは卑しい出だと陰口を叩かれ、生まれた子は家督を継げない。己のみならず、愛しい我が子さえも一生日の目を見られぬまま惨めに朽ちていくのがオチですわ」


「そ、そんなことはない! 俺は一生貴女を大切に――」


「嘘を仰らないでくださいまし。そんなの若いうちだけですわ。殿方なんて皆そう。――それでも愛人になれとおっしゃるのなら、それら全てを払拭できるほどの魅力を身に着けなさいませ。まぁ、無理でしょうけれど」

 

「なにぃ……!? まさか俺に魅力がないとでも言うつもりか!?」


「言われなければわかりませんか? 見た目に違わず随分と察しの悪いお頭つむのようですこと。まったく……皆まで言わさないでくださいまし、恥ずかしい」


「うぬぅあー! 貴様ぁ! 言うに事欠いて、この俺を愚弄するかぁ!」


 頭の天辺から湯気が昇る勢いでマティアスが喚き散らす。あれだけフランシスに激昂していたにもかかわらず、今や怒りの矛先は完全にリタへ向けられていた。

 身長で頭一つ、体重に至っては倍以上はあるであろう厳つい少年が再び腰の儀礼刀へ手を伸ばそうとしていると、庇うようにフランシスがその前へ飛び出してきた。


「も、もうおやめください、姉上! それ以上煽れば、一体なにをされるか――」


「邪魔よ、フランシス。そこをおどきなさい」


「だ、だけど!」


「いい? 憎まれ口は叩いたけれど、わたくしはまだこの御仁へ返事をしておりません。訊かれたことには答えるのが作法というもの。ですからフランシス、そこをどいてちょうだい」


「姉上!」


「どきなさい。これは姉からの命令です」 



 見惚れるような笑みはそのままに、口調だけが厳しくなる。

 決してそれは過度に強いものではなかったけれど、聞く者すべてが抗い難いものだった。その得も言われぬ迫力には、さしものマティアスも気圧されそうになる。

 それでも彼は平静を装って告げた。


「返事? 返事だと!? この期に及んでお前はなにを言っているのだ!? そんなもの、いまさら聞くまでもないだろうが!」


「うふふ、野暮なことを仰らないでくださいまし。たとえそうだとしても、伺い事には返事を返すのマナーではありませんの? まさか、それすらもおわかりにならない? これまで貴方様は一体何をお学びになってこられたのかしら?」


「く、くそぉ……わかった! ならば言ってみろ! お前の返事とやらを聞いてやろうではないか! ただし、返答次第によってはただで済むと思うなよ!」


 これ以上ないほどに鼻息を荒くしてマティアスががなり立てる。しかしなにを思っているのか、当のリタは変わらず輝くような笑みを浮かべるばかり。

 厳つい顔を歪ませて怒りまくる大柄な男の前で、事も無げに余裕の笑みを見せる可憐な少女。しかしよく見れば、その瞳は決して笑っていなかった。


 皆が固唾を飲んで見守る中、ゆっくりとリタが歩み出る。そしておもむろに手袋を脱いだかと思うと、それをそのままマティアスの頬へ叩きつけた。


 パシッ!


 響き渡る乾いた音と直後に訪れた静寂。

 呆気に取られるマティアスと笑顔のままのリタ。


 対象的なその光景は、まるで夢の世界の出来事のように現実味がなかった。



―――――――――



何度もすいません! ここで宣伝です。

この度「拝啓勇者様」のコミカライズ連載がスタートしました。

詳しくは下記「近況ノート」をご覧ください。

よろしくお願いいたします。


https://kakuyomu.jp/users/chikuwa660/news/16817330656486071419

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