姉と弟の矜持 その6

「さぁフランシス。会場に着いたわよ。それじゃあ先導をお願いね」


「は、はい姉上! それでは失礼して、お手を取らせていただきます!」


 弟に手を引かれたリタが静々と会場内を歩いていく。

 すると気付いた参加者たちが続々と視線を釘付けにしていったのだが、ただ目で追うばかりで決して話しかけてくる者はいなかった。


 本日ここへ集められているのは、今年で13歳になる貴族の子女たちばかりである。もちろん同伴者の中にはすでに成人を過ぎた者はいたものの、そのほとんどがリタと面識のない者だった。

 そもそもフランシス自身があまり顔を知られていない。そのため、連れ添って歩くこの姉弟を見ても、それがレンテリア伯爵の甥と姪であると気付いた者はほんの一握りしかいなかった。


「うわ……なんて綺麗な人だろう……」


「凄い可愛い……あの人は誰?」


 リタが通り過ぎる度にヒソヒソと耳打ちが聞こえてくる。 

 そのほとんどが彼女の容姿を褒め称えるものばかりで、誰もフランシスに関心を向ける者はいなかった。それでもやはり気になるのだろう。その中には必死に二人の正体を探ろうとする者も現れ始める。


 リタたちを遠巻きに眺める者たち。そのほとんどが爵位を持つ家の子女ばかりである。

 その中でも最上位に位置するのが公爵家で、最下位が男爵家。さらにその下には爵位を持たない分家の子供たちがいるのだが、彼らは「準貴族」として本家の貴族たちから差別されるのが常だった。


 貴族のようで貴族でない。そんな中途半端な存在のフランシスではあるけれど、彼に限って軽んじられてはいなかった。なぜなら彼は、あの・・レンテリア家の親戚だからである。


 爵位こそ中位の伯爵家でしかないものの、今や王国を代表する財閥系貴族として国中へ名を轟かすレンテリア家。国へ貸し付けられるほどの潤沢な資産を有するその家は、財力のみならず発言力においても他の追随を許さない。


 そのレンテリア家の現当主がアンブロシオであり、甥にあたるのがフランシスだった。

 だから、いかに爵位を持っていなくとも、フランシスと正面切って敵対しようとする者などいるはずもない。彼と争うことはレンテリア家を敵に回すのと同義であるため、少なくとも西部貴族の中にはそこまで気概のある家はなかったのである。


 そしてフランシスの実姉であるリタもまた有名だった。

 分家の分家、傍系の家系から、王国の西の守りである西部辺境侯爵家へ嫁いだリタは、まさにシンデレラストーリーとでも呼ぶべき逸話とともに、特に若い貴族令嬢の間では知らぬ者はいないほどだったのだ。


 とは言え、画家が描いた肖像画くらいでしか容姿を知ることができないこの時代、目の前の美少女(実態は19歳の経産婦だけど……)がリタであると一目でわかる者などそうはいない。

 精々が類稀たぐいまれなる美しい容姿であることと、「ムルシアの魔女」とあだ名されるほどの強力な魔法の使い手だと知っている程度でしかなかった。


 まるで本日の主役であるかのように周囲の注目を集めるリタ。

 数えるのが面倒になるほど多くの視線が集まる中で、まったく気にした様子もなくお澄まし顔を決め込んでると、おもむろに国王の出座が告げられたのだった。



 ◆◆◆◆



「ふぅ……やっと式典も終わったわ。あとはお茶を飲んで帰るだけね」


「はい。とりあえず本日一番のイベントは終わりました。国王陛下のお声を拝聴できるなんて滅多にないことですからさすがに緊張しましたよ。近くでお姿も拝見できましたし、もうなにも思い残すことはありません」


「ふふふ……大げさねぇ。だけどまぁ、そうかもね。陛下のお姿なんてそうそう拝見できるものじゃないし」


「確かにそう思います。だけどそれを考えると姉上って本当に凄いですよ。だって姉上の結婚式には陛下自らが参列してくださったのですから」


「まぁね。でもあれは私の力じゃないのよ? あの時はその他にも色々とやんごとなき事情があったのだから」


 過去を思い出すような、遠くを見つめるリタの眼差し。その瞳に無邪気に笑うフランシスの姿が写り込む。


 まさに天真爛漫と言うべきか。姉と同じ透き通った灰色の瞳をキラキラと輝かせる。それを見ていると、先ほどまでの憂いを帯びた様子が嘘のように思えた。

 しかしそれもそこまで。次の瞬間にはもとの屈託した表情に戻っていた。

 

 なにかあったのだろうか。

 そう思わざるを得ないリタが周囲を見渡そうとしていると、一瞬早くその背に声がかけられた。


「おぉ、リタ嬢。再び相まみえられたな。これも何かの縁だろう。暫し話し相手になってくれると嬉しい」


 低く大きく、少々聞き苦しい無遠慮な声。

 言うまでもなくそれはマティアスだった。このシェロン伯爵家の嫡男である少年は、式典後の茶会が始まった途端にリタへ声をかけてきたのだ。

 同伴相手のカリーヌを人混みの中へ放置したまま、出席者たちをかき分けながら一直線に近づいてくる。するとなにを思ったのか、気付いたリタが見惚れるような極上の笑みを顔に浮かべた。


「これはこれはマティアス様。わざわざ御身より足をお運びいただき誠に恐縮でございます。本来ならばわたくしの方からご挨拶へ伺うべきところですのに」


「いやいや、なに、かまわぬよ。貴女のような美しいお方に面倒はかけさせられぬゆえ。このくらい、どうということもない」


「うふふ……ありがとうございます。そうおっしゃっていただけますと、このリタ、女冥利に尽きると言わざるを得ませぬ」


 口元を隠しながら鈴の音のような笑い声を上げるリタ。その姿に好色そうな視線を向けつつマティアスが言う。


「ときにリタ嬢。貴女はフランシス殿の姉君だとうかがった。ということは、すでに成人されているのか?」


「ふふふ……いけませんわ、マティアス様。男性が女性に年齢を訊くなど、まさに無作法の極み。とは言え、お知りにないたいと仰るならのお答えいたしますが」


「あぁ、これは申し訳ない。ご覧の通り生まれつきの不調法者ゆえ、お気に触ったならば何卒なにとぞご容赦願いたい」


 言いながらマティアスがニヤリと笑う。

 恐らくその台詞せりふは粋なのだと本人は思っているようだが、前世から通算して227年もの長きを生きてきたリタ――アニエスにとっては、大人へ向かって必死に背伸びしようとする末期の中二病患者にしか見えなかった。

 

 

 この身体に転生してからというもの、すっかり肉体に意識が引き摺られてしまったリタである。老成しきったと言っても過言ではなかった前世の熟達した精神は、今やすっかり年齢相応になっていた。

 そのリタから見てもマティアスの言動は痛かった。


 有力伯爵家の跡継ぎとして生まれ、大切に大切に育てられ、我儘いっぱいに成長してしまったマティアスなのだからその全てが彼の責任ではないのだろう。しかしそれにしては色々と酷かった。

 周囲を顧みない尊大かつぞんざいな言動もそうだが、貴族としての礼節と教養も決して年齢相応とは思えない。言うなれば、少し身体の大きな子供のようである。


 普段のリタなら「愚か者」と片付けて、相手にする価値すら見出さないところだろう。しかしなにを考えているのか、それでも彼女は根気強く話を続けようとした。


「どうかそのようにご自身を卑下なさらないでくださいまし。わたくしは気にしておりませぬゆえ」


「そう言っていただければ有り難い。して――」


「あぁ、ごめんあそばせ。わたくしの年齢でしたわね。――デビュタントなら少し前に終わりましたわ。生憎とこのように小柄で童顔なものですから、およそそのようには見えないでしょうけれど」


「おぉ! ということは、俺よりひとつ年上になるのか。ならば婚約者は当然おられるのであろう?」


 なんだこいつは。随分とガツガツ来るな。

 準貴族とは言え、相手は年頃の令嬢(嘘だけど)なのだから多少は遠慮せぇや!

 しかも、おっぱいばっかり見てんじゃないわい!

 これは可愛い可愛いヴィルヘルミーナのものなんじゃ、このエロガキがぁ!

 ……まぁ、時々はフレデリクにも許すけどなっ!


 などと思ったのだが、素知らぬ顔でリタは答えた。


「うふふ。残念ながら婚約者はおりませんの。マティアス様であれば社交界にもお顔が広いと存じます。もしご面倒でなければ、どなたか紹介していただけますと幸いですわ」


 まさに社交辞令。

 本心でどう思っていようとも、それは当たり障りのない模範的な回答だった。もっとも「婚約者はいない」というくだりはまったくの事実ではあったのだが。


 魑魅魍魎ちみもうりょう跋扈ばっこする貴族の世界。なんら利益も得られぬこの状況で本音を話す者などそうはいない。

 腹芸のできない者は長生きできない。そう言われるほど本音と建前に埋め尽くされているのがいまの社交界だった。


 しかし残念ながら良い意味でも悪い意味でも色々と察することができないマティアスは、リタの言葉を真に受けてしまう。

 決して年相応に見えない厳つい顔にパッと喜色を浮かべると、嬉々として質問を続けた。


「おぉ、そうか! それほどの器量なのだから、貴女を嫁にほしい家も多いはず。なのになぜ皆は貴女を放っておくのだ?」


「うふふ。さぁ、なぜでございましょう? 恐らくは身分の問題なのかもしれませんわね。もしも私が望んだとしても、状況がそれを許してくれませんもの」


「ふぅむ、もったいない! 非常にもったいない! その器量を誰の手にもゆだねぬなど、まさに国家的損失と言うほかないであろう!」


 なに言ってんだ、こいつ!

 もしや頭がいているのではあるまいな!

 未だ15歳のガキのくせして、一丁前に女の美しさを語るでないわ、このボケがっ!


 などと前世において一生を純潔で過ごしたリタ――アニエスが、己の所業を棚に上げつつ思ったのだが、それをおくびにも出さずにマティアスへ返した。


「なにを仰いますか。そのようなお言葉など、このわたくしには勿体のうございます。それは貴方様の婚約者へお聞かせすべきかと存じますわ」


「ふむ、婚約者か。確かにそれはそうかもしれぬが、いまさらそれをカリーヌに言ったところでどうにかなるものでもなかろう」


「えっ……?」


 これといった考えもなく、思ったことをそのままマティアスが口に出す。

 それを聞いた途端、フランシスの顔が真っ青になっていった。

 もちろんリタはその変化を見逃すはずもなく、視界の隅に弟の姿を捉えたまま窺うように話を続けた。


「あら、それは初耳ですわ。カリーヌ嬢が貴方様の婚約者だったなんて」


「ん? あぁ、それはまだ正式に決まっていないからな。あくまで内々の話に過ぎん。とは申せ、いずれ近いうちに発表することになるだろう。――それはさておきリタ嬢、俺から一つ提案があるのだが、聞き届けていただけるか?」


「なんでしょう?」


「何度も言うが、貴女は本当に美しい。俺が見てきた中で一番なのは間違いない。それを他人ひとに取られるかと思うと頭が狂いそうになってな。ゆえに俺の愛人になってほしいのだが、如何いかがか?」


「……はぁ?」


 荒唐無稽とはこのことか。

 一体どこからそんな発想が生まれてくるのか。

 まったく理解できないリタは、二の句も継げずにそのまま固まるしかなかった。



―――――――――



しつこいですが、ここで宣伝です。

この度「拝啓勇者様」のコミカライズ連載がスタートしました。

詳しくは下記「近況ノート」をご覧ください。

よろしくお願いいたします。


https://kakuyomu.jp/users/chikuwa660/news/16817330656486071419

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る