姉と弟の矜持 その5

 それはあまりに不躾ぶしつけだった。

 男性が女性の身体に視線を向ける。ただそれだけで無作法とされる貴族の社会において、マティアスの行いは到底許されるものではない。しかし当の本人はもとより、ともすれば視姦されたといっても過言ではないリタまでもがまるで気にせず話を続けようとする。

 その様子に顔を青ざめさせたカリーヌが突如口を挟んできた。


「あ、あのマティアス様! 所作にお気を付けくださいませ! もしや、ご存じないのですか!? このお方はのムルシア侯爵家の――」


 見るからに気の弱そうな小柄な少女が、マティアスへ向けて必死になにかを訴えようとしてくる。けれどリタはそれを皆まで言わさず遮った。


「ごめんあそばせ、カリーヌ嬢。今はわたくしの挨拶中ゆえ、横から口を挟まないでくださいまし。よろしいですこと?」


 まさに鶴の一声。

 顔は笑っているものの、向けられた視線は刺すように鋭く、見つめられたカリーヌはまるで蛇に睨まれたカエルのように身動きが取れなくなってしまう。訴える言葉すら途中で飲み込み、直立不動のままその場で立ちすくんだ。

 その彼女になおもリタが言い募る。


「それともうひとつ。老婆心ながら忠告いたしますが、余計なこと・・・・・は言わぬが花。そう申しますでしょう? 賢いあなたにならご理解いただけますわよね?」


 なにやら含みのある意味深な言葉。

 理解したのかしないのか。いまひとつわからないものの、それでも必死にカリーヌが頭を縦に振る。それを一瞥したリタが、再びにっこり笑って正面へ向き直った。


「マティアス様、大変失礼いたしました。未だ挨拶の途中でございましたわね」


「なに、かまわぬ。式典が始まるまでまだ暫しの猶予はあるからな。――しかし驚きましたぞ。まさかフランシス殿にこのような美しい姉君がいたとは」


「うふふふ……美しいだなんて。わたくしごときには過ぎたお言葉かと」


「これはまたご謙遜を。世辞抜きに申すが、俺が今まで出会ってきた女性の中であなたが一番美しい」


「ふふふ、ありがとうございます。そのお言葉、社交辞令としてありがたく頂戴いたしますわ。――ときにマティアス様。本日はどうしてここへ? 確かあなた様は今年成人されるはずでは? 出席されるはデビュタントであって、このプレ・デビュタントではないかと存じますが」


「ん? あぁ、それは此奴こやつの付き添いでな。聞けば同伴者がいないと言うものだから、幼馴染のよしみで一肌脱いでやったというわけだ」


 言いながらマティアスがいささかぞんざいな仕草でカリーヌを指さす。

 見れば彼女は変わらず直立不動のまま固まっていた。リタの視線、所作、言葉などに過剰に反応する様は、なにか見えざる力に委縮しているようにしか見えなかった。

 その様子を横目に見ながら、再びリタが口を開く。


「少々お待ちを。恐れながら伺いますが、どうしてそのようなことに? そもそもの話では、カリーヌ嬢にはフランシスが同伴することになっていたはず。それもグラーツ家のほうから申し入れてきたと聞き及びますが?」


 質問しつつ、ちらりとリタがカリーヌを見る。

 すると彼女は「ひゅっ!」と聞こえるほど盛大に息を吸い込んだ。

 脂汗だろうか。額には明らかに光るものが浮いている。せっかく入念に化粧を施してきたというのに、今やそれはすべてを台無しにするほどのテカリ具合だった。


 もはや抑えきれないほどの恐れと緊張、そして悔恨の念に苛まれたカリーヌは、その場で卒倒しそうなほどに身体を震わせてしまう。

 それを見ていると、どうやらこれにはやんごとなき事情があるのがわかる。

 けれどマティアスは「それがどうした」と言わんばかりに無慈悲な笑みを見せた。


「確かにそうだ。リタ嬢が申されたとおりでおおよそ間違いない。ならばなぜそのようなことになったのか……お訊きになりたいか?」


「もちろんでございます。カリーヌ嬢に同伴を断られた我が弟フランシス。その嘆きと悲しみは如何いかばかりか。いまさら致し方ないとはいえ、せめて事情だけでもお聞かせ願えれば幸いにございます」


 相手は格下の伯爵家であるばかりか、未だ成人もしていない爵位も持たない15歳の少年である。

 にもかかわらず、慇懃に丁寧に腰を低くしてリタが話を続ける。

 本来であれば身分を笠に着て一方的に釈明を求めることもできたのだろうが、なぜか彼女はそうしようとはしなかった。


 それをどう解釈したのか。お世辞にもたちが良いとは言えない笑みを浮かべながらマティアスが答えた。

 


「ふはは、まさかそれを訊かれるか? あなたほどの美しい方ならば、同様に聡明なのかと思っていたが。――口で言わなければわかりませんかな?」

 

「えぇ。恥ずかしながら、察するのはあまり得手ではありませんの。言葉にてはっきり申していただきたく存じます」


「そうか。ならば遠慮はいらぬな。はっきり申そう。――我がシェロン伯爵家は東部貴族の中でもとりわけ力を持つ家だ。対して貴殿の家は爵位を持たぬ準貴族に過ぎない。確かに西部貴族家の中も一際ひときわ力を持つレンテリア伯爵家を本流としているが、フランシス殿は傍系の傍系、なんら力を持たぬということだ」


「……」


「だから俺が言ったのだ。得るものなど何もない、そんな者の同伴などやめておけ、とな。するとカリーヌの両親も賛意を示してな。レンテリア家への申し入れを速攻で翻したぞ」


 聞くなり青ざめたフランシスの顔。それをにやにや笑いとともに眺めつつ、時々リタの胸をチラ見する。

 有力伯爵家の嫡男と呼ぶにはあまりにぶしつけで無礼で不作法なマティアスである。未だ成人すらしていない半人前ではあるものの、思わずこの先が思いやられるほどの不出来ぶりだった。



 なるほど。どうやらこの少年が諸悪の根源らしい。

 そしてフランシスを苛めているのも、こいつを中心とした仲間たちなのだろう。

 そこへ考えが至ったリタがなおも追及の手を伸ばそうとしていると、突然周囲に誰かの声がこだました。


「そろそろお時間でございます! 出席者、同伴者の皆様方は速やかに会場の方へ移動していただきたく!」


 それは出席者たちへの呼び出しだった。

 話の腰を折られてしまったリタが止む無く会話をやめようとしていると、ふとマティアスの背後に佇むカリーヌに気付く。


 彼女は泣きそうになっていた。

 透き通る空色の美しい瞳に涙を浮かべながら、健気にも必死にそれを堪えていたのだ。それを見ていると、フランシスへの同伴の申し出を翻したのが決して彼女の本意ではなかったのがわかる。

 

 恐らくは家と家との力関係。

 カリーヌの実家であるグラーツ子爵家は、マティアスの実家であるシェロン伯爵に決して逆らえないと聞く。爵位による上下関係はもちろんのこと、グラーツ家がシェロン家に多額の金を借りているとの噂もある。


 当人の意志だけではどうにもならないしがらみに雁字搦がんじがらめになってしまったカリーヌは、一度は申し込んだフランシスへの申し出を泣きそうになるほどの罪悪感とともに反故にせざるを得なかったのだろう。


 そんな誰も幸せになれない現実にリタがやり場のない憤りを覚えていると、妙にイラつく薄ら笑いとともに再びマティアスが話しかけてきた。


「それではリタ嬢、一旦これで失礼させていただく。あとは式典後の茶会にて再び相見あいまみえよう。楽しみにしている」


「うふふ。かしこまりました。それでは、また後ほどお話させていただきますわ。ごきげんよう」


 相手を虜にする極上の笑み。

 それに見惚れた表情を見せたものの、すぐさま我に返るとそのままマティアスはカリーヌを伴って歩き去っていったのだった。



 ◆◆◆◆



 去り行く二人の背をリタとフランシスが見送っていた

 彼らも彼らですぐに会場へ移動しなければならないのだが、そんなことなどお構いなしにリタが話しかけてくる。

 その顔にはいつも通りの穏やかな笑みが広がっていた。


「ねぇ、フランシス。なんとなく話が見えてきたわね。はじめはここでカリーヌ嬢に話を聞ければいいかと思っていたのだけれど、どうやら思った以上に根は深いみたい」


「……すいません、姉上。こんなことに巻き込んでしまって」


「いいわよ、べつに。可愛い弟が困っているのだもの。このリタ、一肌どころか二肌も三肌も脱ぎますわよ! なんなら全裸になるのもやぶさかではありませんわ! ――なぁんて冗談はさておき、一体なんなの? あのマティアスってのは。少しでも貴族事情に通じていれば、私がムルシア家へ嫁いだことくらい知っているはずだと思うけれど。それにあの行儀作法。酷いなんてものじゃないわね、まったく!」


「申し訳ありません。お気を悪くしたなら、彼に代わってお詫びします……」


「べつにあなたが謝ることじゃないでしょう? ――まぁいいわ。それであのカリーヌ嬢のことなんだけれど……ねぇフランシス、これはとっても大切なことなの。正直に答えてくれる?」


「えっ? なんですか?」


「あなた……あの子のことが好きなんでしょう?」


「な、なんですか!? どうしてそんなことを!?」


「ふふん、言わなくてもわかるわよ。だって顔に書いてあるもの。さぁ、正直に言いなさい! 決して悪いようにはしないから!」


「いや、その、好きとか嫌いとかそういうのじゃなくって……えぇと、彼女は同じ教室で机を並べる仲間というか……友達というか……」


「だから、そんなことはどうだっていいの。あなたがあの子をどう思っているのかを私は知りたいわけ。ねぇねぇ、憎からず思っているのでしょう? 誤魔化したって姉上にはわかるのよ?」


「いや、だから、その……」


「いい? フランシス。もしかしたらこの窮状から彼女を救ってあげられるかもしれないの。あなたたちだけではどうにもならない、家と家とのしがらみを含めたすべてからね」


「えぇ!? そ、そうなんですか!? 姉上にならなんとかできるのですか? カリーヌ嬢の実家の問題さえも?」


「正直言ってまだわからない。でも、あのマティアスってのが私の思う通りのバカならば、それも可能かもしれないってこと」


「そんな……だって彼らは東部貴族家ですよ? しかも我々の力の及ばない公爵家の閥族なのだし……」


「確かにね。それは私にもわかってる。でもね、ものにはやりようってのがあるわけ。もちろん全てをコントロールなんてできないけれど、望む方向へ誘導するくらいはできる。まぁ見てなさい。きっとあのバカのほうから罠にかかってくるわよ。――それでどうなの? あなたはあの子のことが好きなの?」


 その問いにフランシスは数舜の迷いを見せる。しかし次の瞬間、思いのほか力強く彼は答えた。


「はい、好きです。僕はカリーヌ嬢のことが好きなんです。だから彼女を救ってあげたい。どうしようもないしがらみから抜け出させてあげたいんです!」


 まるで迷いのない真っ直ぐな弟の眼差し。

 それを見たリタの顔にゆっくりと笑みが広がっていく。それは実の弟から見ても見惚れるほどに美しい表情だった。



―――――――――



何度もすいません。ここで宣伝です。

この度「拝啓勇者様」のコミカライズ連載がスタートしました。

詳しくは下記「近況ノート」をご覧ください。

よろしくお願いいたします。


https://kakuyomu.jp/users/chikuwa660/news/16817330656486071419

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