姉と弟の矜持 その4

 ハサール王国および周辺諸国において、成人年齢は一律に15歳と定められている。そしてその年齢の貴族子女たちは、デビュタントと呼ばれる成人式で社交デビューを飾ることが決められていた。


 その二年前。対象者たちが13歳になる年に開催されるのが俗にいう「プレ・デビュタント」である。

 すべての貴族子女たちにとって、15歳のデビュタントは特別な意味を持つ。それが大人になるための通過儀礼なのはもちろんのこと、周辺貴族家に対して自身の名と顔を売る絶好の機会でもあるからだ。


 とはいえ、それだけですべてが決まるわけではない。実はその二年前――プレ・デビュタントと呼ばれるお披露目会においてすでに戦いは始まっていた。


 貴族として求められる様々なマナーや教養は、12歳になるまでに初等教育として徹底的に叩き込まれる。

 そしてその次の年から中等教育が始まるのだが、その初年度に開かれるのが「プレ・デビュタント」だった。


 言うなれば、それは大規模な茶会である。

 その年に13歳になる者たちが一堂に集められ、互いに挨拶を交わして話に花を咲かせながらダンスに興じて思い思いにくつろぐ。

 表向きはそういうことになっているのだが、実のところそれは彼らを評価する場でもあった。


 初等教育で身に着けてきたはずのマナーと作法、そして基礎教養。さらに話術や社交性などを会場の隅から審査員たちが細かくチェックしていく。

 もちろんその結果は最終的に国王の目を通ることになるため各貴族家は戦々恐々とするばかり。決して粗相しないようにと、その日を目指して特訓に明け暮れることになる。

 

 ちなみにリタのときは、まったく文句のつけようもなかった。

 当時においてすでに美少女の名を欲しいままにしていたうえに、マナーも所作も教養も他の追随を許さぬほどの完全無欠ぶり。

 同年代の貴族子息たちは、見るなりリタに夢中になってしまった。しかし西部辺境侯にして武家貴族筆頭のムルシア侯爵家次期当主という最強ブランドを引っ提げるフレデリクが婚約者である事実は如何ともしがたく、聞こえるほどの盛大な溜息とともに皆が諦めたのは記憶に新しい。



 とまぁ、余談はさておきフランシスである。

 リタの追及に思わず感情をほとばしらせた彼ではあるが、それもその一回限りで終わらせた。

 もちろん彼にも彼なりに言いたいことはあったのだけれど、我を通したところで同伴相手が見つかるわけでもなければ、そもそも問題解決にすらならない。

 その事実を受け入れざるを得なかったフランシスは、本当に渋々ながらも姉の提案を受け入れたのだった。

  

 そして今日はそのプレ・デビュタントの日である。

 生後8ヵ月になり、やっと最近ずりばい・・・・ができるようになった愛娘――ヴィルヘルミーナを連れてリタは前日に前乗りしていた。

 いまは彼女が着替え終わるのを待っているところだ。


「ほらほら、もうすぐお前の母上が現れるぞ。もう少しだけ待っててくれな」


「ばぁぶぅ! だぁばぁ!」


「そうかそうか、お前も楽しみか。僕もだよ」


 元気いっぱいの姪を抱き上げて、愛おしいと言わんばかりにフランシスが頬ずりをする。そんな「尊い」としか言いようのない二人の姿を祖父母と両親、そして使用人たちが眺めていると突如部屋のドアが開けられた。


「お待たせいたしました。リタ様のお召し替えが終わりました」


 案内役のメイドが告げると、その後から一人の少女が姿を現した。

 もちろんそれはリタである。弟のプレ・デビュタントへ同伴するために、わざわざ馬車を飛ばして嫁ぎ先から駆けつけてきたのだ。

 そのリタが皆を見回しながら口を開いた。


「な、なによ、その顔は? もしかして、ドレスが似合っていないとか言う?」


「いや、逆だよ。綺麗だ……ううん、違うな、可愛らしい、かな?」


「そうね、その言葉が適切だと思う。そうしていると、とても一児の母親には見えないわねぇ」


 驚きの表情とともに父親が告げると、それに母親が同調する。すると他の者たちも「うんうん」と納得したように頷いた。

 

 一言でいうとそれは「姫君」だった。

 「13歳の弟と並ぶのだから、少しでも若作りをしないとね」とのたまってデザイナーへ特注したドレスは、リタの美しさよりも可愛らしさを引き出すようなデザインになっていたのだ。


 ほっそりとした長い首を目立たせるような襟元と、決して小さいとは言えない胸の膨らみをやんわりと隠すたくさんのフリル。

 腰の細さを引き立てる意匠がセクシーではあるけれど、それもベルラインのシルエットを引き立てるのみの潔さ。


 清楚で可憐、そして品のあるその装いは、エメラルダが言う通りとても19歳の経産婦には見えなかった。

 とは言え、それはリタの努力の賜物でもある。

 多くの例に漏れず、やはりリタも妊娠中は体重が増えた。そして出産後もしばらく戻らなかったのだが、「二の腕がプニプニして気持ちいい。あと脇腹も」という夫の一言に何を思ったのか、ある日突然リタはダイエットに励みだしたのだ。

 そのおかげもあって今ではすっかり妊娠前の体形に戻っていたのだが、半面なぜかフレデリクは残念そうだった。


 そんなわけで、実際には19歳の経産婦にもかかわらず、ぱっと見は15歳前後の美少女に見える、まるで詐欺のようなリタが完成したのだった。




「さぁ、着いたわよフランシス。準備はいい?」


「は、はい! 大丈夫です!」


 その言葉とともにリタとフランシスが馬車から降りると、そこにはすでに多くの出席者が集まっていた。

 見ればすべての者たちが男女のペアだった。もっともそれは当然である。なぜなら、プレ・デビュタントの出席者は必ず同伴者を伴わなければならないと決められているからだ。


 婚約者がいる者はそれを伴い、いない者は他家から探してくる。中にはむにまれず兄弟姉妹を同伴者とする者もいるが、それはあくまで最終手段でしかない。

 パートナー探し。それ自体もこのプレ・デビュタントの評価対象となっているため、身内を同伴する者は「他に頼る者なし」としてそれだけで評価を下げられてしまうのだ。


 つまりフランシスはスタートからすでにつまづいてしまっているわけだが、いまさらそんなことを気にしても仕方がない。

 もとより爵位を持たない準貴族のフランシスである。この集まりだって彼にとっては単なるセレモニーに過ぎないのだから。


 そのフランシスが姉の手を引いて会場を歩いていく。すると一瞬にして周囲の視線を釘付けにした。

 いや、正確に言うなら、その状況を作り出したのはフランシスではなくリタだった。

 清楚で可憐な絵に描いたような美少女。その正体が19歳の経産婦であるなど露ほどにも思わず、多くの少年の心を鷲掴みにしていたのだ。


 けれど相手は明らかに年上の女性。こちらから声を掛けるのはマナー違反。果たしてあれは誰なのだろうか。

 ひそひそと小さな声は聞こえてくるけど声を掛けてくる者がいない中、弟に手を引かれたリタが静々しずしずと歩んでいく。すると突然その手が止まった。

 何事かと思って見てみれば、とある少女の前でフランシスが足を止めていたのだ。

 

 それは小柄な少女だった。

 高く結い上げた薄茶色の髪と、透き通る青い瞳が美しい中々に愛らしい顔つきの貴族令嬢。

 身長は145センチあるかどうか。痩せて折れそうに細い体躯にもかかわらず、よせばいいのに鎖骨の見えるドレスを着ている。それが彼女の体型をより一層貧相に見せていた。


 知り合いなのだろうか。

 暫し見つめ合う少女とフランシス。すると唐突にフランシスが告げた。


「や、やぁ、カリーヌ嬢。ご機嫌麗しく」


「あ……フランシス様。ご、ごきげんよう……」


 言ったきり、次の言葉が出てこない。互いに顔を見つめたままの二人。堪らずリタが声をかけた。


「ねぇフランシス。お知り合いかしら? わたくしにご紹介いただける?」


「えっ……? あ、あぁ、すいません。えぇと、彼女はグラーツ子爵家のカリーヌ嬢です。ともに養成所で励んでいる仲間でして……」


「あ、はい、ご紹介にあずかりましたカリーヌでございます。えぇと、あなた様は……」


 その言葉にリタが自身の名を告げようとした時、一瞬早くその横から別の声がかけられた。

 


「おい、カリーヌ! 勝手にいなくなるなよ! せっかくこの俺が同伴者になってやったんだから、常に横へ……ん? なんだお前、フランシスじゃないか。お前のような奴が、よくここへ来られたもんだな」


 開口一番、憎まれ口を叩く男。

 年の頃は15歳くらいだろうか。背が高く体格も良く、見るからに威圧感のある身体を揺すりながら近づいてくる。

 その男がフランシスに向かってさらに口を開いた。


「その様子じゃあ、同伴者が見つかったんだな。愚図ぐず鈍間のろまなお前のことだから、同伴者が見つからなくてここへは来られないと思っていたぞ……って、もしかしてそれがそうか?」


 言いながら無造作にリタを指さす背の高い男。

 理由もなく人を指し示すのは無礼にあたる。それは5歳児ですら知っている基礎中の基礎マナーなのだが、その男はまるで構うことなくリタを指さし続けた。

 しかも正体もわからぬ初対面の相手を「それ」呼ばわりである。


 野蛮人でもあるまいし、無礼の極みとしか言いようのないその所作にはさすがのリタも眉をひそめそうになったのだが、それをおくびにも出さずに彼女は答えた。


「ごきげんよう。わたくしはフランシスの姉のリタでございます。お目にかかれて光栄に存じますわ」


「ほぅ、リタ殿と申されるか。俺の名はマティアス。シェロン伯爵家の嫡男である。よしなに頼む」


「えっ……? リ、リタ様!? まさか……」


 なにを思ったのか、リタの名乗りに対して突然カリーヌが緊張の面持ちとともに背筋を伸ばした。

 対してマティアスは特に感慨を覚えるでもなく、頭の天辺から足の先までじろじろと無遠慮にリタの身体を眺め始める。

 その様はまるで舐め回すようにいやらしく、そして猥雑にしか見えなかった。



―――――――――



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この度「拝啓勇者様」のコミカライズ連載がスタートしました。

詳しくは下記「近況ノート」をご覧ください。

よろしくお願いいたします。


https://kakuyomu.jp/users/chikuwa660/news/16817330656486071419

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