姉と弟の矜持 その3
「ねぇ、フラン。私が同伴者になってあげる。姉さまと一緒にプレ・デビュタントへ出席しましょうよ」
そう告げたリタの顔には、なにやら腹に一物あるような表情が浮かんでいた。
駆け引き、策略、悪巧み。決して綺麗ごとだけでは片付けられない貴族の世界。特に212年もの長きを生きた前世のブルゴー王国において、王室をも巻き込む巨大な陰謀の中心にいたリタ――アニエスである。
普通の人間ならば容易に見逃すほどの些細な違和感にもかかわらず、なにやらその裏に潜むものを察知したらしい。
決して口には出さないものの、その瞳に興味津々な光を宿しつつ弟へ訪ねた。
「ねぇフラン。あなたに心当たりはないの? そのカリーヌ嬢とやらが突然辞退してきた理由なんだけど」
「え? いや、あの、その……」
言い淀むフランシス。どうやら彼には思い当たる節があるらしく、次第にその表情が曇っていく。それを見てもリタは追及の手を休めなかった。
「どうしたの? なにか隠していることがあるんじゃないの?」
「だ、大丈夫だよ。なにも隠してなんていないよ」
「嘘ね。私の目は
「だから、なにもないって。心配しすぎだよ」
「本当に大丈夫なら、そんな思い詰めたような顔しないでしょう? もしも皆の前で言いにくければ別室で聞いてあげるけれど」
「い、いいって。本当になにもないから」
「ふぅーん、そう。それにしては、ずいぶんと――」
「う、うるさいな! なんでもないって言ってるだろう! 放っておいてくれ!」
「えっ? ちょっ、フラン!?」
急に表情を変えたかと思えば、突如フランシスが大きな声を上げる。しかし驚くリタを見た途端、彼はハッと我に返った。
「ご、ごめんなさい……姉上……そんなつもりじゃ……と、とにかくなにも……なにもないから大丈夫だよ……ごめん……」
言いながらフランシスがふらふらと後退りしていく。その顔には深い後悔の念が浮かんでいた。
まるでもう一人の母親のように幼い頃からずっと慕ってきた姉である。にもかかわらず、感情に任せて大声をぶつけてしまった。
その事実に愕然とするとともに己に対して行き場のない憤りを覚えたフランシスは、逃げるようにその場を後にしたのだった。
リタの実弟――フランシスは今年13歳になった。
幼い頃の彼は母親に似て背が低く、顔つきも中性的で可愛らしかったが、二次性徴期に入ったここ最近は徐々に背が伸びつつある。くわえて変声期も始まったために、この年代男子特有のハスキーボイスを披露していた。
このように少しずつ大人への階段を上り始めたフランシスではあるけれど、垂れ目がちの優し気な瞳と筋の通った高い鼻は相変わらず端正なままである。そのため周囲からは、必ずや将来は父親のような
そんなフランシスは、現在は家を出て首都にある寄宿舎で寝泊まりをしている。
代々有力な「魔力持ち」を輩出してきた名門貴族レンテリア家。多くの例に漏れずフランシスもその才能を受け継いでいたのだが、今や「ムルシアの魔女」とまであだ名されて将来の宮廷魔術師候補とまで噂される姉とは違い、残念ながらその才能はあくまで常識の枠内に収まる程度でしかなかった。
そのため彼は姉のような魔術師への道は断念し、祖父の紹介による「王国薬科研究所」への就職を選んだ。しかしその矢先に実家が田舎へ転居することになったために、今は首都の養成所へ入っていたのである。
その彼と久しぶりに会ってみればなにやら様子がおかしい。それに気付いたリタが尋ねてみても一切語ろうとせず、逃げるように去っていってしまった。
事情を呑み込めないまま互いに顔を見合わせる祖父母と両親。今や食事の手も止めて、フランシスが去っていった後を気遣わしげに見つめるばかり。
結局その場はお開きとなり、誰からともなく席を立っていったのだった。
食事も終わり、食休みのために客間へ向けてリタが歩いていると、突如その背に声がかけられる。振り向いてみれば、そこに一人の女性が立っていた。
年の頃は
それはラシェルだった。
彼女は首都に一人残してきたフランシスのために派遣されているレンテリア家のメイドである。
普段は本家――首都屋敷で働きながら通いでフランシスの世話をしており、今回は彼とともにここへやってきていた。
そのラシェルが、なにやら深刻そうな顔で話しかけてきた。
「失礼いたします。恐れながら、申し上げておきたいことがございます」
「あらラシェル、どうしたの? そんな顔をして」
「はい。実はその……」
自ら声を掛けておきながら言い淀むラシェル。するとリタは、すべてわかっていると言いたげに妖艶な笑みを返した。
「ふふふ……もしかしてフランシスのことではなくって? 違う?」
「は、はい。仰るとおりフランシス様のことでございます。実を申しますと、これは口止めされていたのですが……」
「遠慮は無用よ。私はフランシスの姉ですもの。そしてムルシア侯爵家の若奥方でもある。この私が言えと命じたならば、あなたは喋らざるを得ない。そうではなくって?」
「ありがとうございます。それでは申し上げさせていただきます。――フランシス様が入っておられる首都の養成所なのですが、そこで
「苛め……?」
「はい、苛めでございます。偉大なる名門貴族家であるレンテリア伯爵家。その傍系でありながら、フランシス様ご自身は爵位をお持ちではございません。それゆえ、同じ養成所にて机を並べる貴族子弟から日常的に
まさにそうとしか表現しようのない表情を顔に浮かべながらラシェルが告げる。対してリタは意外にも顔に笑みを浮かべたのだが、それは一目で
「ふぅーん、やっぱりね。そんなことだろうと思ったわ。私の目は節穴じゃない。伊達にあの子が赤ん坊の頃から面倒見ていないわ。――それで相手は? どこのクソ貴族かしら?」
見るからに貴族婦人然とした見目麗しいリタの口から汚い言葉が零れる。変わらず顔は笑っているものの、その声ははっきりとわかるほど温度が下がっていた。
その様子に思わずラシェルが喉を鳴らす。それでも果敢に口を開き続けた。
「は、はい。相手は『マティアス・シェロン』様にございます。東部貴族、シェロン伯爵家のご子息です」
「シェロン伯爵家……? あぁ、
「ランゲルバッハ公爵家ですね。四代前に王家から降嫁されています」
「あぁ! そうそう、ランゲルバッハね! 思い出したわ! ――東部貴族家の中でも我が儘放題の問題児だったはず。ラインハルトが以前にそう
垂れ目がちの大きな瞳を見開いて、開いた左手の平の上にポンとばかりに右拳を打ち下ろす。
それはリタが何かを思い出したり思い付いたときによく見せる仕草ではあるが、最近ではあまり見ることのない
もっとも前世から通算すると、すでに御年228歳にもなるのだから
そのリタが続けて言う。
「なるほど。私の可愛い可愛い弟が、クソ貴族家のクソ息子に苛められていると。そしてその相手が東部貴族家の鼻つまみ者の身内でもあるわけね。――ふぅん、面白いじゃない。これは是が非でも出張っていかなきゃならないわねぇ」
「あ、あの、リタ様?」
「ふふふ……ねぇラシェル。その話、すべて私に預けてくれないかしら? 決して悪いようにはしないから。大船に乗ったつもりでいてくれて構わないわよ」
こんなことを相談したところで、どうにかなるものでもないだろう。
そう思いながら駄目元でリタへ告げてみれば、予想に反して任せろという。
その事実に驚くラシェルの前には、以前にも増して美しく笑う「ムルシアの魔女」がいたのだった。
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この度「拝啓勇者様」のコミカライズ連載がスタートしました。
詳しくは下記「近況ノート」をご覧ください。
よろしくお願いいたします。
https://kakuyomu.jp/users/chikuwa660/news/16817330656486071419
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