姉と弟の矜持 その2
閑静で落ち着いた佇まいを見せる新たなレンテリア邸。
以前住んでいた首都屋敷に比べるとかなり小さくなってしまったけれど、家族四人と必要な使用人たちが住むだけならばむしろこのくらいが適当なのだろう。
筆頭執事として長年付き従ってきたエッケルハルト亡き今は、彼の長男が新たな筆頭執事として首都屋敷へ残り、次男夫婦がレンテリア夫妻とともに越してきた。
その他にも古参の調理師が三名とハウスメイドが十数名。それから
普段の屋敷はそれはもう静かなものである。
越してきた当初は周辺の貴族連中やら地元の名士などが入れ代わり立ち代わり挨拶に訪れていたものだが、すでにひと月以上経った今では来客も途絶えて久しい。
確かにここもレンテリア伯爵領の一部ではある。けれど三十分も歩けば隣の領地――ムルシア侯爵領に隣接するこんなド田舎になど、誰も好き好んで来る者はいなかった。
そんなわけで、いつもであれば風のさざめきと小鳥の
「いないいない……ばぁ!」
「きゃっきゃっきゃ!」
「はぁーい、ミーナちゃん……あぶぅ! 食べちゃうぞぉ!」
「うきゃきゃきゃきゃ!!」
まるで今生の別れであるかのように別離の涙に暮れながら、断腸の思いでリタを嫁に出してから一年と八か月。
その間も幾度となく嫁ぎ先を訪れては娘との再会を喜んでいた両親ではあるが、孫娘の誕生とともにそれも変わってしまった。
今やすっかりヴィルヘルミーナの信者と化したフェルディナンドとエメラルダは、実の娘などお構いなし。あれほど寂しがっていたにもかかわらず、娘との会話もおざなりにして孫娘との触れ合いに夢中になる始末。
リタとフレデリクの間に生まれたヴィルヘルミーナは、揃って小柄な両親に似てやはり小柄だった。
生まれた時の体重は僅かに二千二百グラム。乳幼児医療が未発達なこの時代、それは今後の発育が心配になるほどの大きさではあったものの、母親と乳母の乳を潤沢かつ浴びるほど飲ませた結果、病気らしい病気もせぬまますくすくと成長していった。
母親に似た華奢な骨格だけはどうにもならなかったけれど、今では肉付きの良い健康優良児の見本のようになっていたのだった。
リタにそっくりな輝くようなプラチナブロンドの髪と、フレデリクと同じ吸い込まれるような薄茶色の瞳。
未だ生後六ヶ月でしかないのに、たれ目がちの美しい瞳も、すっと筋の通った鼻も、形の良い唇も、その全てが将来の美貌を約束していた。
そんな絶世の美女となるべく整った面立ちのヴェルヘルミーナが、やっと最近できるようになった「おすわり」の姿勢で天使のような笑みを振りまいている。
メロメロになる両親。それをリタが呆れた様子で眺めていると部屋付きのメイドが歩み寄ってくる。
「失礼いたします。そろそろフランシス様がお着きになる頃合いかと存じます。ご主人様、奥様、お出迎えの準備を」
「おぉそうか。もうそんな刻限か。すっかり忘れていたな、こりゃいかん」
「あらあら、そうでしたわね。早速迎えに出なければ。――支度をお願い」
この会話からもわかる通り、今日はリタの弟――フランシスも帰ってくることになっていた。
姉同様に「魔力持ち」である彼には幼少時からずっと専属の家庭教師が付いていたのだが、実家の引っ越しを機に首都の養成所へ入ることになったのだ。
本職が中央機関の研究者であるうえに家族も首都に住んでいる。そんな家庭教師へともに来てくれと頼めるわけもなく、代わりにレンテリア夫妻は首都の養成所に入ることをフランシスへ提案した。
それを快諾したフランシスは現在首都で寮生活を送っているのだが、今日は姉と姪に会うためにひと月ぶりに帰ってくるという。しかし両親、祖父母ともにヴィルヘルミーナへ夢中になってしまい、すっかりそのことを忘れていたというわけだった。
この話を聞く限り、かなりぞんざいな扱いを受けているように思えてしまうリタの弟ではあるが、家族の名誉のために言い訳をするなら今日に限ってたまたまである。
とにかく今回は相手が悪かった。なんといっても蝶よ花よと持て
そんなわけで少々残念な出迎えになったものの、無事にフランシスは実家へ帰り着いたのだった。
「あぁーん、フランー! 会いたかったわぁー!!」
「あ、姉上ぇ!?」
「姉さまは……姉さまは……」
「ちょ、ちょっと! おやめくださ――」
「あなたを愛しているのよぉー!!」
ぎゅー!!
「うわぁぁぁぁぁ!!」
毎度恒例の光景である。
もとより細身巨乳であるリタが、授乳期間中につきさらに二回り膨らんだ胸を情け容赦なく弟へ押し付けた。決してリタ自身は意識していないけれど、それは今年十三歳になるフランシスには刺激的すぎたらしい。
もちろん彼が実の姉にどうこう思うわけではないものの、そこはそれ、やはり健全な青少年には恥ずかしすぎる仕打ちだった。
姉弟の再会と呼ぶには
それを呆れ顔のイサベルとエメラルダが諫めるまでが一連の流れなのは、これまでとなにも変わっていなかった。
そんなわけで仲良し姉弟による愛と感動(?)の抱擁も終わり、リタが楽しみにしていた夕食が始まる。
今夜のメニューは彼女の大好物である小鹿のソテー。相も変わらずリタが里帰りする度に同じメニューが出されているが、それは当人が望んでいたことでもあった。
なぜならそれはここでしか食べられないからだ。
確かにムルシア家でも同じメニューが出るのだが、調理法が微妙に異なっているうえにソースがまた別物。
これはこれで美味ではあるけれど、やはり実家で出されるものには敵わない。なのでなにも言わなくても、リタがいる夕食には必ずこの料理が出されるのだった。
淑女のマナーなどどこ吹く風。好物の料理を一心不乱にリタが頬張っていると、それを横目に見ながらセレスティノがフランシスへ話題を振った。
「ふむ、フランシスよ。そろそろ『プレ・デビュタント』の季節であるな。準備のほどは如何ほどかな?」
「はい、お爺様。おかげさまで準備は万端に整っております。衣装はすでに届けられましたし、馬車の手配も済んでおります」
「そうか、それはよかった。さすがに抜かりないな」
「そう言えば同伴者はグラーツ家のカリーヌ嬢でしたね。彼女の方も準備はお済みなの?」
横からイサベルも口を挟んできた。
どうやら彼女も孫息子のイベントに興味津々らしく、自らその話題に加わってくる。するとフランシスが目に見えて表情を曇らせた。
「え、えぇと……その……実はそのことなのですが……」
「まぁまぁ、どうしたのですか? なにか問題でも?」
「あの……実を申しますと、カリーヌ嬢から同伴を辞退されてしまいまして。突然のことに僕も困惑しているところです」
「は? 辞退された……ですって? なぜです? そもそもこの話は先方から申し入れてきたことではありませぬか? にもかかわらず一方的に、しかも直前にそのようなことを申してくるとはおよそ正気の沙汰とも思えませぬ」
唐突に語られたフランシスの事情。
突然の出来事に
年を取って丸くなったとはいえ、元来生真面目で正義感の強いイサベルは、筋が通らなかったり道理に
周辺貴族家から「レンテリアの鬼嫁」と揶揄されていた、全盛期を思い出させるような厳しい表情。
真一文字に深く刻まれた眉間のしわは、ここ最近ではすっかり鳴りを潜めていたものだった。
このままではすぐにでもグラーツ家を問い質しに行きかねない。
まさに行動力の塊のようなイサベルを宥めようと周囲の者たちが腰を浮かしかけていると、そこへ横からリタが口を挟んでくる。
「ねぇ、ちょっと待ってくれる? グラーツ家って
「そうだ。東部貴族派閥であるバラデュール侯爵閥に属する子爵家だな。そこの令嬢であるカリーヌ嬢がフランシスに同伴することになっていたのだが……」
フランシスに負けず劣らず、困惑した表情をフェルディナンドが浮かべる。その父親の顔を見つめながらリタが言う。
「ふぅーん、そうなんだ。――あのさ、そもそもの始まりは先方からの申し入れだったのでしょう? それなのにいきなり辞退してくるなんておかしくない? 確かにフランは爵位を持たない『準貴族』だけれど、それでもレンテリア家の傍系ではあるのだし」
「確かにな。私が言うのもおかしいが、レンテリアと言えば貴族だけでなく国に対してもそれなりに影響力を持つ家のはず。傍系とはいえ、その身内に平然と礼節を欠いた行動をとるなんて、なにか事情があるとしか思えないな」
「でしょう? やっぱりお父様もそう思うわよね? ――うん、わかったわ。それじゃあこうしましょう。ねぇ、フラン。私が同伴者になってあげる。姉さまと一緒にプレ・デビュタントへ出席しましょうよ」
言いながらニコリと笑ったリタの顔は、どこかほくそ笑むような、なにかを企むようなものにしか見えなかった。
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唐突ですが、本日より「拝啓勇者様」のコミカライズ連載がスタートしました。
詳しくは下記「近況ノート」をご覧ください。
よろしくお願いいたします。
https://kakuyomu.jp/users/chikuwa660/news/16817330656486071419
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