新たなムルシアの誕生 その4

 その後リタは無事に事前準備カンチョーを済ませたものの、その場にフレデリクの姿はなかった。

 なぜなら思い切り妻に張り倒された彼は、半ば引きずられるようにして医務室から放り出されていたからだ。

 

 リタの「怒りの無詠唱ビンタ」を情け容赦なく食らったフレデリクは、結局その場で昏倒してしまい別室で介抱されることになる。

 腐っても次期ムルシア侯爵家当主。そんな人物が張り倒されたのだから普通であれば周囲も慌てたりするのだろうが、手を下したのがあの・・リタであるならと誰一人として心配する者はいなかった。


 突出した魔術の才能から今や「ムルシアの魔女」と呼ばれるようになったリタは、弱冠18歳にして将来の宮廷魔術師候補と噂されるほどの人物である。

 そんな相手に思い切りビンタされたのだから、場合によっては首から上がなくなっていてもおかしくなかった。しかしそうならなかったということは、相当に手加減された証拠といえよう。


 確かに意識を失っているものの、見れば多少頬が腫れている程度でその他に目立った外傷などは見られない。

 ならばこのまま放っておいても特に問題ないだろう。

 そう判断したお付きのメイドたちは、戒めの意味も込めてそのまま放置を決め込んだ。


 そんなわけで、フレデリク・ムルシアの「倒錯した性的趣向」がまことしやかに囁かれる中で、リタのお産は粛々と進んでいったのだった。




「フレデリク! おい、フレデリクよ! いつまで寝ているのだ、いい加減に目を覚まさぬか!」


「……」


「まったくお前という奴は! この火急の折に寝くさりおって、一体どういうつもりだ!」


 誰かの声が聞こえる。それはとても聞き慣れたものだけれど、どこか場違いにも思えて違和感を覚える。


 ――いや、待て。この腹にまで響くような野太い声。人に命令することに慣れきった不遜な口調。

 

 間違いない、これは父上のものだ。

 しかしここは男子禁制の産室であるはず。夫という立場から特別に立ち合いを許された自分はまだしも、なぜ父上がここにいるのか。

 そもそもリタは、ただいま絶賛出産中のはずである。確かにこちら側から見えないように布で下半身は覆い隠されているものの、その姿は決して夫以外の男に見せていいものではない。

 にもかかわらず、なぜこのような……


 ん? ……ちょっと待て。

 己の記憶が確かなら、リタに張り倒されたのではなかったか。

 いや、間違いない。この頬に残る焼けるような痛みと灼熱感。そして記憶に残る怒り狂ったリタの顔。

 あれは……


 !



「リ、リタは!? リタはどうなった!?」


 まさに「ガバッ!」という勢いでフレデリクが起き上がる。そして頬に残る鈍い痛みに思わず顔をしかめていると、横から咎めるような声がかけられた。


「ようやく目を覚ましたか。これまで何度声をかけても起きぬものだから本気で心配したぞ。嫁が夫を殴り殺すなど、まったく洒落にもならんからな」


 部屋に轟く低い声。

 それが誰のものなのかはフレデリクにはすぐにわかった。なので慌てて尋ねようとする。


「ち、父上!? なぜあなたがここに……って、それどころじゃない! リタは!? リタはどうなりましたか!?」


「あぁ、心配するな。リタなら元気だ。母子ともに無事だぞ」


「それはよかった………って、えっ!? ぼぼぼぼぼぼ、母子ぃ!? いま母子とおっしゃいましたか!?」


「うむ、言ったな。母子と言った」


「ってことは……もう……!?」


 嬉しいような、困ったような、はたまた途方に暮れたと言うべきか。

 なんとも形容しようのない表情とともにフレデリクが呟く。それに対して父親――オスカルが呆れたように鼻息を吐いた。


「ふぅ……まったくお前というやつは……。聞いたぞ、出産で難儀しているリタへ向かって、場違いにも倒錯した性的趣向を述べたそうだな」


「や、やめてください、誤解です! 決してそのような――」


「とは言え、お前の気持ちもわからんでもない。経験不足、そして若さゆえのがむしゃらさから卒業し、そろそろ行為自体を楽しむ頃合いでもあるのだろう。俺とシャルロッテもそうだった――うぅむ、今思えば互いに若かったのだろうなぁ……二人で様々に試したものだ」


「ち、父上?」


「しかし一つ忠告しておこう。悪いことは言わんから排泄プレイだけはやめておけ。想像では興奮するかもしれぬが、実際にやるとあまりの強烈な匂いと光景に一瞬で我に返って後悔することになる」


「父上!?」


「あぁすまぬ、話が脱線したな。――リタか、リタの話だったな。彼奴あやつなら今から三十分ほど前に無事に出産を終えたぞ。いまは母子ともに自室にて休んでいるはずだ」


「えっ!?」


「なにはともあれ、めでたい! でかしたぞフレデリク!」


「えぇぇぇ!?」


「待ちに待った内孫――新たなムルシアの誕生だからな! これは是が非でも盛大な祝の席を設けねばなるまい!」


「えぇぇぇぇぇ!?


「おい、なにをしておる? さっさと会いに行ってやらぬか。大役を果たした妻を労ってやれ」


「えぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」


 事も無げに放たれた父親の言葉。それを聞いた途端にフレデリクが叫び出す。

 それもそのはず。一生に一度しかない初めての子の誕生。それに立ち会うと自ら宣言したにもかかわらず、気づけば気を失ったまま機会を逸していたのだから。


 ひとり大変な思いをしている妻を放置して、こんなところでのんべんだらりと眠っていたのである。いや、正確には気を失っていたのだが、いずれにしてもリタ一人にすべてを押し付けたのに違いはない。


 その事実にフレデリクは愕然としてしまう。

 果たしてなんと申し開きをしたものか。ただでさえおかんむりのリタなのに、一世一代の大舞台に立ち会わなかった。

 それもこれもすべては我が身から出た錆。いまさらなんと言おうと許してもらえないかもしれないが、それでも許しを乞うべきだろう。


 それとも次期ムルシア家当主の座を投げ打って、このまま出奔してやろうか……


 などとわりと本気で突拍子もないことをフレデリクが考えていると、突如その背が叩かれた。


 スパァン!!


「ぬ゛おっ!」


「なにをぼぉーっとしておる! なんでもいいが、早くリタに会いに行ってやらぬか! この馬鹿息子めが!!」


「はひぃ!! た、ただいま! ただいま向かいます!!」



 ◆◆◆◆ 



「ふぅ……」


 追い立てられるようにリタの寝室へとやってきたフレデリクではあるが、未だ扉を開ける勇気すら湧かぬまま何度も廊下を行き来していた。

 前には完全武装の護衛騎士がたたずむ。嫁いできたばかりの若奥方とは言え、次期ムルシア侯爵夫人であることに変わりはないので、当然のようにリタの部屋の前には複数の護衛が居並ぶ。


 フレデリクの仕出かしは当然のように騎士たちの耳にも入っているので、彼らも彼らなりに思うところはあるのだろう。

 けれどそれはそれ、これはこれ。未だ二十一歳の若輩者ではあるものの、フレデリクは次期ムルシア家当主になる人物なのだから、決して畏敬の念を忘れてはならない。それこそが騎士の矜持。


 そんなわけだから、なにやら物言いたげに部屋の前をうろうろする若者へ向けて何度も騎士たちは声をかけようとしたのだが、事前にリタから言い含められていたことを思い出して口を噤んだ。

 あたかも彫像のように身動ぎ一つしない騎士たち。それを横目に、ついにフレデリクが扉をノックしようと拳を持ち上げる。

 しかし直後に迷いを生じてそのまま下ろした。

 


 扉の向こうには最愛の妻とまだ見ぬ我が子がいる。

 いまさらどの面下げて部屋へ入るべきなのかわからないけれど、いまここで扉を開けなければ一生後悔するに違いない。


 でも……怒ったリタってマジで怖いんだよなぁ……


 脳裏に浮かぶリタの顔。それを振り払うように己を必死に鼓舞しつつ、再び扉をノックしようとその手を持ち上げたそのとき、突如扉の向こうから小さな声が聞こえてきた。


「ほぎゃぁ、ほぎゃぁ、ほぎゃぁ……」


 それはとても小さくて、今にも途切れそうに弱々しかった。

 声を聞いただけでわかる、決して一人では生きられないか弱い・・・存在。

 間違いなくそれは赤子の鳴き声だった。それも生まれたての。


 それを聞いた途端にすべてのことを忘れ果て、気づけば部屋の扉をノックしていた。そしてフレデリクは返事すら待たずに寝室の扉を開けていたのだった。

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