新たなムルシアの誕生 その2

「道を空けてください! 若奥方様が通ります!」


「まっすぐ医務室へ向かって! お医者様へは私から状況を説明しておきますから!」


 ハサール王国西部辺境侯、ムルシア侯爵邸に慌ただしい声が響いていた。

 ただいま朝の九時過ぎ。遅めの朝食もようやく終わり、屋敷に住まう者たちがそれぞれ勤めに出ようとしていたところに突然それは現れた。

 見れば幾人ものメイドたちが必死の形相で何かを運んでいる。どうやらそれは即席の担架のようなものらしく、その上には一人の女性が横たわっていた。


 輝くプラチナブロンドが映え渡る、今では少々時代遅れとなったゴージャスな縦ロール。人妻でありながら、未だ十代半ばの少女と見紛うばかりの童顔と、細く小柄で華奢(しかし巨乳)な体躯。

 言うなれば「低身長童顔ロリ細身巨乳金髪ドリル縦ロール」とでも称すべきその女性は、この屋敷の者ならば誰もが知っている人物だった。


 そう、それは言うまでもなくリタである。

 俗にいう「マタニティブルー」のせいで夫に対して盛大に八つ当たりをぶちかましていた彼女だが、感極まった挙句に勢い余って陣痛が始まってしまった。

 とはいえ、とっくに出産予定日は過ぎていたのでそれだけが理由ではないのだろうが。


 いずれにしても緊急事態であることに変わりなく、周囲を囲むメイドたちの必死の形相がそれに拍車をかけていた。

 それを見たムルシア侯爵――オスカルがメイド長を呼び止める。


「おい、どうしたお前たち! 騒々しいぞ、一体何事だ!?」


「こ、これは侯爵様、失礼いたしました! 恐れながら申し上げますが、今しがた若奥方様が破水されまして、いまは医務室へ搬送中にございます」


「なにぃ! 破水しただと!? ならばリタは――」


「はい。状況から申し上げて、ついに陣痛が始まったようです。このまま医務室にて出産準備に入ろうかと存じます」


「そ、そうか。あいわかった! くれぐれもよろしく頼む!」


かしこまりました。なにとぞお任せくださいませ。我らが総力を結集して、必ずや無事にリタ様の――いえ、ムルシアのお子を取り上げてご覧に入れます。それまで暫しのご辛抱を」


 平民ならばいざ知らず、少なくとも貴族の世界では夫が妻の出産に立ち会うなど聞いたことがない。

 いくら心配だとしても、出産現場に男が入り込む余地など全くなく、それが夫であっても例外ではなかった。そもそも出産などというものは男がかかわるものではなく、その全てを医者や産婆、看護師などに任せるというのがこの時代における常識だった。

 そんなわけだから、さすがのオスカルもそれ以上は関与するわけにもいかず、代わりに妻へ託そうとする。


「シャルロッテよ。今日の予定はキャンセルしてかまわぬから、悪いがリタについていてやってくれぬか? お前がかたわらにおれば、さぞ彼奴あやつも心強いであろうからな」


「承知いたしました。次代のムルシアが生まれ出る瞬間、それをわたくしはずっと待ちわびておりました。ですからむしろ望むところでございます、しかとこの目に焼き付けて参りましょう。お任せあれ」


 場合によってはパニックを起こしてもおかしくないような状況にもかかわらず、むしろどこか嬉しそうに妻が答える。それを見たオスカルが、ホッと安堵のため息を吐いた。


「うむ。よしなに頼む」



 ついに次代のムルシアが生まれる。

 待ちに待ったその瞬間に、思わずシャルロッテの表情が引き締まる。男か女かは生まれてみなければわからないけれど、それがもしも男児ならば自分の役目もやっと終わるような気がした。

 

 西部辺境侯にして武家貴族筆頭のムルシア侯爵家。王家ですら気を遣わざるを得ないほどに抱える武力は強大なうえに、その家柄は建国時に遡るほど古くて由緒正しい。

 しかし王族の親戚筋であるシャルロッテの実家――バルテリンク公爵家よりも明らかに爵位は下だし、他家から「脳筋」とあだ名されるほど極端な「武」の家柄なのは否めなかった。

 

 そんな家に嫁いだものだから、結婚当初は色々と陰口を叩かれたものだ。同じ公爵家の者たちからは「降嫁」やら「都落ち」といった聞けば眉を顰めるような陰口を叩かれ、ときには憐れむような視線を向けられたことさえある。


 しかし当のシャルロッテにはそんなことなどどうでもよかった。

 政略結婚が当たり前の世の中で、珍しく自由恋愛の末に結婚した彼女には、相手が格下の家柄だろうが脳筋の筋肉バカであろうが一切関係なかったのである。

 言いたい者には言わせておけばいい。たとえなんと言われようとも、好いた相手と添い遂げられる自分は世界一の幸せ者なのだから。


 翌年には世継ぎの男児が生まれ、その三年後には女児が生まれた。

 あとは子供たちが成人し、次代のムルシアが生まれるまで守り続けるのみ。それこそが自分の使命だとして必死に務めてきてみれば、気づけばもう孫が生まれるという。


 その事実を感慨深く思いながらシャルロッテが医務室の扉を開く。すると目の前に予想外の光景が飛び込んできた。


 部屋の中にはベッドに横たわるリタがいる。

 余程よほど苦しいのだろうか。義母が入ってきたことすら気づかぬままにうめき声を上げており、その周囲には屋敷お抱えの医師と看護師、そしてお付きのメイドたちが居並ぶ。

 もちろんその中には専属メイドのミュリエルの姿もあって、主人を絶えず励ましながら必死に汗を拭き取っていた。


 それだけならば特におかしなところはない。

 身を裂かれるような痛みに悲鳴を上げる若奥方と、医師と看護師とメイドたち。それはどこの貴族家であろうと似たような光景だろう。

 しかしシャルロッテは違和感を拭えなかった。

 はっきりとどこがどうというわけでもないのだが、目の前の光景に疑念を覚えて仕方がなかったのだ。


 小首を傾げてみる。そして一歩下がって俯瞰で見渡した瞬間、ようやくその犯人に気が付いた。



「フレデリク!? なぜあなたがここにいるのです? ここは女性のみに許された神聖な場所なのですよ」


「あぁ母上。お越しいただきありがとうございます。リタにとっても僕にとっても、あなた以上に頼りになる方はおりません。このままお付き添いいただけますと幸いです」


 問いには答えず、いささか斜め上の返答を返すフレデリク。

 その息子をシャルロッテが詰問する。


「なにを申しているのです。なぜあなたがここにいるのか、わたくしはそれを問うているのです。――お答えなさい」


「えっ? なぜって……なにかおかしいですか?」


「おかしいもなにも、殿方が分娩に立ち会うなど聞いたことがありませぬ。そもそもリタは、これから腰下を剝き出しにするのです。そのようなあられもない姿を殿方へ見せるわけには参りませんでしょう?」 

 

「大丈夫です、お気になさらず。僕は彼女の夫ですから、もはや見慣れた――」


「なんですの!?」


「あ、いや、その……失言でした。お忘れください」


「なんという破廉恥はれんちな……まったく、あなたという子は……」


「と、ともかく母上、僕はリタについていたいのです。苦しむ彼女を一人になんてしておけません!」


「だまらっしゃい! 誰が何と言おうと、あなたはここにいられませぬ! さぁ、四の五の言わずに黙って出てお行きなさい!」


 まるで聞き耳を持たずにシャルロッテが言う。

 たとえ相手が愛する息子であっても、決してこれだけは曲げられない。彼女には彼女なりにそんな矜持があるらしい。

 しかしそれでもフレデリクは己の意思を貫き通そうとする。


「嫌です、出ていきません。リタの苦しみの半分は僕にも原因があるのだから、黙って待っているだけなんて耐えられない。ならばこの場に立ち会って、彼女を励まし続けるべきなのです!」


「いいですか、フレデリク。出産とは女だけに許された神聖な儀式に他なりませぬ。それに殿方が立ち会うなど古今東西前例がないことなのです。寝言は寝てからおっしゃりなさい」


「前例がないからダメだなんて、そんなの母上の言葉とは思えません。これまでだってずっとおっしゃってきたではありませんか。人がやらないことをやれと」


「確かにそうですが……けれど、それとこれとは話が違いませぬか? そもそもあなたは――」



 強硬に拒否する母親と執拗に食い下がる息子。

 優柔不断に思えるほどに普段は優しく穏やかなフレデリクではあるが、このような時には意外な頑固さを垣間見せる。それは間違いなく母親であるシャルロッテの血を引いている証拠だった。

 その事実に思わずシャルロッテが鼻白んでいると、そこへ苦しそうな声が割り込んでくる。あまりにそれは小さすぎて、注意していなければ聞き逃すほどだった。


「うぅ……お、奥様、私からもお願い申し上げます。夫がそう申すのであれば、好きにさせてやっていただけませんか……?」


「リタ?」


「奥様の仰られるとおり、出産とは女だけの神聖な儀式。それは私も重々承知しております。ですが後生でございますから、なにとぞお許しを……うぅ……あぁ!」


「リタ! しっかり!」


「あ、ありがとうあなた。……お、奥様、お願いでございます……うあぁ! なにとぞ……なにとぞ、このリタの願いをお聞き届けいただけませんか……」


 痛みと苦しみに脂汗を滴らせながらリタが乞う。

 そのあまりの必死さにほだされたのか、ついにシャルロッテは折れた。


「リタ……わかりました。あなたがそういうのであれば致し方ありませぬ。今回だけは特別に許しましょう。――よろしいですか、フレデリク。己から言い出したのです。どのようなことがあったとしても、決して最後まで妻の手を離してはなりませぬ。あなたにその覚悟がおありですか?」


 真正面からジッと見つめてくる母親。

 今やその顔には見定めるような真摯な表情が満ちていた。

 それを見たフレデリクは、喉から「ごくり」という音が出るのを聞いたような気がした。

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