小さな淑女と伯母の秘密 その2

 静かな離宮で繰り広げられていた密やかな逢瀬。

 偶然その場を目撃してしまったロクサンヌとコンスタンは、諦め顔のエグランティーヌに屋敷の中へと招き入れられた。


 これからクラウスは帰るところだったのだが、予想外の来客に付き合うことにしたらしく静かに二人の後をついてくる。

 と言うよりも、彼が去ることをエグランティーヌが許さなかった。じっとりと訴えかけるような視線を投げて、この場に残るよう求めたのだ。

 結局クラウスは引きつった笑みを浮かべたまま頷かざるを得なかった。


 そんなわけで、爽やかな初夏の風が吹き抜ける離宮のテラスにて、前王妃の釈明(?)が始まったのだった。



 屋敷の中を並んで歩く男女と幼児。もしも自分たちに子供がいたなら、こんな感じなのかもしれない。そんなことを考えながらエグランティーヌが訊いた。 


「ねぇ、ロクサンヌにコンスタン。わたくしたちはお茶をいただくけれど……あなたたちはいつものようにジュースでいいわね?」


「うん。ジュースでいいよ」


 待ってました、とばかりに期待を顔にみなぎらせてコンスタンが答える。すると数秒の逡巡の末にロクサンヌも答えた。


「あ、あてくしは、お、お茶をいただくわっ」


 叔母のところに遊びに来ると、いつもロクサンヌは嬉々としてジュースを飲んでいる。けれど今日はなぜか茶を頼むという。

 その変化に「はて?」と首を傾げながら、エグランティーヌが尋ねた。


「あら、どうしたの? 大丈夫? あなたにお茶は少し早いと思うけれど……けっこう苦みがあるのよ? いつものようにジュースにしておいたほうがいいのではなくて?」


「だ、大丈夫! あてくしはもう『しゅくじょ』ですもの。弟と同じ甘いジュースなんて飲めないわ。だからお茶でいいの!」

 

「そう……それならいいのだけれど……無理しないでね? もしも口に合わなければ言うのよ? 別のものを用意するから」


「だ、大丈夫……」


 自ら頼んでおきながら、なぜかロクサンヌが不安そうにする。

 その様子に思わずエグランティーヌは不可解な顔をしたのだが、それも一瞬。気を取り直して話を続けた。


「そうそう、そういえば彼の紹介もまだだったわね。――クラウスお願い」

 

「あ、はい。ロクサンヌ第三王女殿下ならびにコンスタン第三王子殿下。お初にお目にかかります。只今ご紹介に与りました、私はクラウス・シュタイナーと申します。以後お見知りおきを」

 

 相手が幼児にもかかわらず侮ることなく名を告げると、クラウスはその顔に優しげな笑みを浮かべる。するとロクサンヌが怪訝そうに目を細めながら小さく呟いた。


「シュタイナー……?」


「あら。相手が名乗ったのよ? 今度は二人の番だと思うけれど? さぁ、自己紹介をお願いね」


「えっ? あ、あぁ……えぇと、あてくしはブルゴー王国第三王女、ロクサンヌでございます。シュタイナー様、お目に書かれて光栄ですわ」


「ぼ、僕は第三王子のコンスタンでじゃります。僕も光栄です」


 さすがは一国の王子と王女と言うべきか。年齢相応に言葉は拙いものの、完ぺきな所作で二人は挨拶を交わした。

 すると横からエグランティーヌが声をかけてくる。その瞳には幼い姪と甥に対する慈愛が満ちていた。


「うふふ。二人ともきちんとご挨拶ができましたね。とても偉いですわ。もしも陛下と殿下がいらしたなら、褒めていただけたことでしょう」


「えへへ、そうかなぁ?」


「こ、こんなの普通よ。べ、べつに特別なことじゃないわ!」


 コンスタンが嬉しそうに金色の頭をかくと、横でロクサンヌが頬を染めた。すると今度はクラウスが告げる。


「王子殿下に王女殿下。これもなにかのご縁でございましょう。ご説明申し上げますが、私の家は――」


 続けてクラウスが補足しようとしていると、咄嗟になにかを思い出したのか、遮るようにロクサンヌが声を上げた。


「あ、わかった! あなた、シュタイナー侯爵家の人でしょう! ロホス・シュタイナー侯爵の子供ね!?」


「こ、子供……ま、まぁ、そうですね。私はロホスの息子ですから、それに相違ございません。それにしてもよくぞご存じで。父ロホスと面識がおありなのでしょうか?」


「うん。よく知ってるよ。お城に来ると必ずご挨拶しにきてくれるもの」


 淑女よろしく口元を隠すと、ロクサンヌは「うふふ」と笑った。



 現在24歳のクラウスは、首都のほど近くに領地を持つ中堅貴族家――シュタイナー侯爵家の二男だ。

 父であるロホス侯爵と母リーゼル、そして3歳年上の兄エーヴェルトとともに長らく領地の屋敷で暮らしていたのだが、家督を継げない彼は13歳の時に家を出て軍隊――首都防衛部隊に入隊した。


 長らくそこで幹部候補としてしごかれ続けているうちに、気付けば小隊長に抜擢されて度々王都を訪れるようになった。それが3年前。そして1年前にエグランティーヌと初めて出会って意気投合し、現在に至るというわけだ。

 しかしそんなことなど知る由もないコンスタンは、天使のような笑みとともに無邪気に問う。


「へぇ。それじゃあクラウスしゃまは偉い貴族なんだね。だから、おばしゃまととっても仲良しなんだ。まるで父上と母上みたいだよ」


「え? 女王陛下と王配殿下みたい……ですか? ど、どのへんが……?」


 発言の趣旨が理解できずに思わずエグランティーヌが訊き返す。するとコンスタンは幼児特有の無垢な笑顔を見せた。


「だって、チューしてたでしょう? チューするのは仲良しの証拠だって父上が言ってたんだ。だから父上と母上もよくチューするんだよ」


「チュ、チュー……」


「そうだよ、チューだよ。いっつもいっつもチューするんだ。そしたらねぇ……」


「そ、そうしたら?」


「赤ちゃんが生まれたんだ!」


「あ、赤ちゃん!?」


「うん、そう、赤ちゃん。リオネルもクリステルもヘンリエッタもみんな父上と母上がチューしたから生まれたんだって! そう言ってた! それだけじゃないよ。僕も姉しゃまも兄しゃまも、みんなそうやって生まれたんだよ!」 


「……」


 自身の発言に全く疑いを持たず、天真爛漫な笑顔を見せる4歳男児。

 その汚れなき瞳に真っ直ぐ見つめられたエグランティーヌとクラウスは、なんと答えれば良いのかわからずに黙り込んでしまう。

 すると横からロクサンヌが口を挿んできた。


「ちょ、ちょっとコンスタン、あんたなに余計なこと言ってるのよ! ほら見て。伯母様もクラウス様も困っているじゃないの!」


「えぇ? どうして? どうして困るの? だってチューするのは仲良しだからなんだし、仲良しだったら赤ちゃんだって生まれるんでしょう?」


「どうしても、へったくれもないのよ! あなたは余計なことを言わないの!」


「えぇ? だ、だって……おばしゃまは赤ちゃんがほしいって言っていたでしょう……? だからチューしたんじゃないの?」


 咄嗟にエグランティーヌを見つめるクラウス。

 その視線を痛いほど感じながら、エグランティーヌは思い出していた。


 今は亡き夫――前ブルゴー国王イサンドロ。

 約八年にも及ぶ夫婦生活ではあったものの、結局彼との間に子はできなかった。

 決して夫婦の営みを蔑ろにしたわけでも諦めたわけでもなかったが、結婚から五年を経た頃には、その原因が自分にあるのだと周囲から責められるようになる。


 結果、結婚前からずるずると関係の続いていた女性を側妃に迎えられるに至り、ついにエグランティーヌは夫から求められることはなくなってしまったのだ。

 その後は知ってのとおり。

 あれだけ入り浸っていた側妃との間にも子はできず、結局イサンドロは血を残さぬうちに戦場で散ってしまった。


 子を成さぬうちに夫を亡くしてしまった王妃。そんなものに存在意義はない。だからエグランティーヌがその座を退くのは当たり前のことだった。

 あとは離宮に入って穏やかな余生を過ごすだけ。そう思った矢先にクラウスと出会った。


 どんなに頑張っても、夫との間に子はできなかった。

 もしもその原因が自分になかったとするならば、相手がクラウスなら話は別なのかもしれない。長年の夢であった我が子を胸に抱くこともできる。


 クラウスとの関係が深まるにつれて、エグランティーヌがそう思うようになっていくのも無理からぬことだった。

 とは言うものの、前王妃であるエグランティーヌが未だ王族の一員なのである事実は変わらない。そんな彼女が再婚も果たさぬうちから子を成すわけにもいかなかった。

 そんな想いが普段から無意識に出ていたのだろう。恐らくコンスタンはそれを指して言っているに違いなかった。

 


 そんなことなど露知らず、突然姉に遮られたコンスタンは釈然としない顔をする。

 仲良しなのはいいことだ。そう教えられて育ってきた彼は、自身の発言のどこがいけなかったのが全く理解できなかった。

 言いたいことを言えぬまま、胡乱な顔で見つめてくる甥。

 その彼に向かってエグランティーヌが引きつった笑みを浮かべた。


「えぇと……そ、そうですね。わたくしとクラウスが仲の良いお友達であるのは認めます。け、けれど、赤ちゃんは生まれないと思いますわよ? ねぇ、クラウス?」


「は、はい。仰る通りです。それは間違いありません。そればかりは十分に気を付けて――」


「クラウス。なにも、そこまでつまびらかにする必要はございませんでしょう?」


「そ、そうですね。失礼しました……」


 剣を抜いた時の威勢はどこへやら、じっとりとした瞳に見つめられたクラウスは意図せず口ごもってしまう。

 相手は小さな子供なのだ。どこで誰に話すかもわからないのだから決して余計なことは言うものではない。エグランティーヌの視線はそう語っていた。

 けれど、そんなことにはおかまなしにコンスタンは疑問を口にする。


「え? だってチューしてたでしょう? 僕見たもの」


「そ、それは……」


 再び弟の口を姉姫が押さえつけた。


「だからあんたは口を閉じてなさいよ! いい? これ以上変なこと喋ったら、もう口きいてあげないわよ!? わかった!?」


「ふがふが……えぇ? なんで?」


「だって伯母様とクラウス様はご夫婦じゃないからよ! たとえチューしてもご夫婦じゃないと赤ちゃんは生まれないってアンネマリーも言ってたし」


「そ、そうなの? なんで?」


「なんでって……そんなの知らないわよ! そういうふうに決まっているんだから仕方ないじゃない! ――それじゃあ訊くけど、あんたはいつもヘルミーナ姉様とおやすみのチューをするけれど、そしたら姉様に赤ちゃんができるの?」


「えぇ!? 姉様に僕の赤ちゃんができるの? そ、それは困るよ! だって僕はまだ父上になんてなれないもの!」


「でしょう? だからどんなに仲が良くても、ご夫婦じゃないと赤ちゃんはできないのよ。そういう決まりなの。わかった?」


「そ、そうなんだ……でも……そんなの誰が決めたの? どうしてご夫婦じゃないってわかるの? もしかして神様が決めているの? 神様って本当にいるの?」


「そ、それは……」


 思わず口ごもるロクサンヌ。

 ものを知らぬ弟にしたり顔で語ってみたものの、彼女自身もその理由はわからなかった。

 けれどそれを正直に明かすには少々プライドが高すぎるロクサンヌは、助けを求めるように伯母を見る。

 すると盛大に困惑しながら必死にエグランティーヌが口を開いた。


「え、えぇと……そ、そうですわね……目には見えないけれど、神様というのは確かにいらっしゃるのよ。それはあなたにもわかるでしょう? そしてその神様は、仲の良い夫婦にはご褒美として赤ちゃんを運んでくるの。だからどんなに仲良しでも、夫婦でなければ赤ちゃんは来ないというわけなのよ。――ね、ねぇ、クラウス。そうでしたわよね?」


「は、はい。確かそんな話だったと思います」


「ふぅーん、そうなんだ。だから前の国王陛下には赤ちゃんが生まれなかったんだね。だって、イサンドロ陛下とおばしゃまは、あまり仲良しじゃなかったんでしょう? みんなそう言ってるよ」


「えっ……」


「ちょ、ちょっとコンスタン、やめなさいよ! その話はしちゃいけないって、父上からも母上からも言われていたでしょう!?」


「あっ! そ、そうだった……ごめんなさい」


 慌てたコンスタンが咄嗟に口を噤んだものの、あまりにそれは遅すぎた。

 見ればエグランティーヌが、口に手を当てたまま棒立ちになっていた。白い顔をより一層白くして、華奢な肩を小さく震わせながら一点に甥を見つめる。

 その背にクラウスが優しく手を添えた。


「エグランティーヌ様。なにぶん幼子の申したことです。決してお気になさらぬよう」


「……はい」


 返事はすれども反応は薄い。その様子を見ていると、およそクラウスの言葉が届いているとは思えなかった。

 一国の王妃になっておきながら夫に先立たれ、世継ぎを産まぬまま隠居させられたのだ。エグランティーヌの想いは如何ほどか。

 それを慮ったクラウスは、より一層彼女を守らなければと誓うのだった。



 それから3ヵ月後のある日のこと。ブルゴー王城内は上を下への大騒ぎになっていた。

 理由は――エグランティーヌの懐妊だ。


 引退したとは言え元王妃。未だ彼女は王族の一員であるうえに、現女王の義姉でもある。その彼女が後家のまま妊娠したものだから大変だった。

 瞬く間に国中を騒がせるスキャンダルとなってしまったのだ。


 果たして相手は誰なのか。当然のように皆は問う。するとエグランティーヌは答えた。


「もちろんそれはクラウス――シュタイナー侯爵家の次男ですわ。すっかり順序が逆になってしまいましたが、わたくしは彼と再婚しようと思っておりますの」


 少しだけ膨らんだお腹を優しく撫でながら、エグランティーヌは嬉しそうにそう答えるのだった。

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