義妹へ会いに行こう! その1

 ハサール王国の西部一帯に広がるムルシア侯爵領。

 その中心都市である領都カラモルテには領主一族が住む屋敷がある。


 王国最古の貴族家であり、建国以来400年以上にも渡って続いてきたムルシア家。彼らの住む屋敷は、その歴史と同様に荘厳且つ堂々たる佇まいを見せつける。

 建物自体はとても古く、お世辞にも流行の先端を行っているとは言い難い。けれど丁寧に直された外観と手を入れられた内装は、脈々と受け継がれてきた歴史とともに何処か目新しささえ感じさせる。

 そんなムルシア侯爵家の屋敷に、甲高くも美しい声が響いた。


「さぁ皆さん。あと数時間後には旦那様方が帰って来られます。久方ぶりのご帰還なのですから、存分に寛いでいただかなければなりません。お迎えの準備は整っておりますか? 決して粗相は許されませんわよ?」


 居並ぶ使用人たちを前にして、パンパンと小気味良い音を立てて両手を打ち鳴らす小柄な少女。

 いや、正確に言うなら、それは少女ではない。

 背が低く小柄で華奢なうえに、幼い顔つきのせいで十代半ばの少女のように見えるものの、纏うドレスや髪形、そして凛とした居住まいを見る限り、それは間違いなく既婚女性だった。

 

 輝くプラチナブロンドの髪を高く結い上げ、透き通る灰色の瞳を瞬かせる。

 八頭身かと見紛うほどに顔は小さく、まるで妖精のような雰囲気を醸す麗しの若奥方。

 そう、言うまでもなくそれはリタだった。屋敷の使用人たちに向かって、彼女は矢継ぎ早に指示を出していたのだ。


 

 ムルシア侯爵家の嫡男――フレデリクとの婚儀から、気付けばすでに四ヵ月が経っていた。

 国を代表する武家貴族家でありながら、爵位としては侯爵家でしかないムルシア家。にもかかわらず、リタとフレデリクの結婚式は国王主導のもとに行われ、挙句にブルゴー王国からはエルミニア女王一家が国賓として出席するという超豪華な顔ぶれだった。それはまさに王国史に残る催事となったのだ。


 結婚式も無事終わり、その後リタとフレデリクはムルシア侯爵領の本家屋敷に移り住んだ。そこで彼らは次期当主夫妻として様々に学んでいくことになる。

 現在リタは、姑であるシャルロッテ指導のもとに奥方修行の真っ最中だ。屋敷の管理から領地経営、諸々の雑務まで、朝から晩までシャルロッテの抱える仕事の多くを学んでいた。


 そのシャルロッテも今年40歳になった。

 若い頃から絶世の美女と謳われてきた彼女も、ここ最近はさすがに年齢を隠しきれない。それでも年を重ねるごとにますます妖艶さを増し、巷から「美魔女」と称される姿は、若い女性では醸せない色香を漂わせている。

 ちなみに現当主であり夫でもあるオスカルは、未だに妻を溺愛していた。もっとも相変わらず尻に敷かれ続けているのだが。


 そんな女性二人が待ち構えるところへ、ゆるゆると複数の馬車が入ってくる。するとそこからオスカルとフレデリクが姿を表した。


「お帰りなさませ!」


 一斉に頭を下げて主の帰りを出迎える使用人たち。その先頭で同じように頭を下げるシャルロッテとリタ。

 その二人に馬車から降りたオスカルが鷹揚に頷きかける。


「うむ。ただいま戻ったぞ。シャルロッテよ、留守中は変わりなかったか?」


「はい。特に変わりはございませぬ。あまりに平和すぎるゆえ、嫁への教育が捗りましたわ。――ねぇ、リタ?」


「はい。奥様のご指導を存分に賜りましてございます。おかげをもちまして、この度は使用人たちの管理を任される運びとなりました」


「おぉ! もう、そこまでになったか! 嫁いでから未だ4ヵ月。さすがはリタだな。飲み込みの速さには恐れ入る。お前のような嫁を迎えられて、我がムルシア家も鼻が高いというものだ!」


「いえいえ、滅相もございません。わたくしなどまだまだ半人前の若輩者に過ぎませぬゆえ、より一層のご指導を賜りたく存じます。とは言え、任された以上は不足なく務めを果たさせていただく所存ではございますが」


 小柄で華奢な体躯を折り曲げて、優雅にリタが礼を交わす。

 その姿にオスカルとシャルロッテが目を細めていると、横からフレデリクが近付いてくる。


「ただいま、リタ。無事に戻ったよ。変わらず元気そうでなによりだ」


 にこやかに語る最愛の夫。リタの顔にぱぁっと笑みが広がった。


「お帰りなさいませ! 久しぶりの軍事演習はいかがでしたか? さぞお疲れになったでしょう? さぁ、こちらへ。まずはごゆるりとお休みくださいませ」


「あぁ、ありがとう。たったの十日だったけれど、再び君の顔が見られてホッとしたよ」


「それはわたくしも同じですわ。結婚式以来、一日とて離れたことはなかったですもの。あなたがいない生活は、本当に心が休まりませんでしたわ」


「僕も同じだよ。君のいない生活ほど味気ないものはなかった。どれだけ君に会いたかったか。それは一言で語り尽くせないほどだ!」


「いやぁん、あなた! 恥ずかしいですわ! ――もっと言って!」


「僕は君がいなければ生きていけない。今回それがよくわかったんだ! いつまでも一緒だ。いいね、リタ!」


「もちろんですわ! あぁん、フレデリク様!」


「リタ!」


「あなた!」


 互いに手を取り合いながら、リタとフレデリクが顔を近づけていく。

 目の前に両親。周囲には使用人が居並ぶにもかかわらず、彼らには互いの姿しか見えていなかった。

 突如現れた二人だけの世界。そこに言葉が差し挟まれる。


「あぁーごほんっ! ……えぇとだな、気持ちはわからんでもないが、そういうことは後でゆっくりやってもらえんか? もちろん二人きりでな。――周りを見てみろ。皆がドン引きしているではないか」


 その言葉にリタとフレデリクが正気を取り戻す。それから周囲を見渡してみると、じっとりとした半目で見つめる使用人たちに気付いた。

 突如顔を真っ赤にしたかと思うと、リタは屋敷の中へ入るように促したのだった。



「それで、だ。そろそろ落ち着いた頃合いなので、エミリエンヌに会いに行こうと思うのだが。そこでリタよ、お前も同行してくれんか?」


 数日ぶりに一家揃って夕食をともにしたあと、オスカルがそう切り出した。

 ムルシア家の長女であり、フレデリクの妹、そしてリタの義妹でもあるエミリエンヌがラングロワ侯爵家へ嫁いで一年余り。ひと月ほど前に第一子を出産したばかりだ。

 

 本来ならすぐにでも祝いを持って駆け付けたいところだが、しばらくは静養させるべきなのと、軍事演習が重なったために訪問を延期していたのだ。

 そろそろ頃合いだろう。そう思ったオスカルがリタを誘うと、当然のようにフレデリクが口を挿んでくる。


「父上とリタが行かれるのですか? あとは誰ですか? もちろん私も一緒に――」


「フレデリクよ、お前はなにを言っているのだ? 当主の俺が不在なのだから、ここは次期当主であるお前が代行して然るべきであろう」


「えっ……そ、それでは――」


「皆まで言わせるな。お前はここで留守番だ。――リタにはいささか酷な話かもしれぬが、お前が行けばエミリエンヌも喜ぶ。わかってくれるか?」


「はい。是非もございません。私も常々エミリーには会いたいと思っておりましたので、むしろ喜ばしいかと存じます」


「そうか。お前ならそう言ってくれると思っておったぞ。ならば出立は明後日にしよう。それまでに準備を進めておいてくれ」



 少々悶着はあったものの、久しぶりの一家団欒を楽しんだ後に各自は自室に引き上げた。

 もちろんリタとフレデリクは同じ部屋だ。湯浴みを終えた二人が夜着に着替えて寝室へと入っていく。揃ってベッドに腰かけると、久しぶりに飾らない素顔をリタが晒した。


「ねぇあなた。やっと戻って来たばかりなのに、またすぐに会えなくなるのは寂しいけれど……こればかりは仕方がないわ」


「うん、それはわかってる。けれど……ここからラングロワの領都までは片道十日はかかるだろう? 現地滞在が三日として……戻って来るのは、ほぼほぼひと月後かぁ。なんとも長いよなぁ」


「ふふふ。我儘を言わないでくださいな。親戚付き合いも仕事のうち。ムルシア家の若奥方として、上手くこなしていかないと。――私は家を守る。あなたは国を守る。それぞれにそれぞれの役割があるのだから、ここは辛抱してね」


「うん。それはわかるけどさ」


「ずっと黙っていたけれど、実を言うと今回の訪問は少し楽しみだったりするの。エミリーに会うのは本当に久しぶりだし、彼女の赤ちゃんも早く見てみたい。認めるのは癪だけど、ご主人――ラインハルト様も容姿端麗なお方。美人と名高いエミリーとの赤ちゃんは、さぞ可愛らしいことでしょうねぇ」


 心から楽しそうに語るリタ。

 その横顔を見つめて、フレデリクが嬉しそうな顔をする。


「兄の僕が言うのも変だけど、確かにエミリーは美人だ。そしてラインハルト殿も容姿は優れている。そんな二人から生まれる赤ん坊は、間違いなく可愛いだろうね」


「えぇ、本当に」


「だけど、僕たちだって負けていないと思うんだ。だって、君は世界で一番美しいのだから。君から生まれる子だって可愛いに決まってる」


「いやん、フレデリク様……美しいだなんて……そんな恥ずかしい……」


 ベッドの上に腰かけたまま、くねくねと身を捩らせるリタ。羞恥で顔は紅潮し、両手を激しく揉みしだく。

 そんな妻にフレデリクが追い打ちをかけた。


「だからさ、リタ。僕たちにも早く赤ん坊ができればいいなって思うんだ。一人目は絶対に男の子だって母上は言うけれど、そんなのかまうことないよ。男の子でも女の子でもどっちだっていい。元気に生まれてきてさえくれればね」


 ゆっくりと距離を詰めながら、優しくリタの肩を抱くフレデリク。そして頬にキスをすると、リタの顔がますます真っ赤に染め上がった。


「あ、ありがとう、フレデリク。あなたは本当に優しい人ね」


「ははは。そう言ってくれると嬉しいよ。もっとも僕はムルシア家を背負って立つ男なのだから、優しいだけじゃダメなんだけどね」


 どこか自嘲気味にフレデリクが笑う。

 するとリタは夫の顔を両手で挟み込んで、やや強引に自身の胸に押し当てた。

 両頬に当たる温かく柔らかい感触。湯上りのせいで、ほのかにそれは石鹸の香りがした。

 包み込まれるような充足感に満たされて、思わずフレデリクが微睡みそうになる。その髪を優しく撫でながら耳元でリタが囁いた。


「うふふ。でも私は知っているわ。あなたがただ優しいだけじゃないことを。時に激しく時に厳しく、そして毅然としている。そんなあなただからこそ、私は好きになったのだもの」


「リタ……」


「ちなみに今は……ちょっとエッチなあなたになってる?」


 悪戯っぽくリタが問う。するとフレデリクがバツが悪そうに答えた。


「そ、そりゃあそうさ。軍事演習では右も左も男ばかりだったんだからね。僕だって男だ。愛する妻に十日ぶりに会えば、そんな気分にだってなるよ」


「うふふ。正直でよろしい。それじゃあ……来て」


 両腕を広げて、リタが誘う。

 自分から誘っておきながら、羞恥に顔は真っ赤に染まり、身体は小刻みに震えていた。

 その姿があまりに可愛らしくて、思わずフレデリクが全力で抱き締めてしまう。


「あぁリタ! 素敵だ!!」


「いやん、フレデリク!」


 そんなわけで(どんなわけだ?)、ラングロワ領への出発を明後日に控えて、ムルシア侯爵家の夜はゆっくりと更けていくのだった。



 ―――――――



 ここで後書きです。


 お待たせして申し訳ありません。久しぶりに更新できました。

 執筆が進まなかったのは、春からずっと仕事で忙しかったり、思い付きで新作を書いたりしていたせいなのですが、実を言うと一番大きな理由はこれです。


 な、なんと、「拝啓勇者様」の書籍第二巻の発売が決定いたしました!

 2022年9月5日(月)に、全国の主要書店にて発売されます。


 これも読者の皆様のおかげです。本当にありがとうございました!

 詳しくは近況ノートの方に書きましたので、是非そちらをご覧ください。

 引き続きよろしくお願いいたします!

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