小さな淑女と伯母の秘密 その1


 女王エルミニアと王配ケビン、そして9人の子どもたちからなるブルゴー王室ファミリー。彼らがハサール王国から帰国してすでに10日が過ぎていたが、未だ興奮は冷めやらぬままだった。

 もっともそれは無理もない。長男クリスティアンから末子ヘンリエッタに至るまで、子供たちは皆、自国を出たことがなかったのだから。


 遠い異国の地であるハサール王国。そこで執り行われたリタの結婚式は、まさに国賓として招かれるに相応しい催事だった。

 それだけではない。往復12日にも及ぶ旅程は、子供たちにとってちょっとした冒険のようなものだったのだ。


 居城では決して見ることのない景色や、見たこともない植物や動物たち。そして異国情緒あふれる街並みなど、その全てに子供たちは目を奪われた。

 父親に似ていつも落ち着き払っているクリスティアンにして、物珍しさのあまり馬車の窓から身を乗り出すほどだった。


 周囲の心配を他所に、一家は何事もなく祖国へ帰り着いた。その事実にブルゴーの重鎮たちは心の底から安堵した。

 国の根幹である王室一家が一堂に会し、あまつさえこれまで国交のなかった外国に旅立っていったのだ。もしも相手に悪意があれば、一家全員が人質に取られていてもおかしくはなかった。


 もしそうなれば目も当てられない。先々代国王であるアレハンドロには今や末子であるエルミニア以外に子はおらず(外国に嫁いだ長女は別にして)、もしもエルミニアが家族もろとも殺されてしまえば、ブルゴー王室の血統は途絶えてしまうことになる。


 いわゆる「指定生存者」的事情から、一家揃っての旅行には重鎮たちも難色を示した。

 もちろんそれはケビンとて重々承知していたのだが、最後には「一体俺を誰だと思っている? 俺と一緒にいる以上の安全はないだろう?」などと告げて、半ば脅すように承諾させたのだ。

 もっとも今や伝説の「魔王殺しサタンキラー」にして宿敵カルデイアを滅ぼした張本人――ケビンを襲うなど、そんな自殺志願者などいるはずもなかったのだが。


 そんなわけで無事に異国から帰りついた彼らは、再びもとの日常へと戻っていったのだった。



 

「おっそいわねぇ……あんたいつまで食べてるのよ。置いてくわよ、もう!」


「あぁ、あねうえ! まってよぉ! い、いま食べおわるから!」


 ここはブルゴー王城にある王族専用の食堂。時刻は朝。突如そこに甲高い声が響いた。

 母親譲りの銀色の髪と真夏の空のように青い瞳。まるで新雪の如く真っ白な肌の見目麗しき五歳女児。

 それはロクサンヌだった。

 このブルゴー王国の第三王女が、弟である四歳の第三王子コンスタンの朝食を急かしていたのだ。

 姉に追い立てられるコンスタン。彼が必死に肉料理を咀嚼していると、その横顔に母親――エルミニア女王が声をかけた。


「あらあらコンスタン。そんなに慌てたら喉を詰まらせてしまうわよ? それにロクサンヌもまだ食事の途中でしょう? なにか急ぐ用事でもあるのかしら?」


「なんだ? どうしたロクサンヌ。今朝はあまり食べていないじゃないか。いつも朝からもりもり食べるお前にしてはずいぶん珍しいな。なにかあるのか?」


「えぇと……それは……」


 なにやら歯切れの悪いロクサンヌ。

 母親に続けて父親――王配ケビンが声をかけても、ひたすら目を泳がせるばかりで明確に答えようとしない。すると代わりにコンスタンが答えた。


「ちちうえ、ははうえ。えぇとね、エグランティーヌおばしゃまのお家で、子猫が生まれたから、急いで――」


「しぃ! コンスタン、誰にも言わないって約束したでしょ!? もう忘れたの、馬鹿ね!!」


「あっ……そ、そうだった……あねうえ、ごめんなさい……」


 姉姫との約束を失念したコンスタンが、うっかり真実を口走りそうになる。すると慌てたロクサンヌが口を押さえつけた。

 その様子から何気に事情を察したエルミニアは、子供たちに向けて優しい笑みを向けた。


「あら? どうやら二人だけの秘密があるようね。――ねぇロクサンヌ。どんな秘密なのかしら。母上にも教えられないことなの?」


「えぇと……それは……そのぉ……」


「だ、だめなの、ははうえ。だってあにうえとあねうえに聞かれたら、子猫を取られちゃうかもだから――もがもが」


 口ごもる姉姫を尻目に、またしても口を滑らせてしまうコンスタン。再び彼がロクサンヌに口を押さえつけられていると、エルミニアはさらに笑みを深めた。


「まぁいいわ。なにを急いでいるのかはわからないけれど、もう食事を終えたのならあなたたちだけで遊びに行ってらっしゃい。けれど行先はちゃんとアンネマリーに伝えるのよ?」




 食堂を出たロクサンヌは、侍従よろしく弟の手を引きながら王城の廊下を速足で歩き始めた。

 ついていけないコンスタンがよろよろと足をもつれさせていると、突如姉が立ち止まる。それからキッと後ろを睨みつけた。


「だめ! アンネマリーもウリセスもフィリベールも、これ以上ついてこないで!」


「し、しかし姫様……そういうわけには……」


「だって母上は『あなたたちだけで遊びにいっていい』って仰ってくれたんだもの。だからあなたたちは邪魔なのよ。早くあっち行って」


 幼児特有の非情さを見せつけながら、ぞんざいに言葉を吐くロクサンヌ。

 それに専属メイドのアンネマリーが言葉を詰まらせていると、横から護衛のウリセスが助け舟を出した。


「ならばせめて我らに行先をお教えください。女王陛下――お母上はそのようにも仰っておられましたよ。ロクサンヌ様。あなた様はもう立派な淑女なのですから、いつまでも勝手ばかり申されてはいけません。淑女とは約束を守るもの。そうではありませんか?」


「えっ……? しゅくじょ……? そ、そうなのかしら……」


 探るようなウリセスの言葉。それに反応したロクサンヌは、数舜の逡巡の末にそう答えた。



 五歳になったロクサンヌは、誕生日を迎えると同時に淑女教育を受けるようになった。

 年齢から言っても未だ礼儀作法やマナーなどの基礎的な内容でしかなかったが、それでも「淑女」という言葉に思うところがあるロクサンヌは、集中力の続かない五歳児としては驚異的な頑張りを見せていた。


 母親のエルミニアは昔から淑女の鏡だと言われてきた。

 常に笑みを絶やさない優しげな風貌でありながらも、一本筋の通った凛とした佇まい。誰に対しても丁寧な言葉遣いと美しく優雅な所作。

 生来の社交的な性格も相まって、話題が豊富なうえに巧みな話術とともに誰とでも上手に会話ができる彼女は、若い頃から社交界の花と謳われてきたのだ。


 そんな母親を心から敬愛するロクサンヌは、半ば強制的に始まった淑女教育にもかかわらず、その学ぶ姿勢には五歳児なりの真摯さを見せていた。

 なにより彼女は、そうすることによって必ず母親のような素敵なレディーになれると信じていたのだ。だからロクサンヌが騎士の言葉に反応したのは仕方のないことと言えよう。


 メイドと騎士を前にして、ロクサンヌが顎に指をあてて考える。

 その姿は幼い頃の母親に似て、まるで天使のように可憐だった。


「言いつけや約束を守るのが『淑女』の条件……うん、そうね。そうよね。そういうものよね。――わかったわ、それじゃあ特別に教えてあげる。あてくし・・・・はこれから離宮に行くの。エグランティーヌ叔母様のね」


 ここブルゴー王城に離宮は大小合わせて四棟あるのだが、今はそのうちの二つしか使われていない。そのうちの一つには先代王妃のエグランティーヌが、そしてもう一つにはロクサンヌの祖父であり先々代国王でもあるアレハンドロが住んでいる。


 もともとそれらは国王の側妃などが住むために建てられたものだが、ご存じのように結婚以来14年に渡り妻一筋のケビンは、一人としてそのような者を囲っていなかった。

 というよりも、あくまでケビンは国家元首の配偶者という立場なのだから、そもそも愛人を持つこと自体が許されていなかったのだが。

 

 ロクサンヌの向かう先が伯母のもとであるなら、そこまで神経質になることもないだろう。そこにはエグランティーヌ専属の護衛もメイドもいるのだから、彼らに世話を任せればいい。

 そう考えたアンネマリーたちはロクサンヌから少し距離を置くと、遠くからそっと様子を窺うことにしたのだった。



 

「るんるん、らんらん、子猫、子猫♪ 子猫にゃーにゃー可愛いねぇ♪♪」


「こねこーこねこー♪ かわいいこねこー。早くあいたいねぇ♪」


 まるで従者のように弟を従えたロクサンヌは、王城の片隅に建つ離宮目掛けて闊歩する。

 小さな口から紡がれる可愛らしい即興の歌声に、行き交う者たちは笑みを浮かべた。そうして歩くこと暫し。ついに子供たちは伯母の住む離宮の前に到着したのだった。


 こじんまりとしながらもよく手入れの行き届いた建物は、日当たりもよくとても住みやすそうだ。恐らく主人の趣味なのだろう。周囲には色とりどりの美しい花々が咲き誇り、辺り一面に深呼吸したくなりそうな良い香りが満ちていた。


 その中を変わらず手をつないで闊歩する二人の幼児。

 すると視界に目指すべく人物が入って来る。しかしそれは不遠慮な五歳児にして思わず声をかけあぐねるものだった。

 それはどう見ても伯母のエグランティーヌに違いなかった。けれど問題はそこではない。その横にもう一人いたのだ。しかも様子が尋常ではなかった。


 なんとなく近寄り難い雰囲気を察したロクサンヌは、能天気に歌を歌い続ける弟の口を慌てて手で押さえつける。それから花壇の隅に身を寄せて様子を窺っていると、次第に話し声が聞こえてきた。


「あぁ、クラウス……もう行ってしまわれるのですか?」


「エグランティーヌ様。三日後には戻りますので、それまでどうかお待ちください」


「三日も……? そんなに待てませんわ。わたくしは……わたくしは……あなたなしには生きていけないのです……ですから……」


「それは私も同じです。私にとってあなた様は太陽。あなた様なしにはこの世のものは何一つ見えません」


「まぁ素敵。あなたのような詩才に恵まれた殿方には、これまでお会いしたことはございませぬ。なればクラウス。後生ですから最後に今一度口づけを……」


「いけません、エグランティーヌ様。部屋の中ならいざ知らず、ここでは誰に見られるかもわからないのです。せめて物陰で――」


「かまいませぬ。誰に見られようともこの愛は変わらないのですから。いっそ露見した方が、このように人目を忍ぶ必要もなくなるものと……あぁクラウス……」



 いつもは明るく優しい伯母が、まるで乙女のように頬を赤く染め、目を潤ませて男の胸に身をゆだねている。それはロクサンヌにして一度も見たことのない姿だった。

 相手は伯母よりも頭ひとつ分背の高い男で、年の頃は二十代前半だろうか、なかなかに凛々しく精悍な顔つきをしている。もっともそれは、5歳のロクサンヌからすれば皆等しく「おっさん」でしかなかったが。

 

 高ぶる感情をついに抑えられなくなったエグランティーヌは、突如男の胸から顔をあげる。そして――キスをした。

 重なる唇と絡み合う指。溢れ出る想いをぶつけ合いながら、激しく二人が抱きしめ合う。

 その様子を二人の幼児が身を潜めたまま眺めていると、おもむろにコンスタンが呟いた。


「おばしゃまがチューしてる……とっても仲良しなんだねぇ。ちちうえとははうえみたい。もしかしたら赤ちゃんが生まれるのかなぁ。――だけどあの人はだれだろう、見たことないね」


「しっ! あんたうるさいわよ、声を出さないで! 見ているのがバレて――」


「誰だ! そこに誰かいるだろう!? 隠れても無駄だ、姿を見せろ!!」


 必死に身を潜ませていたものの、ついに幼児二人は存在を見咎められてしまう。そして声高に誰何すいかされると、恐ろしさのあまり身動きができなくなった。

 腰の剣を抜きながら、ゆっくりと男が近づいてくる。その姿を見た途端、恐怖に耐えきれなくなったロクサンヌがその身を晒した。


「あ、あてくし・・・・にごじゃいましゅる……ロクサンヌでし……」


「え、えぇと……コンスタンでしゅ」


 名乗りを盛大に噛みながら慌てて身を起こしたロクサンヌと、姉姫の真似をするコンスタン。

 図らずも二人の幼児の姿を認めた男は、肩の力を抜くとそのまま剣を鞘に戻した。するとその背後からエグランティーヌが大声を上げる。


「ロクサンヌ!? それにコンスタン!! あなたたちは一体なにを……」


 そこまで言いかけて、エグランティーヌはハッとする。

 そうだ。思えば今日は彼らと会う約束をしていたのだ。にもかかわらず、それを忘れて男との逢瀬に夢中になっていたのは自分ではないか。

 姪たちだって見たくて見たわけでもないだろうし、身を潜めていたところを鑑みれば、彼女たちなりに気まずい思いをしていたに違いない。


 そこに思い至った先代王妃は、強張っていた顔に柔らかな笑みを呼び戻した。そして男に告げる。


「えぇと、クラウス。ごめんなさい。この子たちは姪のロクサンヌと甥のコンスタンですわ。――この名だけでわかるかしら?」


「なっ……! お、王女殿下に王子殿下ですか? これは驚いた。ということは、彼らは――」


 そう言いながらクラウスが指さす先には、顔を真っ青にしながら走り寄って来るアンネマリーとウリセスの姿があった。

 今はもう鞘に戻したとは言え、クラウスが剣を抜き放ったのを見て慌てたのだろう。二人はまさに転がるような勢いで走り寄って来る。

 それを眺めながらエグランティーヌが答えた。


「えぇ。あれはこの子たちの専属メイドと護衛騎士ですわね。つまりわたくしたちの関係は、彼らにも見られてしまったということ。まぁ、さすがに口止めは出来るでしょうけれど、この子たちは……」


 いつもと違う伯母の様子に驚きと不可解さを隠せないロクサンヌと、意味も分からずぼんやりした様子のコンスタン。

 二人の姿を見つめながら、エグランティーヌはどこか諦めたような顔をした。

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