第322話 リタの覚悟

 一言で言い表すなら、それは暴力の雨だった。

 対アストゥリアの戦場に垂れ込めた分厚い灰色の雲。突如それが割れたかと思うと、小さなものは小指の先ほど、大きなものは馬車ほどの無数の岩石が降って来たのだ。

 

 大気との摩擦で真っ赤に燃えた小さな石ころ。もはや岩とも呼べないそれすらも、人という脆弱な存在には凶悪な破壊力を有していた。

 ある者は鎧ごと貫かれ、またある者は押し潰される。直接触れずとも、近くに落ちただけで灼熱の業火にその身を焼かれてしまう。


 次々に襲いかかる、燃えたぎる岩石の雨。

 いくら逃げ惑おうと無駄だった。およそ意思など持ち得ない無機質な物体であるはずなのに、不思議とそれには明確な意思が感じられた。

 なぜなら、同じ大地で対峙するハサール軍とアストゥリア軍にもかかわらず、まるで明確に線引きしたように後者にだけ死が降り注いだからだ。


 耳をつんざく爆音と、大地を揺るがす凄まじい衝撃。

 全く無傷のハサール軍と阿鼻叫喚のアストゥリア軍。

 高台に陣を敷くハサールの指揮所からはその差が明確に見て取れて、誰もがただ見つめることしかできなかった。

 そんな中、一人の従軍魔術師が呆然と呟く。


「そ、そんな馬鹿な!! あ、あれは……あの魔法は……まさか、そんな……」


「おい、お前! なにか知っているのか!? ――なんだあれは!? 一体何が起こっている!? 説明しろ!!」


 まるで独白のような魔術師の呟き。それを目ざとく聞きつけたハサール軍の参謀が、勢いよく問い質す。


「は、はい! 未だ憶測の域を出ませんが、あれは最高難度の広域殲滅魔法の一つ――隕石流星雨メテオ・ストライクに間違いありません」


「はぁ!? 魔法だと!? 一体誰がそんなものを使った!? そもそもそんな命令など下してはおらんぞ!」


「わ、わかりません! ――と言いますか、我らでないことは確かです。あれほどの術を使える者など、私も含めてここには……いえ、国中を探してもおりませんから」


「ならば誰が――」


「そ、それは……私の記憶が確かであれば、あれ・・を使えるのはただ一人――魔女アニエスだけです」


「なに!? 魔女アニエスだと!? あの『ブルゴーの英知』か!? ――しかし奴は死んだはずではなかったか?」


「そ、そうです! 確かもう10年以上も前に死んでいるはず……しかし……やはり生きていたのでしょうか? それともあの噂は本当だったのでしょうか!? 転生してハサールに潜伏しているという――」


「俺が知るか! とにかく今はそんなことなどどうでもいい。大事なのは現実を受け止めることだ! とは言え、これが好機なのは間違いない。――ラングロワ将軍、この機を逃す手はありません! 一気に敵を蹴散らしましょう!!」


 俄然勢いづくハサール王国東部軍参謀。それに反して、未だ呆然と佇んだままの将軍バティスト。しかし突如現実に引き戻された彼は、周囲を見渡しながら大声で告げた。


「よし、皆の者よく聞け!! 状況が落ち着き次第、敵の殲滅に入る! 今やアストゥリアは死に体だ! あとは逃げる兵たちを狩ればいい! さすればこの戦も終わるのだ! ――いくぞ!!」


「おぉー!!!!」




 ――――




 遠くから聞こえてくるおびただしい数の悲鳴。

 微かな風とともに届くその声は、しかしどこかこの世のものとは思えなかった。

 ともすれば夢の中を覗くような光景は、遠い世界の出来事にも見えてまるで現実味を伴わない。しかしそれは間違いなく現実だった。


 空から降り注ぐ無数の隕石に、数万の軍勢が押し潰されていく。

 真っ赤に燃える岩石と弾け飛ぶ赤い血潮が、まるでパッチワークを施したように広大な麦畑を染めていた。


「……」


 離れた山の中腹からそれを眺める一人の少女――リタは終始無言だった。

 罵詈雑言はすっかり影を潜め、ただ無表情に地獄絵図を見つめるだけ。まるで蟻の巣を踏みつけるかの如き圧倒的な暴力に、虚無感すら漂わせる視線を向ける。

 するとその背に声がかけられた。


「どうじゃアニエスよ。これで気が済んだか? ん?」


 振り向けば、そこには耳の尖った小さな幼女。

 相変わらず袋から豆を取り出してはバリボリと音を出して噛み砕き、眼前の景色にはまるで興味を示さず小さな鼻息を吐く。

 するとリタが答えた。


「えぇ。これで目的は果たしたわ。アストゥリア軍は壊滅し、残党もハサール軍が狩ってくれる。フレデリクは生き残り、家族も全員無事。祖国滅亡の危機は去り、憂いは全て消え去った」


「ほうほう。そりゃよかったのぉ」


「シャンタル……あなたには本当に感謝している。もしも願いを聞いてくれなければ、きっと後悔していたはずですもの。こうして間に合ったのは全てあなたのおかげだわ」


「ふむふむ、お役に立ててなによりじゃ。さすがの儂もばばあの泣きっ面なんぞ見たくもないからの。――もとより儂も小生意気なアストゥリアには思うところがあったのじゃ。ゆえにお主に力を貸すのもやぶさかではない」


 豆を食べる手を休めると、器用に片方の口角だけを上げてニヤリとシャンタルが笑う。

 エルフという見目麗しい種族のせいもあるのだろうが、皮肉に歪んだその顔も神憑り的に美しかった。

 それを見つめるリタが話を続ける。硬く強張った顔には覚悟のようなものが浮かんでいた。



「さぁ、これで終わったわ。もう思い残すこともない。――約束通りあなたの弟子になるから、どこへなりとも私を連れていってちょうだい」


「ふふふ……お主はなにを言うておる? せっかく救うことができたのじゃ。愛する婚約者に会いに行かんでええのか?」


「あぁフレデリク……いいえ、会えば未練が募るだけ。余計苦しくなってしまうもの。だからいいの、このまま会わずにあなたと行くわ」 

 

 今や視線を合わせようともせず、顔を俯かせるリタ。

 小刻みに肩が震えているところを見ると、恐らく涙を堪えているのだろう。いや、もしかするとすでに涙が頬を伝っているかもしれない。

 その様子にシャンタルは、またしても小さな鼻息を吐いた。


「ふんっ。なにやらお主、勘違いしてはおらぬか? 確かに儂は言った。『妖精の小道』を貸す代わりに弟子になれとな」


「……」


「しかし……しかしじゃ、このシャンタル、こと魔術に関する限り虚偽は一切申さぬ。弟子になれ……なれとは言ったが、今回まだその時までは指定しておらぬ。そのことを今一度思い出してみよ。つまり、儂がその気になれば弟子入りなんぞ10年後、50年後、いや100年後でも可能だろう……ということじゃ」 


「えぇ!? そ、それじゃあ……」


「ふんっ! とは申せ、あくまでそれは、儂がその気になったら、っちゅうことじゃ。なればリタよ、儂をその気にさせてみよ! 未だ弟子入りできぬ理由を示すのじゃ! 誰もが納得できる形でな。――この意味がわかるな?」


 まるで謎かけのようなシャンタルの言葉。

 瞬時にその真意を汲んだリタは、勢いよく顔を上げると、鼻息も荒く一目散に駆け出したのだった。



 ――――



「どうだフレデリク殿。そちらの状況は?」


「はい、ラングロワ将軍。こちらも酷い有様です。地に刺さる岩は熱く燃えたぎり、未だ近寄ることも儘なりません。見る限り約七割のアストゥリア兵は即死。残りも重症者ばかりで五体満足な者はほとんど残っていないようです」


 互いに陣を敷き、今まさに激突しようした両軍ではあるが、その直前に隕石が降り注いだため、結局アストゥリア軍は戦が始まる前に全滅してしまった。

 凄まじい轟音と肌を焼く灼熱。それとともに兵たちのほとんどは死に絶え、残された者たちも放置されたまま。それをフレデリクの部隊が救援に向かったものの、あまりの熱量に近寄れぬまま、ただ遠巻きに眺めることしかできなかった。


 その時だった。

 周囲を取り巻く兵たちが、突然ざわめき出したのだ。すると次の瞬間、兵たちが割れたかと思うと、そこから一人の少女が姿を現した。


 染み一つない純白のユニコーンに跨がる美しい少女。

 白い肌にプラチナブロンドのドリル髪が映える、まるで妖精かと見紛うような小柄な乙女。

 そう、それはリタだった。

 周囲が止めるのも聞かずに一目散に向かってきた彼女は、勢いよく地面に飛び降りるとそのままフレデリクに抱きついたのだ。


「あぁ! フレデリク様! ただいま戻りました!!」


「リ、リタ!? ど、どうしてここに!? なぜ君が!? 一体何があったんだ!?」


 突然の来訪者に、驚きのあまりフレデリクが目を白黒させてしまう。

 愛する婚約者――リタは今頃カルデイアで単身奮闘しているはずだった。あの『魔王殺しサタンキラー』勇者ケビンの手助けのために、彼女一人が残ったのだ。

 にもかかわらず、なぜこんなところにいるのか。しかも見たところ、供回りの一人すら連れていない。

 これは一体――


 意図せぬ婚約者との再会に喜びつつも、そんな疑問で頭の中を一杯にしてしまうフレデリク。

 その彼がなおも驚きのまま見つめていると、再びリタが口を開いた。



「フレデリク様! あなたは私がお好きですか!?」


「えっ!?」


「ですから、私のことが好きなのかと訊いているのです! さぁ、お答えください!」


「え……と、突然なにを――」


「早く答えて!」


「わ、わかった……す、好きだよ! 大好きだ!! 君のことは片時も忘れたことはないよ!! ――だって、誰よりも愛しているから!!」


 勢いに押されたとは言え、部下や兵卒などの衆人環視のもとで語るにはいささか恥ずかしい台詞せりふをフレデリクは吐いてしまう。そして直後に自身の発言に気付くと、その顔を真っ赤に染めた。

 するとリタが続けて吠えた。


「ありがとうございます! ならば私も申し上げます! ――フレデリク様、私もあなたのことが好きです! 大好きです!! 心の底から愛しています!! だから……だから……」


 甘い言葉とは裏腹に、リタの顔には迫力が満ちていた。

 特徴的な細い眉をキュッと吊り上げ、垂れ目がちの大きな瞳を鋭く細めたその顔は、ともすれば怒りに震えているようにさえ見える。

 いや、理由は定かでないが、実際彼女は怒っているのかもしれない。

 そう思わざるを得ないほどリタの顔は凶悪に見えた。


 婚約者の言葉に喜びつつも、同時に恐れをなしてしまうフレデリク。

 するとリタは、両手で力一杯フレデリクの顔を挟み込むと、グイっとばかりに強引に引き寄せた。そして――


 ぶちゅー!!


 何の前触れもなく、突然その唇を奪ったのだった。



 あまりの衝撃に目を剥いたまま固まるフレデリクと、血走る瞳を見開くリタ。

 唇が触れたまま至近距離で見つめ合う二人を、次第に周囲が囃し立て始める。


「おぉ!」


「ひゅー! 熱いねぇ!」


「これが若さか! 羨ましいねぇ!!」


 そんな中、リタは勢いよく唇を離したのだが、変わらずその顔には迫力が満ちていた。


「リ、リタ……い、一体どうしたんだ……? なにかあったのかい?」


 未だ婚約者の温もりが残る唇を無意識に押さえつつ、フレデリクが問う。

 するとリタは再びフレデリクに抱き着いた。


「あぁ、フレデリク様。私はあなたが好き。あなたは私が好き。ならばもういいではありませんか!? 結婚しましょう! この戦が片付いたらすぐに結婚するのです!! いかがですか!?」


「えぇ!? そ、そんな急に……ど、どうしたんだいリタ!? 変だよ、今日の君はおかしいよ!!」


「ですから、結婚するのかしないのか、どっちなのかと訊いているのです!! 答えてください! さぁ!!」

 

「えぇ!?」


 喧嘩さながらにフレデリクの胸倉を勢いよく揺さぶると、リタはぐいぐいと顔を近づけて返答を迫った。

 

「まさか……まさか嫌なのですか!? 私と結婚するのがお嫌なのですか!? あ゛ぁ!?」


「い、いやいやいや、そんなことはないよ! 僕だって今すぐ君と結婚したいさ! でも――」


「でも、なんですの!? はっきりお答えください!!」


「わ、わかった、わかったよ! すぐに結婚しよう!! これが片付いたら両家に伺いを立ててみるから、それまで待ってくれ、お願いだ!!」


 その言葉に、パッと顔を明るくするリタ。直後に自身の言動に気付いてその頬を真っ赤に染めてしまう。それでも彼女は、懲りずにフレデリクに抱き着いた。

 

「あぁ、それでこそフレデリク!! やっぱり大好き、愛してる!! ――だって、これで私はあなたと別れずに済むのだもの!!」


「わ、別れる? 一体なんの話だい?」


「ううん、なんでもない。なんでもないの! そんなことより、フレデリク!! 好き、好き、大好き!!」


 ぶちゅー!!


 そう叫ぶと、再びリタは勢いよく婚約者の唇を奪ったのだった。

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