第318話 選択と迷いと幼女の真意

 魔女シャンタル。

 それは歴史書にも名が残る、知る人ぞ知る高名な魔術師だ。


 今から三百年と少し前。二つの勢力によって真っ二つに分かれていた精霊界は、遂に取り返しのつかないところまで諍いが拡大していた。

 互いに互いをあげつらい、話し合いは平行線を辿り、最早もはや実力の行使も辞さずとなったその時、全てを統べる者――女王ティターニアがある一人の魔女に仲裁を求めたのだ。

 それがどちらの勢力にも属さない人族の魔女――シャンタルだった。


 それまで誰も見たことがなく、今や神話の世界の住人だと思われていた精霊界の女王ティターニア。

 彼女自ら姿を現し、あまつさえ助けを乞うてきたことに深い感銘を受けたシャンタルは、見事にその危機をおさめてみせた。

 その謝礼として、望み――精霊界への移住を許されたシャンタルは、そこで永遠の命を得て今でも好きな魔術の研究に明け暮れていると聞く。


 その偉大さはあまりに有名で、魔術師を志す者ならアニエスと並んで今や知らぬ者はいないほどだ。

 現代魔術学の礎を築いたのも、無詠唱魔術の基礎理論を打ち立てたのも全てシャンタルであり、若かりし頃のアニエスも彼女が残した写本を読み漁る毎日だった。

 

 自らも偉大な魔術師として長らく崇められてきたアニエスではあるが、彼女にしてシャンタルは尊敬してやまない。しかし何故かその名をその人物とは似ても似つかぬ謎の幼女が語っていた。

 

 見たところ5歳ほどだろうか。

 長く美しい金色の髪と、透き通るような薄緑色の大きな瞳。

 何処までも色素の薄い肌に、神憑り的に整った目鼻立ち。そして一目で種族がわかる尖った長い耳。

 本来なら可愛らしいと表現すべき幼い女児にもかかわらず、それは美しいと言い表すのが相応しいほど完ぺきな美だった。


 過去の文献、記録が正しければ、シャンタルは人間――人族であったはずだ。なのにその女児は正真正銘のエルフ族に違いなく、どうしてもあの偉大な魔女とは思えなかった。

 そんな眩しいまでの幼女が、袋から豆らしきものを取り出して次々に口に放り込んではバリボリと派手に音を立てて食べている。

 あまりと言えばあまりに突飛な状況に理解が追いつかない。そう言わんばかりにリタが固まっていると、再び幼女が口を開いた。



「なんじゃアニエスその顔は。儂の顔になんぞ付いておるかの?」


「えっ……?」


「まるで鳩が豆魔法でも食らったような顔をしくさってからに。――ほれ、しっかりせんかい」


 変わらず五歳児のままシャンタル――らしき幼女が告げる。するとリタはやっと口を動かした。


「ま、魔女シャンタル……本物? 本物なの? それにしては随分と――」


「ん? これか? この姿が気になるか? まぁのぉ……語れば長くなるのじゃが、聞きたいか?」


「え、えぇ……」


 一刻を惜しむ状況でありながら、食いつくように返事を返すリタ。

 三百年前。当時すでに二百歳に届いていたシャンタルが、なぜ今は五歳児なのか。しかも人族だったはずなのに、なぜエルフ族になっているのか。

 その全てに合点がいかずにひたすらリタが訝しんでいると、シャンタルは少々大げさに深いため息を吐いた。


「あぁ……お主の疑問が手に取るようにわかるわい。――ならば教えてやる。精霊界への移住が許された儂に、ティターニアが訊いてきたのじゃよ。ここでは年を取らなくなるが、このままずっと年寄りのままでいいのかとな。希望があれば一度だけ叶えてやろうと告げてきたのじゃ」


「……」


「そこで儂は言った。『ならば若返らせてくれ。今一度若かりし頃に戻りたい』とな。そして容姿端麗な種族に変えてほしいとも」


「……そ、それで?」


「その結果がこのざまじゃ。本来ならナイスバディな美少女エルフになっていたはずじゃったのに……まぁ、百歩譲ってエルフはいい、エルフは。確かにエルフは美男美女揃いじゃからな。――しかしなんじゃこれは? なぜ五歳児なんじゃ? 幾ら若返らせるにしても、限度っちゅうもんがあるじゃろ!」


「……」


「儂はティターニアを問い詰めた。『何故に五歳児なのか、これでは不便でかなわん。何か意味があるのか?』とな。――すると何と答えたと思う?」


「さ、さぁ……」


「『間違えちゃった……てへ、ぺろ』じゃと!! なにが『てへ、ぺろ』じゃ、まったく!! 今や女神にも近しい存在でありながら、あまりにポンコツすぎじゃろ!!」


 当時の思い出とともに再び怒りが込み上げてきたのか、まるで地団駄を踏むようにシャンタルは短い足をバタバタさせる。

 端から見ると、それは癇癪を起した幼女以外の何ものでもなく、返答に困ったリタが引き攣った苦笑いを浮かべた。


「そ、それは災難でしたわね……」


「ふんっ。まぁえぇわ。些か背が低すぎるきらいはあるものの、この姿でも魔法の研究はできるからの! 今さら言っても詮無いことじゃ。おかげで愛されキャラにもなれたし」


「……」


「ふぅ……それでなぜ儂がここにおるかとな?」


「は、はい」


「そんなの簡単じゃ。お主を待っておったからじゃよ」


「えっ? 私を?」


「そうじゃ。お主をじゃ。故あって今はここにおらぬが、ティターニアがそう告げたのじゃ。『アニエスが来るから会いに行ってきなさい』とな」


「会う? 私に? いったい何のために? あらかじめ知っていたということ?」


 訝しそうに眉を顰めながらも、矢継ぎ早に質問を返すリタ。するとシャンタルも口早に答えた。


「もちろんじゃ。如何に全知全能ではないとは言え、ティターニアが知らぬことなど殆どないからの。ここにお主が来ることも、その目的も全てお見通しじゃ。そして今何を考えているのかもな」


「えっ……」


 その答えに突如リタの表情が変わる。

 10年前、初めてティターニアに会った時にも同じようなことを言われた。何一つ説明せずとも目的も行き先も全てお見通しだったのだ。

 彼女自身は否定していたものの、まるで全知全能の神のような存在。ならばこれも知っているのではないか。

 そう思ったリタは、試しに訊いてみることにした。



「ならばお訊きしますけれど、私の目的をご存じで?」


「もちろん知っちょるわ。お主はハサールに向かっているのであろう? 憎きアストゥリアの手から祖国と家族、そして婚約者を守ろうと必死なのじゃ」


「……そうですか。ならば続けて問いますが、今のハサールはどうなっているのですか? 家族は? フレデリクは無事なのでしょうか?」


 試しにというわりには必死な形相のリタ。するとシャンタルは鷹揚に頷いた。


「ふむ。今はまだ無事じゃな。未だアストゥリアも攻撃には至っておらぬ。すぐにここを出たならば、婚約者の危機にも間に合おう」


「あぁ……」


 思わずリタは安堵の溜息を吐いてしまう。

 外界の情報が伝わるとも思えない隔絶された森の中で、シャンタルの言葉にはなんら根拠が見いだせない。しかしその信憑性はリタが一番よく知っていた。

 なにせあの・・ティターニアに送り出されてきたのだ。決して適当なことは言わないだろう。

 いや、むしろ下手な伝令などより余程信頼に足るはずだ。

 その事実にリタが人心地ついていると、尚もシャンタルが続けた。


「とは言え、それは今すぐにここを発った場合・・・・・・・・・・・・の話に過ぎぬ。それも『妖精の小道』を使って・・・・・・・・・・・な。――誤解なきよう言っておくが、事態は非常に切迫しておる。お主の祖国と愛する家族。確かに今はまだ無事じゃが、果たして明日にはどうなるか。――さすがに涙なしには語れぬわ」

 

「えっ……? そ、それじゃあ――」


「少し待て。お主の言わんとするところはよくわかる。しかしな、如何に女王ティターニアといえど、人間の営みに干渉はできぬのじゃ。これは世のことわりゆえ、奴にもどうにもならぬ」


「そ、それはつまり――」


「ふむ。有体ありていに言えば、お主に『妖精の小道』は貸せぬ・・・・・・・・・・・ということじゃな」


「そ、そんな!!」



 リタは悲鳴にも似た大きな叫びを上げた。

 両目を大きく見開いた愕然とした顔のまま、ただひたすらに目の前の幼女を見つめ続ける。しかし次の瞬間、猛然と食って掛かった。


「なぜ!? どうして使わせてくれないの? だって『妖精の小道』を管理しているのはピクシーの長――ピピ美のはずでしょう!? なのになぜ貴女がそんなこと言うの!? ピピ美がいいと言ったらそれでいいんじゃないの!?」


「ふむ。確かにそうじゃ、お主の言う通りじゃな。しかしな、先ほど申した通り此奴こやつは未だ駆け出しに過ぎぬ。ゆえにそれの管理も任されてはおらぬのじゃ」


「そ、それじゃあ、その管理者に直接頼んで――」


「無理じゃな。何故ならそれは、ティターニアだからじゃ。奴に訊いたところで使わせてもらえるとも思えぬ」


「えぇ!! そんな……」


「リタ……」


 見る見るうちに絶望を浮かべ始めるリタ。その様子を心から申し訳なさそうにピピ美が見つめた。

 しかし次の瞬間、リタはその身を翻す。そしてピピ美すら一瞥しないまま走り出そうとしていると、その背にシャンタルが語り掛けた。



「リタよ、如何いかがした? 何をするつもりじゃ?」


「そんなの決まってる! 今すぐハサールへ向かうのよ!! ユニ夫の足であればまだ間に合うかもしれないじゃない!!」


 何かを振り払うかのように勢いよく振り向くリタ。するとシャンタルは表情すら変えずに話し続けた。


「無駄じゃ、やめておけ。今から街道に戻ったところで決して危機には間に合わぬ。そこでお主は人生最大の悲劇を見ることになるじゃろう」


「で、でも!! だからってこのまま諦めるだなんて私にはできない!! 諦めたら全てが終わってしまう!! 今の私にできることは、これしか――」


「まったく落ち着きのない娘――いや、ばばあじゃのぉ。まぁ落ち着け、話を聞くのじゃアニエスよ。そこで提案がある。実のところ儂はこのピクシーの里の管理を代行しておってな。ゆえに儂の一存で『妖精の小道』を使わせてやるのもやぶさかかではない」


「えっ……!」


「とは言え、さすがにただ・・というわけにはいかぬな。それには条件があるのじゃが……聞いてみるか?」


 何か思うところでもあるのだろうか。

 片方の口の端だけを吊り上げた、お世辞にもあまり良いとは言えない表情をシャンタルは浮かべた。

 それに対してリタは前のめりになる。


「じょ、条件!? なにそれ!? 早く言って!!」


「だから落ち着けと言っておるではないか。まったくせっかちなばばあじゃのぉ。――ならば申そう。精霊界において魔法の研究に打ち込んで三百年。そろそろ儂も弟子が欲しくなってな。それも優秀な弟子が」


「弟子……?」


「そう、弟子じゃ。それでお主はどうかと常々思っていたところじゃ。――はっきり言おう。『妖精の小道』を使わせる代わりに儂の弟子になれ、アニエスよ。お主も精霊界に来るのじゃ」


「えっ!?」


「もちろん儂のように永遠の命を授けてやる。ばばあ同士、共に魔法の真理を追究しようではないか。楽しいぞ」


「で、でも……そうしたら私はフレデリクと――」


「何を言っておる? 二百と十余年、すでにお主は前世で純潔を守り通したではないか。よもやその歳で結婚などと世迷い言を言うつもりではあるまいな? ――二百歳超えの姉さん女房なんぞ、それこそ聞いたことないわい。しかもその歳で子を産むつもりか? そんなもの高齢出産じゃきかぬじゃろ。――そもそも男なんぞと一緒になって何が楽しい?」


 何気にジトっとした半眼で見つめられて、思い切りリタは狼狽えてしまう。

 するとシャンタルは、ここぞとばかりに追い打ちをかけてくる。


 

「言っておくが、精霊との約束は反故にできぬぞ? 一度交わしてしまえば、決して破ることは許されぬ。――お主も知っておろうが、精霊族は決して嘘はつかぬ。いや、つけぬと言い換えてもいい。ゆえに相手にもそれを求める」


「……」


「万が一にも約束を反故にしてみよ。それこそ恐ろしいことになるぞ。如何いかにポンコツと言えども、仮にもティターニアは精霊界の女王なのじゃ。もしも謀れば、凄まじいまでの報復が待つと知れ」


「報復……」


「儂の弟子になる代わりに祖国、いては家族と婚約者を救うか、無駄と知りつつ、このまま街道に戻って取り返しのつかぬ悲劇を目の当たりにするか。――さぁどうする? どちらを選ぶ? リタよ、今すぐ決めよ」


 まさに究極の選択としか言えないその問いに、最早もはやリタには迷う時間すら与えられていなかった。

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