第319話 それぞれの想い

「おい、聞いたか? 今朝エステパで聞いた話なんだが、なんでもアストゥリアが攻めてきたらしいぞ」


「なに? それは本当か?」


 ここはハサール王国の辺境にある寒村、オルカホ村。

 その一角でそんな会話が繰り広げられていた。


 徒歩で一日も行けば隣国との国境に辿り着く。

 それほど首都から遠く離れたこの村にも遂に噂は流れつき、ある者は不安げに、そしてある者は真剣に話し込む。中には慌てて家族に知らせに走る者すらいた。

 

 そんな中、とある一軒の家に怒鳴り声が響いていた。

 太陽も沈み始めた夕暮れ時に響く男女の叫び声。それは村に一軒だけある小さな雑貨屋だった。


「ダメと言ったらダメだ! いい加減言うことを聞くんだ、ビビアナ!」


「嫌よパパ! だってアストゥリア軍が首都に迫っているんでしょう? なのに黙っていられるわけがないじゃない!」


「お前が行ってどうなる!? こんな田舎の雑貨屋の娘が一体何の役に立つというんだ!? 行くだけ無駄だ、やめておけ!!」


「何言ってるの!? 私が戦いに行くわけないじゃない!! カンデに会いに行くだけだって言ってるでしょう!?」


 容赦なく声を上げる30代半ばの中年の男と、10代半ばの背の高い少女。

 その容姿と言葉からもわかる通り、それはオルカホ村時代のリタの幼馴染であるビビアナとその父親だった。

 どうやら二人は怒鳴り合いを演じているらしく、あまりの喧騒に何事かと店の中を覗き込む村人たちを尻目に、ひたすら親子で大声をぶつけ合っていたのだ。

 

「これから首都では戦が始まるんだ。――いや、もうとっくに始まっているかもしれん! そんな危険なところに、大事なお前を行かせられるわけないだろう!!」


「だって、そこにはカンデがいるのよ!! 夢が叶ってやっと騎士見習いになったっていうのに……いずれ迎えに来るって約束だってしてくれたんだから!」


「そうか……カンデは確かコルネート伯爵のところだったな? そこは首都のすぐ隣のはずだから、すでに戦に駆り出されているに違いない。――ここから首都まで歩いて10日。今から行ったところで会えるとも思えん」

 

「そんな! 彼とは結婚を約束したのよ! それにもう一年以上会ってない! なのに……なのに……このまま会えなくなるかもしれないだなんて……そんなの……そんなの酷すぎる……」


「ビビアナ……パパにもお前の気持ちはよくわかる。結婚の約束までしたんだからな。お前にとっては特別な男だ。しかしな、それはどうしても無理なんだ。どうかわかってくれ」


「いやよ、いや! どうして……どうして……うぅぅぅ……あぁカンデ……カンデ……うあぁぁぁ」


 人目も憚らず、遂に声を上げて泣き出してしまうビビアナ。

 そんな最愛の娘を抱き締めながら、父親もまた悲痛な顔を隠すことはなかった。



 ――――



「よし。お前ら全員荷物は持ったな!? この家ともしばらくお別れだ。さぁ、さっさと逃げ出すぞ!」


 ハサール王国の首都アルガニルの郊外。

 長閑のどかな田園地帯の一角に佇む白く小さな家から、そんな声が聞こえてくる。

 まるで熊を想起させる大柄な中年の男と、その妻らしき小柄な女。そして彼らに挟まれる男女一人ずつの子供たち。

 すでに日も暮れかけた夕暮れ時にもかかわらず、持てるだけの荷物を抱えて四人は北へ向かって歩き出した。


 それは冒険ギルド・ハサール王国支部副支部長を務めるクルスとその家族だ。

 アストゥリアの侵攻により突如戦時下に突入したハサール王国から、たった今彼らは逃げ出すところだった。


 冒険者ギルドのギルド員は、容易に国を超えて活動できる。

 交付されるパスを提示するだけで簡単に国境を超えることができるし、支部のある国ではそれ自体が信用のある身分証も兼ねていた。

 そのため彼らは厳格な独立性を求められており、国同士の諍いに関与できなかったり、国からの依頼にも一定の制限を受けている。


 とは言え、彼らとてハサール人なのだから、当然祖国を守りたいとも思うだろう。しかしギルド員であるが故に戦に参加することさえ許されなかった。

 幸か不幸か、それを根拠に今回の戦乱への参加を免除されたギルド員たちは、それぞれの家族を伴って避難を始める。

 

 ギルドの副支部長を務めるクルスは、昼過ぎに最後のギルド員が退避したのを見届けると、早速自分の家族を連れて動き出した。

 その気になればギルド員の特権とパスを活用して他国にまで逃げることができる。しかし祖国に対してそれなりに愛着のあるクルスとパウラは、とりあえず国内で戦場から一番遠い場所――西部のムルシア侯爵領まで行くことにしたのだ。


 日も落ち始めた夕暮れ時から始まった逃避行。その最中に子供たちが不安そうに声を上げた。

 

「ねぇ、お父さん。この戦争ってすぐに終わるの? またお家に帰ってこれるかなぁ」

 

 不安そうにしながら、八歳の長男シャルルが問いかける。するとクルスは力強く頷いた。


「あぁ。なにも心配いらねぇぞ! この戦はすぐに終わる。あの家にもすぐに帰ってこられるさ!」


「そうそう。念のために遠くまで避難するだけで、お父さんもお母さんも何も心配してないからね。――まぁ、せっかくだから、ちょっとした旅行だと思って楽しみましょ?」


「そうだね。いざとなったらリタ様もいるしね! わたしは何も心配してないよ!」


 母親の返答に屈託のない笑顔を見せる長女アニー。

 魔女アニエスから名前の一部をもらったこの11歳の少女は、父親の危機を救ってくれたリタに対して全幅の信頼を寄せていた。


 どんなことがあろうとも、最後にリタ様が何とかしてくれる。

 決して父親も母親も口に出さないものの、今やそれは彼ら家族の共通認識になっていたのだった。



 ――――



 首都アルガニルにあるレンテリア伯爵家の首都屋敷。

 そこでは今朝早くから大移動が始まっていた。

 

 上級貴族御用達の豪奢な馬車に大量の荷物を積み込んで、今まさに移動を開始せんとするレンテリア伯爵家当主セレスティノ・レンテリアとその家族たち。

 これから彼らは王国の北西部にある自領へ向けて出立するところだ。


 とは言うものの、王国府から発布された貴族への疎開命令に対して、当主セレスティノも次男フェルディナンドも最後まで抵抗した。

 セレスティノは国王以下幹部貴族たちを慮って、フェルディナンドは未だ遠征から戻らぬ最愛の娘――リタの身を案じて首都屋敷に残ると言ってきかなかったのだが、財閥系貴族ゆえに軍隊を持たないレンテリア家は、戦では役に立たんとばかりに強制的に避難させられてしまったのだ。


 軍は出せぬが金は出す。

 そんなレンテリア家に対しては王国府も神経質になっているらしく、今後の戦費の捻出を鑑みて彼らの安全を最優先しようとする。

 それでもフェルディナンドは一人だけ最後まで首を縦に振らなかった。


 僅か16歳の娘が単身カルデイアの地で奮闘しているというのに、父親の自分がのうのうと疎開生活をするだなんて許せない。このまま娘が戻るのを首都屋敷で待ち続ける。

 そう述べたフェルディナンドは、自領に疎開する家族たちを一人で見送ることにしたのだった。



「父上、母上。リタの帰りは私が責任をもって待ちますので、気にせず出立してください。道中の安全を祈っております」


「あぁ、すまないなフェルディナンド。本当はともに私も残りたいのだが、状況がそれを許さないのだ。お前一人に押し付ける形になってしまい、本当に申し訳ないと思っているよ」


「フェルディナンド……よろしいですか? 決して無理をしてはいけません。憎きアストゥリアが迫って来たならば、速やかに逃げ出すのです。そこには恥も外聞もありません。貴方が生きて戻ることこそが大切なのです。そしてどうか、どうかリタをよろしくお願いします」


「父上……母上……リタのことはお任せください。――それでは道中お気をつけて」


 父親と母親に暫しの別れを告げる夫に、我慢できずにエメラルダが声をかける。


「ごめんなさい、あなた。やはり私も残ってはいけませんの? 母親として私もリタを待ちたいのですけれど……」


「エメラルダ……その話はこれまでも散々しただろう? すまないが君はここにいてはいけないんだ。――いいかい、フランシス。お前は母上を助けるんだぞ、いいな?」 


「は、はい、父上! 母上のことは僕にお任せください! 父上はどうか姉上をよろしくお願いします!」


「うん、いい返事だ。リタが戻り次第私もそちらへ向かうから、それまで皆をよろしく頼む。いいね? フランシス」


「はい!」


「エメラルダ。しばらく君に会えなくなるのは寂しいけれど、すぐにそちらへ向かうから」


「あぁ、あなた……」


 

 暫しの別れのあと、緩々ゆるゆると遠ざかる馬車をフェルディナンドが見送っていると、その背に声をかけてくる者がいた。


「坊ちゃま……フェルディナンド様。最後のご奉公がまさかこんな形になるとは思いませんでしたよ。とは言え、まぁ、それもまた良し、といったところかもしれませんがね」


 何処か可笑しさを堪えるように、気安い言葉をかけてくる使用人。

 それはレンテリア家の筆頭執事を長年務め続けてきたエッケルハルトだった。

 すでに齢70に届こうかというこの敏腕執事は、本来なら今月一杯で引退の予定だったのだが、その最後をフェルディナンドとともに過ごすことに決めたのだ。 


 生まれた時からずっと見続けてきた執事の柔らかい笑み。それを眺めながらフェルディナンドが口を開く。


「すまないなエッケルハルト。お前にはいつも助けられてばかりだ。我がレンテリア家の守り神とも言えるお前には、せめて静かな余生を送らせてやりたかったのだが……」


「ふふふ……いいのですよ。とっくの昔に筆頭執事の座は息子に譲りましたし、私にはもうやり残したことはありませんからね。――最後にこのお屋敷で過ごせて、むしろ良かったと思っていますよ」


「そうか……」


 片や家督を継げない貴族家の次男坊と、片や引退を控えた高齢の執事。

 今や死しても大勢に影響のないこの二人は、迫りくるアストゥリア軍に対してもまるで恐怖を感じていなかった。


 ただ彼らは、近く戻って来るであろう愛するリタを迎えることのみを使命として、ひたすら待ち続けるだけだったのだ。

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