第317話 姉妹の再会

「ピピ美……」


 たった一言だけ、リタの口から言葉が漏れた。


 果たしてこの名を口にしなくなったのはいつ頃からだろうか。

 3年、5年、10年……いや、それよりもっと前から呼んでいなかった。

 12年前。父親の実家に向けて逃げるようにオルカホ村を出たリタは、その途中でピピ美と出会った。

 紆余曲折様々なことはあったものの、その後暫くは苦楽を共にしたのだ。


 当時一人っ子だったリタは、小さなピピ美を妹のように可愛がった。そしてピピ美もリタを姉のように慕っていた。

 確かにぞんざいに扱うことも少なからずあったものの、それとて実の姉妹のように気の置けない間柄だったからこそと言えるものだ。


 しかしそれも唐突に終わりを告げてしまう。

 一緒に暮らし始めて一年と少し。ある日突然ピピ美は故郷に帰ってしまったのだ。

 もっともそれはリタ自身が望んだことでもあったので、決して後悔はない。


 いくらフェルとエメから本当の娘のように可愛がられていようと、リタから妹同然に扱われていようと、屋敷の使用人たちから敬われていようとも、所詮は人族とピクシー族。種族からして違う。

 生活様式も価値観も、常識だって全く異なっているし、いくら母親――女王ピクシーの命令とは言え、そんな彼女が人間と共に暮らしたところで幸せにはなれるはずもなかった。


 事実、途中でホームシックにかかってしまったピピ美は、人知れず涙を流すようになる。

 気丈にもリタの前では平静を装っていたものの、心の内では生まれ故郷、姉妹たち、そして母親への強い想いを抑え切れなくなっていたのだ。

 結局はそれを理由に故郷へと帰ってしまったのだが、それ以来10年以上会うこともなく、いつしかリタもその名を口にしなくなった。


 とは言うものの、リタとて忘れたわけではない。

 しかし遠い辺境に広がる森になどついぞ行く機会もないまま、気付けば頭の片隅に追いやっていた。



 その彼女が目の前にいる。

 予感はあった。確かに予感はあったのだ。ポプ子が名を告げた時からリタの中には確信めいたものがあったのだが、いざその姿を見た途端にそれも揺らいでしまう。

 未だはっきりと思い出せる11年前の記憶。

 その中でのピピ美は小さく幼く、そして生意気だった。そして満を持してここで再会してみたものの、そこには全く面影が見られなかった。


 まるで小さな女神のように美しい外見のみならず、話し口調から佇まいに至るまでその全てが記憶の中とは異なっていた。

 その事実に人違い――いや、ピクシー違いかと思って落胆しかけた時、突如その口から告げられたのだった。


「ねぇ、リタでしょう!? 間違いない、あなたリタね!? どうしてこんなところに!?」


 驚きと喜び、そして懐かしさ。それらが複雑に入り混じった女王ピクシーの言葉。

 それを聞いた直後、リタの顔には満面の笑みが浮かんだ。

 直前までの落胆し切った表情など何処へやら、前のめりに近づいてくる大きなピクシーに向かって問いかけた。


「ピピ美……ピピ美なのよね? 本当にピピ美なのね!?」


「そういうあなたもリタなのでしょう? 間違いなくリタなのよね!?」


「あぁ、ピピ美!! 会いたかった!!」


「私も会いたかったわ!! リタ、あぁ、リタ!!」


 驚きの顔で二人を取り囲む小さなピクシーを横目に、再び相まみえた幼馴染は抱き締め合って喜んだのだった。



 ――――



「そうなんだ……貴女は独立していたのね」


「えぇ。あれからメルガブリルの森に戻った私は、母様かあさまのもとで修業を始めたの。それからこの森に入って自分の里を作った。――それも全てはあのお方のご意思によるもの」


「あぁ……ティターニア様ね……」


 その時リタは、絶世の美女と表現してもまだ言葉が足りない妖精族の女王を思い出していた。

 神々しさと人知を超えた美しさのせいで近寄り難くはあるものの、優しくたおやかな人柄のせいで何処か親しみを感じさせるティターニア。

 彼女は滅多に人前に姿を現さない。

 男などは言うに及ばず、たとえ女であったとしてもその前に顕現することはなく、永らく彼女は神話の世界の存在だと思われてきた。


 しかし今から三百年と少し前、当時最強との呼び名の高かった魔女「シャンタル」の前に姿を現したのをきっかけにその存在は知られるようになる。

 一方で、それ以来姿を消していた彼女ではあるが、11年前に自らリタの前にその姿を見せたのだった。


 優しげで美しい容姿とは裏腹に何気にポンコツを思わせるティターニアには、リタも魅かれるものを感じた。

 しかし相手が精霊界の女神とも言える存在であるが故に、それ以来会ったことはない。

 そんなティターニアに想いを馳せつつ、リタは再び口を開いた。



「それにしても随分と印象が変わったわねぇ。外見もさることながら、言葉遣いから口調に至るまで完全に別人みたいよ」


「うふふ、まぁね。あの頃の私は生まれて三年しか経っていなかったし、まだまだ未熟な子供だったから。あれから母様かあさまには随分と厳しく躾けられたわ。それに今では私も母親なのだから、いつまでもあの頃のままというわけにもいかないでしょう?」


 そう言いながらピピ美は抱き着くポプ子を優しく撫でた。

 

「そうね、そうよね……それにしても……」


 些かジットリとした半目で、リタはピピ美を眺めてみる。

 体長が10センチ少々、10歳程度の人間の女児のような外見の普通のピクシーに比べて、ピピ美はその倍――20センチはあるうえに、見た目も15歳くらいに見える。

 それはつまり今のリタとそう変わらない年齢に見えるのだが、それにしてもその容姿は美しすぎた。


 以前はまるで棒のように細い身体をしていたものだが、数多の子を産んだ今ではまさに経産婦らしい丸みを帯びた体つきになっていた。

 今も大きな下腹部を大切そうに撫でているところを見ると、すでに臨月も近いのだろう。その様に思わずリタが呟いてしまう。


「貴女が母親だなんてねぇ……まったく思いもしなかったわ。いつもぬいぐるみの上で涎を垂らして寝ていたのに……」


「うふふ……まぁ仕方ないわ。私たちと人族とでは時間の流れが違うのですもの。私なんてもう23人もの娘の母親なのよ? 独立してからというもの、自分の里を作るためにずっと無我夢中で頑張ってきたけれど、思えばあっという間だった。――そういえばリタはもう子は産んだのかしら?」


 特に深い意味はないであろう、何気ないピピ美の一言。それにリタは顔を真っ赤に染めた。


「わ、わ、私はまだ結婚すらしてないし!! こ、子供なんてまだ早いわよ!!」


「結婚? ……あぁ、そうだった。人間って子を産むのにもう一人の人間が必要なんだったわね。不便なものなのねぇ。――フレデリク……でしたっけ? お相手は」


「う、うん。そう、フレデリク。数年内には結婚する予定なのだけれど、今は――あっ!!」


 そこまで告げたところで、まるで忘れていたと言わんばかりにリタが叫んだ。そして口調を変えた。



「そ、そうよ! ここに来たのは他でもない、実は貴女に頼みがあったのよ! 聞いてくれる!?」


「頼み? それは……?」


 打って変わったリタの様子に、思わず胡乱な顔を返してしまうピピ美。するとリタが間髪入れずに言い募った。


「ねぇ、『妖精の小道』って知っているわよね? 貴女の生まれ故郷にもあったでしょう?」


「え? えぇ、もちろん知っているけれど……それがなにか?」


「そ、そう、それなんだけれど、この森にもあるのかしら!?」


「もちろんあるわよ。それがないと私たちも不便だし」


「あるの!? やっぱりあるのね!? やったぁ!!」


 喜びを表すように諸手を挙げたリタに、さらに胡乱な表情を深めるピピ美。

 その真意を確かめるために彼女が口を開こうとしたその時、先にリタが言葉をかぶせた。


「ピ、ピピ美! 再会して早々のお願いでとっても恐縮なのだけれど、その『妖精の小道』を使わせてもらえないかしら?」


「えっ……?」


「実は私の祖国――ハサール王国が大変なことになっているのよ。もしもそれを使わせてもらえるなら、森を迂回するより二日は短縮できると思うの。――お願いピピ美! 不躾ぶしつけなのは十分承知しているわ! そこをなんとか、幼馴染のよしみで聞いてくれないかしら!?」


 人間とピクシーという種族違いではあるものの、姉妹同然の幼馴染、そして喧嘩するほど仲の良かったピピ美。

 彼女であればこの願いくらいは事も無げに聞き入れてくれるはず。

 何一つ根拠がないにもかかわらず、そう思い込んでいたリタではあるが、次の瞬間その表情を凍りつかせた。



「ごめんリタ。それは無理なの。『妖精の小道』は誰にも使わせてはいけないって言われているから」


「え!?」


「私はまだ女王ピクシーとしては駆け出しなの。だからあの人・・・には逆らえなくて……」


「あの人……? あの人って誰? あなたはこの里の女王なのでしょう? 言わばここの長である貴女が、一体誰に気を遣っているの!?」


 予想外の返答に思わず語気が荒くなってしまうリタ。そして申し訳なさそうに顔を伏せてしまうピピ美。

 この二人を取り囲むようにピピ美の娘たちが不安げにしていると、不意にその声は聞こえてきた。


「魔女アニエスよ、ピクシーを責めるのはよさぬか。気持ちはわからぬでもないが、あまりに大人げない。その子には何の罪もないのじゃからな」


「えっ?」


 再び予想外の声にリタが振り向くと、そこには一人の幼女が佇んでいた。

 年の頃は五歳前後だろうか。中々に愛らしい耳の長い女児が、ぼりぼりと音を立てて何かを食べていたのだ。


 いつからそこにいたのだろうか。

 普段のリタならとっくに気配を察していたにもかかわらず、声を掛けられるまで全く気付かなかった。

 それだけでも只者ではないと思わざるを得なかったが、さらに彼女からは凄まじいまでの魔力が感じられた。それはリタをして脅威と思わせるほどで、意図せず全身の毛が逆立つほどだった。


 そんな幼女にリタが問う。


「あ、貴女は誰!? 何者!? 名を名乗りなさい!!」


「ふふん……儂か? 儂は『シャンタル』じゃ。お主であればこの名くらいは聞いたことがあろうて。それとも初耳か?」


 何処か苦笑交じりの声。

 その返答に、リタは全身を凍りつかせてしまうのだった。

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